君を守るため、今日も俺は君を壊す

蒼崎 旅雨

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二章

おはよう

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 それからは大変だった。
 
 いろはからの通知を受けてやってきた神崎かんざきは、玄関を開けるなり棒立ちになった。が、すぐに状況を察した様で、機関の息のかかった警察を呼び、現場検証をしたのちいろはと男を回収して行った。
 
 それから取り調べを受けた俺は、いろはとの約束通り『男が警告を無視したから、防衛機構が働いたようだ』とだけ報告をした。
 
 結論から言うと、虹葉ななはは処分されなかった。
 
 虹葉と父親のやり取りが録画されていたというのも証拠となったが、決め手は俺達が最初に書かされた誓約書だった。
 
 その中の一文『やむを得ない事情で防衛機能が発現する可能性があります。その際の責任は負いかねます』と言う文言もんごんが盛り込まれた書類に、あの男も署名をしていたそうだ。そのおかげで、今回の件は事故として判定された。
 
 また、これを機に神崎は、男のパソコンとスマホを調べるよう警察と取りあった。
 
 調べた結果。いろはが予想していた通り、虹葉だけでなく、その他数人の女子の裸体が収められたデータが出て来たそうだ。
 
 物的証拠が発見された為防衛の正当性が認められたのも、虹葉が恩赦おんしゃされた理由だろう。
 
 結局、虹葉の父親の件は被疑者死亡として処理される運びとなった。
 
 また、今回の騒動は機密機関のアマテラスが関わっていた事もあり、箝口令かんこうれいが敷かれるよう措置が取られ、事件がおおやけになる事は無かった。
 
 こうしてこの事件は幕を閉じたのだった。処理されるまでに、おおよそ二週間程の時間を用した。
 
 
 ——二週間後——
 
 
 放課後、俺は虹葉のマンションへと足を運んだ。
 
 久しぶりの来訪に、少しだけ体が強張こわばっていた。
 
 この二週間、証拠品として回収されていた虹葉とは、一度も会う事は叶わなかった。
 とはいえ、行ったところで虹葉に会えたかというと、そうでも無かった様である。
 
 捜査期間中神崎かんざきとやり取りをした話によると、虹葉の人格は一度も目覚めなかったという。
 充電後、目覚めたいろはが「目を覚まして一番に会うのは、今野いまのくんじゃないと」と言って、虹葉の事をスリープにして譲らなかったそうだ。
 
 その為、事件当時の状況説明は、いろはが行ったらしい。あくまで、虹葉が起きないので、いろはが記憶を読み込んで出力した、というていで進められたそうだ。

 考えを巡らせているうちに虹葉の部屋のドアの前へと辿り着く。
 
 神崎から渡された合鍵を鍵穴へと差し込み、そのまま試しに左右に回す。時計回りに回転させると、ガチャリと音がした後すんなりと回った。
 
 「お邪魔します」と小声で呟いた後、中に入り忘れずに鍵を閉めた。
 
 玄関を見ると、あの日の記憶がよみがえってくる。男の命乞い。焼けた様な臭い。赤く染まる夕陽。笑ういろは。あの日の喧騒を全て置いてきたかのように、玄関は静まり返っていた。
 
 構わずに、虹葉の部屋へとあゆみを進める。
 
 廊下の扉の前で一呼吸置いた後取っ手をしっかりと握り、部屋へと足を踏み入れる。
 
 ベッドには、虹葉が眠っていた。安らかな顔で、幸せそうに、スヤスヤと。
 
 神崎が言うには、俺が呼び掛ければ目を覚ますらしい。
 
 俺は虹葉のベッドのふちへと腰掛け、眠る虹葉を観察した。
 
 今までの騒ぎなんて、まるで無かったかのように眠る虹葉。その寝息は一定で、まるで平和そのものの様に思えた。

「虹葉? 聞こえる?」

 それから少し経つと、虹葉の目がうっすらと開いた。焦点の定まらない様子で、こちらを見つけた後もまだぼんやりとしている。

「おはよう、虹葉」
 
れい? おはよう……って、私、何で寝て……」
 
 俺に気付いた虹葉は、慎重に上体を起こした。
 
「虹葉、どこまで覚えてるか、分かる?」
 
「えっと……いつもみたいに怜とお話ししてて、それで……インターフォンが鳴って……。そうだ、私、あの男に連れて行かれそうになって、それで……それで……。ごめんなさい、そこから先は覚えていないの……」
 
「大丈夫、合ってるよ。そこから虹葉は記憶が途切れたんだ」
 
 そう聞くなり、虹葉は小刻みに震え出した。見かねた俺は、虹葉の両手を包み込むようにして両手を重ねる。
 
「ねぇ、あの後……何があったの?」
 
 虹葉はそう恐る恐る尋ねる。
 
 ——正直、無理もない。自分が寝ている間に、自分の知らない出来事が起こっていたのだ。ましてやそれが虹葉なら。
 
「初めから、ゆっくり話すよ。辛くなったら止めるから。無理しないで、いつでも言ってね」
 
「……うん」
 
「それじゃあ……」
 
 俺はあの日起きた事。虹葉と入れ替わる様にしていろはが現れた事、いろはが父親を殺した事、事件のほとぼりが冷めるまで二週間程度かかった事、それまで虹葉はスリープ状態だった事を、丁寧に話して聞かせた。
 
 途中まで強張った面持ちで聞いていた虹葉だったが、終盤に近づくにつれ落ち着いた表情へと変わっていった。
 
 話し終えた俺は、虹葉の顔色を伺った。ここ二週間分の出来事を、一度に聞かされたのだ。嬉しくもあり、悲しくもあるような、複雑な面持ちをしていた。
 
「いろはちゃん……私の為に……」
 
「そう。いろはが助けてくれたんだ」
 
「それで、いろはちゃんは?」
 
「分からない。でも、もう会う事は無いだろうって」
 
「そう……」
 
 虹葉は寂しそうに両手を見つめる。きっと本当に、虹葉の中から去って行ってしまったのだろう。
 
「これで、良かったのかな?」
 
「いいんだよ。これで。虹葉がここにいるんだから」
 
 それから俺は先程伝えておかなければならなかった事を思い出し、慌てて付け加えた。
 
「あと、ごめん。俺、理由は待ってるって言ったのに。いろはから先に教えてもらって……約束、守れなかった」
 
 虹葉はゆっくりと首を振る。
 
「いいの。私も言いにくかったから。それもあって、いろはちゃんが引き受けてくれたんだと思うんだ」
 
 そう言うと、虹葉は黙り込んだ。何かを伝えるのを、迷っている様だった。
 
「ねぇ、怜」
 
「何?」
 
 目を泳がせながら口を開いた虹葉を不安にさせないよう、精一杯の微笑ほほえみを浮かべながら俺は答える。
 
 それからまた虹葉は視点を泳がせると、俺を横目で見ながらこう聞いて来た。
 
「私の事、まだ好きでいてくれる?」
 
 虹葉の手は震えていた。
 
「そんなの、決まってるだろ。好きだ。ずっと好きだ」
 
「私、また怜に迷惑かけちゃうかも」
 
 虹葉はうつむく。
 
「迷惑なんて、一度も思った事無いよ」
 
 俺は出来る限り優しく、ゆっくりと答える。
 
「私、いい子じゃないし、家事だって全然やんない子だし」
 
 虹葉の声が震え始めた。同時に、目が赤く染まり始める。
 
「そんな事ないよ。虹葉は優しい、良い子だ。いろはだって言ってた」
 
「勉強だって、できないし、っく、いつだって、役にっ、立たないし」
 
「虹葉は俺より頭がいいじゃないか」
 
「可愛くないっしっ、お金だってっ、ひっく、稼げないし」
 
「そんなの、聞かなくていいよ」
 
「怜が私をっ、心配してくれる程、ひっく、申し訳なさで、ひっく、いっぱいになって。怜をっ、っく、傷付けて。それでもっ」
 
 段々と言葉に嗚咽が滲み出し、最後には幼子のように肩を震わせながら涙をぼろぼろと流す虹葉。それでも彼女は必死に声を押し殺し、吐き出す息を飲み込んだ後こう尋ねた。
 
「それでも、私の事、好きでいてくれる?」
 
 答えなんて決まっている。
 
「うん。ずっと好きだ。今までも、これからも。もう、この手を離したくない」
 
 俺は目を合わせながらそう答えた。君が、もうそんな悲しそうに笑わなくていいように。これからは、心の底からの笑顔を浮かべられるように。そう願いながら。
 
 虹葉の両手を包み込んだ手に、自然と力がこもる。
 
「怜っ、怜っ、ありがとう。怜、大好き」
 
「俺も、大好きだ。虹葉」
 
 張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、虹葉は再びわんわんと泣き出した。    
 俺はそんな虹葉の体を包み込むように腕を回す。少しずつ、虹葉の心音と俺の心音が重なっていく。
 
「落ち着いた?」

「……うん」

 それから虹葉は落ち着きを取り戻すと、ポツポツと言葉をこぼし始めた。

「私、今すっごい幸せだって感じるの。生きてて良かったって」
 
「そうか、良かったじゃないか」
 
「でも。こんな私でも、幸せになっていいのかな? 本当は死んじゃった筈だったのに。人だって殺しちゃったのに。本当に、いいのかな?」
 
「いいんだよ。幸せになるのって、案外簡単で、特別な事なんかじゃないんだ」
 
 それを聞いた虹葉は、また泣き出した。
 でも。さっきまでされるがままだった虹葉は、俺の背中にしっかりと手を回していて。泣きじゃくる合間に、「ありがとう、ありがとう」と繰り返している。
 
 回された手は優しくて。でも、力強さを感じる腕だった。
 
 沢山泣いて。心にずっと抱えていた気持ちを全部吐き出して。虹葉は再び少しずつ、少しずつ、落ち着きを取り戻していった。
 
 こんな重い物をずっと抱えながら生きていたなんて。(もっと早く、俺に言ってくれればよかったのに)そう思いもしたが、真面目な虹葉の事だ。ずっと、笑顔で隠していたんだろう。
 
「大丈夫。俺が側にいるから。いつでも頼って。じゃないと、俺も悲しい」
 
 虹葉の背中を優しくさする。
 
「……うん」
 
 虹葉の呼吸も、だいぶ安定してきた。
 そう思った矢先、虹葉はこう口にした。
 
「私、一番初めにアンドロイドとして目覚めた時、虹葉じゃなくてもいいって、神崎先生に言われたの。辛かったら、無理しないでいいって。新しい人間として生きていく選択もあるって」
 
 その言葉に、俺は何も言えなかった。
 誰よりも傷付いたのは虹葉だ。虹葉の人生は、虹葉が決めるべきだ。頭では分かっていても、少しだけ、呼吸が止まった。
 
 しかし、虹葉の言葉はそれで終わりじゃ無かった。
 
「でも、やっぱり私は、虹葉を選んだんだ。怜に会いたかったから。怜の知ってる虹葉で居たかったから」
 
 目頭が熱くなった。
 虹葉を思う気持ちは、ちゃんと伝わっていたんだと。
 
 俺は泣きそうになりながら、なんとか言葉を紡ぎ出す。
 
「ありがとう。俺からもありがとう。虹葉で居てくれて、ありがとう」
 
 ——俺が君を幸せにする。
 
 そう静かに心に誓った。


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