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セシェ島編
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グレイシル領と言えば、エルアルム王国最南の領土だ。王都エヴァンモアからはるか遠くに位置する領土だが、大陸随一の温暖な気候に恵まれた穀倉地帯の広がるグレイシル領を、王室は経済的な安定をもたらす重要な領土としてとらえている。
「グレイシル領のストークス伯爵は、王女とご結婚されておられますね」
「よく知っているな。妹のアメリアは8年前にアラン・ストークスと結婚し、7歳になる息子、ルカがいる」
ふたりの結婚は政略結婚とも恋愛結婚ともうわさされている。アメリア王女は亡き国王にとって唯一の娘で、たいそう可愛がられていると聞いたことがあった。その娘を遠方の伯爵家に嫁がせるというのは、よほどの政治的駆け引きがあるか、アメリアがどうしてもと願ったとしか考えられないと思われていた。
「グレイシル領に何かあるのですか?」
尋ねたとき、船が大きく揺れた。寝台から放り出されそうなほどによろめくと、素早く伸びたセリオスの腕に肩を抱き寄せられた。そのまま胸にほおをうずめる形になり、レオナは困惑した。
セリオスの腕に抱かれるのは、もちろん初めてではなかったが、彼が欲望を見せるとき以外にこうして触れたことはなかった。男性的な匂いと、彼が好んでつける爽やかな香水の香りはいつもと変わらないのに、レオナはどうしていいかわからず、じっと息をひそめた。
「大丈夫だ。心配はいらない」
淡々とした口調だったが、セリオスの気づかう言葉にレオナはますます面食らった。
「わずらわせて、ごめんなさい。もっとしっかり何かにつかまっていれば……」
「わずらってなどいない。何かにつかまりたいというなら、このままでいればよい」
面倒くさそうに言われたが、レオナはそのままじっとしていた。船内は冷えており、彼の腕の温もりが心地よく、自然と身を任せたい気持ちになったのだ。
船の揺れが落ち着くと、セリオスは話を戻した。
「父王は遺言を残していた。一つは幽閉解放の恩赦。もう一つは、俺の王位継承権の剥奪はそのまま継続……」
「え? セリオス様が次代の国王になられるのでは?」
セリオスは罪を償ったのだから、当然、国王に即位すると思い込んでいた。驚いてセリオスを見上げたとき、話の腰を折ってしまったことに気づいたが、彼はわずかに顔をしかめただけだった。
「それはどうしても嫌らしい。己を殺そうとした相手を最期まで許す気はなかったようだな」
彼は皮肉げに口もとをゆがめる。
レオナはぎゅっと緊張で身体を縮めた。セリオスが国王暗殺未遂を犯したという事実は承知していたが、彼の口からはっきりと聞いたのは初めてだった。生きるためにセリオスと結婚したレオナに対し、彼は甘い顔を見せなかったが、大罪人であるかのような振る舞いもしなかった。彼が実の父に何をしたのか忘れていたわけでもないのに、忘れさせるほど何もなかったのは事実だった。それを今さらに自覚したのだ。
「王位継承は第二王子であるバルターがするものだと誰もが思っていたようだが、蓋を開けてみれば、ルカを世継ぎにすると遺言には残されていたようだ」
「それは本当ですか? まだ7歳なのですよね?」
「ルカはアメリアに似て、いたく聡明だ。アメリアを後見人として、王位につける。それが父王の願いだ」
「ストークス伯爵はご納得を?」
「アランは穏やかな性格だ。いつかはそんな日が来ると覚悟してもいただろう。むしろ、駄々をこねるのはアメリアではないかな」
愉快げにセリオスは笑う。
妹の話をするときは、こんなにも柔らかく笑う人なのか。セリオスは第一王妃の子であり、バルターとアメリアは第二王妃の子である。セリオスはアメリアと異母兄妹になるが、彼女に対して好意的であるようだ。
「それよりも、バルターの動きが気になっている」
すぐに表情を引き締めて、セリオスはそう言う。
「何かあったのですか?」
レオナは無意識にセリオスの胸もとをつかんでいた。
レオナはバルターが苦手だ。次期国王の座を確実にするため、レオナを利用しようとした。それができず、レオナを罪人に仕立てあげようとした張本人なのだから当然だ。
「出航直前、バルターが遺言を確認するや否や、王都を出たと連絡があった。目指すは、グレイシル領ではないかとのことだ」
「まさか、ルカ様の命を狙って……?」
不謹慎なことを口走ったが、セリオスは否定どころか、神妙にうなずいた。彼もまた、王位に就くためには手段を選ばないバルターの性格をよく知っているのであろう。
「アメリアとルカがいなくなれば、正当な王位継承者はバルター以外にいなくなる。今ごろ、アランは王都へ向かう準備を整えているだろう。バルターは、グレイシル領に向かう途中でアメリアたちの暗殺を図る可能性が高い。やつなら、あらゆる手を使ってでも目的を達成しようとするだろう」
「では、そのためにグレイシル領へ向かうのですね?」
「ああ。なんとしてでもバルターより先に、アメリアとルカ、並びにアランを見つけ、保護しなければならない」
それができるのは、王国屈指の騎士団フォルフェス以外にないのだろう。高らかに宣言するようにセリオスは言うと、不安そうに胸もとをつかんでいるレオナの手を優しく包み込み、首をさげた。
「長旅になる。公爵令嬢のおまえにはつらい旅になるだろうが、ついてきてほしい」
「……私では、足手まといになります」
「何を言う。フォルフェスの隊員と合流するまでは、ルドアースとベリウスでグレイシルまで向かうことになる。途中、険しい山を越え、魔物にも遭遇するであろう。回復魔法の使えるレオナが助けになっても、足手まといになることはない」
「魔法……」
「ああ、俺にはおまえの魔力が必要だ」
レオナの魔力を信じて疑わない、きっぱりとした口調に、レオナは戸惑い、視線を泳がせた。
セリオスに求められているもの。それは、喉から手が出るほど王族が欲するという究極の回復魔法だ。半年もの間、ともに暮らしたレオナ自身ではなく、レオナの持つ魔力を彼は欲している。
「ついてきてくれるな?」
断らないと信じ切ったような口調に、ますますレオナは萎縮した。
レオナの罪を知っていて、なぜそう言えるのか。レオナは自信に満ちたセリオスを見るのはいたたまれず、浮かない顔で目をそらした。
「グレイシル領のストークス伯爵は、王女とご結婚されておられますね」
「よく知っているな。妹のアメリアは8年前にアラン・ストークスと結婚し、7歳になる息子、ルカがいる」
ふたりの結婚は政略結婚とも恋愛結婚ともうわさされている。アメリア王女は亡き国王にとって唯一の娘で、たいそう可愛がられていると聞いたことがあった。その娘を遠方の伯爵家に嫁がせるというのは、よほどの政治的駆け引きがあるか、アメリアがどうしてもと願ったとしか考えられないと思われていた。
「グレイシル領に何かあるのですか?」
尋ねたとき、船が大きく揺れた。寝台から放り出されそうなほどによろめくと、素早く伸びたセリオスの腕に肩を抱き寄せられた。そのまま胸にほおをうずめる形になり、レオナは困惑した。
セリオスの腕に抱かれるのは、もちろん初めてではなかったが、彼が欲望を見せるとき以外にこうして触れたことはなかった。男性的な匂いと、彼が好んでつける爽やかな香水の香りはいつもと変わらないのに、レオナはどうしていいかわからず、じっと息をひそめた。
「大丈夫だ。心配はいらない」
淡々とした口調だったが、セリオスの気づかう言葉にレオナはますます面食らった。
「わずらわせて、ごめんなさい。もっとしっかり何かにつかまっていれば……」
「わずらってなどいない。何かにつかまりたいというなら、このままでいればよい」
面倒くさそうに言われたが、レオナはそのままじっとしていた。船内は冷えており、彼の腕の温もりが心地よく、自然と身を任せたい気持ちになったのだ。
船の揺れが落ち着くと、セリオスは話を戻した。
「父王は遺言を残していた。一つは幽閉解放の恩赦。もう一つは、俺の王位継承権の剥奪はそのまま継続……」
「え? セリオス様が次代の国王になられるのでは?」
セリオスは罪を償ったのだから、当然、国王に即位すると思い込んでいた。驚いてセリオスを見上げたとき、話の腰を折ってしまったことに気づいたが、彼はわずかに顔をしかめただけだった。
「それはどうしても嫌らしい。己を殺そうとした相手を最期まで許す気はなかったようだな」
彼は皮肉げに口もとをゆがめる。
レオナはぎゅっと緊張で身体を縮めた。セリオスが国王暗殺未遂を犯したという事実は承知していたが、彼の口からはっきりと聞いたのは初めてだった。生きるためにセリオスと結婚したレオナに対し、彼は甘い顔を見せなかったが、大罪人であるかのような振る舞いもしなかった。彼が実の父に何をしたのか忘れていたわけでもないのに、忘れさせるほど何もなかったのは事実だった。それを今さらに自覚したのだ。
「王位継承は第二王子であるバルターがするものだと誰もが思っていたようだが、蓋を開けてみれば、ルカを世継ぎにすると遺言には残されていたようだ」
「それは本当ですか? まだ7歳なのですよね?」
「ルカはアメリアに似て、いたく聡明だ。アメリアを後見人として、王位につける。それが父王の願いだ」
「ストークス伯爵はご納得を?」
「アランは穏やかな性格だ。いつかはそんな日が来ると覚悟してもいただろう。むしろ、駄々をこねるのはアメリアではないかな」
愉快げにセリオスは笑う。
妹の話をするときは、こんなにも柔らかく笑う人なのか。セリオスは第一王妃の子であり、バルターとアメリアは第二王妃の子である。セリオスはアメリアと異母兄妹になるが、彼女に対して好意的であるようだ。
「それよりも、バルターの動きが気になっている」
すぐに表情を引き締めて、セリオスはそう言う。
「何かあったのですか?」
レオナは無意識にセリオスの胸もとをつかんでいた。
レオナはバルターが苦手だ。次期国王の座を確実にするため、レオナを利用しようとした。それができず、レオナを罪人に仕立てあげようとした張本人なのだから当然だ。
「出航直前、バルターが遺言を確認するや否や、王都を出たと連絡があった。目指すは、グレイシル領ではないかとのことだ」
「まさか、ルカ様の命を狙って……?」
不謹慎なことを口走ったが、セリオスは否定どころか、神妙にうなずいた。彼もまた、王位に就くためには手段を選ばないバルターの性格をよく知っているのであろう。
「アメリアとルカがいなくなれば、正当な王位継承者はバルター以外にいなくなる。今ごろ、アランは王都へ向かう準備を整えているだろう。バルターは、グレイシル領に向かう途中でアメリアたちの暗殺を図る可能性が高い。やつなら、あらゆる手を使ってでも目的を達成しようとするだろう」
「では、そのためにグレイシル領へ向かうのですね?」
「ああ。なんとしてでもバルターより先に、アメリアとルカ、並びにアランを見つけ、保護しなければならない」
それができるのは、王国屈指の騎士団フォルフェス以外にないのだろう。高らかに宣言するようにセリオスは言うと、不安そうに胸もとをつかんでいるレオナの手を優しく包み込み、首をさげた。
「長旅になる。公爵令嬢のおまえにはつらい旅になるだろうが、ついてきてほしい」
「……私では、足手まといになります」
「何を言う。フォルフェスの隊員と合流するまでは、ルドアースとベリウスでグレイシルまで向かうことになる。途中、険しい山を越え、魔物にも遭遇するであろう。回復魔法の使えるレオナが助けになっても、足手まといになることはない」
「魔法……」
「ああ、俺にはおまえの魔力が必要だ」
レオナの魔力を信じて疑わない、きっぱりとした口調に、レオナは戸惑い、視線を泳がせた。
セリオスに求められているもの。それは、喉から手が出るほど王族が欲するという究極の回復魔法だ。半年もの間、ともに暮らしたレオナ自身ではなく、レオナの持つ魔力を彼は欲している。
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