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君の世界は森で華やぐ 〜1〜
森に住む人 3
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縁側に座っているだけで時間を忘れられた。この家には時計がない。高く昇っていた陽が傾くのを眺めていると、そろそろおやつの時間だろうと想像がつくぐらいで、私を急かすものは何もない。
スマホを取り出し、時刻を見れば、15時10分になっていた。お腹がぐぅ、と鳴るから、体内時計も正確なものだ。
それにしても、とあたりを見回す。
絵描きの青年の気配がまったくない。家の中は自由に歩き回ってかまわないと言い置いて、奥の部屋へ入ったきり出てこない。
明日はゴールデンウィーク初日だから、旅行に出かける準備をしているとしたら申し訳ない。
自分都合で周りを振り回していることを初めて自覚した気がする。それだけじゃない。絵描きの青年とほんの少し接しただけなのに、私はひどく世間知らずだと思えてくるのだ。
「なんでこんなにむなしいんだろー」
縁側に上半身を横倒しにする。ほおにつく床がひんやりと冷たくて気持ちいい。
それなりの苦労も努力もして、なりたい仕事にも就いて、評価もされてきた。文字通り順風満帆な人生を送っていたのに、どうして逃げ出したいなんて思ったんだろう。
このまま眠ってしまいたい。このところずっと心が休まるときがなかったから。
そっと目を閉じたとき、スーッと障子戸が真後ろで開く音がして飛び上がる。振り返り、見上げると、額縁を抱えた青年が立っていた。
「ごめんなさい。やけに落ち着くから、自分の家にいるような気分になっちゃって」
横になってるのを見られただろうと謝るが、あいかわらず彼は関心のない様子で、私の前へひざを折る。
「これ、どうぞ」
スッと目の前に差し出された額縁に視線を落とし、ハッと息を飲む。
「どうぞって……」
「ここにはあなたの思い出は何もないだろうから」
「だからってまた描いてくれたの? これでじゅうぶんだったのに」
カバンからコピー用紙を取り出すと、そんなのはラクガキみたいなものだから、と彼はそっと私から取り上げる。そして、額縁を私のひざの上に乗せる。
「本当にもらっていいの?」
飾りのないシンプルな茶色の額縁の中には、色鉛筆で描かれた喫茶店のイラストがおさめられている。
先程描いてもらったものよりも数段綺麗に描かれたそれは、樹々や風のにおいも感じられる、穏やかで優しい絵画だった。
「サインも入ってるのね」
「まあ、俺が描いたって証拠になるから」
イラストの右下にアルファベットで、ヒロト、と書かれている。羽山さんもヒロト先生と呼んでいた。
「ヒロトってどう書くの?」
そう尋ねると、彼は手のひらの上に指を滑らせて文字を描いた。
「あー、寛人ね。くつろぐ人って、そんな感じするわ」
くすくす笑うが、寛人さんは一向におかしさがわからないとばかりに首をかしげる。
「心がひろくて穏やかな人ね、って言ったの。あ、いけない。私もまだ名乗ってなかったわ。私、紺野ゆかりって言います。よろしくね、寛人さん」
「よろしくって、また来るんですか? ここに」
「は……?」
「まあ、別にいいけど」
寛人さんは縁側から足をおろして私の隣へ腰かけると、ぼんやりと空を眺めた。そしてしばらくすると彼は私の方へ首をひねり、言う。
「陽が落ちるまで、話を聞きます。明日も来るって言うなら、明日でいいけど」
「そうね。なんとなく出てきたから泊まるところも決めてないし、お腹も空いちゃったからそろそろ行くわ」
「海の方へ行くと旅館がたくさんあります」
「ありがとう。絵のお礼もしたいし、必ず明日来ます。明日からゴールデンウィークだけど、ずっといます?」
寛人さんはうっすら笑んで、うなずく。
「どこにも行きません。ずっと俺はここにいます」
それは大げさなことでもなんでもなくて、言葉通り、本当に彼はずっとここにいるのだろう。ふたたび空を見上げる彼の横顔を見て、なぜだかそう思った。
縁側に座っているだけで時間を忘れられた。この家には時計がない。高く昇っていた陽が傾くのを眺めていると、そろそろおやつの時間だろうと想像がつくぐらいで、私を急かすものは何もない。
スマホを取り出し、時刻を見れば、15時10分になっていた。お腹がぐぅ、と鳴るから、体内時計も正確なものだ。
それにしても、とあたりを見回す。
絵描きの青年の気配がまったくない。家の中は自由に歩き回ってかまわないと言い置いて、奥の部屋へ入ったきり出てこない。
明日はゴールデンウィーク初日だから、旅行に出かける準備をしているとしたら申し訳ない。
自分都合で周りを振り回していることを初めて自覚した気がする。それだけじゃない。絵描きの青年とほんの少し接しただけなのに、私はひどく世間知らずだと思えてくるのだ。
「なんでこんなにむなしいんだろー」
縁側に上半身を横倒しにする。ほおにつく床がひんやりと冷たくて気持ちいい。
それなりの苦労も努力もして、なりたい仕事にも就いて、評価もされてきた。文字通り順風満帆な人生を送っていたのに、どうして逃げ出したいなんて思ったんだろう。
このまま眠ってしまいたい。このところずっと心が休まるときがなかったから。
そっと目を閉じたとき、スーッと障子戸が真後ろで開く音がして飛び上がる。振り返り、見上げると、額縁を抱えた青年が立っていた。
「ごめんなさい。やけに落ち着くから、自分の家にいるような気分になっちゃって」
横になってるのを見られただろうと謝るが、あいかわらず彼は関心のない様子で、私の前へひざを折る。
「これ、どうぞ」
スッと目の前に差し出された額縁に視線を落とし、ハッと息を飲む。
「どうぞって……」
「ここにはあなたの思い出は何もないだろうから」
「だからってまた描いてくれたの? これでじゅうぶんだったのに」
カバンからコピー用紙を取り出すと、そんなのはラクガキみたいなものだから、と彼はそっと私から取り上げる。そして、額縁を私のひざの上に乗せる。
「本当にもらっていいの?」
飾りのないシンプルな茶色の額縁の中には、色鉛筆で描かれた喫茶店のイラストがおさめられている。
先程描いてもらったものよりも数段綺麗に描かれたそれは、樹々や風のにおいも感じられる、穏やかで優しい絵画だった。
「サインも入ってるのね」
「まあ、俺が描いたって証拠になるから」
イラストの右下にアルファベットで、ヒロト、と書かれている。羽山さんもヒロト先生と呼んでいた。
「ヒロトってどう書くの?」
そう尋ねると、彼は手のひらの上に指を滑らせて文字を描いた。
「あー、寛人ね。くつろぐ人って、そんな感じするわ」
くすくす笑うが、寛人さんは一向におかしさがわからないとばかりに首をかしげる。
「心がひろくて穏やかな人ね、って言ったの。あ、いけない。私もまだ名乗ってなかったわ。私、紺野ゆかりって言います。よろしくね、寛人さん」
「よろしくって、また来るんですか? ここに」
「は……?」
「まあ、別にいいけど」
寛人さんは縁側から足をおろして私の隣へ腰かけると、ぼんやりと空を眺めた。そしてしばらくすると彼は私の方へ首をひねり、言う。
「陽が落ちるまで、話を聞きます。明日も来るって言うなら、明日でいいけど」
「そうね。なんとなく出てきたから泊まるところも決めてないし、お腹も空いちゃったからそろそろ行くわ」
「海の方へ行くと旅館がたくさんあります」
「ありがとう。絵のお礼もしたいし、必ず明日来ます。明日からゴールデンウィークだけど、ずっといます?」
寛人さんはうっすら笑んで、うなずく。
「どこにも行きません。ずっと俺はここにいます」
それは大げさなことでもなんでもなくて、言葉通り、本当に彼はずっとここにいるのだろう。ふたたび空を見上げる彼の横顔を見て、なぜだかそう思った。
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