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セシェ島編
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その日は、春の終わりから続いた長雨があがり、よく晴れて青空が見えていた。
自室の窓から空を見上げていたレオナは、18歳になった自分のことを思っていた。そろそろレオナにも良き結婚相手を見つけよう。父であるベネット公爵がそう言っていたのは、長雨の最中だったか。
窓枠に向かって伸びる広葉樹の葉へ目を移す。青々とした葉が玉のような雨粒を弾き、光を受けてきらめいている。そのさまを眺められるのも、今年が最後かもしれない。
ずっとベネット公爵に守られてきたから、この生活を手放すのは正直、不安だった。小さなため息をついたとき、レオナの耳にノックの音が届いた。
「レオナ、準備はできたようだな」
きらびやかな正装に身を包んだベネット公爵が、美しく着飾ったレオナを眺める。
「なに、浮かない顔をするな。不安はあるだろうが、レオナはパーティーを楽しめばよい」
そうは言うが、レオナは納得がいかなかった。
「本当にただのパーティーなのですか? 王宮の使者が馬車まで寄越すなんて、普通ではないですよね?」
エルアルム王国、第二王子であるバルターの寄越した使者が、パーティーの招待状を携えて公爵家を訪れたのは昨夜遅くのことだった。
突然の来訪に、ベネット公爵はいぶかしんでいたが、使者を丁重に迎え入れ、明日の早朝には王宮へ向けて出発するとの願いに同意した。
「レオナの参加を心待ちにしているのだろう。レオナは王子妃にと望まれてもおかしくない美姫だからね」
ベネット公爵はなぐさめるように言うが、レオナはちっとも信じていなかった。この砂色の髪が美しいはずはない。容姿だって、ほかの令嬢より劣っている。もし、王子妃にと望まれているというならそれは、レオナの持つ魔力に魅力があるからだろう。
「国王陛下はいまだに、公の場に姿を見せていないのですよね? 体調が思わしくないといううわさが本当だとしたら、パーティーを開くだなんて不謹慎ではありませんか」
非難めいて言ったが、ベネット公爵はたしなめたりしなかった。むしろ、顔をしかめて同様の不快感を見せた。
「わかっていても、行かないわけにはいくまい。王子は回復祈願のパーティーを催すのだと張り切っているそうだ。表向きは……だが」
「何かほかに目的があるのですか?」
ベネット公爵はじっとレオナを見つめた。あまりに長く見つめてくるから、おびえるように身をすくめたとき、公爵はようやく口を開いた。
「セリオス王子が幽閉された今、次期国王はバルター王子になるであろう。ステラサンクタであるレオナが王妃にと望まれてもなんら不思議はない」
「お父さまは王妃になることを望んでおられるのですか?」
「セリオス王子であれば、迷うことはないと思っていた」
「バルター王子ではだめなのですね?」
「彼は野心のためなら何でもする男だ。レオナの魔力をどう利用するか、想像もつかない」
「魔力……」
それはもう失った。父が心配することは何もないが、レオナは言い出せずに口をつぐんだ。
「おまえの持つ魔力は、ダムハートの王族のみならず、他国の王や貴族がなんとしてでも欲しいと願う究極の力だ。とりわけ、蘇生魔法は決して使ってはならぬ。言葉にするのは不敬であるが、その相手が一国の王であろうとも。その理由は、バルター王子にはわからないであろう」
ステラサンクタのみが使えると言われる究極魔法。それは、回復魔法の最上位である蘇生魔法だ。
あれは、12歳のとき。鷹に襲われ、庭先で息絶える子猫を見つけたとき、レオナは助けたい一心で魔法をほどこした。手をかざすと、冷たく輝く青白い光が息のない子猫の小さな体を包み込み、まるで春風が吹き込んだように、その小さな胸がふたたび動き出した。そして、子猫はかすかな鳴き声をあげると元気よく立ち上がり、庭の奥へと駆けていった。
あのとき、応接間にいた父が血相を変えて飛び出してきた。死者をよみがえらせることは、ステラサンクタの戒律で禁忌とされていると、ベネット公爵から聞いたのはそのときだ。
しかし、瀕死であれば、救える命もあるだろうと、レオナは身につけた蘇生魔法の力を安定させる訓練をこっそりと積んできた。誰に教えられるでもなく身につけた魔法。だからこそ、突然に魔力を失ってしまったのだろうか。
「理由は……、歴史を変えてしまうからですね」
「そうだ。人知を超えた能力は誰をも幸せにしない。だからこそ、ステラサンクタは楽園に住まうべき存在なのだ」
では、レオナはここにいてはいけないのではないか。侵略戦争のどさくさで公爵家へ連れてこられたが、戦争から14年が経ったいまは、楽園ユーラスも平穏を取り戻しているであろう。
「私は……結婚などしなくとも良いのです」
傷ついたレオナの心に共鳴するように、窓の外で青い葉が揺れた。
「楽園へ戻れと言ったのではない。バルター王子には気をつけなさい。国王不在の……ましてや、セリオス王子もアメリア伯爵夫人もいないパーティー。何が起きるかはわからない」
ベネット公爵は静かに深い息を吐き出すと、頼りなげなレオナに視線を落とす。その目に宿る力強さは、父親としての愛情と貴族としての覚悟だろう。
「そろそろ、出発しよう」
レオナも覚悟を決めて公爵のあとを追うが、王宮の馬車が待つ玄関口へ向かう彼の足取りは、どこか重々しかった。
その日は、春の終わりから続いた長雨があがり、よく晴れて青空が見えていた。
自室の窓から空を見上げていたレオナは、18歳になった自分のことを思っていた。そろそろレオナにも良き結婚相手を見つけよう。父であるベネット公爵がそう言っていたのは、長雨の最中だったか。
窓枠に向かって伸びる広葉樹の葉へ目を移す。青々とした葉が玉のような雨粒を弾き、光を受けてきらめいている。そのさまを眺められるのも、今年が最後かもしれない。
ずっとベネット公爵に守られてきたから、この生活を手放すのは正直、不安だった。小さなため息をついたとき、レオナの耳にノックの音が届いた。
「レオナ、準備はできたようだな」
きらびやかな正装に身を包んだベネット公爵が、美しく着飾ったレオナを眺める。
「なに、浮かない顔をするな。不安はあるだろうが、レオナはパーティーを楽しめばよい」
そうは言うが、レオナは納得がいかなかった。
「本当にただのパーティーなのですか? 王宮の使者が馬車まで寄越すなんて、普通ではないですよね?」
エルアルム王国、第二王子であるバルターの寄越した使者が、パーティーの招待状を携えて公爵家を訪れたのは昨夜遅くのことだった。
突然の来訪に、ベネット公爵はいぶかしんでいたが、使者を丁重に迎え入れ、明日の早朝には王宮へ向けて出発するとの願いに同意した。
「レオナの参加を心待ちにしているのだろう。レオナは王子妃にと望まれてもおかしくない美姫だからね」
ベネット公爵はなぐさめるように言うが、レオナはちっとも信じていなかった。この砂色の髪が美しいはずはない。容姿だって、ほかの令嬢より劣っている。もし、王子妃にと望まれているというならそれは、レオナの持つ魔力に魅力があるからだろう。
「国王陛下はいまだに、公の場に姿を見せていないのですよね? 体調が思わしくないといううわさが本当だとしたら、パーティーを開くだなんて不謹慎ではありませんか」
非難めいて言ったが、ベネット公爵はたしなめたりしなかった。むしろ、顔をしかめて同様の不快感を見せた。
「わかっていても、行かないわけにはいくまい。王子は回復祈願のパーティーを催すのだと張り切っているそうだ。表向きは……だが」
「何かほかに目的があるのですか?」
ベネット公爵はじっとレオナを見つめた。あまりに長く見つめてくるから、おびえるように身をすくめたとき、公爵はようやく口を開いた。
「セリオス王子が幽閉された今、次期国王はバルター王子になるであろう。ステラサンクタであるレオナが王妃にと望まれてもなんら不思議はない」
「お父さまは王妃になることを望んでおられるのですか?」
「セリオス王子であれば、迷うことはないと思っていた」
「バルター王子ではだめなのですね?」
「彼は野心のためなら何でもする男だ。レオナの魔力をどう利用するか、想像もつかない」
「魔力……」
それはもう失った。父が心配することは何もないが、レオナは言い出せずに口をつぐんだ。
「おまえの持つ魔力は、ダムハートの王族のみならず、他国の王や貴族がなんとしてでも欲しいと願う究極の力だ。とりわけ、蘇生魔法は決して使ってはならぬ。言葉にするのは不敬であるが、その相手が一国の王であろうとも。その理由は、バルター王子にはわからないであろう」
ステラサンクタのみが使えると言われる究極魔法。それは、回復魔法の最上位である蘇生魔法だ。
あれは、12歳のとき。鷹に襲われ、庭先で息絶える子猫を見つけたとき、レオナは助けたい一心で魔法をほどこした。手をかざすと、冷たく輝く青白い光が息のない子猫の小さな体を包み込み、まるで春風が吹き込んだように、その小さな胸がふたたび動き出した。そして、子猫はかすかな鳴き声をあげると元気よく立ち上がり、庭の奥へと駆けていった。
あのとき、応接間にいた父が血相を変えて飛び出してきた。死者をよみがえらせることは、ステラサンクタの戒律で禁忌とされていると、ベネット公爵から聞いたのはそのときだ。
しかし、瀕死であれば、救える命もあるだろうと、レオナは身につけた蘇生魔法の力を安定させる訓練をこっそりと積んできた。誰に教えられるでもなく身につけた魔法。だからこそ、突然に魔力を失ってしまったのだろうか。
「理由は……、歴史を変えてしまうからですね」
「そうだ。人知を超えた能力は誰をも幸せにしない。だからこそ、ステラサンクタは楽園に住まうべき存在なのだ」
では、レオナはここにいてはいけないのではないか。侵略戦争のどさくさで公爵家へ連れてこられたが、戦争から14年が経ったいまは、楽園ユーラスも平穏を取り戻しているであろう。
「私は……結婚などしなくとも良いのです」
傷ついたレオナの心に共鳴するように、窓の外で青い葉が揺れた。
「楽園へ戻れと言ったのではない。バルター王子には気をつけなさい。国王不在の……ましてや、セリオス王子もアメリア伯爵夫人もいないパーティー。何が起きるかはわからない」
ベネット公爵は静かに深い息を吐き出すと、頼りなげなレオナに視線を落とす。その目に宿る力強さは、父親としての愛情と貴族としての覚悟だろう。
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