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どうして別れたんですか?
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遠坂くんはレストランの予約をしてくれていた。
駅に隣接しているとはいえ、会社帰りに同僚とちょっと飲みに行くには贅沢な、ホテルの最上階にあるレストラン。
四人掛けのソファー席に、向かい合って腰を下ろす。右手は夜景の望めるガラス窓。左手には、ムーディーで開放的な空間が広がっている。
テーブルの上で揺らめくキャンドルの奥で、いつもと何も変わらないはずの遠坂くんが、ぐんと大人っぽく見える。
「おつかれさま」
「おつかれさまです」
ワイングラスを傾けて、小さく乾杯する。
同僚の男性とふたりきりで食事なんて初めてのこと。次の言葉が見つからなくて、ワインに口をつけた後も沈黙してしまう。
「お疲れのところ、すみません」
遠坂くんは生真面目に頭を下げる。
それでなんだかホッとする。
いつもと違うように見える彼は、いつもと同じ気遣いできる人。
「ううん。明日は休みだから大丈夫よ」
「休みの日は何してるんですか?」
「だいたい家にいるの」
「のんびりしたいですよね、毎日大変だし」
気の遣いように、ちょっと笑ってしまう。
「一緒に出かけるような友だちもいないし、これといった趣味もないの。私って、つまんない人なの」
遠坂くんは多趣味と聞いてる。そんな彼の目に、私なんて魅力的に映るはずはないのに。
「そんなことないですよ。花野井先輩、仲良くしてた先輩いましたよね。えっと……」
「田畑奈津美先輩のこと?」
「そうですそうです、田畑先輩です」
思い当たる人物は他にいなかったから、すんなりと正解したみたい。
「奈津美先輩は新入社員研修で初めてお世話になって、それからずっと仕事も教えてもらって」
遠坂くんが褒めてくれる私流の資料作成は、奈津美先輩の受け売りばかり。そのことをきっと彼は知らない。
「そろそろ育休から復帰されるって聞きましたよ」
「そうみたい。この間、メールがあって。まだ配属先はわからないって言ってらしたけど」
「たぶん、うちですよ。家だって近いって聞いたし、近々産休に入る人もいますしね」
「よく知ってるのね」
半ばあきれてしまう。
三年前に結婚した奈津美先輩は、去年産休に入り、そのまま育休を取得している。出産後、病院へお祝いに行かせてもらったが、それ以降はもっぱらメールのやりとり。
とはいえ、直接連絡を取り合う私より、遠坂くんは情報通だ。
「そりゃあ、花野井先輩に関わることはなんでもリサーチ済みですから」
得意満面で、彼はそう言う。
「なんでもなんてこと、ないでしょう?」
一瞬、遠坂くんの表情がくもった。
また余計なことを言ってしまって反省する。適当に話を合わせればいいだけなのに、そんな簡単なこともできない。
「あたりまえです。だからこうして、少しでも知りたいって思って食事に誘ったわけですから」
「私のことわかるわけないって、別にバカにしたわけじゃないの」
「バカにされたなんて思ってません」
「でもちょっとだけ、遠坂くんのこと物好きって思ってる」
遠坂くんはきょとんとする。
「私のこと知りたいなんて人、ほんとにいないから」
「俺が知りたいって思ってるから、それでいいんです」
「それで、何が聞きたいの?」
ワインを飲んだら、一気に酔いが回ったみたい。
急に眠たくなってくる。
疲れがたまってるせいかもしれない。
はやく話を進めなきゃ、と思って発した言葉に、遠坂くんはくすりと笑う。
「尋問してるわけじゃないですから。ほんと先輩って、見た目と違って会話に色気がないですよね」
そう言われて、ハッとするが、かろうじて表情に出ないようにこらえる。
瑛士の言葉がよみがえってくる。
『彼ともその調子なの?』
あのときは何を問われてるのかわからなかったけど、いい雰囲気にならない私のことを、いつもそうなのかと指摘していたのだろうと思う。
そう。いつもそう。
だから男の人は冷めてしまう。
瑛士はそう、教えてくれたのかもしれない。
「あ、すみません。余計なこと言いました」
沈黙したから、彼は誤解したみたいだった。すぐに私は取り繕う。
「見た目は色気があるみたいな言い方は、やめて」
色気なんて皆無なのに。
遠坂くんのひいき目に、ますますあきれる。
「そりゃ、あるでしょう。ありますよ、あります」
「お堅いって思われてることは知ってるの」
「清純だって意味ですよ」
遠坂くんは否定しない代わりに、別の言い方で褒めてくれる。
「26歳にもなって清純もおかしい」
「ほんと貴重です。もう、先輩みたいに顔も性格も良くて、こんなに綺麗って言葉が似合う人には出会えないなって思ってて、俺」
「買いかぶりすぎ」
「本気ですから。本気だから、交換条件出したんです。結婚まで指一本触れないなんて、正直気が狂いそうですけど、そのぐらい大切に思ってますから」
返す言葉がすぐに見つからない。
遠坂くんは恥じらうように目を細めるが、少しばかり目を伏せる。
「でも、俺もまだまだだなって思って」
「どういうこと?」
「大事なこと、聞くの忘れてました。自分の気持ち、押し付けてばっかりはいけないですよね」
「大事なことって、何?」
そう尋ねると、彼は神妙な表情で少し身を乗り出す。
「先輩、好きな人いるんですか?」
遠坂くんはレストランの予約をしてくれていた。
駅に隣接しているとはいえ、会社帰りに同僚とちょっと飲みに行くには贅沢な、ホテルの最上階にあるレストラン。
四人掛けのソファー席に、向かい合って腰を下ろす。右手は夜景の望めるガラス窓。左手には、ムーディーで開放的な空間が広がっている。
テーブルの上で揺らめくキャンドルの奥で、いつもと何も変わらないはずの遠坂くんが、ぐんと大人っぽく見える。
「おつかれさま」
「おつかれさまです」
ワイングラスを傾けて、小さく乾杯する。
同僚の男性とふたりきりで食事なんて初めてのこと。次の言葉が見つからなくて、ワインに口をつけた後も沈黙してしまう。
「お疲れのところ、すみません」
遠坂くんは生真面目に頭を下げる。
それでなんだかホッとする。
いつもと違うように見える彼は、いつもと同じ気遣いできる人。
「ううん。明日は休みだから大丈夫よ」
「休みの日は何してるんですか?」
「だいたい家にいるの」
「のんびりしたいですよね、毎日大変だし」
気の遣いように、ちょっと笑ってしまう。
「一緒に出かけるような友だちもいないし、これといった趣味もないの。私って、つまんない人なの」
遠坂くんは多趣味と聞いてる。そんな彼の目に、私なんて魅力的に映るはずはないのに。
「そんなことないですよ。花野井先輩、仲良くしてた先輩いましたよね。えっと……」
「田畑奈津美先輩のこと?」
「そうですそうです、田畑先輩です」
思い当たる人物は他にいなかったから、すんなりと正解したみたい。
「奈津美先輩は新入社員研修で初めてお世話になって、それからずっと仕事も教えてもらって」
遠坂くんが褒めてくれる私流の資料作成は、奈津美先輩の受け売りばかり。そのことをきっと彼は知らない。
「そろそろ育休から復帰されるって聞きましたよ」
「そうみたい。この間、メールがあって。まだ配属先はわからないって言ってらしたけど」
「たぶん、うちですよ。家だって近いって聞いたし、近々産休に入る人もいますしね」
「よく知ってるのね」
半ばあきれてしまう。
三年前に結婚した奈津美先輩は、去年産休に入り、そのまま育休を取得している。出産後、病院へお祝いに行かせてもらったが、それ以降はもっぱらメールのやりとり。
とはいえ、直接連絡を取り合う私より、遠坂くんは情報通だ。
「そりゃあ、花野井先輩に関わることはなんでもリサーチ済みですから」
得意満面で、彼はそう言う。
「なんでもなんてこと、ないでしょう?」
一瞬、遠坂くんの表情がくもった。
また余計なことを言ってしまって反省する。適当に話を合わせればいいだけなのに、そんな簡単なこともできない。
「あたりまえです。だからこうして、少しでも知りたいって思って食事に誘ったわけですから」
「私のことわかるわけないって、別にバカにしたわけじゃないの」
「バカにされたなんて思ってません」
「でもちょっとだけ、遠坂くんのこと物好きって思ってる」
遠坂くんはきょとんとする。
「私のこと知りたいなんて人、ほんとにいないから」
「俺が知りたいって思ってるから、それでいいんです」
「それで、何が聞きたいの?」
ワインを飲んだら、一気に酔いが回ったみたい。
急に眠たくなってくる。
疲れがたまってるせいかもしれない。
はやく話を進めなきゃ、と思って発した言葉に、遠坂くんはくすりと笑う。
「尋問してるわけじゃないですから。ほんと先輩って、見た目と違って会話に色気がないですよね」
そう言われて、ハッとするが、かろうじて表情に出ないようにこらえる。
瑛士の言葉がよみがえってくる。
『彼ともその調子なの?』
あのときは何を問われてるのかわからなかったけど、いい雰囲気にならない私のことを、いつもそうなのかと指摘していたのだろうと思う。
そう。いつもそう。
だから男の人は冷めてしまう。
瑛士はそう、教えてくれたのかもしれない。
「あ、すみません。余計なこと言いました」
沈黙したから、彼は誤解したみたいだった。すぐに私は取り繕う。
「見た目は色気があるみたいな言い方は、やめて」
色気なんて皆無なのに。
遠坂くんのひいき目に、ますますあきれる。
「そりゃ、あるでしょう。ありますよ、あります」
「お堅いって思われてることは知ってるの」
「清純だって意味ですよ」
遠坂くんは否定しない代わりに、別の言い方で褒めてくれる。
「26歳にもなって清純もおかしい」
「ほんと貴重です。もう、先輩みたいに顔も性格も良くて、こんなに綺麗って言葉が似合う人には出会えないなって思ってて、俺」
「買いかぶりすぎ」
「本気ですから。本気だから、交換条件出したんです。結婚まで指一本触れないなんて、正直気が狂いそうですけど、そのぐらい大切に思ってますから」
返す言葉がすぐに見つからない。
遠坂くんは恥じらうように目を細めるが、少しばかり目を伏せる。
「でも、俺もまだまだだなって思って」
「どういうこと?」
「大事なこと、聞くの忘れてました。自分の気持ち、押し付けてばっかりはいけないですよね」
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