シオンズゲイト -zion's gate-

涼雨 零音(すずさめ れいん)

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第一章

第四話

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 目を開くと次第に部屋がはっきり見えてきて、次いで身体の存在がはっきりしてくる。自分の体重を感じながら上半身を起こして部屋の中を見回すと机の上には愛用のキューブ型パズルがあり、その隣にゴーグルが置かれていた。ぼくは昨夜のことを思い出そうとしてみた。イマース型のゲームをやっていたのは覚えている。中断する方法のわからないゲームだった。異様にリアルなゲーム内の自宅で、ぼくは他にできることもなくベッドに横になったのだ。ゲーム世界のこの部屋で。ぼくは机の上にあるゴーグルを見つめた。ゲームの中には、あのゴーグルだけは無かった。ということはここはゲーム世界の外なのだろう。ぼくは立ち上がって窓から町を見下ろした。町は空気の層の向こう側に息を潜め、彩度を抜かれて静かに佇んでいた。どうやって戻ってきたのかがまったくわからなかった。

 ぼくは着替えてゴーグルをつけ、部屋を出た。「母さん」と呼びかけながらリビングルームへ行ってみたけれど、家の中に家族の気配はなかった。自宅で仕事をしているはずの父さんの姿はなく、出かける用事が無いはずの母さんもいなかった。食卓には今焼いたばかりのようなトーストに目玉焼きが乗って用意されていた。母さんがよく作ってくれる朝食だった。ぼくは頭のどこかに説明のつかない違和感を抱えたまま、ほとんど自動的にそのトーストを食べてから学校へ向かった。


 学校はいたって普段通りで、なにも変わったところはなかった。学校というのは普段から延々と同じ一日を繰り返しているみたいに変化のない世界で、ぼくの身になにが起きようと、ぼくの家にどんな異変があろうと世界はそんなことには興味がないと主張しているようだった。学校は相変わらずぼくを「日常」で塗りつぶそうとしていた。だからぼくもいつもと同じように過ごした。普段から一人でいるぼくは今日も一人だった。いつもと同じように自分の席で自分の世界に入り込んでいるように見えたはずだ。でも今日は違った。いつもと同じように座ったまま、いつもと違って耳だけは周りの声に向けてそばだてていた。きっと誰かがシオンズゲイトの話をするだろうと思ったからだ。やってみたという話じゃなくても、配信されてきたとか、あんなもの興味ないよね、とかそういう話でも良かった。誰かが話題にするだろうと思ったのだ。でも誰一人としてシオンズゲイトに言及した人はいなかった。ぼくには聞きたいことがたくさんあった。シオンズゲイトってゲーム知ってる? やってみた? どんなミッションだった? クリアできた? それでどうなった? 

 ぼくには同級生とどうやってそういう会話をすればいいのかわからなかった。もちろん声をかければいいのはわかる。「ねえ知ってる?」って。そう。なにも難しくない。難しいのはぼくの言葉を受けて相手がどう反応するかを想像するところだ。「ねえ知ってる?」って言ったら相手はどんな反応をする? ぼくにはそれがわからない。わからないとその先を想定できない。英語の教科書みたいに「こんにちは」って言ったら相手も「こんにちは」、「ごきげんいかが?」って言ったら相手は「いいですよ、あなたは?」って言う。そんなジャックとベティだかトムとメアリみたいな会話になるのか本当に。「こんにちは」って言って相手が「なにおまえ」って言ったらどうする? 相手がどんな反応をするかわからなければ会話なんて始められない。その点、あらゆるところに搭載されている人工知能は楽でいい。こちらの言うことに対してどう反応するかが予想できるから気軽に話しかけることができる。人間もみんな人工知能のようだったらいいのに。

 一日中、先生の話などひとつも頭に入らなかったし、お昼に食べた購買のパンもどんな味だかわからなかった。誰かシオンズゲイトをやっている人はいないのだろうか。さらに進むという意思表示をした人は。あのプレートに掌を乗せた人は、ぼくの他には誰もいないのだろうか。ぼくはもがくような気持ちで耳に神経を集中させたけれど、結局シオンズゲイトのことはどこからも聞こえてこなかった。

 帰宅するとすぐに椅子に沈み込み、ゴーグルを調整してシオンズゲイトへとイマースした。


 入ってみると前回と同じ駅前広場だったけれど、辺りはすっかり夜に包まれていた。そのことに戸惑いながら、ぼくは自分が勝手に外の世界とシオンズゲイトの世界は時間が一致していると決めつけていたことに驚いた。これはゲームなのだからゲーム内の時間は外の世界と同じとは限らないし、その必要もない。そんな当然のことが当然と思えなくなるほどに、ここは現実と一続きのものに感じられるのだ。

 町はそんなに必要ないだろうと思うほどの電飾に飾られ、そこら中に星をぶちまけたみたいにきらめいていた。ぼくは見慣れないその光景に少し戸惑いを覚えた。しばらく動けないままぼんやりと眺めていた。道路を走る自動車は光の帯を引き、建物は多くの窓から光をにじませている。停泊している帆船までもがライトアップされていた。歩道の足元にも照明が埋められていて、夜だというのに暗がり一つ見当たらなかった。人が暮らしていると町はこんなにもまばゆいものなのか。はたして本当にこんなにたくさんの灯りが必要なのだろうか。

 ぼくがあまりの光の量に圧倒されながら町を見回していると、ポケットの中で振動するものがあった。突然のことだったのに前回ほどは驚かなかった。ポケットに入っていた例の端末を取り出す。表面を覆う画面が暗転した後、文字が浮かび上がった。

――――――――――――――――
みらいのときをきざむもの ともにときをすごすものをみちびかん
――――――――――――――――

 ミッションだ。
「みらいのときをきざむもの ともにときをすごすものをみちびかん」
 ぼくは声に出して繰り返した。みらいの時を刻むもの、共に時を過ごす者を導かん、だろう。ぼくはその文言を口の中で繰り返しながらエスカレータに乗り、見晴らしの良いところへ移動した。見回した景色の中にひときわ目を引くものがあった。運河を隔てた向こう側で回転するホイールだ。煌びやかな夜景の中にあって、円形に輝く光のホイールはひときわ目を引いた。ホイールの光は脈を打つように一定のリズムで夜空に模様を描いていた。
「あれだよな。みらいの時を刻むもの」
 ぼくは小さく声に出すと、ホイールを目指して歩き始めた。近づいてみると巨大なホイールはゆっくりと回転している。回転しながら、ホイールのスポーク部分の電飾が灯ったり消えたりしている。秒針が回転しながらさらに文字盤ごと回転しているような感じだった。ホイールの外周にはゴンドラが一定の間隔でぶら下がっていて、そのゴンドラに人が乗り込んでいる。ホイールは常に回転したまま、乗る人は動いているゴンドラに乗り込み、一周回ってきて動いているゴンドラから降りるのだった。案内看板にはコスモクロックと書かれていた。コスモクロックなら未来の時計ではなく宇宙の時計だろう。合わせて〈大観覧車〉という言葉も書かれていた。

 遠くから見ると巨大な超高層に囲まれていてそんなに大きいものには見えなかったのに、真下から見上げるとホイールはかなりの大きさだった。ぼくはそのゴンドラに乗ろうとする人々の列に並んだ。ミッションは「共に時を過ごす者を導かん」だ。共に時を過ごすというのは一周回ってこいということだろう。ゆっくりと回転するホイールのペースで次々にゴンドラが到着し、そのたびに列から数人ずつ人が吸い込まれていく。工場のベルトコンベアみたいに列から人が切り取られ、ホイールに連れられて夜空を回転している。ゆっくりと回転するホイールは時を告げるだけではなく、この町全体を駆動しているようにも見えた。

 すぐ前の一団がゴンドラに吸い込まれ、ぼくは列の先頭になった。動いているゴンドラに乗り込まなければならない。にわかに緊張した。乗っていた人たちが降りていき、ゴンドラはぼくの前へ滑り込んでくる。もう覚えていないけれど、父さんに手を引かれて初めてエスカレータに乗った時も、きっとこんな風に緊張したのだろう。

 係の人に促されるまま手すりにつかまって足をかけ、体重を移動させたら回転してゴンドラ内の椅子に投げ出されるような恰好になってしまった。外でサポートしてくれていた係の人は必死に笑いをこらえていた。

 ゴンドラの扉が閉まると急に世界から切り離されたようだった。ホイールは回り続けている。ゴンドラは静かに離陸して高度を上げていく。刻一刻、窓から見える景色が変化していく。道路にひしめいている人々は次第に希薄になり、建物が主張し始める。さらに高度が上がると街灯に彩られた道路が建物と建物をつないでいるのが見えてくる。個々の建物はネットワークの一部になり、光の集合になっていく。そしてあらゆるものが町の一部だったことが見えてくる。町は生きているんだ、とぼくは感じた。光のひとつひとつにたくさんの人がいて、それが集まってビルになり、道路を行く人や車の流れでほかのビルと繋がっている。その集合体が町だった。ゴンドラは顕微鏡の倍率を下げるようにしてぼくをミクロからマクロの視点へと誘った。

 反対側の窓を覗き込むと工場地帯に囲まれた海が見えた。海の上に橋が架かり、橋の両岸はコンビナートの灯りで黄金色にまばゆく燃えているようだった。間をつないでいる橋が光を岸から岸へと受け渡していた。ゴンドラの高度はさらに上がっていく。下にいると見えなかったものが見えてくる。ぼくはゴンドラに乗ってから自分が下を見下ろしてばかりいることに気づいた。視線を上げると巨大なビルがある。ビルの上の方はホイールよりはるかに高い。あそこから見ればここだって見下ろすのだ。それなのに高いところに上ると自分より上のものが見えなくなって下ばかり見下ろすようになる。もっと上があることを忘れて。

 ゴンドラが頂点に差し掛かる。頂点を過ぎればあとは下るだけだ。一番上を確かめようと、窓の外のスポークを見つめる。このスポークとゴンドラの扉の合わせ目がまっすぐ重なるところが頂点だ。

 ぼくはスポークの柱に注目した。スポークが扉の合わせ目に重なった瞬間、窓の外がふっと暗くなった。
「え?」
 ぼくは息をのんだ。
「ここは、どこだ?」
 反対側の窓も見てみる。海がない。ビル街もない。町はあるけれどさっきまで見えていた町よりも明らかに光の量が少ない。ぼくは他のゴンドラを覗き込んだ。隣のゴンドラは空だった。そんなはずはない。乗り込んだ時、客は列になっていた。ひとつのゴンドラも空くことなく、すべてのゴンドラに人が乗り込んだはずだ。少なくともぼくの一つ前には数人のグループが乗り込んだはずだ。それが今は空になっている。
「そうか。導かれたんだ。共に時を過ごしたから」
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