菩提樹の猫

無一物

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1章 伯爵令息を護衛せよ

2 旅の同行者

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 結局、二人はレネの申し出を受け入れ、獣道を進んでいる。

「一人旅って危なくない?」

 アンドレイはジロジロとレネの顔を見つめると、同意を求めるようにデニスを見る。

「王都からちょっと出た場所でも、馬車を襲う賊が出るくらいだ」

 先ほど自分たちが襲撃されたことを、自嘲気味にデニスは言った。

「オレはジェゼロまで行く予定ですが、確かに賊は怖いですね。だからこうして一緒に行かないか誘ったんですよ」

 ジェゼロは次の街チェスタから北へ行った先にある湖畔の美しい町だ。有名な別荘地で、夏には貴族や豪商たちが避暑に訪れる。
 レネは休暇の間、姉の住んでいるジェゼロで過ごす予定だ。唯一の肉親である姉とは、連絡は取り合っているが実際に会うのは久しぶりだった。口うるさく面倒くさいところもあるが、レネにとってはかけがえのない存在だ。

「まだ着かないの?」

 アンドレイが不平を漏らす。
 あれからレネも二人に合わせて馬から降りて歩いている。
 獣道は再び街道と交わり、後は道なりに進むとチェスタへと到着するはずだが、なんせ徒歩だ。時間がかかる。
 辺りはもう真っ暗で、レネが持っている夜光石の青白い光だけが頼りだ。

「ほら、遠くに街の光が見えてきた」

 アンドレイを元気付けようと、レネは光の方を指す。

「あっ、ほんとだ!」

 途端にアンドレイの顔に明るさが戻った。

(こっちはわかりやすくていいなぁ)

 レネは素直に感情が顔に出てしまう少年と、なにを考えているかわからない渋面を見比べる。

「なんだ。俺の顔になにか付いてるのか?」

 不機嫌な顔をしたデニスがレネを睨みつける。

「いや、別に。デニスさんっていつも怖い顔してとっつきにくいなーって思ってただけです」

 レネは正直に思っていたことを口にした。

「ぷははっ、レネって勇気あるね」

 アンドレイが思わず吹き出す。
 彼の言うように普通の人間は、瞬時に数人を殺めることのできる物騒な男を茶化したりしないだろう。下手したら自分まで殺されるかもしれない。
 しかしレネは一般人とその辺の感覚がズレていた。

「怖い顔で悪かったな。こいつの子守してると頭が痛いことばっかりで顰めっ面になっちまうんだよ」

 さすがにデニスも、少し生意気な発言をしただけで命を奪うほど残忍な男ではないようだ。

「なんだよその言い方、いちいちムカつくな。どうせ僕は手がかかりますよーだ」

 レネの発言からとばっちりを食らったアンドレイは完全に不貞腐れてしまった。

 しばらくして、三人は街道の分岐点にある街チェスタへと辿り着いた。

「こんな時間にどこか宿が空いてるといいが……」

 デニスが心配げにつぶやく。
 チェスタは、真っ直ぐ西へ行けば隣国レロへ、北へ曲がれば湖畔の町ジェゼロを経由して北の港町ポリスタブへと続く街道の要所だけあって、暗くなっても表通りは旅人であふれていた。
 アンドレイは物珍しそうに、街灯のオレンジ色に輝く街並みを眺める。
 今の時間帯だったら、きっとどこの宿屋も満室だ。
 アンドレイは旅慣れていない様子だし、荷物は馬車に置いてきて貴重品以外はなにも持っていない。まだ初秋だが夜は冷え込む。外套も持っていないのに、このまま野宿は辛いだろう。

(——どうしようか……)

 レネは一人思案する。

「……オレの知り合いの宿でいいなら紹介しますよ」

「ぼったくりじゃないだろうな?」

 デニスは明らかに胡散臭い目でレネのことを見ている。
 この男は自分のことをまったく信用してくれない。困ったものだ。
 親切心から自分の行きつけの宿を紹介しようとしたのに、なんて言い草だ。

「いいえ、朝食・風呂付きで一人一泊5000ペリア(※1ペリア=1円)。妥当でしょ?」

 安くも高くもない値段のはずだ。

「ちゃんと個室なのか?」

 あの宿は、いつでも利用できるように常に一部屋空けてくれている。

「オレと相部屋でいいのなら」

 本当は初対面の人間と相部屋は嫌だが親切心で紹介しているのだ。ありがたがるならまだしも、疑いの目で見られたら気分が悪い。
 レネとデニスはお互いを探るようにジッと睨みあう。
 アンドレイは二人のそんなやりとりを不思議そうに見つめていた。

「——わかった。野宿するわけにもいかんしな」
 
 東西に抜ける大通りから、北へ少し行った裏通りにその宿[小栗鼠亭こりすてい]はあった。
 白い漆喰壁にオレンジの瓦屋根、緑の木の扉を開くとともに、ガランガランと低いベルの音が鳴る。

「いらっしゃい。おおっ、レネか!」

 カウンターに座る小柄な老人がレネを見ると嬉しそうに目尻を下げる。

「久しぶり! ところで、部屋空いてる?」

「四人部屋なら一つ空いとるぞ」

「じゃあそこで」

 レネは言いながら、受付から繋がっている奥の食堂の様子を窺う。

「混んでるな……」

 食堂は男たちでいっぱいだった。
 宿の食堂なので旅行者が大半で、護衛を雇うほど裕福な者以外、危険な旅をするのは男が殆どだ。この店で女っ気と言えば、重い料理を軽々と運ぶ給仕くらいだろう。
 アンドレイはたぶん良いところのお坊ちゃまだ。酔っ払いが絡んでくるかもしれない食堂で食事をしたことなどないはずだ。
 レネはどうしたものかと頭を悩ます。

「なにか食べるでしょ? 食堂が嫌なら部屋に運んでもらいます?」

 デニスが少し考えたあと口を開く。

「ちょっとアンドレイと二人で話し合う時間が欲しい。俺たちは部屋で食事を摂るから、お前だけこっちで済ませてもらっていいか?」

 ずっと部外者が一緒だったので、話し合いもできなかっただろうし当然のなりゆきだろう。

「別に構いませんよ」

 レネもこんな不機嫌な男と一緒に食事したら美味い飯まで不味くなると、喜んで了承する。

「すまない。他の客から絡まれないようお前も気を付けろよ」

 邪険な扱いを受けていたデニスにいきなり殊勝な態度をとられて、レネは驚く。

(あれ、心配されてる?)

 デニスから得体のしれない怪しい奴と見られているとばかり思っていたので、なんだか逆に居心地が悪かった。

「じゃあ、先に荷物だけ部屋に置かせてもらいます」

 そう言うと、レネは手慣れた様子で老人から鍵を受け取り、二階へと進んで行った。


◆◆◆◆◆


「おい、これからどうするつもりだ? 明日メストに戻るか?」

 デニスは部屋まで運んでもらったシチューとパンを食べながら、主であるアンドレイに尋ねる。

「いや、引き返したら絶対留学は取り消しにされる」

「でも、お前……乗ってた馬車が襲われたんだぞ。犯人はだいたい想像つくが、また襲われたらどうする?」

 リンブルク伯爵家の嫡男であるアンドレイは複雑な家庭環境のせいで、継母とその実家から命を狙われていた。
 伯爵である父からは反対されたが、隣国の王都ファロにある学校へ留学することを本人が強く希望した。馬車でファロ行きの船が出る港町ポリスタブまで陸路の旅に出発した。その初日に襲撃を受けたのだ。
 お付きの騎士であるデニスだけを連れての強硬手段はやはり無謀だった。
 伯爵はこうなることを予想して、留学に反対したのかもしれない。

「あんな目立つのに乗ってるからいけないんだよ。他の旅人に紛れてたら、相手もそこまで強く出られないでしょ」

「そんな簡単な問題じゃないだろ……」

 主の安易な考えにデニスは頭を抱える。

「でも、僕はあの屋敷にはいたくないんだよ。まるで僕だけ邪魔者みたいに扱われて……きっと屋敷にいてもあいつらは僕を亡き者にしようと手を出してくるに決まってる。伯爵の位なんて興味ないから弟が継げばいいんだ。僕は学者になって家を出るから、もう僕のことはそっとしておいてほしい」

 唇を噛み締めて、アンドレイは悲痛な表情で俯く。

(アンドレイ……)

 ファロから嫁いできたアンドレイの母親は、彼が幼い時に亡くなった。
 しばらくして父親はヴルビツキー男爵家の娘と再婚し、伯爵家に次男が生まれた時に、デニスはアンドレイの騎士として忠誠を誓った。

 リンブルク伯爵は、爵位は低いものの有力な商人であるヴルビツキー男爵家の手前、表立ってアンドレイだけを可愛がることはなかったが、決して愛情がないわけではない。
 騎士である自分がこの少年に仕えるのも、父親であるリンブルク伯爵が、何者かが嫡男であるアンドレイの命を狙うことがあるかもしれないと恐れたからだ。

 今のところ伯爵は後妻がなにを言おうとも、アンドレイに伯爵家を継がせるつもりだ。それが覆らない限り、後妻の実家でもあるヴルビツキー男爵家はアンドレイを亡きものにしようと画策してくるだろう。
 先ほどアンドレイが言ったように、屋敷の中にいても危険は同じだ。いっそのことヴルビツキーの手の及ばない、母方の祖父母がいるファロで勉学に励んでいた方が安全なのかもしれない。

 デニスはできるだけ我が主の好きなようにさせてあげたかった。
 まずは港があるポリスタブまで、自分がなんとかしてアンドレイを守り抜く。
 ファロ行きの船に乗るには厳格な検問を受けなければいけないので、船に乗ってしまえば安全だ。
 それまでの辛抱だ。
 デニスは決意を新たにする。

「わかった。お前がどうしても行きたいのなら、このまま旅を続けよう」

「ありがとうデニス!」

 アンドレイの顔が一気に明るくなる。
 主からこんな顔をされたら、デニスが期待に応えないわけにはいかない。
 まずは伯爵に知らせないといけない。きっとびっくりするだろうが、あちらからもなにか手を打ってくれるはずだ。
 金は嵩むが、デニスは宿屋で早馬を頼んでリンブルク伯爵宛に手紙を持たせることにした。

「そういえば、あいつはどうする?」

 デニスは、子供のころに飼っていた猫と同じ、灰色と黄緑色の色彩を持つ人物のことを思い出す。

「レネのこと?……あの人ちょっと放っておけないから一緒に行こうよ」

「得体のしれない男を完全に信用するなよ」

 そう言いながらも、最初に話を振ったのは自分だ。デニスもあの猫のような青年のことが気になっていた。
 ただ単に放っておけないと言う気持ちもあるが、怪しい人間ならば近くで見張っておいた方がいいという思いもある。

「悪い人には見えないよ」

 我が主は、すっかりあの見た目に絆されている。

「そうだといいがな……」

 自分だけは、どんな相手でも気を許してはいけない。
 デニスは大切な主を守るために、そう自分に言い聞かせた。
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