642 / 663
15章 業深き運命の輪は回る
28 蝕む黒い影
しおりを挟む◇◇◇◇◇
薬師がカムチヴォスの部屋へやって来てある物を渡した。
「——これは?」
手のひらサイズの木の箱に入った中を開けると、見覚えのある香が入っていた。
「レナート陛下を呼び出す時に使っていた香なのですが……」
幻術師のチーノが使用する薬は、全て薬師であるこの男が調合していた。
「レナートがあの状態だからな、暫くは使わないと思うが、なぜ私に?」
この薬はチーノが管理していたはずだ。
「もしかしたら……レナート陛下の頭痛はこの香の匂いの強さも影響していたのではと思い、無臭のものを作ってみたのですが、チーロたちはレネ殿を抹殺することの方に夢中なので、一応こういったものもありますと盟主に渡しておきたかったのです。それに……レネ殿はあの薬を警戒しているので、匂いがしただけですぐに気付きます。これだったら匂いがないので、気付くことなく薬を嗅がせることができると思いまして」
薬師の言葉の裏には、チーロとレーリオの強引なやり方に対する反発が透けて見える。
この温度差を、カムチヴォスは上手く利用しなければならないと思った。
「……なるほど。もしかしたら使うことがあるかもしれないので、預かっておこう」
とても大切な物のような気がして、カムチヴォスはずっとこの木箱を手元に置いていた。
◇◇◇◇◇
レーリオとチーロも、この薬を渡してくれた薬師も、レネとゾランの手によって殺された。
カムチヴォスは何とか命乞いをいして、島への動向を許され生き延びていた。
今のところ島民たちの善意を盾にレネの殺意を削ぐことに成功しているが、いつ自分を殺すかわからない。
だがカムチヴォスにも意地がある。
ここに来るまでに多くのものを失った。
地震で、何よりも神との契約を心待ちにしていた父が亡くなり、もう一族の直系男子はレネと自分しかいない。
絶対に儀式を成功させ、歴史の表舞台から消された王朝の復活、それがカムチヴォスを動かす唯一の原動力だ。
十二の月に入ると、レネは蝕も近づいてきたので遺跡を見に行くと言いだした。
島民たちは儀式を執り行うためだと思っているが、カムチヴォスは騙されない。
カマリ号にわざわざ聖杯と燭台を置いてきたのも、儀式を執り行う意思がないことの表れだ。
既にカムチヴォスはレナートから、儀式にどうしても必要なのは王冠だと聞いていたので、焦ることなくレネの好きなようにさせていた。
レネはその王冠を、二度と神との契約が結ばれないように、蝕が来る前に破棄しようとしているのだ。
気が散るのでついて来るなと言われていたが、カムチヴォスはレネたちが出発した後に、気付かれないよう十分に距離をとりながら尾行した。
地下道を抜け、レネたちが遺跡の中央の階段を下りていくと、何度もここを訪れたことのあるカムチヴォスは、近道を使い王冠のある祭壇へ回り込んだ。
周囲を見回すが、まだレネたちのやって来る気配はない。
懐から小さな木箱を取り出し、地上から持ってきた蝋燭のランタンの火を使って、薬師からもらっていた香に火をつけた。
香は煙と匂いも少ないので、よっぽど慎重にならないとレナートを呼び出す薬だと気付かないだろう。
カムチヴォスは王冠の設置されている祭壇の影に香を置いた。
人の来る足音が聞こえて来たので、急いで少し離れた場所にある玉座の後ろに身を隠して気配を消した。
◆◆◆◆◆
血を吐いて動かなくなったルカーシュの言葉に押されるよう、レネが祭壇に置いてある真っ黒に変色した王冠に手を伸ばす。
その口許が、してやったとばかりに笑みを浮かべた。
(あれは……)
「レナートっ!!」
バルトロメイは、王冠に触れようとしたレネに向かって斬りつけた。
「ほう、今度は気付いたか」
コジャーツカの剣を抜き、レネの身体を乗っ取ったレナートがバルトロメイの攻撃を躱す。
その動きはレネと変わらず、猫のような敏捷性を持っている。
「……どうして……」
たった今までレネが表に出ていたのに。
一体どういうことだ。
「さあ、誰かが私を呼び出した」
レナートもなぜ自分が表に出て来たのか、理由を知らないようだ。
以前は妙な香を焚いた部屋に入った途端レナートと入れ替わったが、今回は妙な匂いなどしない。
「こんな所に香が……——お前かっ!」
手の空いていたゼラが、祭壇に仕掛けてある細工を見つけ、奥の玉座の方へと歩いていく。
「ごふっ……」
「糞野郎がっ!」
隠れているカムチヴォスを見つけると、ゼラが思いっきりその身体を蹴り上げた。
いつも静かな男が声を荒らげるのを初めて聞き、レネがどれだけゼラの心の中を大きく占めていたのかを知る。
カマリ号でレネが無事だったのはこの男がいたからだ。
「お前はこの身体に手が出せないだろう?」
バルトロメイに妖艶に笑いかける姿は、レネとは全く別人のようだ。
この男は、自分の外見が他人にどう影響を与えるのかちゃんと理解している。
「王冠をかぶったら神との対話が始まり、神から『契約者』と認められたら、あの泉から神がやって来る。神が来たら、お前たちはもう手出しできない」
レナートがこれから行おうとすることをわざわざ説明するのは、ここにいる人間は誰もレネを傷つけることができないと踏んでいるからだ。
自分の淡いピンク色の唇をゆっくり舐めて、剣の構えを解かないバルトロメイを見上げた。
この男はバルトロメイがレネに抱く感情を知って弄んでいる。
——オレがもし幽霊に身体を乗っ取られたら、お前が何とかして止めろよ。
数年前……レネが悪夢から魘されたあとに言った言葉が頭を過る。
バルトロメイはそれ以来、ルカーシュをレネに見立て鍛練をこなしてきた。
(——そういうことなのか……)
自分とレネは、この時のことを予期していたのだと気付く。
『どんな時でもオレの心と共にあるか?』
(——あるにきまってるだろッッ!)
レネがやらなければならないことは、神との契約を阻止すること。
やりたいことではない、やらなければいけないのだ。
そうしないと……レネの大切なもの全てが消えてしまう。
再び王冠に手を伸ばそうとするレナートの前に立ちはだかる。
「——させるかぁッッ!!」
ここまでは冷静に判断できていた。
ちゃんと周囲も見えていた。
だから剣を抜いたのだ。
自分の邪魔をする障害物をどかすために、レナートは容赦なくバルトロメイに攻撃を仕掛けてくる。
バルトロメイだって負けていない、いつかこんな日が来るかもしれないと、ルカーシュをレネに見立て特訓してきたのだから。
「……くっ……」
バルトロメイの剣が腕を掠ると、眉を顰めてレナートが苦痛の声を漏らす。
レネだったらこのくらいの傷で声を上げないし、眉一つ動かすことはない。
たぶんわざとだ。
わかっていながらも、バルトロメイは一瞬怯んで動きを止めてしまった。
レナートがその隙を見逃さずに斬り込み、それをよけるために後ろへ下がった時にバルトロメイは相手の意図に気付いた。
レナートが再び王冠に手を伸ばす。
少し離れた場所からでは間に合わないと思った時、身体が勝手に動いていた。
「——がっ……」
王冠にあと少しで手が届こうとしたところで、レナートの動きが止まる。
その背には、バルトロメイの剣が刺さっていた。
今まで数えきれないほど人を斬ってきた。
柄を握る手に伝わる肉を切り裂き骨を断つ感覚に、急所こそ外したものの相手に致命傷を与えたのだと悟る。
無意識のうちに……脱力する身体を後ろから支える。
ふっと相手が後ろを振り返り、優しく笑う。
その人物は……背中に剣を生やしながら、バルトロメイにやりきったとばかりに満足な顔をしてみせるのだ。
(……えっ……)
体重が完全にバルトロメイの身体にかかり、力なくがくりと首が垂れる。
「——レ…ネ……?——う…うぁぁぁぁッッッ」
真っ赤な大量の血。
自らの剣で愛する者を刺し貫き、封印していた記憶が堰を切ったように溢れ出してきた。
(だから……俺は……)
49
あなたにおすすめの小説
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました
あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」
穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン
攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?
攻め:深海霧矢
受け:清水奏
前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。
ハピエンです。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
自己判断で消しますので、悪しからず。
望まれなかった代役婚ですが、投資で村を救っていたら旦那様に溺愛されました。
ivy
BL
⭐︎毎朝更新⭐︎
兄の身代わりで望まれぬ結婚を押しつけられたライネル。
冷たく「帰れ」と言われても、帰る家なんてない!
仕方なく寂れた村をもらい受け、前世の記憶を活かして“投資”で村おこしに挑戦することに。
宝石をぽりぽり食べるマスコット少年や、クセの強い職人たちに囲まれて、にぎやかな日々が始まる。
一方、彼を追い出したはずの旦那様は、いつの間にかライネルのがんばりに心を奪われていき──?
「村おこしと恋愛、どっちも想定外!?」
コミカルだけど甘い、投資×BLラブコメディ。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
ユィリと皆の動画つくりました! お話にあわせて、ちょこちょこあがる予定です。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる