砂色のステラ

水城ひさぎ

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楽園編

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 アレスが草を踏み鳴らすたび、セリオスの息づかいは荒くなり、焦燥で鼓動は早まった。だが、それとは対照的に、夜の森は静まり返っていた。まるで、長い歴史を持つこの森にとって、彼の存在などちっぽけで取るに足らないものだと言わないばかりに。

「団長っ! あれ、湖じゃないですかっ?」

 隣を走るベリウスが、前方を指差す。樹々の隙間にキラキラと光る水面が見える。

「ここか、アンドレアの言っていた湖は」

 セリオスはアレスから飛び降り、白いマントを揺らしながら樹々の間を進んだ。

 バルターに連れ去られたレオナを取り戻すため、楽園へ向かう決意をしたセリオスに、アンドレアは古くからミラージュ家に伝わる逸話を話して聞かせた。

 リーヴァの南には、ステラビアの森がある。そこには二つの湖と五つの泉があり、ステラサンクタは古から、その湖と泉に光輝くステラの門を開き、大陸の各地へ自由に移動していたという。

 もしかしたら、レオナはその門を使い、楽園へ行く可能性がある。なぜなら、レオナは門を開く鍵である星魔石を持っているからだ。

 セリオスは湖のほとりに足を踏み込むと、眉をひそめた。湖へ向かって伸びる大木の枝。その先に、白いリボンが絡まっているのが見えた。

「あれは……?」
「確認します!」

 ベリウスがすぐさま駆けていく。彼は枝からリボンをはずすと、「これは……」と息を飲み、セリオスのもとへかけ戻る。

「レオナのものか?」

 ベリウスのあわてぶりを見て、セリオスは尋ねる。予感もあった。ここへ来る途中の泉で、セリオスはレオナのローブを拾っていた。あれも、よく目立つように大木に引っ掛けられていた。

「はいっ。レオナ様のものに間違いありません。俺が前に買ったものです」
「ああ、レイヴンが魔石をプレゼントしたときか。おまえはリボンだったな」

 思うより不機嫌な声が出た。横目でじろりと見ると、ベリウスはあわててリボンを振り上げる。

「違いますよっ! 深い意味はありません。不慣れな旅は不安だろうと、旅の無事を祈るリボンを……」
「もういい、ベリウス。リボンに何かついているな」
「え? あ、本当ですね」

 近づいてベリウスから奪い取る。リボンの先には、小さな指輪が結びつけられていた。

「なぜ、これが……?」

 それは、星魔石の指輪だった。レオナが母の形見だと、何よりも大切にしていたものだ。どんなときも外したりしない指輪を手放すとは、レオナの身に何か……。不安が押し寄せてきたとき、風がざわめいた。

 セリオスは顔を上げ、湖の方へ目を向ける。月明かりを受けてきらめく水面に、それとは違う光の筋がうっすらと見える。

「アンドレアの話は本当だったか」

 話を聞いたときは、にわかには信じられなかった。しかし、眼前に広がる湖は、アンドレアの話通りだ。ミラージュ家の伝承に疑う余地はない。

「開いたのか……、ステラの門が」

 レオナは、行ったのか? ステラの門をくぐり、この先にある楽園へと。

 セリオスは握りしめた星魔石を見つめる。魔力を失った石は、ひかえめにきらめいている。そうか。もしかして……。セリオスは湖岸に立つと、星魔石をつかみ、高々と掲げた。途端、水面がゆらめき、湖は割れ、中から扉がせり上がってくる。

「団長……、こんなものは初めて見ましたよっ」

 ベリウスが目を丸くして叫ぶ。彼だけじゃない。フォルフェス騎士団の誰一人として、このような経験はしたことないだろう。セリオスはうっすらと笑うと、素早くアレスにまたがった。

「今回のことは、フォルフェス騎士団が伝説として語る旅になるのは間違いないだろう。ベリウス。さあ、飛び込め、あの扉に」
「どこまでもお供しますよ、団長」

 ベリウスも軽々と馬に飛び乗る。臆しない彼の気楽さを、今日ほど心強く思ったことはない。

「行くぞ、ベリウスっ。俺に続けっ!」

 そう叫ぶがはやいか、セリオスを乗せたアレスは湖の上を走り抜けていた。

 扉の奥は、ただひたすらに白い光に包まれていた。どこをどう通ってきたのか定かではない。しかし、気づくと、セリオスは白い門の前に立っていた。

「ここが楽園ですか?」
「ああ。来たのは初めてだが、間違いないだろう」

 セリオスは扉に触れようとしたが、すぐさま危険を察知したベリウスとともに後ろへ飛んだ。

「誰だっ!」

 剣の柄に手を添えると身構え、周囲を取り囲む白いローブの男たちを見まわす。ざっと数えて10人ほどか。手のひらに光の玉を浮かばせる彼らは、まったく同じ動きを見せている。しかし、一向に攻撃してくる気配はない。セリオスは柄から手を離すと、片腕を水平にあげた。

「ベリウス、警戒を解け。この者たちは残像だ」
「残像ですか?」
「ああ。本体はどこかで高みの見物をしているはずだ」

 セリオスは空を仰ぐ。白く大きな扉の上で、白い布が揺らめいている。

「あれか」
「さすがは、エルアルム最強の剣士。攻撃を仕掛けてきたら、遠慮なく挑もうと思っていました」

 頭上で声がする。ローブをまとった男がゆっくりと降りてくる。地面に降り立つと残像は消え、男はフードをはずす。中から現れたまばゆいほどに輝く銀色の髪に、セリオスが目を細めると、彼は小さく笑い、胸に手を当てた。

「ようこそ。セリオス・ダムハート王子殿下」
「俺を知っているのか」
「もちろんです。フィリス教皇は常にステラサンクタたちの未来を案じ、動向を見守っておられるのですから」

 では、レオナと結婚した男を知らないはずはないか。

 男の視線がベリウスへと動く。セリオスはとっさに口を開く。

「彼の名は、ベリウス・ダッド。フォルフェス騎士団の隊長だ。あなたの名を聞かせてもらいたい」

 男はベリウスを値踏みするように見たあと、セリオスへと視線を戻す。

「我が名はロエル。フィリス教皇にお仕えする神官です。あなたがここへ来ることはわかっておりました」
「わかっていただと? なんでもお見通しというわけか」

 ロエルはうっすら笑み、扉を指し示す。

「教皇がお待ちです。ご案内しましょう」
「待て。教皇に会う前に確認しておきたいことがある。レオナはここへ来ているよな?」

 ロエルを引き止めて尋ねると、彼は確かめるまでもないとばかりに目を細める。

「レオナ・ベネットはユーラスにとって大切なステラサンクタです。保護しない理由はありません」
「それで? 連れがいたはずだが?」
「あの者たちは捕らえてあります。15年前の悲劇以降、ステラサンクタ以外の来訪者は例外なく、捕らえる規則になっていますから」
「あの者たち……? やはり、レイヴンも来ていたか」

 イリスを連れ出したのも、レオナの荷物を持ち出したのも、やはり、すべてレイヴンだろう。セリオスは内心、舌打ちする。

「レイヴン・カーライル。確かに、その名を名乗るものは来ています」
「それならば、俺やベリウスも捕まるのではないか?」
「捕らえてほしいのですか? セシェ島へ行かれるだけあって、変わり者ですね。冗談はさておき、フィリス教皇がセリオス殿下と話がしたいと言っております。そちらの連れの方は……そうですね。あのレイヴンと名乗る金髪の男と同様、水晶の中に入っていてもらいましょう」
「水晶だって?」

 ベリウスが驚いたとき、ロエルの指先が彼のひたいに触れる。何が起きたのかわからないといった顔をベリウスがする。セリオスは身構えた。ロエルを信用しすぎたか。そう警戒した次の瞬間、空気が揺らぎ、ベリウスの姿が消えた。

「何をしたっ?」
「ご安心ください。連れの方はご帰還の際、無事にお帰しいたします」
「本当だな?」
「あやまちを繰り返さないためです。どうぞご理解ください」
「……楽園の神官の力は恐ろしいな。しかし、もうひとりはどうした? 弟のバルターも来たはずだが?」

 ああ、とロエルは冷ややかな声を出す。

「あの者は邪気をまとっております。黒いオーラが禍々しく、狂気をはらんだ目をしておりました。少々手荒な真似をしましたが、彼もまた堅牢な水晶の中に閉じ込めてあります。簡単には出られませんが、ご無事です」

 邪気か。神聖な場所では、バルターは不穏な存在以外の何者でもないだろう。

「そうか。それは感謝する。一応、あれは弟だ。裁くなら、せめて俺の手でと思っている」
「それはこちらもありがたい。あのような男に暴れられては、ステラサンクタたちが怯えてしまいますので。さあ、中へどうぞ。神殿までご案内いたします」

 ロエルは少々冗談まじりに言うと、開いた扉の奥へと進んだ。
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