あの日から恋してますか?

水城ひさぎ

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やっぱりダメなんだ

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 午後は仕事が手につかなかった。
 斜め前のデスクにいる遠坂くんは、いつも通り接してくれているのに、私はどこかうわの空。
 だから、社内恋愛は禁止じゃなくてもしちゃいけないんだと思う。
 私はほんとうに、恋愛に不向きだ。

「先輩、残業ですか?」
「うん、もうちょっと。先に帰って大丈夫よ」

 遠坂くんの告白が気になって仕事の効率が落ちたなんて言えない。
 しっかりしなきゃ、と気持ちを奮い立たせてパソコンに向かう。

 遠坂くんはまだ何か話しかけたそうに立っていたが、私が意識して目を上げないでいると、デスクから離れた。

「じゃあ、お先に失礼します」
「はい。おつかれさまー」

 パソコンの画面から目を離さずに遠坂くんを送り出す。
 これはいつものこと。
 普段通りに接する私を彼がどう思ったかなんて、きっと考えたらいけないと思う。

 書類の作成が終了したのは一時間後だった。
 まだ残業で残る男性社員にあいさつをして、デスクの引き出しからスマホを取り出す。

 すぐに着信がないか確認した私は、一通のメールに気づいた。
 それは、瑛士からのメールだった。
 届いた時間は20分前。

『まだ仕事してる? この前のバーにいるから、仕事終わったらおいで』

 前置きも何もない、気軽に飲みに誘うメールが入っている。

 私はすぐに帰り支度をしてオフィスを飛び出した。

 瑛士に会いたいという気持ちと、彼になら遠坂くんのことを相談できる。そんな気持ちが私の背中を押していた。




 バーに到着すると、瑛士はすぐに私に気づいた。笑顔で軽く手招きされ、導かれるようにカウンターに着く。

 少し走ってきた。春とはいえ、今夜は気温が高い。さわやかなものが飲みたいなと思っていると、瑛士が尋ねてくる。

「今日はなに飲む?」
「えっと。この間の、美味しかったから。カンパリソーダで」

 とっさに思い浮かんだカクテルを告げると、すぐに彼が注文してくれる。私がはやくのどを潤したいって思ってるって、わかってたみたい。

「今日も残業?」
「定時にあがれるってあんまりなくて」
「ストレスたまるよね。俺、だいたいここにいるから、飲みたい気分のときは連絡して」
「金曜日なら」

 あんまりお酒に強くないから寝坊しちゃう、と言うと、瑛士はおかしそうに目を細める。

「じゃあ、今日はあんまり遅くならないようにするよ。来てくれただけでうれしい」
「ちょっと聞いてほしい話があって」
「いいよ。何?」

 瑛士がそう言ったとき、マスターがカクテルを運んでくる。
 カンパリソーダを受け取り、グラスを持ち上げた瑛士と、「おつかれさま」と乾杯する。

 ひとくち飲んで、心を落ち着かせる。
 不思議と、恋愛の話をすることに抵抗がない。
 瑛士にはなんでも話せる。彼にはそういった安心感がある。

「うちの会社、社内恋愛禁止なんです」
「そう」

 短くあいづちを打った彼は、静かに私の言葉を待つ。

「だからって、社内恋愛してない人ばっかりじゃないんですけど」
「まあ、そうかもね。基本的には自由だよね」
「でも私は、ちょっと抵抗があって」
「ちょっと?」

 おかしそうにわざわざ強調するから、見透かされてるみたいで恥ずかしくなる。

「ちょっとじゃないです。社内恋愛自体、考えたことなくて」
「それで?」
「今日、社内恋愛しませんかって言われたんです」
「へえ。就業規則違反しませんかって言われたんだね」

 純粋に楽しむように、瑛士はくすくす笑う。
 でも同時に、腑に落ちる。社内恋愛に否定的になるのは、規則違反を犯すことに抵抗があるからだって。

「そう、そうなんです」
「大多数の社員は規則違反してそうだけどね」
「ほかの人がどうとかはあんまり気にしたことないんです」
「自分を律することが花野井さんは好きだよね」

 真面目だね、って瑛士は優しく言う。

「つまらない女だって思うんですけど、彼はそんな私に合わせてくれるみたいで」
「つまらなくないだろう。新鮮なのかもしれないね。その気持ちはわかる気がするよ」
「いやじゃないですか?」

 恐る恐る尋ねると、彼はゆるく首を振る。

「全然。いやだったら、付き合ってないし」

 どきっとする。まるで、付き合う前から私のことわかってたみたいな言い方。

「……私、昔から変わってないですか」
「変わらないね。それでいいと思うよ」

 瑛士に認めてもらえた気がして、ぎゅっとなる胸に手をあてる。

「就業規則を守りたい私のことを思って、結婚するまで友人のようなお付き合いをしてくれるって彼は言ってくれたんです」
「どういうこと?」
「結婚するまで何もしないって」

 ちょっと恥ずかしくて赤くなってしまう。そんな私を見て、瑛士の眉がぴくりと上がる。

「おかしいでしょう? 子どもの付き合いみたい」
「それを信じる花野井さんは子どもみたいに純粋だとは思うよ」
「手ぐらいは握りたいって言ってましたけど」
「あー、そうなんだ。手なんて握ったら、キスしたくなると思うけどね」

 我慢なんてできるわけない、と瑛士はあきれ顔をする。

「やっぱりそうですよね。冗談だったのかな」
「結婚まで何もしないなんてありえないよ。その相手の気持ちまではわからないけどね」
「真面目に考えてくれてるってことは伝わりました」
「それなら彼も満足じゃないかな? 付き合うの?」

 さらりと瑛士は尋ねるが、決めかねているどころか、どうしたらいいかわからない私には、答えを出すことができない。

「もし、付き合うって決めたら、高輪さんは賛成してくれますか?」
「俺を基準にするの?」

 瑛士はそう言って、苦々しげに笑う。

「高輪さんは学生時代から相談に乗るのが上手でしたよね」
「そういえば、相談室と勘違いしてないかって思うぐらい、いつも誰かの悩み聞いてたな」
「そういうの、いいなって思ってました」

 困ってる子を助けたり、放課後の教室で泣いてる子の相談に乗ったり。
 女子にはとびきり優しい、なんてうわさも流れたけど、瑛士は男子に対しても親切だった。

 だから私は、瑛士を好きになった。
 好きになったことに、今でも後悔はない。

 瑛士は意外そうに、私をまじまじと見つめる。

「誰にでも優しくするなって、よくふられたよ」
「知ってます。高輪さんからふったの、私ぐらいだってうわさで聞きました」

 瑛士のことを知ったのは、中学三年生の体験入学の時だった。
 バスケ部に入部したかった私は、バスケ部の見学もした。そこで、瑛士を見つけた。

 言ってしまえば、とびきり目立つ瑛士しか目に入らなかった。異性に興味を持つことのなかった私にとって、その経験は衝撃だった。

 もう一度、瑛士に会いたくて受験勉強もがんばった。入学が決まって、胸が踊った。
 もちろん、バスケ部に入った。
 三年生だった瑛士と直接の接点はなかったけど、体育館という同じ空間にいられるだけでも嬉しかった。
 たとえ、女子バスケ部のキャプテンが瑛士の彼女だと知っていても。

「妙なうわさだけはすぐに広まるよね」
「事実だと思ってます」
「否定はしないけど、きっと誤解はあるよ」

 瑛士は優しいから、女の子をふったりしない。ふられるように持っていくのがうまい。そんな話も聞いた。

 でも、私だけは違う。
 真剣な目で、「別れよう」とストレートな言葉で言われた日を今でも忘れない。

「花野井さんはおとなしい子だと思ってたから、告白されたときは驚いたよ」
「私も、なんで告白できたんだろうって、いま思うと不思議です」

 部活を引退した後、瑛士の彼女は変わった。バスケ部のキャプテンとは長く付き合っている、と聞いていたから意外だった。
 その後も、短い期間に彼女は変わった。どの子とも長続きしないようだった。

「花野井さんとは長く付き合いたいって思ってたんだけどね」
「……ダメでしたね」

 私も長続きしなかった。
 バスケ部のキャプテンだった美人な先輩が忘れられないんだろうってうわさは耐えなかった。
 よりを戻したうわさは聞かなかった。
 その先輩も、去年結婚した。

「懐かしいね」

 すべて終わった過去のもの、というように、瑛士は遠い眼差しをする。
 私にとっては、まだ終わらない恋だったけれど。

 告白は、勢いだった。
 卒業式の日、瑛士と二度と会えなくなるんだと思ったら、なりふりかまわず告白していた。
 ほかの女の子からも告白されていたことは知っていた。だから、私を選んでくれたことは驚きもあったけど、素直にうれしかった。

「もう、ダメですよね」

 吐息とともにこぼれ落ちた言葉は、むなしく消えていく。

 瑛士は何も言わなかった。

 カクテルを見つめたまま、しばらく沈黙は続いた。
 まるで一人でいるみたい。

 瑛士の中にはもう、私が残していたような熱量はないとわかっていたのに。

「私、もう帰りま……」

 瑛士に視線を移したら、真っ直ぐな瞳が私を見つめてて、言葉を失った。

「つぐみ」

 彼の唇の動きが、私の名前を呼んだその形が、瞳に焼きつく。

「高輪さん」

 今はもう、瑛士が『つぐみ』と呼んでいたあの頃ではない。
 瑛士の名字を口にすることで、現在を呼び戻そうとするのに、彼の手が私のほおに触れていくから、感覚がしびれていく。

 そのまま腰に腕を回してきた瑛士に引き寄せられた。
 彼のほおがこめかみに重なる。

 瞳を閉じた。
 学生時代、瑛士に抱きしめられた日が鮮明によみがえる。
 彼の匂いやたくましさは全然違ったものになっているのに、求めていた腕に包まれてる感覚が全身を高ぶらせていく。

「帰るなんて言うなよ」
「高輪さん……」

 彼は私を抱きしめる腕にきゅっと力を込めた。そして、ため息を漏らすような色っぽさのある声音が耳に響く。

「もっと、一緒にいたい」
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