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君の世界は森で華やぐ 〜2〜
海のギャラリー 2
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「朝野空と言います。春宮先生がこちらにお住まいと聞いて、居ても立ってもいられなくて来てしまいました」
玄関先に現れた私へ、空さんは恐縮げに頭をさげた。
寛人さんに会いたくて、我慢できずに訪ねてきたという彼女は、白のブラウスに、黒のタイトスカート姿だった。
肩に引っかけた黒のトートバッグからはファイルが見えている。いかにもな、営業スタイルの彼女は、20代半ばだろうか。
「聞いたって、どこで?」
「あっ、駅にあるカフェです。たまたまコーヒー飲んでたら、絵画が飾ってあって。すぐに春宮寛人先生の作品だってわかりました。お店の人に聞いたら、春宮さんのお宅はこちらだって言うから」
どうやら、カフェ・ド・ボワに飾られた『ぬくもりの森』を見つけ、画家である寛人さんを訪ねてきたようだ。
営業スタイルの彼女がたまたま立ち寄ったカフェで寛人さんの絵画を見つけ、アポも取らずにやってきた。
何の用だろうと警戒したのは私だけじゃないはずだけど、寛人さんはリビングからチラッと玄関をのぞいただけで、すぐに引っ込んでしまった。あいかわらず、来訪者にも興味がない。
「あっ、今の、春宮先生ですよねっ? 私、先生のファンなんですっ」
「えっ、あ、ちょっと、あなた……」
いきなり、玄関に上がりこもうとする空さんの前へ腕を伸ばすが、彼女は私の腕をつかんだまま身を乗り出し、リビングに向かって叫んだ。
「先生っ、覚えてませんか? 3年前に、コンテストに作品出されましたよね? 海の虹。海の虹ですっ。私、あの作品が大好きで、画家を目指すのやめて、ギャラリストになろうって決めたんですっ」
3年前のコンテスト?
海の虹?
私の知らない寛人さんを空さんが知っている。
わずかに動揺し、リビングを振り返るが、寛人さんは出てこない。興味がないのだろう。
私はようやく、空さんを押し返す。困り顔をしていたのだろう、彼女は私と目を合わせるなりハッとして、気まずそうにした。
「えっと、寛人さんは忙しいみたいだから、話なら、私が」
おせっかいな性格が災いして、首を突っ込んでしまう。でも、それだけじゃない。私の知らない寛人さんを知りたいような気がしたのだ。
「マネージャーの方ですか? 申し訳ありません、連絡もせずにお訪ねして。春宮先生にお会いできると思ったら、舞い上がってしまって」
マネジメントしてるわけじゃないんだけど、と思いながらも、誤解をとく必要も感じなくて、ぺこぺこと頭をさげる彼女に尋ねる。
「3年前のコンテストっていうと?」
「あっ、ご存知ないですか? 3年前に、ある企業が主催した絵画展があったんです。今はもうその絵画展はやってないんですけど、当時は若手が参加しやすい絵画展だって話題になって、大学生だった私も参加してみることにしたんです」
「美術大学の学生さんだったの?」
「はい、そうです。画家を目指してました」
きっぱりと彼女はそう言う。
「それなのに、寛人さんの作品を見て、ギャラリストに?」
「絵画が好きなんです。画家になる夢はもちろんありましたけど、春宮先生の絵画を見たとき、上には上がいるんだって実感したというか……、私は描く才能があんまりないんじゃないかって悩んだりもしてたので、あの絵画展をきっかけに、才能溢れる作品を広く知らしめる仕事をしたいって思ったんです」
「そんなに素敵な絵画だったのね」
「それは、もう。絶対、春宮先生が大賞をとられると思ってました。それなのに……」
空さんは悔しそうにのどをつまらせる。
「受賞できなかったのね。残念だけど」
どんなに素晴らしい作品でも、必ず受賞できるわけではない。仕方ないこともある、と言うと、彼女はみるみるうちに顔色を変えた。
「残念なんてものじゃありません。私の周りじゃ、絶対春宮先生がとるって言ってました。それが、実際は売れ始めたばかりの女性画家が受賞しました。そのあと、コンテストの審査員が、気に入っている画家に大賞をとらせたんだってうわさが広まって、ずっと納得いかないでいたんです」
「うわさなんでしょう?」
「それはそうですけど、その絵画展もすぐになくなりましたし、その画家と審査員は結婚しましたから、そういうことなんだって思って」
「女性画家を売り出すためのコンテストだって?」
「そう思ってます」
にわかには信じられない話だけど、少なくとも空さんはそう信じてるみたい。
「空さんのような方に寛人さんの作品が評価されたなら、コンテストに出してよかったんだと思うわ。私もその、海の……」
「海の虹です!」
「そう、海の虹、見てみたいわ」
空さんの心を奪った絵画に興味がある。
「でも、どこにあるのか……」
首をかしげたとき、空さんの視線が私の後方に移る。振り返ると、寛人さんがリビングから出てきたところだった。
「海の虹なら、倉庫部屋にあるよ」
そう言うと、寛人さんは廊下を歩いていった。
「朝野空と言います。春宮先生がこちらにお住まいと聞いて、居ても立ってもいられなくて来てしまいました」
玄関先に現れた私へ、空さんは恐縮げに頭をさげた。
寛人さんに会いたくて、我慢できずに訪ねてきたという彼女は、白のブラウスに、黒のタイトスカート姿だった。
肩に引っかけた黒のトートバッグからはファイルが見えている。いかにもな、営業スタイルの彼女は、20代半ばだろうか。
「聞いたって、どこで?」
「あっ、駅にあるカフェです。たまたまコーヒー飲んでたら、絵画が飾ってあって。すぐに春宮寛人先生の作品だってわかりました。お店の人に聞いたら、春宮さんのお宅はこちらだって言うから」
どうやら、カフェ・ド・ボワに飾られた『ぬくもりの森』を見つけ、画家である寛人さんを訪ねてきたようだ。
営業スタイルの彼女がたまたま立ち寄ったカフェで寛人さんの絵画を見つけ、アポも取らずにやってきた。
何の用だろうと警戒したのは私だけじゃないはずだけど、寛人さんはリビングからチラッと玄関をのぞいただけで、すぐに引っ込んでしまった。あいかわらず、来訪者にも興味がない。
「あっ、今の、春宮先生ですよねっ? 私、先生のファンなんですっ」
「えっ、あ、ちょっと、あなた……」
いきなり、玄関に上がりこもうとする空さんの前へ腕を伸ばすが、彼女は私の腕をつかんだまま身を乗り出し、リビングに向かって叫んだ。
「先生っ、覚えてませんか? 3年前に、コンテストに作品出されましたよね? 海の虹。海の虹ですっ。私、あの作品が大好きで、画家を目指すのやめて、ギャラリストになろうって決めたんですっ」
3年前のコンテスト?
海の虹?
私の知らない寛人さんを空さんが知っている。
わずかに動揺し、リビングを振り返るが、寛人さんは出てこない。興味がないのだろう。
私はようやく、空さんを押し返す。困り顔をしていたのだろう、彼女は私と目を合わせるなりハッとして、気まずそうにした。
「えっと、寛人さんは忙しいみたいだから、話なら、私が」
おせっかいな性格が災いして、首を突っ込んでしまう。でも、それだけじゃない。私の知らない寛人さんを知りたいような気がしたのだ。
「マネージャーの方ですか? 申し訳ありません、連絡もせずにお訪ねして。春宮先生にお会いできると思ったら、舞い上がってしまって」
マネジメントしてるわけじゃないんだけど、と思いながらも、誤解をとく必要も感じなくて、ぺこぺこと頭をさげる彼女に尋ねる。
「3年前のコンテストっていうと?」
「あっ、ご存知ないですか? 3年前に、ある企業が主催した絵画展があったんです。今はもうその絵画展はやってないんですけど、当時は若手が参加しやすい絵画展だって話題になって、大学生だった私も参加してみることにしたんです」
「美術大学の学生さんだったの?」
「はい、そうです。画家を目指してました」
きっぱりと彼女はそう言う。
「それなのに、寛人さんの作品を見て、ギャラリストに?」
「絵画が好きなんです。画家になる夢はもちろんありましたけど、春宮先生の絵画を見たとき、上には上がいるんだって実感したというか……、私は描く才能があんまりないんじゃないかって悩んだりもしてたので、あの絵画展をきっかけに、才能溢れる作品を広く知らしめる仕事をしたいって思ったんです」
「そんなに素敵な絵画だったのね」
「それは、もう。絶対、春宮先生が大賞をとられると思ってました。それなのに……」
空さんは悔しそうにのどをつまらせる。
「受賞できなかったのね。残念だけど」
どんなに素晴らしい作品でも、必ず受賞できるわけではない。仕方ないこともある、と言うと、彼女はみるみるうちに顔色を変えた。
「残念なんてものじゃありません。私の周りじゃ、絶対春宮先生がとるって言ってました。それが、実際は売れ始めたばかりの女性画家が受賞しました。そのあと、コンテストの審査員が、気に入っている画家に大賞をとらせたんだってうわさが広まって、ずっと納得いかないでいたんです」
「うわさなんでしょう?」
「それはそうですけど、その絵画展もすぐになくなりましたし、その画家と審査員は結婚しましたから、そういうことなんだって思って」
「女性画家を売り出すためのコンテストだって?」
「そう思ってます」
にわかには信じられない話だけど、少なくとも空さんはそう信じてるみたい。
「空さんのような方に寛人さんの作品が評価されたなら、コンテストに出してよかったんだと思うわ。私もその、海の……」
「海の虹です!」
「そう、海の虹、見てみたいわ」
空さんの心を奪った絵画に興味がある。
「でも、どこにあるのか……」
首をかしげたとき、空さんの視線が私の後方に移る。振り返ると、寛人さんがリビングから出てきたところだった。
「海の虹なら、倉庫部屋にあるよ」
そう言うと、寛人さんは廊下を歩いていった。
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