菩提樹の猫

無一物

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1章 伯爵令息を護衛せよ

1 無人の馬車

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 九の月に入りドロステア王国にも秋の気配が漂ってきていた。

「……やっぱまだか……」

 馬上から他の木に絡みつく蔦を確認し、レネは落胆する。
 山ぶどうが色付くには半月ほど時期が早かったようだ。

 王都メストから北西へ伸びる街道は、森林地帯を突っ切るため自然豊かだ。レネは、何度も通るこの道のどこになにがあるのか細かく把握している。秋になると栗に山ぶどう、そしてきのこの美味しい季節だ。
 残念ながら今回は、栗の木の下は実を取り出したイガしか落ちておらず、きのこは雨が少なかったせいかまったく生えていない。
 仕事の時はゆっくりと見てまわる暇がない。私用で街道を通る今回がチャンスだと思っていたのに……そう都合よくはいかないようだ。

 しかしレネはとんでもないものを発見する。

「——なんだ……あれ?」

 三頭立ての馬車同士が余裕ですれ違うことのできる広い道に、置き去りになった無人の馬車が放置してあった。
 ドロステア王国の都メストから次の宿場町のチェスタまで、街道は深い森に覆われ見通しの悪い箇所がある。今いる場所もそうだ。

 レネは馬に乗っているので、ここからチェスタまではあっという間だ。しかし徒歩の旅人たちは夕方近い時間にこの場所を通るのを嫌う。獣にでも襲われたら大変だ。現に通行人はレネしかいない。
 王都周辺の街道は警備も厳しく、賊は出ないはずなのに、見通しの悪いこの箇所を狙って馬車を何者かが襲ったのだろうか?

 馬から降り、馬車の辺りを見回すが人の気配はない。
 死体や血痕も残っていないので、御者も中に乗っていたであろう人物も、上手く逃げたのだろう。
 まだ襲われて時間はそんなに経っていないのか、中の荷物は手付かずだ。時間が経っていれば、放置された荷物を荒らす連中が必ずいるはず。
 荷物がきれいに残っているということは、襲った連中も金目のものが目当てではなく、中に乗っていた人物が目当てだったということになる。

 家紋こそないが貴族か豪商のものだと思われる豪華な作りの馬車、いったい何者がなんの目的で襲ったのだろうか?
 様々な疑問が浮かんでくるなか、レネは大きな街道の道端から連なる獣道を発見する。

(ここから逃げたのか?)

 よく見てみると、石畳の街道と違って土でできた獣道には、幾つもの足跡が残っていた。
 ちょうど馬一頭が通れる幅の獣道。
 もしかしたら、追いつくことができるかもしれない。
 本来ならばこんな所で道草を食っている場合ではないのだが、ほんの好奇心でレネは手綱を獣道の方へと向けた。

 足跡を追ってしばらく馬を走らせると、なにやら人の気配がする。目を凝らすと武装した男たちの姿が見えてきた。
 どうやらあの者たちが馬車を襲った賊のようだ。粗野な服装へ身に着けた略奪品だけが浮いて、見るからに柄が悪い。

「——おい、後ろから誰か来たぞっ!」

 後方の数人が蹄の音に気付き警戒の声を上げ、いっせいに振り返ってレネの姿を確認する。
 場慣れしている賊たちの判断は早かった。
 レネに対する判定はこうだ。馬には乗っているが、見たところ帯剣もしていない貧弱な男。

「一人か、じゃあ俺たちは先に行くから始末は頼んだぞ!」

 そう言って前の男たちは走り去って行った。
 残った二人が武器を構えレネの方へ向き直る。

(どうしようか……)

 まだ追いつけるんじゃないかという興味本位から獣道を辿ってみたものの、いつの間にか武装した賊相手に一対二という不利な状況で対面している。
 考えながらも、手は勝手に鞍の前に掛けていた縄を掴んでいる。

「俺たちの顔を見たなら生かしちゃおけねえ」

 こういった輩にはなぜか決まり文句があるようで、もう何度このセリフを聞いただろうか。
 男たちが動き出すと、レネは馬上から先が輪になった縄を投げ、投げ縄の要領で獲物を捕らえる。そしてそのまま馬で走り抜けた。

「ぐわぁっ!」

 狭まった輪の中で捕らえた男たちが、地面を引きずられ悲鳴を上げる。
 身動きが取れなくなったのを見計らい、レネは素早く馬から降り、新たに持ち出した縄で手際良く捕まえた賊を後ろ手に拘束していく。

「クソッ、どうするつもりだ!」

 まさか自分たちが簡単にやられるとは思っていなかったのだろう、淡々と作業を終えたレネを睨む。

「足は自由だ。このままでも死ぬことないだろ?」

 レネは素っ気なく言うと、男二人を置いてさっさと道を急いだ。
 本当はこんな奴らのために手持ちの縄を失うのも腹立たしいのだが、今は私用の旅なのであまり問題を起こしたくなかった。

「おっおい、待てっ!」

 男たちの呼び止める声と、蹄の音だけが森の中に響いた。
 
 前を行く賊たちに追いつこうとレネは馬を走らせる。
 少し行くと、進行方向の道端に黒い塊が幾つか転がっているのが見えてきた。目を凝らすと、先に進んで行った男たちが血を流して倒れていた。

「死んでる……」

 どの死体も見事に急所を捉え、一突きで殺されていた。
 武装した集団をわずかな時間で仕留めるとは、相手は相当な手練れだ。

 死体を馬で踏んでいくのは後味が悪いので、レネは馬から降り手綱を持って慎重に歩いて行く。
 さっきからピリピリと肌に刺さるような殺気を感じるが、敢えて気付かない振りをした。

「——動くな」

 予想通り、喉元にナイフの刃先をピタリと当てられる。

「わっ⁉」

 レネは間抜けな声を出して驚く。

「両手を上げろ、お前もアイツらの仲間か?」

 押し殺した低い声がレネの耳に直接響き、アイスブルーの瞳が射抜くように睨む。こんな時であっても真冬の空色に、思わず惹きつけられた。

「ち、違いますっ……」

 猫の首根っこを掴むように、外套のフードを後ろに引き下ろされる。捕まえた怪しい人物の正体を見定めようとしているのだろう。
 肩まで無造作に伸びた灰色の髪と黄緑色の瞳が白日の元に晒される。
 レネの顔を見て、一瞬男が驚いたように見えた。

「——なんでこんな所にいる」

「街道で馬車が襲われてたんで、怖かったからこっちの獣道の方に逃げて来たんです……」

 自分を尋問する男を、レネは横目で改めて確認する。
 背が高く体格もがっしりしている。プラチナブロンドを刈り込んだ短髪に、褐色の肌。とても人目を引く容貌だ。年は二十台後半くらいだろうか。

 ナイフが首筋に食い込む痛みで、レネは男への考察から現実へと引き戻される。

「わざわざ賊がいる方に突っ込んできたのか?」

「それは……」

 反論しようとしたその時——

「——デニスその人は違うよ。放してやってよ」

 木陰から、栗色の髪をした十五歳くらいの少年が姿を表す。

「アンドレイっ……隠れてろって言ったろ!」

 ひょっこり出てきた少年を、デニスと呼ばれた男が叱りつけた。

「でもその人……ぜんぜん賊には見えないし」

 アンドレイから言われて、デニスはジロジロとレネを見る。

「——確かに……」

 レネの容貌はとても人に暴力を振るうようには見えない。レネもそこは自覚があったので力なく苦笑いして、己の無力さをアピールする。
 デニスは興味が無くなったとばかりにナイフを納め、レネの首根っこを放した。

「はぁ……」

 ちょっと悲しいが、自分が無害な人間だと理解されたようだ。
 首の後ろをさすりながら、レネは二人を観察する。

「もしかして、あなたたちが馬車に乗ってた人たち?」

 殺された賊たちを見た時からそんな気がしたから、レネはわざとデニスに捕まった。

「……そうだが、あまり詮索はされたくない」

 デニスが憮然とした態度で答える。
 しかし詮索するなと言われたら、気になってしまうのが人間の性だ。
 この二人、兄弟にしては年が離れすぎているし、年少のアンドレイの方が主導権を握っているようだ。もしかしたら二人は主従関係にあるのかもしれない。あの馬車の作りからしても、アンドレイはどこかの貴族の子息だろう。

 ここから次の街チェスタへ着くころには日が暮れる。手ぶらで森の中を歩くのは危険だ。レネは一通り旅に必要な道具を持っている。
 好奇心でここまで首を突っ込んだのだ、もう少し付き合ってみようとレネは決心する。

「——あの……チェスタに行くのなら、一緒に行きませんか?」
 
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