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第五話 気持ち
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腰かけた後、少しの間沈黙が訪れる。
私は何時政宗様が話しかけてくれるのか、待っているが、話す気配が無い。
ただ、こうしている時間ですら私にはかけがえのない貴重な時間だった。
こんなふうに側に居られるのは後、何日程だろうか?
見上げれば満天の星空と煌々と輝く満月。前を見れば一本の桜の木が、静かに立っていた。
もし、あの桜の花が咲いていたらこの庭に風情をもたらしていただろう。
「気になるのか? 桜の木が」
政宗様がお声を掛けてくる。
どうやら、私は思っていた以上にあの桜に視線を奪われていたようだ。
「はい。もうすぐ春になろうというのに、未だ蕾もつけていないので。けれど、春になればきっと良い花を咲かせられるのでしょうね」
「いや、あの桜の木は咲かぬ。私が見ている限り、一度として花をつけた事はない」
「え? 本当ですか?」
「ああ。一応桜の木に詳しい者に診てもらったが、原因がまるで分からない。困ったものだ」
その話を聞いて、私は分かった事があった。
この屋敷に来て、あの桜が何故気になったのか。その理由が分かった。
――あの桜は『私』なんだと。
細く貧相な姿。花を咲かせられず、桜の木として失格ともいえる無能さ。
ただ、そこに居るだけの存在。
あの桜にだけ、春は来ない。それは、私も同じだ。
不意に涙が零れ落ちた。
不憫で、可哀想で、同じような境遇に同情をしてしまった。
「加奈殿? どうした?」
「いえ、何でもありません。政宗様に、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何だ? 言ってみろ」
「どうして、あの桜の木を政宗様はこの庭に置かれているのですか? 花が咲かない桜ならば、何の取り柄も無いただの枯れ木。どう考えても邪魔ではありませんか」
政宗様はおもむろに立ち上がり、腕を組んで桜を眺める。
「確かに、あの桜は咲かぬし、置いていては庭の景観が良くない。いっそ、早く取り払ってしまって別の木を植えた方が見映えも映えるというもの」
「ええ。私もそう思います」
「だが、それは他の者の言い分だ。私にはあの桜を置いている理由がある。加奈殿には分かるかな?」
謎かけのような言い方。どこかその表情は嬉々としているように見えた。
あの桜の木には何か秘密があるのだろうか?
「ひょっとしてですが、何か秘密がおありなのですか? あの下には金銀が埋まっておられるとか」
私の答えは、政宗様の笑い声と共に一蹴されてしまう。
「それは夢がある回答だね。けど、そんな事はない。ただの桜の木だよ」
「では、何故あの桜の木はあるのですか?」
「何、答えはもっと単純だよ」
中庭に向かって数歩前に歩き、くるりと政宗様は私の方に身体を向ける。
この時だけ、辺りがひどく静かになった。
嵐の前の静けさとは、こういう事を言うのかもしれない。
鳥も、虫も、空気でさえも存在していないのではないかというぐらいの静寂。
「好きだからだ」
正面から私を見て政宗様は仰った。
それは、あまりにも予期しない言葉であった。
私に向けて伝えた言葉ではない。だというのに、何故かそう感じてしまっている自分がいた。
「――な、何故、政宗様はあの木が好きなのですか? それだけの魅力があるとはおもえません」
「確かに、最初は咲かない桜の木に鬱陶しいと感じたこともありはした。だが、不思議と私は惹かれてしまっていた」
「惹かれてしまっていた?」
「ああ。あれは懸命に生きている。花は咲かずとも、その身体が細くとも、そこに存在している。いつしか、気に掛ける存在になってしまってな。ああ見えて中々可愛いものだ」
桜を見る政宗様の眼差しは、親が子を見るような優し気な瞳。
大切に思っている事が、その瞳を見れば分かる。
「花が咲かない木なのにですか?」
「それもまた一興。もしかすれば今年には花が咲くかもしれないという楽しみもあるさ」
「……羨ましい。そうまで政宗様に思っていただけるなんて」
ごほん、と政宗様が咳払いをする。
「此度の縁談、私は断る」
それは私にとって青天の霹靂とも呼べるお言葉だった。
政宗様の方に顔を向けると、政宗様は私に顔を向けずただ桜の木を見ていた。
「何故お断りに? あのような好条件を逃すのは勿体ないと思います」
「色々ある。急な縁談であるし、あちらの気の迷いかもしれぬ。それに……」
「それに?」
「私は、このままの暮らしが一番良い。今が一番幸せなのだよ」
そのお言葉は、私にとって何よりの喜びでもあった。
政宗様がそう思うのと同じく、私も同じ気持ちであったからだ。
「政宗様。私も、同じお気持ちです」
「そうか、それは何よりだ……加奈。一つ、言っておかなければならない」
「はい、何でしょうか」
「お前に、苦労を掛ける事になる。それでも、ついてきてくれるか?」
「苦労というのは、どのような事を指すのでしょうか?」
「私は、知っての通り家事が苦手だ。そして、お前以外に私は女中を雇うつもりはない。負担をかける」
それを聞いて私は思わず笑ってしまった。
政宗様は私が笑った事が意外だったのか、今まで見せなかった顔をこちらに見せてくる。その表情は普段、決して見られない驚いた様子だった。
「な、何故笑う?」
「いえ、政宗様が私の事をそこまで気にかけていただいている事に、嬉しくて。他の家で働いた時はそのような言葉は一切聞いたことがありませんから。そのような事を苦労とは言いませんよ」
「世話になる」
「はい。世話をさせていただきます」
長い事夜風に当たり過ぎて、体が冷えてきてしまった。もうすぐ春が来るとは言え、この時期の夜は未だ冷える。
身震いすると、政宗様も同じことを考えておられたのか。
政宗様は私の方に近寄ると、冷えた私の手に自分の手を重ねられた。そして、私の手を優しく握られる。
「ま、政宗様?」
「すっかり冷えてしまったな。長い間話に付き合わせた、部屋まで送ろう」
「……では、お願いします」
何も言う事はない。
自然と私と政宗様は手を繋いだまま部屋へと向かった。
私は何時政宗様が話しかけてくれるのか、待っているが、話す気配が無い。
ただ、こうしている時間ですら私にはかけがえのない貴重な時間だった。
こんなふうに側に居られるのは後、何日程だろうか?
見上げれば満天の星空と煌々と輝く満月。前を見れば一本の桜の木が、静かに立っていた。
もし、あの桜の花が咲いていたらこの庭に風情をもたらしていただろう。
「気になるのか? 桜の木が」
政宗様がお声を掛けてくる。
どうやら、私は思っていた以上にあの桜に視線を奪われていたようだ。
「はい。もうすぐ春になろうというのに、未だ蕾もつけていないので。けれど、春になればきっと良い花を咲かせられるのでしょうね」
「いや、あの桜の木は咲かぬ。私が見ている限り、一度として花をつけた事はない」
「え? 本当ですか?」
「ああ。一応桜の木に詳しい者に診てもらったが、原因がまるで分からない。困ったものだ」
その話を聞いて、私は分かった事があった。
この屋敷に来て、あの桜が何故気になったのか。その理由が分かった。
――あの桜は『私』なんだと。
細く貧相な姿。花を咲かせられず、桜の木として失格ともいえる無能さ。
ただ、そこに居るだけの存在。
あの桜にだけ、春は来ない。それは、私も同じだ。
不意に涙が零れ落ちた。
不憫で、可哀想で、同じような境遇に同情をしてしまった。
「加奈殿? どうした?」
「いえ、何でもありません。政宗様に、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何だ? 言ってみろ」
「どうして、あの桜の木を政宗様はこの庭に置かれているのですか? 花が咲かない桜ならば、何の取り柄も無いただの枯れ木。どう考えても邪魔ではありませんか」
政宗様はおもむろに立ち上がり、腕を組んで桜を眺める。
「確かに、あの桜は咲かぬし、置いていては庭の景観が良くない。いっそ、早く取り払ってしまって別の木を植えた方が見映えも映えるというもの」
「ええ。私もそう思います」
「だが、それは他の者の言い分だ。私にはあの桜を置いている理由がある。加奈殿には分かるかな?」
謎かけのような言い方。どこかその表情は嬉々としているように見えた。
あの桜の木には何か秘密があるのだろうか?
「ひょっとしてですが、何か秘密がおありなのですか? あの下には金銀が埋まっておられるとか」
私の答えは、政宗様の笑い声と共に一蹴されてしまう。
「それは夢がある回答だね。けど、そんな事はない。ただの桜の木だよ」
「では、何故あの桜の木はあるのですか?」
「何、答えはもっと単純だよ」
中庭に向かって数歩前に歩き、くるりと政宗様は私の方に身体を向ける。
この時だけ、辺りがひどく静かになった。
嵐の前の静けさとは、こういう事を言うのかもしれない。
鳥も、虫も、空気でさえも存在していないのではないかというぐらいの静寂。
「好きだからだ」
正面から私を見て政宗様は仰った。
それは、あまりにも予期しない言葉であった。
私に向けて伝えた言葉ではない。だというのに、何故かそう感じてしまっている自分がいた。
「――な、何故、政宗様はあの木が好きなのですか? それだけの魅力があるとはおもえません」
「確かに、最初は咲かない桜の木に鬱陶しいと感じたこともありはした。だが、不思議と私は惹かれてしまっていた」
「惹かれてしまっていた?」
「ああ。あれは懸命に生きている。花は咲かずとも、その身体が細くとも、そこに存在している。いつしか、気に掛ける存在になってしまってな。ああ見えて中々可愛いものだ」
桜を見る政宗様の眼差しは、親が子を見るような優し気な瞳。
大切に思っている事が、その瞳を見れば分かる。
「花が咲かない木なのにですか?」
「それもまた一興。もしかすれば今年には花が咲くかもしれないという楽しみもあるさ」
「……羨ましい。そうまで政宗様に思っていただけるなんて」
ごほん、と政宗様が咳払いをする。
「此度の縁談、私は断る」
それは私にとって青天の霹靂とも呼べるお言葉だった。
政宗様の方に顔を向けると、政宗様は私に顔を向けずただ桜の木を見ていた。
「何故お断りに? あのような好条件を逃すのは勿体ないと思います」
「色々ある。急な縁談であるし、あちらの気の迷いかもしれぬ。それに……」
「それに?」
「私は、このままの暮らしが一番良い。今が一番幸せなのだよ」
そのお言葉は、私にとって何よりの喜びでもあった。
政宗様がそう思うのと同じく、私も同じ気持ちであったからだ。
「政宗様。私も、同じお気持ちです」
「そうか、それは何よりだ……加奈。一つ、言っておかなければならない」
「はい、何でしょうか」
「お前に、苦労を掛ける事になる。それでも、ついてきてくれるか?」
「苦労というのは、どのような事を指すのでしょうか?」
「私は、知っての通り家事が苦手だ。そして、お前以外に私は女中を雇うつもりはない。負担をかける」
それを聞いて私は思わず笑ってしまった。
政宗様は私が笑った事が意外だったのか、今まで見せなかった顔をこちらに見せてくる。その表情は普段、決して見られない驚いた様子だった。
「な、何故笑う?」
「いえ、政宗様が私の事をそこまで気にかけていただいている事に、嬉しくて。他の家で働いた時はそのような言葉は一切聞いたことがありませんから。そのような事を苦労とは言いませんよ」
「世話になる」
「はい。世話をさせていただきます」
長い事夜風に当たり過ぎて、体が冷えてきてしまった。もうすぐ春が来るとは言え、この時期の夜は未だ冷える。
身震いすると、政宗様も同じことを考えておられたのか。
政宗様は私の方に近寄ると、冷えた私の手に自分の手を重ねられた。そして、私の手を優しく握られる。
「ま、政宗様?」
「すっかり冷えてしまったな。長い間話に付き合わせた、部屋まで送ろう」
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自然と私と政宗様は手を繋いだまま部屋へと向かった。
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