春越えて、君を想えるか ~好きとか恋愛とかよくわからなくてもカラダを重ねた曖昧なボクら~

御子柴 流歌

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4th Act: 学校祭本番と真夏の準備と

4-15: 衣擦れの夜

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 そんじょそこらの誰かに言われるのとは、全然格が違う。

 面白いものだ。そして、単純なものだ。

 これくらいのことで、俺は――。

「どうしたの、れん

「え? あぁ、いや、その」

 何かオカしなコトを考えようとしたところで、やはり現実に連れ戻される。

 色香漂うその唇から紡がれた俺の名前。現実に戻された瞬間にまた変な空間へと引きずり出されて、再度現実に戻される。ほんりゅうに飲まれているような感覚だった。

「ちょっと、噛みしめてただけだ」

「……? そう」

 はあまり理解をしてくれようとしていないけれど、納得はしてくれたらしい。それなら充分だ。理解されてしまう方が逆に困るくらいだから。

「それはそうと、そろそろ」

「ああ……、そうだね」

 雑談に興じている場合ではない。彼女はまだ浴衣のままだ。俺自身に課せられたミッションは何も解決できていない。かいどう邸で今日やったことははちみつレモンと名前呼びを味わっただけじゃないか。何をしているんだ、俺は。そうだ、何もしていないんだ。

「……結局、この着付けの方法を逆に辿っていけば良いのか?」

「そうね」

 即答だ。そして同時に確信する。さっきは謙遜していただけだろう。恐らく菜那は和服の着方を概ね理解していて、それを実践することができる。

 だったらもう気にすることはない。

 正確に、厳密に、この着付けの書の逆を歩んでいけばいいだけのことだ。

「ここから、いくよ」

「ええ」

 まずは最初に見かけたこの飾り紐に手をかける。結びの下の細い紐を外す。飾りだったはずの一本でも、抜けると呼吸がひとつ軽くなるのが分かった。

「帯、ほどくよ」

 菜那はわずかに頷いた。

 帯は端を探って少しずつ。痛めてはいけない。きゅっと締めてあった張りがほどけるたび、布が小さく鳴いた。音だけで近さが測れるようだった。

 部屋の灯りは少し落としているのだが、白い布地が柔らかくそのわずかな光を返す。

 結び目の下に指をかけ、軽く引くと、帯が静かにほどけた。

 細い布が滑る音がする。

 菜那の肩がわずかに上下する。息の動きが近い。

「ここも……かな?」

 腰のひもに指先を伸ばす。彼女は少しだけ振り向いたらしい。そちらは見られない。

「お願い」

 その一言で指先が一瞬縮こまる。

 腰ひもは結び目をつまんで、片方を引く。するり、と緩む。浴衣全体がわずかに落ちかけるのを、反射で支えた指先に体温が移る。ほんの一瞬。すぐ離す。

 ひもが外れると浴衣の生地がふわりと緩み、微かな香りが空気を撫でた。

 あとは、もう訊かない。訊けない。 

 たもとは左、右の順。合わせを外したところで彼女の呼吸が少しだけ深くなる。

「肩、……落とすね」

「お願い」

 肩口の布をそっと押し、腕を抜かせる。衣擦れの音が短く鳴って、光が一枚分、彼女の肌に近づいた気がした。見失わないように、だけど不必要に見ないように。

 いや、実際のところ、一糸纏わぬ姿は見ているのだ――何度か。

 だけれど、今この時の彼女は、直視できないほどの静謐な美しさを纏っていた。

「ありがとう」

 彼女が一度区切るみたいに言ってベッドの上に置いてあった部屋着に手を伸ばす。俺は視線を落として、帯を細く畳んだ。畳み皺の向きを揃えるだけで余韻が少し静かになる。

「……大丈夫?」

「問題無いよ」

 背中越しに訊かれるが視線は帯に注いだまま俺はそう返すだけだった。



     ○




「ありがとう」

 着替え終わった気配がしたと思う間もなく、菜那がベッドに座った。浴衣はきちんと四角く、帯はその上。彼女の体温と香りがしっかりと移された浴衣を畳むのはなかなかに罪深さを感じた。

「畳んでくれるなんて思わなかったけれど」

「まぁ、……気まぐれ的な」

「もしも下手だったら指摘しようと思っていたけれど、全然そんな必要はなさそうね」

「マジ? なら良かった」

「蓮って結構器用な印象あるし家事とかも忠実にしているイメージもあるから、そもそも気にしては居なかったけれどね」

 ダメ出し喰らう覚悟では居たが、それはぎょうこう。というか随分と高評価を得ているようで少し恐縮しつつもほっとする。

 安心したところで少しばかり周囲の様子も見えるようになる。感じられるようになる。

 だからこそ、今更気付く。

「あれ? それって……」

「気付いたかしら?」

「んまぁ、気付くというか何というか」

 菜那の全身を包むその部屋着は、1週間ほど前のビデオチャットで見せつけられたTシャツとホットパンツの組み合わせだった。

 ――スゴい。

 いや、もう、生で見る衝撃。

 先ほどまでは全身を和装で包み込まれていたからか、そのギャップにもヤられている。

「蓮はたしか、コレも好きなのよね」

「言ったなぁ、たしかに」

 言わされたというのも事実ではあるが。

「どっちが好き? 浴衣とコレ」

「……状況が違いすぎて比べられないっての」

 どっちも良いのだよ。

「ところで、あなたは?」

「え?」

「着替えなくて良いの?」

「……あぁ、いやまぁ」

 法被こそ脱いだモノの、その他はそのままだった。

 着替えは持って来てはいる。一応。

 普段は制服の我が校だが、行事がある日はその制限がなくなり、私服可となる。今日の俺の場合は行燈作業が入るためほぼずっと作業着姿ではあったが、それに加えて行き帰り用にとふつうのジーンズにTシャツを持って来ていた。それと、汗対策で下着も。

「着替えタイミングが無かったんだよな」

「私たちが声かけたから?」

「そういうことじゃないよ。……ってか、あそこで脱ぎ着するのはさすがに」

 路上脱衣になりかねん。

「というか、そもそもシャワーとか浴びた方が良いわね」

「え? あぁ、うん……ん?」

「なら、私もそうしようかしら」

 ベッドからすっと立ち上がる菜那。

 あれ? 俺、何か肯定したっけ?

「誰も帰って来ないから、安心して」

 そう言いながら菜那は、いつものように俺にタオル類を渡してきた。


 
      ○



 諸々、そしてシャワー後。

 俺たちはまたダイニングにやってきていた。

 目的ははちみつレモン。どうやら菜那のお気に召したらしい。

「どうかな」

「ん、おいしいわ」

 先ほどと同じくらいの調合をしてみたつもりだったが、大丈夫そうだ。

「良かった」

 自分のも味見するがこちらもバッチリ。俺好みの調整が出来ている。

 ここじゃ落ち着かないからと言った菜那にしたがって、再び彼女の部屋へと入る。クローゼットの中にあると言われて小さなテーブルを出す。彼女はクッションを用意してくれた。

 そういえば、こうして彼女の部屋で落ち着くのは初めてかもしれない。

 ――いつもはどこか浮き足立っていたからな。恥ずかしい。

「ちょっと疲れたなぁって思ってたけど、これのおかげでだいぶ回復した気がする」

「私もよ。ありがとう」

「いやいや、こちらこそ」

 言いながら俺は気になっていたサイトを見る。独りで見るのはよろしくないと思い、菜那にも軽く見せつつ言ってみる。もちろんいかがわしいものではなく、浴衣の着付けの仕方を紹介しているサイトだ。

「これ、着崩れの直し方とかってやっぱりあるんだな」

 ベッドの上に畳まれた帯を見つつ言うと、彼女は軽く頷いた。

「そうね」

「……勉強になるな」

「蓮の場合、後学のためになるのは脱がせ方の方なんじゃないの?」

 どういうことだ。

「着崩れの直し方の方が実用的だろ」

「じゃあ、誰か直したい人でもいるのかしら?」

「……いや、そういうわけでは」

 首を振る。間が少しだけ伸びて、彼女の目だけが笑う。

「ないの?」

「ないこともないです、ハイ」

 言った瞬間、はちみつレモンの甘さが喉に戻ってきた。彼女は小さく笑って、畳んだ浴衣に指先で小さく触れた。


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