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第2章
泣き虫少女は言望葉を紡ぐ
しおりを挟むリナリアの細い肩は冷たく、震えていた。俯いた顎から涙が一つ落ちてはまた一つ、引き結んだ唇は言葉もなく。アミナは片膝をついてリナリアの肩に手を添えた。手のひらからリナリアの悲しみが伝わるようだった。
「....リナリア...」
「........分かって、いたわ」
「....え?」
水滴の滴る眼鏡を外しもせずにリナリアは緩く笑った。
「.....1人になりたくなかった。......周りから浮きたくなかった。...かしこく生きていくために、夢を......手離した。...父さんに恥だと思われたくなかった...。片親だったからと、思わせたくなかった...、.......なにより、...自分が、そんな目に遭わされていい人間なんだと、思われていることを、.......認めたく、なかった.......っ」
指に力を入れると、雨の水分を吸い、ゆるくなった土に四本の筋ができた。爪に土が入り込み、リナリアは口許を歪めた。
「ちっぽけな、やっすい、プライドね...!そんなもので、あなたを傷つけた...。...馬鹿ね...結局、私はまだ期待していたのよ...もとに戻れる...なんて....馬鹿ね...っ」
アミナは片頬を上げて自嘲するリナリアの肩に添えている手に力を込める。
「自分が、傷つけられてもいい......、なんて、誰だって悲しいよ。大好きな人からだったら、なおさら...」
母親が亡くなってから、アミナの周囲は日を重ねるごとに変わっていった。
優しく笑いかけてくれていた使用人達はアミナが口を開けばくすくすと嘲る笑顔を浮かべるようになった。
毎日同じ服で体が匂うようになると、風呂に連れていかれ、乱暴に洗う使用人の眉間には深い皺。投げ捨てられるように置かれた腐ったスープにかぴかぴのパン。
遠ざかる姉の背中。
急激に変化する環境を幼い彼女が受け入れられるはずもなかった。
固いパンを噛み砕きながら、時おり涙が止まらなくなる理由があの頃は分からなかった。
傷ついていたんだね。
どんなに幼い子供にも自尊心は必ずある。
その心をいつも痛めていたんだね。
「傷つけられていい人なんて、この世に1人もいないよ」
リナリアが目を見開いて眼鏡の奥の瞳を揺らした。アミナは微笑んでその肩を優しく撫でる。
リーフが言ってくれたあの日の言葉が私を救った。
「どんな理由があろうと、人が人を傷つけて良いということにはなりません。あなたが傷つけられていい理由など、無いのです。」
ぼろぼろのドレスを着たあの頃の私がこっちを見ている。不安そうな傷ついた眼差しで。
どうしてもっと早く気づいてあげられなかったんだろう。
周りの言葉に傷ついていたなら、私が味方になってあげなければいけなかったのに。
私が一番、私の心に近かったはずなのに。
アミナの瞳に涙がじんわりと溜まり始める。不思議な心地だった。
あの頃の私が愛しくて仕方がない。
アミナはゆっくりと立ち上がる。リナリアは呆然と少女の横顔を追った。
ダイアナを後ろから羽交い締めにしたシオンが叫んだ。
「アミナ!今や!!」
アミナはそっと瞼を閉じた。
暗くて寒い部屋で、水を張った皿に落ち込んだ自分と三日月が隣り合って浮かんでいた。
またできなかった。
私じゃだめなんだ。
自分で自分を縛り付けていた。
今、わかったよ。
気づけたんだよ。
一番言って欲しかった言葉を、私は、私に言ってほしかった。
「できるよ。あなたなら、絶対に」
幼い彼女が嬉しそうにはにかんだ。
冷たい雨の中で頬を流れる涙は温かかった。
アミナの胸元から白く眩い光が出現する。あれほど切に願っていたことなのに、不思議と心は凪いだ海のように落ち着いていた。
光が金色の弓になる。言身を手にしたアミナは座り込んだまま大きな目をさらに大きくさせてこちらを見つめるリナリアに微笑みかけた。
「なくした夢はまだあなたの手の中にあるよ。大丈夫。だってあなたは忘れてないじゃない」
緑の瞳がじわりと揺れた。
「.....まだ...ある...」
空色の髪を揺らして弓を構えたアミナはダイアナの痣に照準を定めた。震える指で矢筈と弦を後ろに引いていく。しかし、なぜか弓の胴と弦の距離が開くごとにどんどん重さが増していく。
ダイアナを示す矢尻が震えていた。
怖い。
闇だけを祓うことができるの?
傷つけることになったら...。
ギチッと弦が反発するように胴に戻ろうとする。アミナは戻ってはだめだと歯を食いしばり、耐えた。
弦が、重い...!
どうしたら...!?
「そのまま射て!大丈夫や!あんたの言身が人を傷つけるわけないやろ!!」
「シオン...」
シオンが片頬を上げて勝ち気に笑う。アミナは瞼を伏せて一つ深呼吸をした。
落ち着いて。考えてみよう。
言望葉の力は心と比例する。
だったら、言身も私の心に沿った力で応じてくれるはず。
私が、ダイアナさんにどうなってほしいか...。
それが重要な気がする。
落ち着いて。よく見てみよう。
そっと開いた曇りのない瞳でアミナはダイアナを見つめた。憎しみに侵された瞳がぎらりと睨み付ける。
カフェでのシオンへの彼女の身勝手な思いから引き起こされた激昂。
友達だというリナリアへのそうとは思えない振る舞い。
私が知っているのはこの2つだけだ。
これだけではあなたに悪い印象を抱いてしまう。
「だから、教えて」
アミナは先ほどよりも軽くなった弓を引いた。矢はアミナの定まった心に呼応するように水色と白色の光を纏い始める。
「離して!離してよ!!!離せぇぇぇ!!」
シオンに腕を後ろから抑えられているダイアナは頭を振り乱し叫んだ。アミナは目を細めてダイアナの首もとの痣に照準を定めた。
「どうしてあなたはそんなに、つらそうなの?」
『セージ・ノウズ・アロー(賢者のみ知る真実)』
言望葉をのせて放たれた矢は聖の光を纏って輝く。
ディーノはその光景を「…なんて澄んだ光……こちらまで浄化されるようだ…」と、食い入るように見つめていた。
オリビアは動揺することなく不敵に笑う。
「純度200%だな。まっすぐな馬鹿にしかできないことだ」
矢尻に当たったカミツレがダイアナの首筋から浮き上がり、赤い花片を1つ1つ散らしていく。
アミナの矢はダイアナを傷つけることなく、淡く光る水色の粒子となってカミツレの花片と共に溶けるように混ざり合っていく。花片も赤い粒子へと形を変え、いつのまにか雨を降らすのをやめた空に還るように水色の光と共に昇っていく。
空中で粒子が淡くぽつぽつと光るたびに、ダイアナの想いをその場にいる全員に届けていった。
「.......そっか...」
ダイアナの想いに瞳を揺らし、アミナは泣くのをこらえているような曇天を仰いだ。
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