あの日から恋してますか?

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あなたとキスを

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 カウンターでひとり、こうしてグラスを傾けるようになって何日経つだろう。

 マスターの作るカクテルはうまい。だけど、どこか味気なく感じるのは、隣にいてほしい女がいないからか。

「待つばかりも、おつらいですね」

 無意識にため息を吐いた俺に、マスターが話しかけてくる。

「待ってるのかな、俺は」

 カウンターの上に乗せたスマホに人差し指をあてる。メールや電話の着信はない。

「連絡なんてない方がいい」
「そうですか?」
「彼女が幸せな証拠だからね」

 今日最後の一杯と決めたギムレットを飲み干す。
 甘くないライムジュースで、さわやかな香りが立つ。わざわざ抜いてもらった甘さに、もの足りなさを覚える。

「連絡があったら、手離されない方がいいのでは?」
「今さらどんな面を下げて?」
「素直じゃない高輪さんが、私は好きですよ」

 マスターはやんわりと微笑む。目尻のしわに、経験を積んだ彼の長い人生が現れている。
 俺は無駄に経験を積んだのではないか。もっとストレートに生きられたらよかったのではないか。マスターに会うたび、自問してしまう。

「彼女はね、なんでもない子だったよ」
「はい」
「最初は、かわいい子が入ってきたって噂になったりしてね。入ってきたってのは、バスケ部にね」
「高校時代、バスケ部だったとおっしゃってましたね」
「そう」

 マスターにはいろんな話をした。
 俺のすべてをさらけ出せる場所に、彼はいるから。

「そこまでバスケは上手じゃなかったけどね、彼女はがんばり屋だった」
「真面目で素直な方のようにお見受けしました」
「だから驚いたんだ。誰彼かまわず女と付き合う俺なんて、絶対軽蔑するタイプと思ってた」

 マスターはちょっと返事に困った表情をする。

「軽い気持ちで付き合ったのにね」
「そんなこともないでしょう?」
「まあ、ね。頑張る子は好きだしね」
「頑張りすぎましたか?」

 ちょっと笑ってしまう。

「わかる? 怖いぐらいにね、頑張ってた。無理しなくていいよって何度も言おうと思ったけど、彼女を否定するようで言えなかった」
「言わない優しさもありますね」
「どうしたらいいのかなって悩んでた時にね、彼女とお兄さんを見かけたんだ」
「はい」

 この話もしただろうか。
 マスターは繰り返し何度も同じ話をしても、嫌な顔ひとつせずに聞いてくれる。

「負けたって思ったよ。勝負もしないうちから敗北してた。そのぐらい、彼女とお兄さんはお似合いで、悔しかった」
「お若かったのでしょう」
「そりゃそうだよね。まだ10代の頃の話だ」
「じゅうぶん真面目に付き合っておられましたね」

 ああ、そうだ。
 あの時の俺は、精一杯彼女が好きな俺を保っていた。

「血のつながりがない兄妹だって、知らなかったらよかったな」
「彼女が誠実だったのでしょう」
「俺は不誠実だったね」

 そんなことはない、とマスターは首を横に振る。
 これも、何度も何度も繰り返してきた過去の話。俺はちっとも成長してない。

「帰るよ、ありがとう」

 過去に囚われている自分が好きじゃない。
 逃げ出したくなって席を立つと、マスターは「高輪さん」と、俺を呼び止める。

「何度でも、人生はやり直せますよ」

 そう言って、彼は俺を送り出してくれた。
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