嘘つきたちの晩酌

伊月千種

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1巻

1-2

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 優香たち四人が出会ったのもそんなサークルの一つだ。
 千恵美は美大編入前に彰士と同じC大に通っていたのだが、美大に編入後も変わらずサークルには顔を出していた。
 このサークルは普段の活動はもちろん、季節ごとに合宿や飲み会を行っているので三大学間で仲のいい友達ができやすかった。
 とはいえ、いつも四人揃ってべったりしていたわけではない。確かに優香と千恵美は女子同士で仲が良かったが、彰士と征太はサークル内ではそれぞれ別のグループとつるんでいた。

「そういえば、アレやったの? 送り出し合宿で毎年恒例のヤツ」

 千恵美が身を乗り出して尋ねた質問に、優香、征太、彰士の三人は目を合わせて苦笑する。

「秘密暴露会?」

 征太の言葉に千恵美は「そうそう」と顔を輝かせてうなずいた。
 合宿最後の夜に卒業生が一人一つずつ、今まであまり人に話したことのない秘密を暴露するという恒例行事のことだ。
 今まで送り出す側だった優香たちは、先輩たちの時にくだらない、そして時に驚くべき秘密を聞いてきた。
 だが、よほどインパクトのある暴露でない限り、そのほとんどはすぐに忘れてしまった。
 人はそれほど他人に興味を持っていないのだな、と優香は毎年この時期になると思う。
 とはいえ、頭ではそうとわかっていても、いざ自分が秘密を明かす側に立つと言い知れぬ不安と緊張がある。それに秘密だなんて何を話せばいいかわからない。
 結局何を話すかも決められないまま臨んだ合宿だったが、今年は優香が秘密を暴露する機会は巡ってこないまま終わった。

「潰れたよ。最初の数人が暴露した後、一部の奴らが酔い潰れてグダグダ。そんで結局お流れ」

 彰士が答えると、征太も笑いながら「そうそう」とうなずいた。

「ええ! つまんなーい」
「俺はほっとしたよ」

 心底安堵したような顔でつぶやいた征太に同意するように、優香も深くうなずいた。

「じゃあさ、今夜やらない?」

 しばらく黙り込んだ千恵美が、ふと思いついたように放った言葉に、優香たち三人は千恵美の顔をマジマジとのぞき込んだ。

「やるって?」

 彰士が眉をひそめながら聞くと、千恵美は悪戯いたずらっぽい笑顔で三人を見回した。

「四人だけの秘密暴露会」
「ええ?」
「今夜?」
「めんどくせ」

 千恵美の提案に三人それぞれ反応したが、誰もが否定的だ。だが千恵美は構わず続ける。

「だって、この家で四人で過ごすのはもう今夜が最後でしょ? 明日の朝になったらそれぞれ新しい場所に移ったり実家に帰ったりするわけだし。これから四人で集まることがあるとしても、それは大学時代の友人としてであって、ハウスメイトとしてではないじゃない。だからこそ、最後にお互いのことをさらに知って、今後の親交を深めていくために秘密を暴露するって有効だと思うのよ。みんなで飲みながらさ、ね?」

 もっともらしいことを早口で並べ立てて千恵美は三人を見回す。いつものことだが、こういう時の千恵美の弁の立ち方には目を見張るものがある。
 しかしどんなに素晴らしい理論展開をされようとも、この件に関して優香はまったく乗り気にはなれない。

「秘密って言っても……」

 優香が言いよどむと、先ほどは否定的な声を出していた征太が真面目な顔で「面白いかも」と言い出した。

「本気かよ? お前、さっき暴露会潰れてほっとしたって言ってたじゃねえか」

 彰士が信じられないと言わんばかりの目つきで征太を見る。

「それは不特定多数に秘密を明かさなきゃいけなかったからだよ。でも今夜は四人だけだろ? 千恵美の言う通り、せっかく最後の夜だし、いつもの飲みとは違うことするってのはいいアイディアだよ。俺たち三人にとっては学生時代最後の思い出作りってことでさ」
「そうよ、征太の言う通り。せっかくの機会よ。こんなこと、きっと学生時代しかできないって」

 征太が乗り気になったのに勢いづいて、千恵美が隣に座る優香の服の裾を引いた。

「ね? ね? いいでしょ? やろうよ」

 千恵美には満面の笑みで、征太には穏やかな笑顔で促され優香は困惑した。
 三対一ならばまだ勝ち目があるが、千恵美と征太がタッグを組んでしまっては、優香と彰士がどんなに反対しようが太刀打ちできる気がしない。
 ちらりと彰士の顔を見ると、彰士は憮然とした表情で麺をすすっている。

「私は、いいけど……」

 視線を落として優香が折れると、千恵美と征太は無言のまま今度は彰士の顔をのぞき込んだ。優香もつられて彰士に目を向ける。

「なんだよ」

 彰士が不機嫌そうに三人を見回す。しかし、しばらくすると三人の視線に耐え切れなくなったのか「あー」と天井を見上げて頭をかき、渋々といった様子でうなずいた。

「わかったよ。やればいいんだろ? まったく、二十歳も過ぎてくだらないこと思いつくよな」

 最後の方は千恵美に対する悪態だったが、千恵美は気にした様子もなくはしゃいでいる。

「じゃあ、夜までに各自みんなに打ち明ける秘密を考えておくこと!」
「オッケー」
「うん」
「了解」

 それぞれ答えて鍋の中の残りを征太がさらい、昼食はお開きになった。


 今まであまり人に明かしたことのない秘密。
 昼食の後片付けを終え、自分の掃除の担当場所に向かいながら、優香はぼんやりと考えた。
 誰にも明かしたことのない秘密――ないわけではない。というよりも、秘密と言われて優香が真っ先に思いつくのはただ一つだ。しかしその秘密を明かすことには躊躇ためらいがある。
 脳裏にちらりと浮かぶ顔。優香がそれを明かせばきっと嫌がる。そう考えると少し気分が落ち込む。

「何、今夜のことでも考えてるの?」

 水を張ったバケツと雑巾を持ったまま、ぼんやりと廊下でたたずんでいると、後ろから声がかけられた。振り向くと征太が大きな荷物を抱えて立っている。
 女性の中でもあまり背の高くない優香は、大柄な征太と並ぶとまるで大人と子どもだ。

「あ、うん。まあ……」

 征太を見上げてあやふやに答えると、征太は細い目を柔らかくした。

「適当でいいんじゃない? 彰士なんて、たぶんすげえ下らないこと発表すると思うし。あんま真剣に考えなくてもいいよ」

 確かに彰士はこういうことを真面目に考えるタイプではない。

「うん、そうだね。ありがとう」

 礼を言うと征太はニッコリ笑って玄関に向かって歩いていく。それを見送りながら優香は小さくため息をついた。
 征太にああは言われたが、やはりそれなりの秘密を用意しなければ千恵美は納得しないだろう。
 バケツを床に置き、雑巾で廊下の壁を隅から拭きはじめる。そうしながら、どうにか当たり障りのない秘密を捻り出そうと優香は頭を回転させた。

「親が離婚してる……のは、もうみんな知ってるか」

 積極的に話すつもりはなかったが、四人でいる時、何かの拍子に千恵美に尋ねられ、母子家庭であることはみんなに打ち明けている。今時離婚家庭など珍しくない。千恵美も親一人子一人だと言っていた。彼女の場合は父子家庭らしいが。
 優香の両親が離婚したのは、優香が小学四年生に上がる直前だった。原因は父の浮気。いや、正確に言うと、父は母との結婚前からずっと付き合っていた女性と一緒になる決意をしたのだ。
 半狂乱になって叫び、父を引き止めようとする母に優香が呆然としていると、父は優香の目も見ずに「すまない」とだけつぶやき去っていった。その時の父の横顔を優香は未だに忘れられない。
 親族の説得でやっと離婚を承諾した母の、その後の荒れ様は凄まじかった。もともと気性の激しい女性だったこともあり、彼女は父に対する愛憎で混乱し、優香に当たり散らすようになった。
 直接的な暴力を受けたことはないし、育児放棄のようなこともなかったが、罵詈雑言を浴びせられる日々が続いた。
 やがて母の行動は支離滅裂となり、口汚くののしったかと思えばそのことを優香に謝り続ける。そしてどこへも行くな、自分のそばにいてほしいと涙ながらに懇願するようになった。
 そんな情緒不安定な母の優香に対する執着は激しかった。優香にまで見捨てられることを恐れたのだろう。学校からの帰りが少しでも遅くなろうものなら同級生の家に電話をかけまくり、優香の居場所をつかもうとする。
 事件に巻き込まれたに違いないと思い込み、警察署に駆け込んだことも何度かあった。
 異変に気づいた親戚が母に心療内科の受診を勧め、素直に従った母はそのおかげでかなり良くなった。
 しかし一時期よりはましになったものの、母の優香への執着は未だに強い。最初は自分が母を守らなければと思っていた優香も、成長するにつれ彼女の重い愛情を間近で受け続けることに疲れていた。
 千恵美にシェアハウスの誘いを受けたのはそんな折だ。大学を卒業したら戻るという約束でやっと実家を出られた。
 それから二年。母と物理的に距離が取れ、精神的にかなり楽な二年だったが、それだけに優香にとってこれから戻る実家は憂鬱ゆううつな場所以外の何物でもない。
 世界が狭すぎるのよね、お母さんは。
 実家の母のことを思い出し、優香はまた一つため息をついた。
 汚れた雑巾をバケツにぞんざいに放り込む。普段意識していなかった家の壁は優香が思っている以上に汚れていて、雑巾を洗うとバケツの水が灰色ににごった。
 優香の母が働いていたのは父と結婚する以前の数年だけ。結婚してからはずっと専業主婦で家庭のことばかりだった。
 離婚した後も父が高給取りだったため慰謝料と養育費は十二分に支払われ、母が働きに出る必要はまったくなかった。お金に困らないという意味では非常に幸運だったが、だからこそ母は外に出る機会を逸してしまい、余計に内にこもるようになってしまったのだ。
 それは離婚からすでに十年以上経っている今も変わらない。
 さっさと切り替えて新しい相手でも見つければ良かったのに。
 そんな風に思うことは多々あるものの、子連れの恋愛や再婚がいかに難しいかは大人になった今ならわかる。
 優香自身も思春期に母のことで手いっぱいだったため、経験不足で未だに恋愛には積極的になれない。
 世の中なかなか上手くいかないものよね。
 バケツの中で濡れた雑巾をしぼっていると、玄関のチャイムが響き渡った。雑巾をバケツの縁にかけて玄関へ小走りに駆けていくと、リビングのドアから彰士が顔をのぞかせた。

「客?」
「たぶん引越し業者の人だと思う。午後に頼んでたから」

 彼の目の前を通り抜けざま言い置いて、玄関の戸に手をかける。

「何か手伝おうか?」

 背中越しに聞こえた声に「大丈夫」と答えると、「あっそ」とつまらなそうな返事。戸を開けると、爽やかな笑顔の作業着の男性二人が立っていた。


 引越し業者の人はパズルが得意に違いない。
 若い男と壮年の男の二人組が部屋の荷物を次々とトラックに運んでいく様子を見ながら、優香はそんな感想を抱いた。
 引越し業者の小さいトラックを見て、最初は自分の荷物が入りきるのか不安になったが、作業がはじまるとあっという間だ。終わるとすべてがぴったりとまるように積み込まれていた。

「いやあ、暑いっすね」
「そうですね」

 引越しの日に晴れたのは良かったが、肉体労働をするには少し暑すぎたらしい。若い男が汗だくになりながら話しかけてきたのに返しながら、二人にスポーツドリンクを差し出す。

「デカい家っすね。一人で住んでたわけじゃないっすよね? 彼氏さんとでも住んでたんですか」

 若い男がペットボトルに口をつけながら玄関先で家を見上げる。

「あ、いえ。友達と四人でシェアしてて……。でも就職を機にみんな出ることになったんです」
「ああ、そりゃ寂しいっすね」

 優香と同じか、少し若いぐらいだろうか。男は人懐っこい笑みを優香に向けた。

「ええ、まあ……」

 つられてぎこちなく笑いながら優香はうつむく。初対面の人間は少し苦手だ。優香は内向的というわけではないが、決して社交的でもない。

「実家に帰るんすか?」

 優香の様子なんてお構いなしにグイグイ踏み込んでくる相手に戸惑いつつ、「はあ」と答えてチラリとトラックの方を見ると、険しい目つきで若い男を睨む壮年の男の姿が目に入った。

「おい、行くぞ。次も詰まってんだ」
「優香、終わったなら掃除の続き」

 壮年の男が若い男に投げかけた声と、背後から優香にかけられた声が重なる。振り返ると、玄関から彰士が顔を出していた。眉間に薄くしわが寄っている。

「それじゃ、鈴浦さん。荷物は指定の住所にお届けしますんで。あちらにはどなたかいらっしゃるんですよね?」

 壮年の男に声をかけられ振り向くと、若い男はもうトラックの助手席に乗り込もうとしているところだ。ほっと息をつきながら優香は壮年の男に答えた。

「はい、母がいます。よろしくお願いします」
「ご利用ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ」

 互いに軽く会釈えしゃくすると、壮年の男はいそいそとトラックに乗り込む。助手席から若い男が優香の方を見てニッコリ笑い、手を振った。

「仕事中にナンパしてんじゃねえっての」

 遠ざかるトラックを見送りながら彰士がボソリとつぶやく。そのまま優香の方を見ずに家の中へと戻っていく彰士の背を追いながら、優香は躊躇ためらいつつ口を開いた。

「別に、ナンパってほどじゃないわよ。ちょっと世間話してただけだし」
「あのおっさんが声かけなかったら、あいつお前の連絡先くらい聞いてきてたぞ」
「ええ、そう? そんな感じじゃなかったけど……」
「そうだよ。すげえ下心見え見えの顔してたじゃん。お前鈍すぎ」

 ぶっきらぼうに言い放つ彰士に「そんなことない」と言いかけて口をつぐむ。彰士は口が立つ。ここで反論したところでやり込められるだけだ。

「なに、ケンカしてんの?」

 二階から下りてきた征太が細い目を丸くして優香たちを見比べた。

「ちげーよ。優香があんまり鈍いから気をつけろって話」

 彰士は自分の頭を乱暴にかくと、どすどす足音を立ててリビングへ向かっていく。

「さっきの引越し業者?」

 尋ねられ、気まずいながらもうなずくと征太が苦笑した。バタンと大きな音を立てリビングのドアが閉まる。

「彰士って優香のことになると過保護だよね。前も優香にちょっかい出したサークルの奴のこと、すごい目で睨んでたし」
「え、そうなの?」

 気づかなかった、とつぶやいて彰士の消えたリビングのドアを見る。

「でも彰士って仲間意識が強いとこがあるから、千恵美でも同じようにしたと思うけど」
「んー、どうだろ。千恵美はそういうの自分で処理できちゃうし」

 つまり優香には処理できない、という意味だろうか。何だか征太に頼りないと言われたような気分になる。

「まあでも彰士のは余計なお世話だよね。優香だって言い寄ってきた男の中に、いいなって思ってた奴がいたかもしれないのにね」

 そう言うと、征太は何かを確かめるようにニッコリと笑って顔をのぞき込んでくる。そうでもないけど、と心の中でつぶやくと征太はいつになく意地悪な目をした。

「……それとも言い寄ってくる男を彰士に蹴散らしてもらえるのは嬉しい?」

 思いもよらぬことを言われてドキリとする。しかし優香は平静を装って笑った。

「今のところは、ありがたく思ってるよ」

 すると征太は「ふうん」とつぶやいてフッと笑うと、優香の頭をポンッと撫でて廊下の向こうへ歩いていく。
 征太ってたまに何考えてるかわからない。
 征太の背中が遠ざかるのを見ながら、優香は撫でられた自分の髪を軽く引っ張った。


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