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理乃の行方
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見慣れない茶色のドアを出ると、長い廊下があった。その先にあるドアの奥で、物音が聞こえている。
その音に導かれるように進み、ドアを開けると、キッチンに立つ拓海が気まずそうな笑顔で、「おはよう」と振り返った。
キッチンカウンターの上に置かれたデジタル時計は10時を過ぎている。おはよう、と言うには遅い時間だ。
「昨日は遅くまで起きてたから、寝坊も仕方なしだな」
「酔ってたしね」
「言うほど、酔ってないよ」
光莉を泊めたのは酔った勢いじゃないと否定するみたいに拓海は語気を強める。しかし、誤解を生むような行為は何もない。
むきになる拓海を冷静に見返すと、彼はやはり気まずそうに財布をつかむ。
「朝ごはん、コンビニで買ってくるよ。何食べる?」
「拓海と同じでいいよ」
「コーヒーとパンになるぜ」
「うん、ありがとう」
「じゃあ、待ってて。すぐ戻るから」
勝手に帰らないで。そう釘を刺すように言うと、拓海は足早にアパートを出ていった。
結局、昨夜は泊まってしまった。理乃の部屋を訪ねてきた男は程なくしていなくなり、大丈夫だからと言ったが、拓海が部屋に入るまで見守るというから、理乃の部屋に入るための鍵を持たない光莉は帰るに帰れなくなってしまったのだった。
母親がいつでも泊まれるようにしてあると拓海が言っていた通り、北側の部屋には手入れされた布団があり、光莉が一晩泊まるにはじゅうぶんな状況だった。撮影した動画を印刷してもらっているうちに時間が経ち、仕方なく布団に入ったのは深夜を過ぎてからだった。
光莉はローテーブルの前に座ると早速、寝る前に父から聞いて調べておいた理乃の職場に、スマートフォンで電話をかける。2コール目で電話はつながった。
「はい、丸山商事でございます」
日本を代表する商社の一つである丸山商事の受付嬢は、高飛車な雰囲気のない落ち着きと、澄んだ声音を兼ね備えていた。
「本田と申しますが、経理部の松村理乃さんをお願いします」
「本田様、お電話ありがとうございます。大変失礼ですが、どちらの本田様でございますでしょうか?」
「松村の親族で、本田光莉と言います。急用がありまして、お電話しました」
「おつなぎしますので、少々お待ちくださいませ」
すぐにメロディーが流れてくる。内線に回されたようだ。
フルネームを名乗ってしまったが、理乃は電話に出るだろうか。いや、心配しなくても、光莉からの電話とあれば、むしろ、喜んで出るだろう。理乃はそういう女だ。物怖じせず、敵対心も隠さない強さがある。
しかし、『助けて』と送ってきたメールへ返信しても、何の連絡もなかったことを思うと、出てくれるとも限らない。
やけに長く待たされている気がした。やはり、出たくないと理乃がわがままを言っているだろうか、などと考えていると、突如電話がつながり、「お電話変わりました。経理の赤村ですが」と、不機嫌そうな男の人が出た。
赤村? 誰だろう。予想外の相手に、光莉はほんの少し沈黙した。すると、舌打ちとともに、「いたずらか?」と押し殺した声が聞こえた。ずいぶんとぞんざいな態度だ。
「あっ、すみません。松村理乃につなげてほしいと受付でお願いしたんですが……」
「松村は辞めましたよ」
「えっ? 辞めた?」
光莉はヒュッと息を飲み込む。思いがけない話だった。
「松村のご親族の方ですよね。何もご存知ないんですか?」
赤村は不審げで、探るように尋ねてきた。
「え……、ああ、はい。最近、なかなか連絡が取れなくて、何かあったんじゃないかって心配はしてたんですが……」
まさか、退職してるなんて。
「何かって?」
電話の相手である赤村の声がくぐもる。まるで、周囲に電話の内容を聞かれないよう、受話器を手で囲ったように感じる。
何か変だ。理乃の代わりに出たということは、理乃の直属の上司だろう。その上司が、部下の親族の電話に対してこんなにも投げやりな対応を見せるだろうか。
上司……、そうか。もしかして……。
光莉は一か八か賭けてみるつもりで言う。
「昨日、理乃のアパートに行ってみたんですよ。ちょっとトラブルがあって、気になって会いに行ったんです」
「トラブル?」
「だって変じゃないですか。家賃を滞納するなんて。何かあったって思う方が自然です」
赤村は沈黙している。光莉はさらに続けた。
「理乃のアパートで女の人に会いました。彼女、理乃の恋人の妻だって言うんです。何がなんだかわからないうちに、いきなりその人、私を殴ってきて」
「殴った……?」
「普通じゃないですよね? 怖くなって、それで今日は理乃に電話を。でも、辞めたなら仕方ないです。理乃とも連絡が取れないし。……わかりました。今から警察に行きます。お手数かけてすみませんでした」
「ちょっと待てっ!」
電話を切ろうとすると、赤村の叫び声が聞こえた。すぐにハッと息をのむ音がして、ふたたび、くぐもった声が聞こえてくる。
「今日の昼12時。クラウンホテル一階のレストラン、モーメントで会おう」
見慣れない茶色のドアを出ると、長い廊下があった。その先にあるドアの奥で、物音が聞こえている。
その音に導かれるように進み、ドアを開けると、キッチンに立つ拓海が気まずそうな笑顔で、「おはよう」と振り返った。
キッチンカウンターの上に置かれたデジタル時計は10時を過ぎている。おはよう、と言うには遅い時間だ。
「昨日は遅くまで起きてたから、寝坊も仕方なしだな」
「酔ってたしね」
「言うほど、酔ってないよ」
光莉を泊めたのは酔った勢いじゃないと否定するみたいに拓海は語気を強める。しかし、誤解を生むような行為は何もない。
むきになる拓海を冷静に見返すと、彼はやはり気まずそうに財布をつかむ。
「朝ごはん、コンビニで買ってくるよ。何食べる?」
「拓海と同じでいいよ」
「コーヒーとパンになるぜ」
「うん、ありがとう」
「じゃあ、待ってて。すぐ戻るから」
勝手に帰らないで。そう釘を刺すように言うと、拓海は足早にアパートを出ていった。
結局、昨夜は泊まってしまった。理乃の部屋を訪ねてきた男は程なくしていなくなり、大丈夫だからと言ったが、拓海が部屋に入るまで見守るというから、理乃の部屋に入るための鍵を持たない光莉は帰るに帰れなくなってしまったのだった。
母親がいつでも泊まれるようにしてあると拓海が言っていた通り、北側の部屋には手入れされた布団があり、光莉が一晩泊まるにはじゅうぶんな状況だった。撮影した動画を印刷してもらっているうちに時間が経ち、仕方なく布団に入ったのは深夜を過ぎてからだった。
光莉はローテーブルの前に座ると早速、寝る前に父から聞いて調べておいた理乃の職場に、スマートフォンで電話をかける。2コール目で電話はつながった。
「はい、丸山商事でございます」
日本を代表する商社の一つである丸山商事の受付嬢は、高飛車な雰囲気のない落ち着きと、澄んだ声音を兼ね備えていた。
「本田と申しますが、経理部の松村理乃さんをお願いします」
「本田様、お電話ありがとうございます。大変失礼ですが、どちらの本田様でございますでしょうか?」
「松村の親族で、本田光莉と言います。急用がありまして、お電話しました」
「おつなぎしますので、少々お待ちくださいませ」
すぐにメロディーが流れてくる。内線に回されたようだ。
フルネームを名乗ってしまったが、理乃は電話に出るだろうか。いや、心配しなくても、光莉からの電話とあれば、むしろ、喜んで出るだろう。理乃はそういう女だ。物怖じせず、敵対心も隠さない強さがある。
しかし、『助けて』と送ってきたメールへ返信しても、何の連絡もなかったことを思うと、出てくれるとも限らない。
やけに長く待たされている気がした。やはり、出たくないと理乃がわがままを言っているだろうか、などと考えていると、突如電話がつながり、「お電話変わりました。経理の赤村ですが」と、不機嫌そうな男の人が出た。
赤村? 誰だろう。予想外の相手に、光莉はほんの少し沈黙した。すると、舌打ちとともに、「いたずらか?」と押し殺した声が聞こえた。ずいぶんとぞんざいな態度だ。
「あっ、すみません。松村理乃につなげてほしいと受付でお願いしたんですが……」
「松村は辞めましたよ」
「えっ? 辞めた?」
光莉はヒュッと息を飲み込む。思いがけない話だった。
「松村のご親族の方ですよね。何もご存知ないんですか?」
赤村は不審げで、探るように尋ねてきた。
「え……、ああ、はい。最近、なかなか連絡が取れなくて、何かあったんじゃないかって心配はしてたんですが……」
まさか、退職してるなんて。
「何かって?」
電話の相手である赤村の声がくぐもる。まるで、周囲に電話の内容を聞かれないよう、受話器を手で囲ったように感じる。
何か変だ。理乃の代わりに出たということは、理乃の直属の上司だろう。その上司が、部下の親族の電話に対してこんなにも投げやりな対応を見せるだろうか。
上司……、そうか。もしかして……。
光莉は一か八か賭けてみるつもりで言う。
「昨日、理乃のアパートに行ってみたんですよ。ちょっとトラブルがあって、気になって会いに行ったんです」
「トラブル?」
「だって変じゃないですか。家賃を滞納するなんて。何かあったって思う方が自然です」
赤村は沈黙している。光莉はさらに続けた。
「理乃のアパートで女の人に会いました。彼女、理乃の恋人の妻だって言うんです。何がなんだかわからないうちに、いきなりその人、私を殴ってきて」
「殴った……?」
「普通じゃないですよね? 怖くなって、それで今日は理乃に電話を。でも、辞めたなら仕方ないです。理乃とも連絡が取れないし。……わかりました。今から警察に行きます。お手数かけてすみませんでした」
「ちょっと待てっ!」
電話を切ろうとすると、赤村の叫び声が聞こえた。すぐにハッと息をのむ音がして、ふたたび、くぐもった声が聞こえてくる。
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