君の世界は森で華やぐ

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君の世界は森で華やぐ 〜2〜

海のギャラリー 1

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「寛人さん、聞いて。大和屋にしばらく滞在できることになったの。アパート、引き払っちゃったって事情を話したら、まずは一か月契約でって」

 縁側に腰をおろして、庭の風景をスケッチする寛人さんの横顔に一生懸命話しかける。

 聞いて、と言ってるのに、顔をこちらに向けもしない。彼はちょっとだけ、私に無関心だ。

 ううん、出会った頃に比べたら、ずいぶんと私に関心を持って話をしてくれるようになった。だけど、本当に私たち、恋人同士なのかしら? と思うぐらいには、あいかわらずの無関心。

「ねぇ、寛人さん、聞いてる?」

 無関心が容認できないぐらいにはわがままな私がしつこくすると、彼はくすりと笑って鉛筆を置いた。

「聞いてるよ。わざわざ、大和屋に泊まらなくても、うちに住んだらいいのに」
「あ……っ、それはダメだと思うわ」
「どうして?」
「どうしても何も、両親は婚約がダメになってショック受けてるし、寛人さんとお付き合いしてるなんて言ったらきっと、卒倒しちゃうわ」

 寛人さんは、元婚約者である明敬さんの弟だ。それを両親が知ったら、明敬さんに顔向けができないと、大騒ぎするだろう。

「大和屋に泊まるのはいいんだね」

 それだけでもじゅうぶん、両親が心配するだろうと、寛人さんは核心をつく。彼はいつだって、穏やかで冷静だ。

「それは……私のわがままなの。婚約破棄して、失業手当もすぐには出ない、無職でしょ? 傷心の娘がアパートも引き払って帰ってきたら、少しのわがままぐらい聞いてくれるのよ」
「ゆかりちゃんの気の済むようにしたらいいよ」

 言わなくてもそうするだろうけどね、と私をからかうような目で見て笑う寛人さんは、ふたたび鉛筆をスケッチブックに落とした。

 彼の周囲に流れる時間は常に一定だ。波風の立たない生活をしてる。森の家……寛人さんの家を勝手にそう呼んでる私が、森の家を訪れるたびに、彼を優しく包み込む空気を乱してるみたい。

「ねー、寛人さん」

 私が好き? わがままで、にぎやかしい私が。

 その言葉は胸にしまって、彼の隣にちょこんと座り、手もとをのぞく。

 真っ白なスケッチブックは、鉛筆の先が動くたび、瞬く間に息をする森へと早変わりする。毎日眺める庭も、彼の手にかかると、緑豊かな森になる。

「なんの鳥?」

 大空に飛ぶ鳥の絵に指を向ける。

「ハクセキレイだよ。毎朝来るんだ」
「セキレイ? あの、窓にぶつかる?」

 窓にぶつかるって……と、寛人さんはおかしそうに声を押し殺して笑う。

 私の、こういう無意識に無粋なところが彼を笑わせるみたい。

「セキレイは縄張り意識が強いからね。ガラス窓に映る自分の姿を攻撃しちゃうんだよ。今朝も、コツンコツン窓をつついてたよ」
「なんだかかわいい」
「益鳥だからね。きっといいことあるよ」
「いいことなら、もうあるわ」

 こうやって、寛人さんと一緒に過ごせるだけで幸せ。彼はきっとわかってない。私がどれほど幸せでいるか。

「木に、何かいるの?」

 今度は、木に何か描き始めた鉛筆の先を目で追う。

「リス」
「リス? リスがいるのっ?」
「大騒ぎするほどのことじゃないよ」
「だって、リスがいるなんて聞いてないもの」
「言ってないからね」

 彼の声が愉快そうに弾む。

「リスなんて見たことないわ。見てみたい」
「最近は朝の7時ぐらいに来るよ。そこの正面の木に」

 寛人さんは庭にある一番大きな樹木を指差す。

「じゃあ、明日は朝ごはん食べずにここに来ようかしら」
「泊まっていけばいいのに」
「だ、だからっ、それはまだ早いと思うの」
「何が早いの?」
「言わせないで。寛人さんは意地悪なんだからっ」

 動揺を隠せず、赤らむ私を、彼はおかしそうに見ている。

 きっと彼は純粋に泊まっていけばいいと思ってるだけ。不純なのは、私。恥ずかしくてたまらなくて、庭へ足を下ろすと、リスが来るという木へと向かう。

「ここに来るの?」

 葉が覆い茂る木の根もとに立ち、座り心地の良さそうな枝を指差す。

「そうだよ」

 寛人さんはうなずいて、サラサラとスケッチブックに鉛筆を走らせた。

 今度は何を書いてるのだろうと気になって、駆け戻ろうとしたとき、玄関の方からチャイムの音が響いてきた。
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