菩提樹の猫

無一物

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15章 業深き運命の輪は回る

29 傀儡の王(終話)

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 別人のように豹変したレナトスと最高神祇官のアベラールが結託し、王国騎士団の地位をどんどん貶めていった。
 強引なやり方で神殿の権限を強めていったので、王国騎士団だけでなく他の貴族からも強い反発を買うようになる。
 豹変したレナトスは、ずっと側についていた三騎士さえもレナトスは遠ざけ、陰で家臣たちから『狂王』と呼ばれるようになっていた。


 そしてついに、最悪の事態が起こった。
 
 東国へ攻め入り帝国の残党を駆逐し領土を広げると言いだしたレナトスに、ロレンシオ将軍と貴族たちが反対する。
 
 今までも、まだ若い王であるレナトスに、家臣たちが進言するのはよくある光景だった。
 しかし別人のように冷徹で好戦的に豹変したレナトスは、反対したロレンシオ将軍たちを一瞬で灰に変えてしまった。
 現場を目撃していた者たちは誰一人、王に意見する者はおらず、ただ床に落ちた灰が風に舞い上がっていたという。

 
 王に即位する前から、レナトスは王国騎士団を率い、内乱や国境沿いのいざこざを収めて来た。
 闘神の力に頼らず共に汗を流す王として、王国騎士団から絶大な支持を得ており、三騎士を常に従える美しい王の姿は、騎士たちの憧れと崇拝の対象だった。
 
 しかし、王国騎士団の頂点に立つロレンシオ将軍を魔法で一瞬のうちに亡き者へ変えるという暴挙に、不遇になんとか耐えて来た騎士たちも、ついに怒りを爆発させた。
 一緒に殺された貴族や、普段から王家に不満を持つ者までもが結託して、クーデターを計画する。

 殺されたロレンシオ将軍はフェリペの叔父で、殺された貴族の中にはナタナエルの兄であるマチェッタ侯爵もいた。
 
 兄の突然の死に、ナタナエルは驚きを隠せない。
 それも手をかけたのがレナトスとなれば動揺せずにはいられない。
 
 
 あんなに重用していた三騎士もここ最近ではすっかりレナトスから遠ざけられ、叔父や兄を殺されたとなれば、クーデター計画に当然声がかかる。

 ナタナエルも家長である兄が殺されたとなれば、黙って何もしないわけにはいけない。
 それはフェリペも同じだ。
 
 主従契約を守らない王に従う必要はない。
 ましてや家長を殺されたとなれば、その仇を討たなければならない。

 
 
 三人は王宮から少し離れた所にあるマチェッタ侯爵邸の一室に集まり、これからのことについて話し合っていた。
 
「——手を下したのはレナトスじゃない」

 ナタナエルは断言する。
 ただでさえ癒しの力以外を使うことを厭うレナトスが、あれだけ慕っていたロレンシオ将軍を手にかけるはずがない。
 
『帝国に離反するならば手を出さない』とディシェ帝国の属国に密書を送り、これ以上無駄な血が流れないよう画策していたのに、東国へ攻め入るのはそれを全て台無しにする行為だ。
 
 最高神祇官が妙な術を使って、レナトスを操っているのだ。
 神殿の権威をもっと高めるために、あの男はレナトスに神の力を使わせて、この大陸を制圧しようとしている。

 
「だがこの流れでは、私たちが参加しないわけにはいかないだろう」
 
 それどころか、首謀者として担ぎ上げられそうな動きさえある。
 
「どうにかして陛下を助ける手立てはないのか?」
 
 フェリペとギーもレナトスがそんなことするはずないと思っている。
 しかしこの大きな流れを、三人の力では変えることができない。
 だったらその流れに乗って、レナトスを助ける方法を模索するしかなかった。

 
「レナトス様の居場所は我々が一番よく熟知している。他の者たちを待機させて、我々だけで陛下の元へ近づくのに誰が文句を言える? 私は叔父を、お前は兄を殺されているのだから仇討ちだとしか思わないし、そこに冷遇されている三騎士の一人のギーが一緒でも誰も不思議には思わんはずだ。正々堂々と城に入っていけばいい」

「それだったらいけるかもしれないな」
 
 フェリペの言うことはいかにもありそうな話で、動機としてはどこも不自然な所はない。
 
「……確かに。あんた頭いいな」

 ギーも横にいる金髪の男を見ながら頷いている。

 
「ただ一つだけ問題があるとすれば、私たち三人が完全に首謀者になり、クーデターが成功しても失敗しても明るい未来はないだろうな」

 成功したらスタロヴェーキ王朝の崩壊。
 
 失敗しアベラールたちに捕らえられたら、実行犯の三人は見せしめのために公開処刑。
 レナトスの身体は完全に乗っ取られ、東国は死の国になるだろう。

 
「そんなんはどうでもいい。それより陛下を助け出せたとして、どこに匿うんだ?」

 ギーはいつも余計なことなど考えず、レナトスのために進むべき未来のことしか見ない。

 
「宰相が所有するあの島に、匿ってもらうことができたら……」

 フェリペが意外な場所を上げる。
 初代王が神との契約を行ったという古の神殿がある島だ。
 あの島へ行くには、高度な航海技術が必要なので、限られた者しか行くことができない。
 
「あの男を信用できるか?」

 いくらレナトスの伯父とはいえ、甥を政治の道具として利用している宰相を、ナタナエルはあまりよく思っていなかった。

 
「あの人は、初代王の生まれ変わりといわれるレナトス様の血を、誰よりも重んじている。陛下を生かすためだったら何でもするはずだ。最高神祇官と引き離すことができたら、レナトス様もじきに正気を取り戻されるはずだ」

「……こちらも手段を選んでいる余裕はないしな」

 ナタナエルもしぶしぶ承知するしかない。
 

 表向きだけとはいえ、愛する王に反旗を翻す決意を固めると、三人はクーデターが決行される新月の夜を待った。

 

 クーデター当日、宮殿の警護を固めていた魔法使いたちは、ただの人に戻る。
 新月の夜は神殿騎士団が宮殿の警備を行っているが、魔法を兼用する彼らは、自分の肉体だけで勝負する本物の騎士には敵わない。

 真っ暗な新月の夜は、闇夜に身を隠すのにちょうどよい。
 音を立てないよう甲冑を身に着けず集まった王国騎士団の騎士たちが、宮殿周辺を囲み待機する。

 宮殿の様子をよく知る三騎士と近衛騎士団が、先に王宮へと忍び込む。
 
 兄と叔父の仇であるレナトスを討ち取るためにと、近衛騎士団たちには自分たちが王の居室へと向かうと伝えてある。
 さすがに騎士たちの中に仇討ちの邪魔をする者などいないので、誰にも邪魔されることなく、ナタナエルたちはレナトスの居室へと進んでいった。

 
 王の居室の周辺には誰も警護の者が立っていない。
 いつもは厳重な警護がされているはずなのに、あまりにも不自然すぎる。
 
「どういうことだ?」

 事前に情報が漏れていたのだろうか?
 
「部屋の中はもう抜け殻ってことはないよな?」

 三人は首を傾げながらも、ここまで来たら先に進むしかない。
 意を決してレナトスの居室の扉に手をかけると、中は鍵もかかっておらず扉がスッと開く。



「——やはり其方たちが来たか」

 王冠を被ったレナトスが椅子に座っていた。
 代々の王が被る仰仰しいものではなく、もっとシンプルな形のそれは……初代王レナートが神との契約で使用したという代物ではないか……。

 
「……レナトス」
 
 その目は、全てを映す静かな水面のように穏やかだった。

 ナタナエルがこの世で一番愛する人物を見間違えるはずがない。
 まさか狂気に支配されることなく、正気のままのレナトスが待っているとは思わなかった。

 狂ったままだったら、魔法が使えないレナトスを三人で抑え込み気絶させ、持ってきた近衛兵の制服を着せ負傷兵として城の外に運び込むつもりだった。
 新月の間に何とか正気に戻して、宰相に匿ってもらう計画だった。

 
 しかし全て杞憂に終わった。

 正気のままなら話は早い。
 騎士の格好に着替えさせ、一緒に城を脱出しよう。


「レナトス、他の奴らから見つかる前にここを出るぞ」
「さあこれに着替えてください」
「急いで」
 
 安堵と同時に希望の光が差してきた。
 
(これなら何とかなりそうだ……)


 
「——それはできない……」

 レナトスは力なく笑って首を横に振る。


 
「どうしてっ!」

 せっかく三人で、どうやったらレナトスをこの城から無事に連れ出せるのかと知恵を絞りだしてきたのに、当の本人がそれを否定する。

 一筋の光が見えて来たと思ったのに、また一気に暗闇へと突き落とされた。

 
「我は取り返しのつかないことをしてしもうた……ロレンシオ将軍やマチェッタ侯爵もこの手で……」

「でもそれはあんたじゃないだろ。アベラールの奴が妙な真似をしてあんたを……」

 すぐにギーが反論するが、レナトスがすぐにそれを否定した。
 
「そんなこと他の者たちには関係ない。現に狂った王を討ち取ろうと、騎士団がこの城を囲んでおるだろう? やるなら今夜しかない」

「…………」

 レナトスは最初からクーデターに気付いていたのだ。
 知っていてわざと周囲の警備を手薄にしたのだろう。
 ナタナエルたちがここへやってきやすいように。

 
「さあ……我の首を討ち取って、其方たちの手柄にせよ。もう時間がない……また暴走する前に、早く我を殺せっ!」

 
 悲痛な叫びに……三人は決断を迫られるが、誰も動く者はいない。
 
 愛する存在を誰が傷つけられようか。
 自分たちは、この尊い命を守るために存在しているというのに……。

 そんな残酷な命令を、たとえ主といえども聞くわけにはいかない。


「——そうか……だったら仕方ない」

 これまでにない哀しい顔をして、レナトスが俯いた。
 いつの間にか、その右手には短刀が握られている。
 
 
 ディシェ帝国の軍を一人で壊滅させてからというもの、レナトスがどれだけ精神的に苦しんでいたかわかっているつもりでいた。
 しかし今回の出来事で、もう取り返しのつかないところまで、レナトスは追い詰められていた。
 
 瞳に映る闇は、これ以上生きても苦しみしかないことを物語っている。
 自分たちがどんなにレナトスを生かそうとしても、無理なのだと悟る。
 
 そう……ナタナエルも心のどこかではわかっていた。
 レナトスに生きてほしいと思うのは、自分たちのわがままであることを……。

 罪を背負ってまでも、この高潔な存在は自分が生き続けることを決して許さない。
 
 
 
「最期に我の遺言を聞いてくれ。——この国は、お前たち三人に託す」
 
 
「おいっ、何を言う……それだけはやめろっ!」

 咄嗟にナタナエルは、レナトスの手から短刀を叩き落とす。
 自害すると、その者の魂はポトゼミという地の底へ堕ち、二度と転生することができないといわれている。
 愛するという言葉では表しきれない至高の存在を、そんな場所へ堕としてはならない。
 
 
「ポトゼミには行かせない……そんなところに行かせるくらいだったら俺がっ!」

 それがレナトスの魂を救う唯一の方法だ。
 
 
「……ナタナエル……」

「——生まれ変わって次こそは一緒に……」

 王と騎士の間にある壁は越えられない。
 
 しかし違う形で生まれ変わることができたならば……。
 それがナタナエルの中での唯一希望だった。
 

 決して叶わない想いを寄せていたナタナエルに、レナトスが答える。
 
「……じゃあ次は、其方の造った国で一緒に暮らそう——……もっ…もう駄目だっ……殺せっ!」

 何かに耐えるようにレナトスの身体がブルブルと震えている。この様子では正気を保っているのも時間の問題だ。
 
 覚悟を決めてナタナエルは自分の剣を抜いた。
 
 レナトスの悲痛な声に、咄嗟に身体が動いていた。
 もうこれ以上……レナトスを苦しめてはいけない。

 
 苦しませぬよう……心臓を一突きした。

 
 誰よりも美しい顔に安らかな笑みが浮かぶ。
 その頬には一筋の涙が流れていた。

 熱い血潮がナタナエルの手を濡らす。
 
 真っ赤な液体が、誰から流れるものか気付いた時、ナタナエルは慟哭した。

 傾いだ身体から王の証である冠が落ちて、血の海と化した床へと転がり、黄金に輝いていた冠がみるみると黒く変色する。

 
 赤・青・茶・黄色の四つの光がレナトスから抜けだし、空へと還っていく。
 途端に輝いていた王宮は光を失い、まるで抜け殻のように虚無だけが残った。
 
 
「ゾタヴェニ以外の……神々のご加護が……」
 
 驚くフェリペの声が聞こえる。

 
 
「——ナタナエル殿が見事に王を討ち取ったぞっ!!」

 部屋になだれ込んできた騎士の誰かが叫ぶと、周囲では歓喜の渦が巻き起こった。



 
 ナタナエルはそれから先の記憶が一切ない。
 フェリペによると、レナトスの遺体が狂喜した騎士たちに辱められることがないように、必死に守っていたという。

 その後、手柄を立てたナタナエルの強い希望で、スタロヴェーキ王国最期の王の遺体は誰にも汚されることなく、密やかに埋葬された。
 

 ナタナエルたち三騎士は、クーデターを成功させレナトスを討ち取った英雄として、国民たちからあがめ立てられる。
 
 この流れに逆らえる者はいなかった。
 三騎士であるナタナエルたちでさえも……。
 我が主を手にかけるという、騎士としてはあるまじき行為に打ちひしがれていようが、周囲はそんなことなど関係ない。
 
 
 レナトスが死に、神々はこの地上から天へと還っていった。
 癒しの神以外の力が消え、人々の世界は再び、腕力がものをいう世界が戻って来たのだ。
 
 レナトスを邪な術で操ったとし、アベラールは処刑され、高額な税を要求し人々を苦しめていた神殿は、癒しの神の社だけを残し消滅した。


 権限を取り戻した騎士たちが主導で、新しい国の整備が進められていった。
 もちろんその頂点に立つのは、狂った王から民を解放した三騎士たちだ。
 
 約八百年続いたスタロヴェーキ王朝の時代は終わり、国土は三つに分けられ、英雄とされる三騎士たちがそれぞれの国の王となる。
 
 ナタナエルは王都のあった場所から一番離れた東の果てを自分の国の領土とし、ドロステアと名付け初代の王となった。

 
 
『……次は、其方の造った国で一緒に暮らそう』

 
 レナトスの残した言葉だけがナタナエルを動かした。
 
 一人だけ逝ってしまった愛する人の言葉は、なんと残酷だろうか……。
 
 罪の意識は大きく、自分だけが生き残った虚無の人生を何度もこの手で終わらせようと思った。
 しかしレナトスと一緒に生まれ変わるためには、ポトゼミに行ってはならない。

 ナタナエルは、無心になって来世でレナトスと二人で暮らすであろう我が国を整えた。
 
 セキアの王となったギーと、レロの王となったフェリペの励ましを受けながら、何とか王としての人生を生ききった。
 ナタナエルの悲しみをわかってくれるのは、この二人しかいなかった。


 王としての人生を全うし、その後何度もドロステアに生まれて来るが、レナトスは一向にやってこない。
 それでもナタナエルは、二人の住みよい土地へとするために、生まれ変わる度に国のために尽力を尽くした。

 
 千年経ち……千五百年が経っても、ナタナエルはまだレナトスに逢うことができない。
 どんな姿になろうとも、自分が愛する人の魂を見落とすはずがない。
 例え前世の記憶を失おうとも、出逢ったら一目でわかるはずだ。
 
 もしかしたら……多くの命を一人で奪ってしまったレナトスは生まれ変わって来るのにも長い時間を要するのかもしれない。
 

 ナタナエルは気の遠くなるような長い時間を一人で耐え忍んだ。
 これは愛する人を自らの手にかけた罪だ。

 
 生まれ変わったレナトスと出逢う時は、もう二度と同じ過ちを繰り返さないようにと、愛する人を殺したナタナエルの記憶を魂の奥へと封印した。
 
 それでもレナトスと約束したことを忘れないようにと、あるしるしをこの世に残した。


 そして……時は巡る。


 
 
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