菩提樹の猫

無一物

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15章 業深き運命の輪は回る

28 蝕む黒い影

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◇◇◇◇◇


 薬師がカムチヴォスの部屋へやって来てある物を渡した。

「——これは?」

 手のひらサイズの木の箱に入った中を開けると、見覚えのある香が入っていた。

「レナート陛下を呼び出す時に使っていた香なのですが……」

 幻術師のチーノが使用する薬は、全て薬師であるこの男が調合していた。
 
「レナートがあの状態だからな、暫くは使わないと思うが、なぜ私に?」

 この薬はチーノが管理していたはずだ。


「もしかしたら……レナート陛下の頭痛はこの香の匂いの強さも影響していたのではと思い、無臭のものを作ってみたのですが、チーロたちはレネ殿を抹殺することの方に夢中なので、一応こういったものもありますと盟主に渡しておきたかったのです。それに……レネ殿はあの薬を警戒しているので、匂いがしただけですぐに気付きます。これだったら匂いがないので、気付くことなく薬を嗅がせることができると思いまして」

 薬師の言葉の裏には、チーロとレーリオの強引なやり方に対する反発が透けて見える。
 この温度差を、カムチヴォスは上手く利用しなければならないと思った。
 
 
「……なるほど。もしかしたら使うことがあるかもしれないので、預かっておこう」

 とても大切な物のような気がして、カムチヴォスはずっとこの木箱を手元に置いていた。
 

◇◇◇◇◇
 
 
 レーリオとチーロも、この薬を渡してくれた薬師も、レネとゾランの手によって殺された。
 カムチヴォスは何とか命乞いをいして、島への動向を許され生き延びていた。
 
 今のところ島民たちの善意を盾にレネの殺意を削ぐことに成功しているが、いつ自分を殺すかわからない。


 だがカムチヴォスにも意地がある。
 ここに来るまでに多くのものを失った。
 
 地震で、何よりも神との契約を心待ちにしていた父が亡くなり、もう一族の直系男子はレネと自分しかいない。
 絶対に儀式を成功させ、歴史の表舞台から消された王朝の復活、それがカムチヴォスを動かす唯一の原動力だ。

 十二の月に入ると、レネは蝕も近づいてきたので遺跡を見に行くと言いだした。
 島民たちは儀式を執り行うためだと思っているが、カムチヴォスは騙されない。

 カマリ号にわざわざ聖杯と燭台を置いてきたのも、儀式を執り行う意思がないことの表れだ。
 既にカムチヴォスはレナートから、儀式にどうしても必要なのは王冠だと聞いていたので、焦ることなくレネの好きなようにさせていた。

 レネはその王冠を、二度と神との契約が結ばれないように、蝕が来る前に破棄しようとしているのだ。
 
 気が散るのでついて来るなと言われていたが、カムチヴォスはレネたちが出発した後に、気付かれないよう十分に距離をとりながら尾行した。
 
 地下道を抜け、レネたちが遺跡の中央の階段を下りていくと、何度もここを訪れたことのあるカムチヴォスは、近道を使い王冠のある祭壇へ回り込んだ。

 周囲を見回すが、まだレネたちのやって来る気配はない。
 懐から小さな木箱を取り出し、地上から持ってきた蝋燭のランタンの火を使って、薬師からもらっていた香に火をつけた。
 香は煙と匂いも少ないので、よっぽど慎重にならないとレナートを呼び出す薬だと気付かないだろう。

 カムチヴォスは王冠の設置されている祭壇の影に香を置いた。
 人の来る足音が聞こえて来たので、急いで少し離れた場所にある玉座の後ろに身を隠して気配を消した。
 


◆◆◆◆◆



 血を吐いて動かなくなったルカーシュの言葉に押されるよう、レネが祭壇に置いてある真っ黒に変色した王冠に手を伸ばす。
 

 その口許が、してやったとばかりに笑みを浮かべた。
 
(あれは……)

「レナートっ!!」
 
 バルトロメイは、王冠に触れようとしたレネに向かって斬りつけた。


「ほう、今度は気付いたか」

 コジャーツカの剣を抜き、レネの身体を乗っ取ったレナートがバルトロメイの攻撃を躱す。
 その動きはレネと変わらず、猫のような敏捷性を持っている。

「……どうして……」

 たった今までレネが表に出ていたのに。
 一体どういうことだ。

「さあ、誰かが私を呼び出した」

 レナートもなぜ自分が表に出て来たのか、理由を知らないようだ。
 以前は妙な香を焚いた部屋に入った途端レナートと入れ替わったが、今回は妙な匂いなどしない。


「こんな所に香が……——お前かっ!」

 手の空いていたゼラが、祭壇に仕掛けてある細工を見つけ、奥の玉座の方へと歩いていく。
 
「ごふっ……」

「糞野郎がっ!」
 
 隠れているカムチヴォスを見つけると、ゼラが思いっきりその身体を蹴り上げた。
 いつも静かな男が声を荒らげるのを初めて聞き、レネがどれだけゼラの心の中を大きく占めていたのかを知る。
 カマリ号でレネが無事だったのはこの男がいたからだ。
 

「お前はこの身体に手が出せないだろう?」
 
 バルトロメイに妖艶に笑いかける姿は、レネとは全く別人のようだ。
 この男は、自分の外見が他人にどう影響を与えるのかちゃんと理解している。


「王冠をかぶったら神との対話が始まり、神から『契約者』と認められたら、あの泉から神がやって来る。神が来たら、お前たちはもう手出しできない」
 
 レナートがこれから行おうとすることをわざわざ説明するのは、ここにいる人間は誰もレネを傷つけることができないと踏んでいるからだ。

 自分の淡いピンク色の唇をゆっくり舐めて、剣の構えを解かないバルトロメイを見上げた。
 この男はバルトロメイがレネに抱く感情を知って弄んでいる。
 

 
——オレがもし幽霊に身体を乗っ取られたら、お前が何とかして止めろよ。

 
 数年前……レネが悪夢から魘されたあとに言った言葉が頭を過る。
 バルトロメイはそれ以来、ルカーシュをレネに見立て鍛練をこなしてきた。

(——そういうことなのか……)
 
 自分とレネは、この時のことを予期していたのだと気付く。
 

『どんな時でもオレの心と共にあるか?』

(——あるにきまってるだろッッ!)

 
 レネがやらなければならないことは、神との契約を阻止すること。
 やりたいことではない、やらなければいけないのだ。

 そうしないと……レネの大切なもの全てが消えてしまう。


 再び王冠に手を伸ばそうとするレナートの前に立ちはだかる。
 
 
「——させるかぁッッ!!」


 ここまでは冷静に判断できていた。
 ちゃんと周囲も見えていた。
 
 だから剣を抜いたのだ。
 

 自分の邪魔をする障害物をどかすために、レナートは容赦なくバルトロメイに攻撃を仕掛けてくる。
 バルトロメイだって負けていない、いつかこんな日が来るかもしれないと、ルカーシュをレネに見立て特訓してきたのだから。
 
「……くっ……」
 
 バルトロメイの剣が腕を掠ると、眉を顰めてレナートが苦痛の声を漏らす。
 レネだったらこのくらいの傷で声を上げないし、眉一つ動かすことはない。
 たぶんわざとだ。
 わかっていながらも、バルトロメイは一瞬怯んで動きを止めてしまった。
 
 レナートがその隙を見逃さずに斬り込み、それをよけるために後ろへ下がった時にバルトロメイは相手の意図に気付いた。

 レナートが再び王冠に手を伸ばす。
 少し離れた場所からでは間に合わないと思った時、身体が勝手に動いていた。


「——がっ……」

 王冠にあと少しで手が届こうとしたところで、レナートの動きが止まる。
 その背には、バルトロメイの剣が刺さっていた。

 今まで数えきれないほど人を斬ってきた。
 柄を握る手に伝わる肉を切り裂き骨を断つ感覚に、急所こそ外したものの相手に致命傷を与えたのだと悟る。

 無意識のうちに……脱力する身体を後ろから支える。
 
 ふっと相手が後ろを振り返り、優しく笑う。
 その人物は……背中に剣を生やしながら、バルトロメイにやりきったとばかりに満足な顔をしてみせるのだ。

(……えっ……)

 体重が完全にバルトロメイの身体にかかり、力なくがくりと首が垂れる。

 
「——レ…ネ……?——う…うぁぁぁぁッッッ」
 
 真っ赤な大量の血。
 自らの剣で愛する者を刺し貫き、封印していた記憶が堰を切ったように溢れ出してきた。
 

(だから……俺は……)




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