砂色のステラ

水城ひさぎ

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セシェ島編

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 食堂へ行くと、ちょうどベリウスが朝食をとっている最中だった。ベリウスはルドアースより少し若い青年だ。人懐こい笑顔を見せる彼には、セリオスよりも話しやすい雰囲気がある。

「おはようございます、奥様。早速ですが、お聞きになりましたか?」

 セリオスやルドアースからは感情が読み取れなかったが、ベリウスはレオナを見つけるなり、あからさまにうれしげに尋ねてきた。彼はこの監獄から解放されるのを、心の底から喜んでいるようだ。

 それもそのはず。ベリウスは氷嶺監獄のあるセシェ島と王都を行き来し、島で必要な食糧や資材を港から運び込む役目を負っていた。豪華な寝室が用意できたのも、彼の努力によるものだ。

 本来、ベリウスは王都で待機するのだろうが、半年前、彼はレオナに巻き込まれ、セシェ島にとどまった。半年あまりある長い冬の間は氷河が流れ着き、船の往来ができず、セシェ島からは一歩も出られない。ようやく、氷河の溶ける春がきた矢先の知らせだ。喜びもひとしおだろう。

「うれしそうですね」
「もちろんですよ。ここは寒いし、楽しみもない。奥様も退屈だったでしょう?」
「想像していたほどではありませんでした」
「本当ですか? 王都に帰れば、うまい酒も肉も食べ放題ですからね。奥様もきっと、生き返ったような気持ちになりますよ!」

 厨房から食欲をそそるスープの匂いがする。多くの兵士たちはこれから朝食だろう。

「ここの料理はとてもおいしいです」
「そりゃ、そうなんですけど……。奥様は謙虚でいらっしゃる」

 忙しく厨房の中を行き来するシェフに気づいて、ベリウスは気まずそうに後ろあたまをかいた。

 レオナはそっとほほえむ。ベリウスの気さくな態度に、どれほどレオナは救われてきただろうか。口数の少ない夫セリオスと、彼に忠誠を誓うルドアースだけの生活だったら、気づまりばかりの日々だっただろう。

 ルドアースは常にセリオスに付き従い、不満を漏らすことなく、むしろ、彼に命を預けているかのように従順に、冬の間も伝書鳩を飛ばし、情報収集していた。この監獄を出ることになったとき、いつでも出発できるよう準備を整えていたのだ。

「ああ、奥様。やはり、こちらでしたか。殿下がお呼びです。すぐにお戻りください」

 戸口から、ルドアースが声をかけてくる。

「……なんでしょうか?」

 セリオスがレオナを呼びつけるのは初めてではないだろうか。彼はいつも、寝室の中を動き回るレオナを目で追うばかりで、用事を頼んできたことはなかった。それはルドアースで間に合っているからだし、レオナに期待することは一時的な世話役でしかないということの裏返しだと思っていた。

「今後について、殿下は少しお考えがあるようです。私の口からは申し上げられませんが」
「わかっています。すぐに行きます」
「そうなさってください」

 知っていても、口の固いルドアースが教えてくれるはずはない。レオナは当たり前のことに気づくと小さなため息をつき、浮かない顔つきで寝室へ向かった。

 離縁を切り出されるだろうか。それとも、結婚は継続したまま、公爵家へ戻されるだろうか。恩赦が出た以上、この地に1秒たりとも長くいる必要はない。もちろん、レオナとともに過ごす必要もない。王都に着いたら即刻、放り出されるかもしれない。

 見えない行先への不安につきまとわれながら、鉄格子の鍵を握りしめて寝室の扉を開けると、意外にも鉄格子の扉は開け放たれていた。

 セリオスはもう罪人ではない。まざまざと見せつけられたようで、レオナはひるんだ。では、自分はどうだろうか。宰相からの手紙に、レオナの罪について書かれていたかどうかはわからなかった。

 いまだ、レオナの罪は許されていないだろうか。国王は亡くなった。つまりそれは、レオナであれば救えたかもしれない命を救えなかったことの証明だった。それがセリオスを救う手立てにつながったのは、どれほどの皮肉であろうか。

「お待たせしました。ルドアース卿から殿下がお呼びだと聞きました」

 窓辺に向かって立つセリオスの背中に声をかけると、彼は小さく鼻で笑った。レオナはびくりと肩をふるわせた。何か間違ったことを言っただろうか。離縁すると決めたから、もうレオナを気づかう必要はなくて、静かな怒りを見せたのか。

 セリオスはシャツのカフスをつけながら振り返った。ああ、着替えを手伝わなかったことをお怒りなのかも。あわてて、レオナは彼に駆け寄った。目の前に差し出された袖のカフスを留めていると、頭上から声が降ってくる。

「いつになったら、おまえはセリオスと呼んでくれるのだ?」

 一瞬、何を言われているのかわからず、レオナはぽかんとした。

 大陸一の大きさを誇るエルアルム王国の第一王子であり、誇り高き不死鳥と呼ばれる王国最強の騎士団フォルフェスの団長であり、ダムハート国王が最も信頼を置いたベネット公爵家の令嬢レオナの夫である、セリオス・ダムハートの呼び方など、レオナは一度も教えてもらったことがなかった。せいぜい、殿下やあなた様、それしか知らない。まして、セリオスなどとは恐れ多くて口にしようと思ったことすらない。

「呼べないのか?」
「あ……、いえ。あの……、せ、セリオス様……」

 たどたどしく言うと、セリオスはあきれたような顔をした。どうやら、満足はしなかったらしい。

「まあいい。ようやくこの陰気な島から出られるんだ。今日は気分がいい」

 セリオスは姿見の前に立つと、己の姿にご満悦な笑みを見せ、壁にかけられた剣を腰に差した。
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