君の世界は森で華やぐ

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君の世界は森で華やぐ 〜2〜

不穏なふたり 1

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 いつもは大和屋の裏道を通って森の家へと行くが、今日は思い立って、白森駅へ続く道に足を向けた。

 駅前交番で、老女と話す警察官の羽山さんを横目に、ボワを通り過ぎ、隣接した土地の前で足を止めた。

 建築計画のお知らせ看板を眺めていると、「あら、ゆかりさんっ」と声をかけられた。振り返ると、ボワのドアから佳奈子さんが顔をのぞかせていた。

 佳奈子さんはカフェ・ド・ボワの店員さんで、佳奈美さんというふたごのお姉さんがいる。佳奈美さんは渡米していて、来月、日本に帰ってくるらしい。

 好奇心旺盛な佳奈子さんは、すぐに店から出てくると、見ちゃいましたよ、と、にんまりする。

「見ちゃったって?」
「とぼけないでくださいよー。寛人さんですよ、寛人さん。寛人さんと昨日、海辺にいましたよね。おふたり、すっごくお似合いで羨ましいです」

 佳奈子さんはこの手の話が好きだ。夢見る少女のような目をする。

「あ、散歩、してたの」

 思わず、ひるむ。

 この小さな町で生まれ育った寛人さんをよく知る住人はたくさんいるだろう。彼に新しい恋人ができたとなれば、目立ってしまうのは仕方ないと覚悟していたけれど、こうもあけすけに茶化されると恥ずかしくなる。

「そういうデートもいいですよね。寛人さんがあんなに優しい顔するの、ゆかりさんの前だけですよね」
「そうかしら」

 海辺で手をつなぎ、彼の話に耳を傾けた。

 海の虹を描いたのは、水平線に浮かぶ夕日があまりにきれいだったからだと言っていた。虹がかかってたんじゃないのね? と笑ったら、ゆかりちゃんならそう言うと思った、って彼も笑ったんだった。

「そうですよー。寛人さん、ゆかりさんが来てから本当に楽しそうで、今は大作に取り組んでるみたいですね?」
「大作? 下書きはいつもしてるみたいだけど、何を書いてるのかは知らないわ」
「楽しみですね。なかなか寛人さん、絵画を手放さないですけど、もっとたくさんの方に知ってもらえたらいいのにって思うんです」
「そうね。欲がないのよ、きっと」

 たぶん、とんでもないぐらい、無欲。

「あっ、ゆかりさん、聞きました? 隣に、ギャラリーができるみたいです。確か、シエルって名前の。先日、オーナーの小野寺さんって方がご挨拶に見えたんです」

 唐突に思い出したように、佳奈子さんはそう言う。

「小野寺さんに会ったの?」
「ええ、すっごくイケメンのおじさまでした。近くに絵描きの先生がいるってお話したら、寛人さんのことはご存知だったみたいで、オープン前に訪ねてみたいって言ってましたよ」

 佳奈子さんは寛人さんのファンだから、宣伝してくれてるのだろう。

「昨日、関係者の女性が来たわ。寛人さんの作品をぜひ置かせてもらいたいって」
「女性が? 小野寺さんはお一人で店を切り盛りしてるって言ってたけど」

 ふしぎそうにする佳奈子さんにつられて、私も首をかしげた。

「そうなの? てっきり、シエルのギャラリストだと思ってたわ」
「なんでしょうね、その女性。寛人さんに近づこうとする新手の詐欺だったりして」
「詐欺! まさか」

 まだ一度しか会ったことはないけれど、情熱的で一本気そうだった空さんが詐欺師だなんて、想像もつかない。

「わかりませんよー。寛人さんの絵画は寛人さんが思ってるより価値があるんですから。有名になってほしいって思うけど、マイペースな寛人さん見てると、心配になっちゃいますよね」
「そうね。寛人さんに話しておこうかしら」
「それがいいですよ。ゆかりさんがいない間に、寛人さんに近づかない保証もないですからね」

 そう言われると、落ち着かない。居ても立ってもいられなくなって、すぐに佳奈子さんに別れを告げると、森の家へと向かった。




 寛人さんはいつものように縁側に腰かけて、庭を眺めていた。

 私に気づくと、「リスはもういないよ。明日はもうちょっとはやく来るといいよ」と笑った。

 人の気も知らないで、と私は彼に駆け寄り、側にひざをついて迫る。

「それより、寛人さん、大変よ。今ね、佳奈子さんから話を聞いてきたの」
「なんだ、ボワに行ってきたんだ。あとで、パンをもらいに行くつもりだったよ」

 のんきに彼は言う。

「それはまた後で行けばいいじゃない。そうじゃなくて、空さん」
「空? だれ?」
「誰って、朝野空さんよ。昨日、来たでしょ? ギャラリー・シエルのギャラリスト。……って、思ってた人」
「回りくどい言い方するんだね」

 寛人さんはおかしそうに笑う。

「もうっ、細かいことはいいから、その空さんね、ギャラリストじゃないみたいなの」
「へえー」

 興味なさそうにうなずいて、彼はかたわらに置いてあるスケッチブックを広げた。

 自分に関係ないと思ってる話には、まったく興味がないのだ。もどかしく思いながら、彼の腕をつかむ。

「寛人さんの絵画のファンを装って、絵画を二束三文で買いたたくつもりかも!」
「二束三文の価値もないよ」
「そんなわけないじゃない。寛人さんは全然、危機感がないんだから」
「価値があるっていうなら、あの部屋の絵画は、ゆかりちゃんに全部あげるよ」
「え」

 驚いて、彼を見つめる。そこには穏やかに笑う彼がいて、自分の作品に執着してないのだと思い知らされる。

 彼はあきらめてるのだ。自分の作品に価値なんてないから、売る気も見せる気すらない。

「ゆかりちゃんの好きなようにしていいよ。俺はまた描けばいいから」
「それは……うれしいけど、なんか違う気もするわ」
「いいんだよ」

 戸惑いつつも、スケッチブックに鉛筆を走らせる彼の手もとをのぞき込む。

「また、リス?」
「ゆかりちゃんがいつでもリスに会えるように」
「私のために?」
「うん。ゆかりちゃんが喜んでくれたら、それでいいんだ」

 絵画に取り組むとき、彼は少年のようになる。ただひたすら、純粋な。

「私のこと、すごく好きじゃない」
「うん、好きだよ」
「素直ね」
「ゆかりちゃんは?」

 優しくほほえむ彼と手を重ねる。

「好きに、決まってる」

 そう言うと、彼は顔を近づけてくる。唇が重なったら、小さなため息が出た。

 何度か触れ合わせて、お互いに求め合う。夢中になって、がむしゃらに唇を重ねるのとは違う。何度も優しく重ね合う。

 すごく、好き。
 寛人さんが愛おしくてたまらない。

「ゆかりちゃん、泊まっていっていいよ」

 私の髪をなでながら、彼はつぶやくようにそう言った。

「リスが見られるから?」
「違うよ」

 寛人さんはそう否定して、腰に腕を回してきた。

 抱き寄せられると、胸が跳ねた。寛人さんから男の人を感じる一瞬は、ひどく動揺してしまう。

 それを望んでいても、彼が欲してくれないと、求める勇気はなかった。今まではそうだった。でも、今日は違う。

「……泊まる」

 彼の胸に顔をうずめて、そう言うと、緊張とあいまって、声がくぐもった。

「ん?」
「……泊まらせて、ください」

 もう一度、彼の背中に腕を回して言うと、頭をするりとなでられた。

「うん」

 うなずいただけなのに、寛人さんの声が弾んでいるような気がしたのは、決して気のせいではなかっただろう。
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