記憶をなくしても君は忘れない

水城ひさぎ

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元彼は記憶喪失

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 光莉が訪ねたいずれの日もアパートは留守だった。不倫相手はここに暮らしていないだろう。しかし、半同棲状態だった可能性もある。

 それにしても、理乃はどこへ行ってしまったのか……。わからないことばかりだ。

「なあ、光莉」
「え……、なに?」

 考えごとをしていた光莉は我に返って顔をあげる。拓海は神妙な表情をしていた。

「俺が光莉を覚えてた理由が、どうしても気になってる」
「それは私にもわからないって言ったじゃない」

 突き放したように感じただろうか。拓海は思い詰めた目をこちらに向ける。

「俺はさ、名前を覚えてたのは光莉が俺にとって特別な人だからじゃないかと思ってる」
「特別……」

 そうだ。昔はそうだった。高校時代は特別だった。しかし、今は違う。

「なあ、光莉、もう少し話を聞かせてくれないか? 俺と光莉が高校時代、どうやって過ごしていたのか教えてほしい。もしかしたら、記憶を取り戻せるきっかけが見つかるかもしれない」

 真剣なまなざしに圧倒されそうになる。記憶がないというのは彼にとって切実な問題だ。しかし、光莉は迷う。彼が記憶を取り戻したら、気兼ねなく話せる今のこの関係は壊れてしまうかもしれない。

「記憶、取り戻したいの?」

 もしかしたら、忘れたい出来事があって記憶をなくしたかもしれないのに?

「それはそうだよ。ずっともやがかかったような気分なんだ。何か思い出さなきゃいけない。そう思ってる自分がいるのに思い出せない」
「思い出さなきゃいけない?」
「そういう焦燥感がずっとあるんだよ」
「……そっか」
「迷惑なのはわかってるけど、こんなことを頼めるのは光莉しかいない」
「本当に私が特別だと思ってるの? 拓海には今、大事な人がいるかもしれないのに」

 思い出さなきゃいけないのは、特別な女性じゃなくて?

「大事な人って……、もしかして恋人がいるかもって気にしてる? 同僚の話じゃ、俺は仕事人間で、浮いた噂なんて一つもなかったらしいよ。それらしい女の人から連絡が来たこともないしね」

 肩をすくめて、拓海は恥じ入るように笑う。

「私じゃ、役に立たないと思うよ」
「なんでもいいんだ。光莉が知ってる俺のことを教えてほしい」
「どうしてもって言うなら……」

 結局、譲歩してしまう。わらにもすがる思いの彼を突き放せないのだ。

「明日は時間ある?」

 早速、拓海は尋ねてきた。

「そうだね……、どうしようかな」

 ペンタプリズムB棟へ目を向ける。明日もまた訪ねてみるつもりだが、理乃に会える期待感はない。それより、理乃の不倫相手を突き止めて、居場所を知らないか聞き出したい。

「さすがに、急には無理か……。俺の連絡先渡しておくから、都合のいいときに連絡してくれないか」

 悩む光莉にそう言うと、拓海はポケットを探り、財布に入っていた名刺を差し出してくる。

 名刺には可愛らしい犬の柄が入っていた。大手カメラメーカー『ドックス』のロゴだ。

 本当に努力して、彼は人気企業の就職を勝ち取ったのだろう。記憶をなくして、もしかしたら仕事も手放さなければならないかもしれない状況に置かれた今、何がなんでも記憶を取り戻し、以前と同じ生活を送りたいと思うのは自然なことだ。

「明日、連絡入れるね」

 名刺を受け取ると、ほっとあんどした拓海はB棟の方へ足を向ける。

「部屋の前まで送るよ」
「……あ、大丈夫。部屋には行かない」

 拓海は首をかしげる。

「アパートに戻るのは怖い? あの人がまた来るかもしれないよな」

 勝手に誤解したようだ。それなら都合がいい。光莉はうなずく。

「先に帰っていいよ。私は気が向いたら帰るから」
「だったら、俺の部屋に来る?」
「え?」

 唐突な提案に、光莉はぽかんと口を開けた。拓海も自分の言葉が信じられないみたいにあたふたする。

「あ、いや、別に変な意味じゃないんだ。こんな夜遅くに一人じゃ危ないし、いろいろ話聞かせて欲しくてさ。それに……」

 拓海はそう言いかけて、口をつぐんだ。

 それに、恋人がいる光莉とどうかなる可能性なんてない、だろうか。しかも、恋人との関係は不倫だ。不倫する女なんて、生真面目な拓海は絶対に好きにならないだろう。

「あっ、それにさ、きっと俺の部屋から光莉の部屋が見えるから都合がいいんじゃないかって思ってさ」

 取ってつけたような言い訳だったが、光莉は興味を持つ。

「部屋が見える?」
「光莉、101号室だろ?」
「ああ、うん」
「俺も101だから。リビングから、光莉の部屋の玄関が見えるはずだよ。誰か来たらすぐにわかるから、大丈夫だって思えたら帰るといいよ」
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