君の世界は森で華やぐ

水城ひさぎ

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君の世界は森で華やぐ 〜1〜

森に住む人 2

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 白森駅から離れると、風景はがらりと変わった。どこを見渡しても田畑ばかりで、舗装されていない道が続く。

 奥に見える山の上で飛ぶとんびが鳴く。自然が奏でる音以外、砂利を踏む私たちの足音と、車輪の回る音が異音のように際立って響く。
 それでもずっと絵描きの青年が無言だから、妙に落ち着かない。ぎこちない空気に包まれながら、なかなかそれらしい建物が見えてこなくて途方にくれる。

 いつまでこの沈黙が続くんだろう。この言葉数の少ない青年に話しかけてもいいんだろうかと、ちらりと彼を見て驚いた。彼もこちらを見ていたのだ。目が合うと、彼の方はすぐに目をそらす。

「喫茶店、やめちゃったんですね」

 勇気を出して話しかけると、彼は嘆息する。

「俺が高校を卒業した年に閉鎖しました」
「それが10年前? それじゃあ、今は28歳? 私と同い年ねっ」

 だからなんだ、とばかりに彼は奇妙に表情を歪める。親しみすら感じないのか、とがっかりする。
 同世代というだけでもじゅうぶん共通点を見つけられて喜んだけど、彼とかみ合うには時間がかかるような気がして、なんとなく私もどうでもいい情報だった気がしてくる。

「小学生になるまで、よくここへ祖母と遊びに来てました。正確に言うと、小学一年生の夏休みにここへ来たのが最後。父親の仕事の都合で引っ越しをして、それまで一緒に暮らしてた祖母と会うことがほとんどなくなって、なんとなく疎遠になってしまったんです」

 打てど響かずとはこのこと。青年からはなんの反応もない。
 思わず苦笑してしまう。こんなにも私に無関心な男に出会ったのは初めてだった。おごるわけではないけど、少々容姿には自信があっただけに面白くない気持ちが不意に湧いた。

「もう20年も来てなかったのに、どうして急に来る気になったのか気にならないんですか?」

 尖るように言ってしまうが、青年は不思議そうに私を見る。

「聞いてほしかったんですか」

 鈍感だろう、彼は。湧いたばかりの苛立ちがすぐに引っ込む。調子が狂ってしまう。

「普通は気になって聞いてくるものでしょう? だから答えは用意してたの」

 へえ、と彼は口を動かすと、「その答えを簡単に言ってください」と言う。

「あなたって……」

 会話を楽しむって言葉知らないの?と言いかけて口をつぐんだ。失礼なのは私の方だと気づいたのだ。突然現れて、家に行かせてください、なんて普通だったら嫌がられることだろう。
 自覚はなかったけど、恵まれた環境が私を傲慢にしていたのかもしれない。

「聞いてくれるの?」

 殊勝な態度を見せると、彼は目を丸くした。

「あなたが話したいというからです」
「そうね。話したいの。ううん、聞いてほしいの。私のことなんにも知らないけど、なんにも否定しないで聞いてくれる人が、ここへ来ればいると思ったの」

 大好きなストロベリーショートケーキとミルクがお気に入りのメニュー。お庭に飛んでくるちょうちょを追いかけ、テラスで編み物をする祖母と笑い合った。ここで過ごしたそういう記憶だけは私に優しかった。

 青年はふたたび無言になって、前を向いて歩く。それでも耳だけは傾けてくれてるような気がして、私はひとりごとのように話す。
 
「私ね、昨日仕事をやめたの。大学卒業してからずっと勤めてきた会社。新入社員を教育してからやめてくれって言われて、ゴールデンウィーク前に退社。真面目だと思わない? でも違うの。ただ断れないだけ。退社するなら結婚しようって上司に言われちゃって、それも断れなかったの。だから逃げ出してきちゃった。本当のこと言うとね、家出したの、私」

 息をつくが、青年はまだまっすぐ前を向いたまま。

「会社をやめたら何かが変えられるような気がしたの。私の人生は満ち足りてて、羨む人もいたかもしれないけど、ずっと何かが足りないって思ってた。どうしてだか、その足りないものがここへ来れば見つかるって思ったの」

 まだまだ話し足りない。私の生まれ育った環境。会社のこと。婚約者のこと。これからのこと。全部何も言わずに聞いてもらいたかった。
 その話し相手が、こうも私に無関心な青年だとは思いもよらなかったけど。

「何か聞きたいことはないの?」

 会話が弾まない。一人語りも意外と疲れるのよ、と笑うと、青年は首をかしげてようやく言う。

「家出のわりに、軽装ですね」

 私はぽかんと口を開ける。

「ああ、着いた」とつぶやいた青年の足元が軽くなるのを見て、かわいた笑いが込み上げるのと同時に、なんだかちょっとばかり憎らしくなってしまった。



 絵描きの青年が描いた絵を目の前にかかげ、奥にある風景と照らし合わす。
 昔と様子が違い、驚いた。
 実際の入り口は、アプローチを囲うように左右から伸びる木の枝は細く曲がっている。奥に見える庭にもテラスはなく、縁側になっている。そのかわり広くなった庭の木々も刈り取られ、通りからのぞけるかのぞけないかぐらいの高さの垣根が敷地を囲うように植えられている。

 青年は私の話を聞くうちに自宅と察して、この絵を描いたのだと思っていた。
 しかし現実は違う。彼はまさしく、私の記憶を再現したのだ。

 自転車を垣根の脇に停めた青年は、入らないの?と訴えかけるような目で私を見たあと、静かにアプローチへ踏み込んでいく。

 衰えて細くなったまま頭上で交差する枝をくぐり、玄関へ向かう彼に続く。玄関に到着しても、絵に描かれているリスの置物はひとつもない。
 ふと疑問がわく。私はリスの置物のことはひとことも言わなかった。私の言葉を忠実に再現しただけではなく、彼は聞きもしないものを見事に描いてみせたのだ。

「20年前、あなたもここにいたの?」

 そうでなければ、彼にこの絵が描けたことの説明がつかない。

「生まれた時からいます」

 私の問いに、彼はそう答えた。ここは彼の生家であり、喫茶店でもあったようだ。

「じゃあ、あなたのお母さんが営んでいたの? 優しいお母さんがいたことは覚えてるの。ううん、違う。それだけじゃないわ。男の子がいたわ。背の高い男の子。あれがあなた……でも待って。私とあなたは同い年なのよね。あの男の子はもっと大きくて……」

 急にあふれ出す記憶をとっさに整理できない。浮かび上がる映像を口にするのがやっと。

「それは兄です」

 落ち着いて、とまるで言うように、青年は穏やかに私を過去から呼び戻す。

「お兄さん?」
「7歳年上の兄がいます。リスの置物を欲しがって離さない女の子がいて、困ってるってよく言ってた」

 知らずほおが赤らむ。

「それは私よね」
「さあ、俺は見たことないから。でもいつからか来なくなって、兄もさみしそうだった。その子のことを気にしてたのは間違いないから、俺も覚えてた」

 そうはいうけど、心当たりがありすぎるからその女の子は私だ。
 当時彼のお兄さんは中学生だったはず。小さな女の子を叱るわけにもいかず、困り果てていたのだろう。気にしていたのはもちろん恋愛感情ではないだろうけど、少なくとも彼らの記憶に残る存在だったことは間違いなく、気恥ずかしい。

「昔の私って、わがままだったのね」

 そう言ったら、青年はくすりと笑った。今もじゅうぶんわがまま、なんて笑われたような気がする。

「お兄さんはどこに?」
「兄はこの家を出ました。忙しい人だからなかなか会えないです」
「そう、残念。昔話してみたかったわ」

 青年は何も言わなかった。お兄さんに会わせてくれるかも、とまでは思わなかったけど、彼もそこまでおせっかいを焼くタイプでは、もちろんなさそうだ。

「10年ほど前に喫茶店は閉店して、住居用にリフォームしました。そのときにリスの置物も処分しました。思い出のものは何もないかもしれませんが、中も見ますか?」
「おじゃまでなければ」

 ここまでついてきて、おじゃまも何もないものだ、と思いながら、「どうぞ」と短く言って玄関扉を開けてくれる彼に、今日初めて「ありがとう」と声をかけた。
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