記憶をなくしても君は忘れない

水城ひさぎ

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理乃の行方

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 タクシーを降りると、理乃の部屋の前に立っている老婦人がこちらへ顔を向けた。誰だろう? と探るような目をしているから、光莉はゆっくり頭を下げ、キャリーバッグを引きながら彼女へ向かった。

「101号室に何か?」
「ここの大家ですけど、あなたは?」

 生成りのブラウスが似合う彼女は、じろじろと無遠慮に光莉を観察する。普段はこんなふうに人を眺めない人なんだろうなと思わせるような、品の良い佇まいの老婦人だ。

「あっ、大家さんっ。先日はご連絡ありがとうございました。松村理乃の親族のものです」
「もしかして、本田さん?」
「はい。父は仕事なので、娘の私が代わりに。2日前に家賃は振り込みましたけど、大丈夫でしたか?」
「ええ、確認できましたよ。あなた、わざわざ、アメリカから?」

 光莉のキャリーバッグがどうにも気になっているようで、彼女は足もとを見ながら聞いてくる。

「理乃と連絡が取れないって父から聞いて、心配で来てみたんです。大家さんがいらしてるなんて、何かありましたか?」
「ああ、いえね。苦情があったんですよ、昨日。101号室のチャイムを夜中に何回も押してる人がいるって。それも、ドアを蹴るような音もしたって」

 赤村のことだ。苦情を出したのは、102か201の住人だろうか。意外と見られているのかもしれない。だとすると、理乃の行方がわからなくなった9月12日以降、何か変わったことがなかったか、大家の耳に入ってないだろうか。

「理乃の部屋に? 怖いですね」

 初めて聞いたかのようにおびえてみせると、うなずいた大家は小声になって言う。

「あなたにこんなこと言うのは申し訳ないけれど、松村さん、何かトラブルがある人じゃないでしょうね?」
「トラブルですか……。それらしい話を聞いたことはないです。苦情はほかにもあったんですか?」
「いいえ。昨日が初めてですけどね、うちはご家族で暮らしてる方が多いから、一人暮らしの方とはやっぱり、生活が違うでしょう? 何か事情があるならまだしも」

 そう言って、大家は無意識にか、拓海の部屋の方へ視線を移す。理乃と同じ一人暮らしということもあって、警戒してるみたいだ。

「理乃はいつからここに?」
「一年ぐらいですか。ペンタプリズムって名前に惹かれたとおっしゃってましたよ。ほら、カメラの部品と同じ名前でしょう。カメラが趣味なの? って聞いたら、カメラ好きが借りそうな名前だと思って、と。ちょっと変わった方ね」

 赤村も言っていた。理乃がこのアパートに固執したのは、名前が気に入ったからだと。

 理乃はいまだに、光莉に執着していただろうか。

 高校時代、光莉と拓海が交際していることはクラスメイトの全員が知っていた。転校生だったとはいえ、理乃がそれを知るのは容易かったはずだ。たまたま同じクラスになっただけの男子生徒に向ける以上の興味が、彼に対してあっただろう。

 もし、光莉が引っ越さず、拓海とも別れていなかったら、必ず、理乃は彼になんらかの形で接触したはずだ。

 あれから10年が経っているが、理乃はまだ拓海を覚えていたのだろうか。いつか、拓海がこのアパートを借りる日が来るかもしれない、そこへ光莉が来るかもしれない、まさに今、現実となっていることを想像していたとするなら、その執念にゾッとする。

 考えすぎだろうか。しかし、周到に光莉を陥れた小学時代の理乃を思うと、あり得ないとも言い切れない。

「松村さん、まだ留守みたいね。またうかがいますね」
「あっ、すみません。お手数おかけすると思います」

 光莉が丁寧に頭を下げると、大家は小さくうなずいて、ゆっくりとした足取りで駐車場を出ていった。
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