砂色のステラ

水城ひさぎ

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旅路編

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***


 まだ住人が寝静まっている早朝、ベリウスが調達してきた幌馬車に乗り込んだレオナは、宿の女主人に見送られてコンヒスを出発した。

 薄い朝霧に包まれた町が徐々に遠ざかり、ふと後ろを振り返ると、威圧感のあるモンリス山が小さくなりつつあった。今でも、あの険しい山を越えてきた事実が信じられない。これから先は安全な道が続くから心配いらないですよ、とベリウスは言ってくれたけれど、レオナの心中は穏やかではなかった。

 レオナは前方に視線を移し、先頭率いるルドアースの後ろで、馬を並べながら走るセリオスとオリビアの後ろ姿を見つめた。

 小さなころからの知り合いの、兄弟のように育ったふたり。だから気にする必要はないのに、時折笑顔を見せるセリオスに何かと話しかけるオリビアの姿には心がざわついた。レオナはこちらを見ているイリスにまたがるレイヴンに気づいて目をそらした。オリビアに嫉妬してると思われたかもしれない。

 背の高い樹々に囲まれた道を抜けると、昇る日のまぶしさに目を細めた。水面がきらきらと輝く川を越え、平坦な道をひたすら進む。途中、何度か休憩し、湖畔で一晩を過ごすことになった。

 レオナは馬車を降りると、火を起こして野宿の準備をしているベリウスとオリビアに、「何かお手伝いできますか?」と尋ねたが、ふたりは口をそろえて、「かまわず、休んでいてください」と言う。ルドアースとセリオスは地図を広げて話し合いの最中で、フリントは湖に両手をかざしていた。

「何をして……」

 声をかけようとしたそのとき、穏やかな湖がぐらりと大きく揺れて、レオナはまばたきをした。

 フリントが手のひらをあげると、その動きに合わせるかのように水面がゆっくりと盛りあがる。それはいつしか玉のように丸くなり、透き通った水の中に数匹の魚が閉じ込められた。フリントがカゴを突き出すと、水の玉が割れ、魚がその中で飛び上がる。

「わあ。どんな魔法なのですか?」

 レオナが思わず声をかけると、カゴに入れた魚を抱えたフリントが笑顔で振り返る。

「レオナ様は水魔法をお使いになりませんでしたか」
「私は……、その、あの……」

 言葉に詰まり、うつむくと、フリントは何を勘違いしたのか、励ますように言う。

「ステラサンクタは回復魔法の使い手ですから、使えないことを恥じる必要はありません。しかし、フィリス教皇はすべての属性魔法を操るとも言いますから、おそらく、レオナ様も水を操る魔法は鍛練によって習得できるのではないでしょうか」
「本当ですか? 私にも……できるのでしょうか」

 脳裏によぎるのは、川の水面に美しい模様を描いた母の魔法だった。あのような優しい魔法が使えるようになるだろうか。そう考えたら、レオナの胸は踊るが、失った魔力が戻るのかはわからなくて不安にもなる。

「フリントーっ、焚き火ができましたよー」

 遠くから叫ぶオリビアが、両手を大きく振っている。

「早速、焼き魚を作りましょう」

 オリビアへ向かって歩いていくフリントを見送ったあと、レオナは湖のほとりにいるレイヴンを見つけた。

 大木にもたれて座る彼は、揺れる水面をもの思いに見つめている。夜空に浮かぶ月の光が、波に反射して金色の髪をきらめかせ、滑らかな鼻筋をも優しく照らし出し、彼の姿を浮かび上がらせていた。

「レイヴン、イリスのお世話をしてくださってありがとう」

 イリスはレイヴンの横で脚を折り曲げて伏せるように座っていた。レオナに気づくと立ち上がり、頭を軽く上下させるとうれしそうに近づいてくる。

「はやくレオナさんを乗せたくて仕方ないようですよ」

 イリスをなでるレオナのもとへ、レイヴンはほほえみながらやってくる。

「私はあまり乗るのが上手ではないので。王都へ戻ったら、ちゃんと練習します」
「王都へ戻ると決めたのですか?」

 レイヴンはどこか冷ややかで、どこかさみしげな目をしている。どうしても、レオナを楽園へ連れていきたいのだろう。

「レイヴンも、なぜ私たちがリーヴァへ急いでいるのか聞きましたよね。とても楽園へ向かっている時間はないのです」
「では、時間があれば、ともに行ってくれるのですか?」
「それは……、セリオス様がなんとおっしゃるか……」
「セリオス殿は騎士団の仲間と過ごしているときは生き生きしています。これから先も騎士団長として生きていかれるのでは?」
「……そうかもしれません」

 レイヴンだって気づいたのだ。セリオスがオリビアと話すときに見せる爽やかな笑顔に。彼がオリビアを思う気持ちは、愛おしいという感情ではないだろうけれど、レオナが一生得られない感情であるのは間違いない気がしている。

「でしたら、結婚してもさみしい思いをされますよ。常に大陸中を飛び回るのですから。今回のように、レオナさんも一緒に行くわけにはいかないでしょう」
「だったら、どうしろというのですか?」
「私と楽園を目指しましょう。ステラサンクタの幸福は、楽園ユーラスのみにある。昔からそう語り継がれています」
「楽園のみに……? そのようなうそを言ってまで、私を連れていこうとするのですか?」

 そんなはずはない。セリオスと出会ってから、レオナにも幸福はあったはずだ。レイヴンは他国から来たばかりで、どれほどエルアルムの逸話を知っているというのだろうか。

「うそかどうかは、リーヴァで訊ねるといいです。私はただ、楽園へ行けば、今よりも自由を得られると言っているだけです」

 レイヴンは気を悪くしたのだろうか、突き放すように言うと、レオナから離れて灯りの届かない闇の中へ消えていく。

 自由。それはレオナにとって魅力的な言葉だった。レイヴンが思う自由とはどのようなものだろう。レイヴンを引き止めようと足を踏み出したとき、ふいに、後ろから肩をつかまれた。

「レオナ、レイヴンと何をしていた」
「セリオス様、あの、イリスの世話をレイヴンがしてくださっていたので、お礼を」
「あの男は何を考えているかわからない。親しくしすぎるな」

 セリオスが厳しい言葉で叱責するから、レオナは身をすくめた。

「……お話をしていただけです」
「それでもだ」
「お話もしてはいけないというのですか?」

 レイヴンを雇いたいと言ったのも、彼の言葉を信じてモンリス山を越えてきたのも、すべてセリオスの判断だったではないか。今さら、話してはいけないと言われても、レオナには難しい。

「おまえは無防備すぎる。ステラサンクタの魔力を狙い、甘い言葉で近づいてくる者は、これからも後を絶たないだろう」

 その言葉に、レオナは傷ついた。セリオスはベネット公爵の後ろ盾とレオナの魔力が欲しくて結婚した。楽園へ行こうとレイヴンに誘われていることは秘密にしていたが、セリオスは何かを感じ取っているのだろう。自身がそうであったからこそ、レイヴンの動向に何か裏があるのではないかと疑っているのだ。

「レイヴンは私に何の力もないと知って、いつか失望するはずです」

 レイヴンが歩いていった闇の方へ鋭い目を向けていたセリオスは、眉をひそめる。セリオスだってそうだろう。魔力がないと知ったら、結婚などなかったことにするはずだ。

「セリオス様がご心配なさることは何もないのです」

 レオナはからめた指をぎゅっと握り合わせると、悲しげにうつむいた。
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