記憶をなくしても君は忘れない

水城ひさぎ

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元彼は記憶喪失

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「フォトグラファーやってる。まだまだ駆け出しで、全然有名じゃないけどね」

 今はアメリカを拠点に、大手の広告代理店に勤務する父の紹介で、日本での仕事ももらえている状況だ。いつかは自分の個展を開いてみたいという目標があるが、それは遥か遠く夢のまた夢の話だ。

「それはすごいな。プロなんだ? 光莉の撮った写真、見てみたいよ」
「いつか、拓海の目にとまる日が来るように頑張らなきゃね」

 今すぐは見せてくれないんだ? と拓海は目尻を下げて笑ったが、どうしても見たいとはしつこくしなかった。そんなところも変わらない。

 正義感の強い彼は、困ってる人がいたら迷惑がられても放っておけない性格だけど、そうでなければ深入りしない面もある。そのバランスの良さに光莉は憧れていたのだと、当時の気持ちを思い出していた。

 拓海とは別れたくなかった。それが本心だったが、傷つきたくなくて逃げ出した。彼より自分を守った。それが真実だ。本当なら、こんなふうに彼の笑顔と向き合う資格なんてない。

 細い路地を抜けると、拓海の暮らすアパートは目の前だった。光莉は街灯の光に照らされたアパートの館銘板を目にとめた。

「そう言えば、アパートの名前、ペンタプリズムだね」

 ペンタプリズムはカメラ部品の名称だ。一眼レフカメラに組み込まれた重要なパーツの一つで、レンズから入射した光は逆さまの像になるが、ミラーとともにペンタプリズムと呼ばれる五角形のプリズムに反射させることで、正像にする役割を果たしている。

 ファインダーをのぞいて被写体が確認できるのは、ペンタプリズムがあるからだ。ペンタプリズムについて熱く語っていた高校時代の拓海を思うと、彼にふさわしいアパート名だろう。

「そうそう。母親がさ、カメラのことだけは覚えてる俺がはやく記憶を取り戻せるようにって、このアパートがいいんじゃないかって勝手に契約してさ。2LDKなんて、一人で住むには広すぎるって言ったんだけどさ、全然聞く耳もたなくて」

 2LDKは一人暮らしには広すぎるか……。

「やっぱり、一人暮らしには贅沢だよね」
「光莉のアパートも同じ間取りだろ? 俺の方がA棟、光莉の方がB棟だから。正直、家族で住んでる人ばっかりだから、光莉がいたのは意外だったよ」
「あ、うん」

 すっかり忘れていた。拓海は光莉が隣のアパートに住んでると誤解してるんだった。

 光莉は改めて、ペンタプリズムA棟を見上げた。珍しい外観ではないのに、ここへ来たときに抱いた違和感を思い出していた。その違和感の正体にようやく気づいた。

 それは、このアパートが家族向け賃貸だからだ。一人暮らしにしては広すぎる。拓海と理乃の暮らすアパートは同じ外観で、同じ間取り。だとしたら、理乃にとっても広すぎる部屋じゃないだろうか。

「まあ、俺は看病が必要かもしれないからって、いつでも母親が泊まれるようにって意味合いもあるんだけどさ」

 拓海の言葉はヒントのようだった。理乃もまた、誰かを泊めるために……いや、誰かと暮らすために広めの部屋を借りていたのか。だとしたらそれは、不倫相手だろうか。
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