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四十七話 そもそも私が映っていただろうか

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 私がぽかんと呆けていると、ふふ、と楽しげな笑い声が部屋の中に響いた。

「冗談よ、妖精のお嬢さん。魂はいずれ神の御許に還るもの。私がどうにかできるものではないのよ。それに、妖精の魂はいらないもの」

 静かな声は耳に心地よく、居心地が悪い。そわそわと落ち着かなくて、部屋の中を見回す。
 ランタンの下には寝台が一つと、机が一つ、それに椅子が一つ。私がいた小屋よりも質素で素っ気ない。
 机の上には、見たことのあるような絵本が置かれていた。

「ああ、その絵本、興味があるの? 囚われのお姫様を助けるために騎士が魔物を退治するお話。あら、囚われたお姫様が捕らえた魔物を殺そうとするお話だったかしら。それとも捕らえたお姫様を哀れに思った魔物が死のうとするお話だったかもしれないわ。まあでも、どれでもいいわよね。そんなのは、同じことだもの。それで、可愛らしい妖精のお嬢さん。ここには何をしに来たのかしら」
「あ、その……どうやってアドフィル国の王様を殺したのか知りたくて」

 不躾な質問に、赤い唇が弧を描く。
 我ながら率直すぎたと思ったのだけど、どうやらこのひとは気を悪くはしていないようだ。

「愚かな王様のお話ね。それが誰であろうと立場がどうであろうと、恩義には恩義を無体には無体を。そんな単純なことすらわからず殺された。ただいつもと同じことを、いつもと同じようにしただけなのに。どうして死ぬのかすらわからず死んだ、愚かな王様」

 黒い瞳が天を仰ぎ、つられて私も視線を上げる。眩いランタンの光に目が眩む。
 その間も、歌うような声が続いた。

「昔々、あるところにとても欲しがりな王様がいました。王様は望めばどんなものでも手に入れることができました。それが誰のもであろうと、どんなものであろうとも。ある日のことです。王様はとても美しい宝石を見つけました。欲しがりな王様はどうしてもその宝石が欲しくなりました。でも、その宝石にはすでに持ち主がいたのです。哀れな青年は悩みました。宝石を手放すべきか。悩み悩み、悩み続けたある日のことです。哀れな青年は声を聴きました。哀れな青年に手が差し伸べられました。哀れな青年に剣が与えられました。声は従う必要はないと言いました。手は王様のもとに導きました。そして青年は欲深い王様を倒し、大切な宝石を守りました。めでたしめでたし」

 ぱちぱち、と思わず拍手を送ってしまう。
 お伽話というものをあまり聞いたことはないから面白いのかどうかはわからないけど、芝居かかった口調も歌うような話し方も新鮮だった。
 いつか本職の吟遊詩人のお話を聞いてみたいものだ。

「って、そうじゃなくて……私が知りたいのはアドフィル国の王様の……死ににくい体の人を殺すにはどうしたらいいか、なんですけど」
「はるか昔、すべての民は神の座を欲しがりました。けれど神を倒せる武器は地上にはありませんでした。だから彼らは作ったのです。すべての民の英知の結晶、神をも殺せる剣を――それなら誰であろうと、なんであろうと殺せるでしょうね。でもね、妖精のお嬢さん。あなたにそれはお勧めしないわ。扱えるのは唯人だけ。唯人以外が使おうとすれば、神の怒りを買うでしょうね。神に届かない者のみ扱うことを許された、そういう剣なのよあれは」
「いや別に、そんなご大層なものじゃなくてもいいんですけど……」

 私一人を殺せれば、神を殺す剣じゃなくてもいい。
 だけどもしも、神を殺す剣でしか死ねないとしたら――そんな考えが湧き、体の奥に重いものが落ちてきたような気がした。

 私がその剣を見つけ、自分を殺したとする。その時に神の怒りが向くのは誰なのか。
 私だけならいい。だけどもしも、他の人たちにも向けられたら。

 他の誰にも死んでほしくない。私以外が死ぬのは嫌だ。

「あるところに哀れでかわいそうな騎士がいました。騎士は大切なお姫様を魔物にとられてしまいました。どれほど取り返したいと願っても、騎士は魔物を退治することができません。だから騎士は願ったのです。お姫様の解放を」

 思考に耽っていると、いつの間にか別のお話がはじまっていた。
 騎士とお姫様と魔物。先ほど話していた絵本の内容だろうか。でも、少し違うような。
 騎士が魔物を退治するお話と言っていなかったか。いや、お姫様が魔物を退治するお話だったような。
 ぼんやりとした記憶を掘り起こそうとしていると、ぎしりと寝台のきしむ音がした。

 考えていたことを放棄して視線を向けると、いつの間にか黒い瞳が間近にあった。
 光の差さない瞳を見ていると、闇の中に閉じこめられているような気になってくる。なんだか落ち着かなくて思わず視線を逸らすと、笑みをこぼすような小さな音が聞こえた。

「可愛い妖精のお嬢さん。死にたがりの妖精さん。あなたのかわいそうな母親は、あなたに死んでほしいと、本当に願っているのかしら」

 望んで、いるはずだ。
 お母さまは私がいなければ幸せになれた。愛する人と一緒に過ごし、愛する人の子供を産んで、愛に溢れた日々を送れるはずだった。
 私の知っているお母さまはいつも泣いていた。私がいるから泣いていた。だからいなくなれば泣かなくなると、思っていた。

「神の御許に還り、脅かされることのない平穏な地で、愛する人と過ごしている。そんなところにあなたが来てほしいと、本当に思うかしら」

 黒い手袋で覆われた指先が私に向く。
 
「私はね、かわいそうな人の味方なの。地を這うことしかできない、哀れでかわいそうな人たちの。でもね、可愛い妖精のお嬢さん。あなたが望むのなら、少しだけ手を貸してあげるわ。死にたがりの妖精さん。悲しかったでしょう。苦しかったでしょう。辛かったでしょう。欲深くもない、傲慢でもない、哀れでかわいそうな魔物さん。死にたいのか殺されたいのか殺したいのか。どうして死にたいのか誰に殺されたいのか誰を殺したいのか。よく考えてごらんなさい」

 弧を描く赤い唇。黒いカーテンのような髪。白く透き通るような肌。光のない闇を閉じ込めたかのような瞳。

 人の目は、こんなに黒かっただろうか。この光に包まれた部屋の中で、光を映さないなんてありえるのだろうか。


 そう考えた瞬間、視界が光に包まれた。

「アルテシラ!?」

 真っ白な光で目が眩んでいる中、どこかで聞いたような声が響いた。
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