砂色のステラ

水城ひさぎ

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リーヴァ編

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 廊下に出ると、あちらこちらに騎士が立っていた。公爵邸でも、こんなにもたくさんの巡回にまわる騎士の姿は見たことがない。

「ずいぶん、警戒されていますね」

 異様な雰囲気を察したのか、レイヴンが周囲へ用心深く目を光らせる。

「バルター王子が近くまで来ているのかもしれません」
「レオナさんを守るためだけにしては物々しいですが、先ほどの夫人の言葉を借りるなら、その男は強欲な人間ということでしょうか。念には念をなのでしょうね」

 レイヴンがどこまで知っているのかわからなくて、レオナは口を閉ざす。レイヴンも、深くは尋ねてこなかった。

 玄関ホールに出て、中庭へ向かおうとしたとき、レオナはローブ姿のフリントを見つけた。彼は2階につながる階段を足早にのぼっていくと、廊下の奥に姿を消す。かなり急いでいるように見える。

「何かあったのでしょうか」
「様子を見てきますか?」

 レイヴンはさらりと大胆なことを言う。セリオスが来たときに中庭にいなければ、彼の機嫌がどうなるか、想像するまでもない。

「中庭へ行きましょう」

 階段へ向かいかけるレイヴンを引きとめたとき、レオナは背後に人の気配を感じて、びくりと肩を震わせた。それはとてつもなく邪に満ちた気配だった。レイヴンもすぐに気づき、レオナが振り返るよりも先に身をひるがえす。

「元気そうであるな、レオナ・ベネット。いや、レオナ・ダムハート妃殿下」

 嫌味たっぷりな物言いをする男を見あげたときには、皮肉げに笑う彼が、ぞっとするほど鋭い黒玉の瞳をレオナに向けていた。

 レオナの心臓がどくりどくりと音を立てる。なぜ、バルターがここにいるのか。

 フリントがあわてていたのは、正々堂々と、侯爵邸へ真正面からバルターが訪ねてきたからだろうか。そして、彼の後ろには、いつになく厳しい顔つきのベリウスが控えている。うまくやり過ごさなければ、大ごとになるかもしれない。

 ピンと張り詰めた空気の中、レオナは身を低くする。

「バルター王子殿下におかれましても、お変わりなく……」
「ほう、そなたの目には、この俺が変わらないように見えているのか。血のにじむような労苦を重ねた俺が何も変わらぬとっ」
「あの……私は……」

 なんと答えたらいいのだろうか。バルターから逃げるため、王宮を抜け出し、王国軍を振り切って、セシェ島へ向かう船に飛び乗った。半年もの間、バルターがどのように過ごしてきたかは知らない。その間、レオナへの怒りを増幅させていたというなら、瞳に宿る冷酷さは以前よりも強くなっているだろう。しかし、レオナはもうその瞳を見ることができなかった。

 見かねたのか、レイヴンがレオナの前へ出ようとする。しかし、それを素早く制したのはベリウスだった。ベリウスはレイヴンをさがらせると、首を小さく横に振る。バルターはその様子を見ると薄く笑い、レオナを挑発する。

「私は、なんだ。兄の妻となり、身の安全をはかったつもりか」
「い、いえ、そのようなつもりは……ありません」
「なら何か。兄と恋仲で、監獄暮らしを選んだというか。そんなうわさ、誰が信じる? こざかしい真似をしおって」

 震えあがるレオナに、バルターはグッと顔を近づける。やはり、レイヴンが前へ出ようとする。またもや、ベリウスはそれを制し、バルターの動きを見守る。手も足も出せない彼らをいいことに、バルターはレオナをじろりとにらみつけ、低い声を発する。

「そなたが陛下の命を救えば、こんなことにはならなかった。そなたはせいぜい、己の罪に震えて生きるがよい」
「私を……許してくださるのですか?」

 尋ねると、バルターは弾けるように身をそらし、声高に笑った。

「許す? そなたの罪は許されるものだと思うか。生きて地獄を味わうがいい」
「生きて……地獄を」

 ぽつりとつぶやくレオナから、ようやく目をそらしたバルターは、ベリウスへと視線を注ぐ。

「兄はどこにいる? 俺よりも先にリーヴァにいる理由を聞かせてもらおうか」
「ご案内いたします。殿下、どうぞこちらへ」

 ベリウスはレイヴンに目配せすると、バルターを連れて客間へ向かう。ふたりの姿が見えなくなると、レオナはつめていた息を吐いた。

「レイヴン、行きましょう」

 歩き出すと、レイヴンは無言でついてきた。バルターの不穏な言葉が頭から離れてくれなかったが、中庭に足を踏み込むと、暖かな日差しを感じてようやく気がゆるむ。すると、レイヴンが尋ねてくる。

「あの男、何をしにここへ来たのですか? レオナさんに嫌味を言いに来ただけではないでしょう」

 目的を話すわけにはいかず、レオナは無言で小鳥たちの舞う噴水へ向かう。

 澄んだ水の流れる中に、薔薇の花びらが浮いている。水面で揺らぐ自身の影を見つめていると、レイヴンの影も隣で揺れた。

「セリオス殿と結婚していたのですね」

 レイヴンはそう切り出す。何も話さないレオナに、どうにか口を開かせようとしたのかもしれない。レオナはゆっくり顔をあげ、レイヴンへ目を移す。

「黙っていたこと、怒っていますか?」
「話せない理由があるのなら、仕方のないことです」

 レイヴンは淡白だ。感情のない彼の表情からは、何も話していなかったことに対する憤りがあるのかはわからなかった。

「エルアルムの民はセリオス様と私の結婚を知りません」

 そう言うと、初めてレイヴンに表情らしい表情が浮かぶ。それは、哀れみに似たようなものに見える。

「私はバルター王子を怒らせてしまいました。王子を謀った罪で捕えられないよう、セリオス様が私を守るために結婚してくださったのです。ですから、いつ離縁されても仕方なく、民には知らせていないのです」
「そんなふうには見えませんが」
「セリオス様は私を大切に思うと言ってくださるけれど、いつそのような気持ちになったのかは知りません」
「うそだと思っているのですか?」
「そうではないですけれど……」

 レオナは言葉を濁す。なぜ、と思うことはあっても、信じていないのとは違う。その差異を、うまく説明できる気がしない。

「レオナさんの事情がどうあれ、私がセリオス殿に雇われた身であることに変わりはありません。セリオス殿といる限り、レオナさんの力になります」
「レイヴンのしていることは、楽園へ行くという対価に見合っていないのではないですか?」
「そうでもないですよ。離縁するというなら、私とともに生きましょう。あなたの価値は、あなたが思うよりも高いのです」
「私がステラサンクタだから……ですね?」

 レイヴンは困り顔をしたが、否定はしなかった。それが真実だからだということをレオナは知っている。自身の価値は、公爵家へ来たときからそれしかなかったのだから。

「ペンダントはありますか? セリオス殿を待つ間、せっかくですから、水魔法の練習をしましょう」

 そう提案するレイヴンは、打って変わって穏やかな顔をしていた。
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