君の世界は森で華やぐ

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君の世界は森で華やぐ 〜2〜

不穏なふたり 2

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「春宮先生、ギャラリーに来ていただけませんか? 一度、ご覧いただければ、先生の作品を扱うのにふさわしいギャラリーだとご理解いただけると思うんです!」

 昼過ぎに森の家を訪れると、庭で草むしりをしている寛人さんに、空さんがつきまとっていた。

 彼は黙々と草むしりを続けていて、聞いているのかいないのかわからない様子だが、彼女はめげずに話しかけている。

「ギャラリーって、まだ工事中の?」

 空さんの背後に近づいて尋ねると、彼女は驚いたように振り返った。

「あっ、マネージャーさんっ。おはようございます。ちょうどよかったです。ぜひ、春宮先生にギャラリーにお越しいただきたくて、お誘いしてるところでした。ずいぶん、内装は出来上がってきてるので、来週にはご覧いただけると思うんです」
「そうなの」

 うなずきつつ、どうしてシエルと関係のない空さんが執拗に寛人さんを誘うのかといぶかしんでしまう。

 いったい、彼女は何者なのだろう。

「じゃあ、私が行こうかしら」

 寛人さんは絶対に行かないだろうし、そうでもしないと、空さんも引き下がらないだろう。それに、私もギャラリーに興味があった。

 私がそう申し出ると、寛人さんが顔を上げた。

「ゆかりちゃん、今日は遅かったね」

 軍手をはずし、立ち上がる彼は、空さんを素通りしてこちらにやってくる。

 昨夜は森の家に泊まった。寛人さんの絵画をたくさん見せてもらって、夜になると、肌を触れ合わせた。

 遠慮がちに触れてくる彼が優しくて、涙があふれそうだったのを覚えている。私を大切に扱ってくれる男の人は、寛人さん以外にいないと思うほどだった。

 朝になり、大和屋へ戻った。外泊には気づかれていただろうが、女将が何も言わないから、私も何食わぬ顔でレストランで朝食をいただいた。それから仮眠を少し取って、ふたたび森の家に戻ってきたのだ。

 こんな生活が続くなら、いずれ、大和屋を出ないといけないかもしれない。寛人さんだって、一緒に暮らせばいいと言ってくれる。でもまだ、彼と暮らす決意ができない。

 結婚は夢見ていても、彼の生活の大半を変えてしまう勇気が、まだなかった。

「ボワでクッキーを買ってきたの」
「ミルク、いれるよ」

 紙袋を見せると、彼はすぐさま玄関に入っていく。

「春宮先生って、本当にマネージャーさんしか見えてないみたいです」

 空さんはがっくりしたように肩を落とす。

「そんなこともないわ」

 ただちょっと、人見知りなだけ。

「そうでしょうか……。あ、春宮先生、マネージャーさんの話なら聞いてくれますよね? 先生を説得してほしいんです」

 マネージャーさん、と連呼されると変な気持ちになるけど、否定する必要も感じなくて、誤解をとかずに尋ねた。

「どうしてそんなに必死なの?」
「必死にもなりますっ。春宮先生はもっと有名になってもいい画家です。小野寺天秀の人脈をもってすれば、先生は世界にも羽ばたけるんですよ」
「世界ねぇ」

 想像はつかないけれど、そうなれば、寛人さんが遠い存在になってしまうだろうことはわかる。

 今になって思う。私はなぜ、衝動的ともいえる行動で仕事をやめたのだろう。毎日忙しく働き、充実していた。その生活を手放したいと思ったのは、一度立ち止まって、平穏な日々を過ごしてみてもいいと思ったからじゃなかっただろうか。

 寛人さんに出会ってからは、より強くそう思うようになった。私たちはこの森の家で、穏やかに暮らせればそれでいいと思ってるのではないか。

 でもそれは同時に、寛人さんの才能を埋もれさせてることになるのだろう。

「私、ギャラリーでお手伝いをするつもりなんです。だから、ぜひ、春宮先生の作品を扱いたくて」
「手伝うつもり? 空さんはシエルのギャラリストじゃないの?」

 やっぱり、と思いながら、知らぬふりで尋ねると、空さんは恥ずかしそうに苦笑いした。だますつもりも、隠すつもりもなかったみたいな仕草だった。ただ単に私が勝手に誤解したんだと気づく。

「小野寺天秀の集める美術作品はすべて、私好みなんです。アーティストと顧客をつなげる素晴らしい仕事をする小野寺さんの側で仕事がしたい。そう思い始めてから、もう2年になるんですけど……」
「なかなか採用されないの?」
「以前は多くのスタッフがいましたが、ギャラリーの移設が決まってからは、お一人で細々とやりたいそうで」
「そうだったの」

 タイミングが合わなかったのだろうか。

 人生はふしぎな縁でつながれてるのだとしたら、彼女とシエルは縁がなかったということになるのだろうけれど、その縁の糸を彼女はまだ、手繰り寄せようとしているのだ。

「でも、一人ぐらい雑用のスタッフがいてもいいと思うんです。だから私……」
「寛人さんとの契約を取って、ギャラリストとしての採用を目指してるのね?」
「春宮先生の絵画は、小野寺さんが絶対に好む作品です。これは、先生や小野寺さんのため、私のためにも必要な契約になります」
「そう」

 ずいぶん身勝手な理由に寛人さんを巻き込んでるのね、とチクリと言ってしまいたかったけど、彼女の言う通り、寛人さんにとっても悪い話ではないはず。それを、私の一存でいいとか悪いとか言えるものじゃないとも思う。

「マネージャーさん、来週、ギャラリーに来てもらえますか? 小野寺さんに会ってほしいんです」

 空さんは、いちるの望みをかけて、私に祈るような目を向けてきた。
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