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佐鳥姫の憂鬱 〜朝日を羨む夜の月〜
あなたの声が聞こえる理由 9
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「何から話したらいいのか……」
佐鳥華南は少しばかり思案げに首を傾げ、そう切り出した。
さらりと長いストレートの黒髪が揺れると、甘い香りが周囲に漂うようで、彼女の美しさが際立つ。
しかし、女からのアプローチに心が揺れることはない。誰かを愛する感情はどこかに忘れてきてしまったようだ。
俺の心が華南に伝わるというのは奇妙な感覚だ。だからといって、何があるわけではない。華南は心を覗き見ても、それを他者に口外することはない。そんな安心感だけはある。それは彼女もまた、一族の秘密を抱える者だからか。
「十三代続く佐鳥家の初代当主は殿様なのです」
悩んだ末に華南が出した最初の言葉はそれだった。十三代というのだから、約四百年ほど続く一族だろうか。
「御簾路の?」
「そうです。争いを好まず、御簾路を平和に治めてきた大名だったと聞いています」
「分をわきまえた聡明な男だったんだろうな」
「一つだけ、そうとは言い切れない史実があります」
「一つだけなら優秀だろう?」
内心苦笑すると、華南も珍しく表情を和らげて俺を見つめる。
「どこか欠陥のある男性を魅力的に思うのは血脈のせいかもしれないです」
「それは人生にとってマイナスだ」
「そうかもしれません。佐鳥の殿様の招いたことは今生にまで影響を与えています」
「一つだけ犯した罪がある?」
「はい。殿は二人の妻を迎えたのです。それが全ての罪だと私は思います」
「時代を考えれば珍しいことではないね」
むしろ妻が二人というのは良心的ではないかと思ったが、それは口にしなかった。
「佐鳥家を絶やさないためにはそうするしかなかったのかもしれませんが、二人の妻の心はどれほどのものだったか……。二代目以降もお家断絶の危機は幾度かありましたが、佐鳥家は決して絶やしてはならないのです」
「君に受け継がれた使命は佐鳥家断絶の阻止か?」
華南は前方を見据えたまま、ゆっくりとうなずく。
「私は殿様が愛した女の子孫でしかありませんが、佐鳥の跡継ぎであるのは確かなことです」
「そうまでして守るべき土地には何がある?」
佐鳥家は土地や名を残すのは当たり前とされた時代から続く大名家ではある。
灯華の話を信じるならば、のどから手が出るほど伊江内学長が欲しがり、そして記憶を消す薬を開発しようと考えた俺も興味を持つという薬草が、御簾路の土地にはあるという。
返事を見守る俺の前で、華南はわずかに頭を振る。
「私も知りません……。当主となった者だけが知ることができるのです」
「その当主は佐鳥くんの父親?」
「いいえ、母です。母は第十三代当主。第二代佐鳥家当主以降、すべて女当主です。それを皆は佐鳥家の呪いというのです」
「女性ばかりが生まれるということか?」
そういう話は珍しくないだろう。中には呪いだと言う者もいるだろうが、そこに縛られる彼女の思いこそ呪いだ。
「そうです。そして二人と生まれることはないのです」
「過去そうであったというだけで、佐鳥くんがそうだとは限らない」
「でももし呪いが正しかったら?」
華南は長いまつげを伏せて、小さく震わせる。
「もしたった一人でも授かることができるなら、愛する人の子が欲しい。そう思うのは自然なことです」
「君は……、そうか、愛する男を見分ける能力があるから間違うことはないということか。そのための能力か」
子孫繁栄のために生まれた能力だというなら、それは本能であって、納得できる気もする。
「この能力は遺伝です」
「遺伝?」
「私の母にもかつてはありました」
「かつて? 今はないのか」
「娘を生み落とすと消える能力です」
都合のいい能力だとは思うが、勤めを果たしたら失う能力だというのも興味深くはある。
「その初代当主の妻とやらは、能力を使って当主にたどり着いたのか? そして幸せだったのだろうか。好きな男が己を好くとは限らないが」
君と俺の関係のように。そう伝えるように言うが、華南は俺の思いに気づく様子はない。
「初代当主が彼女を愛していたのか、それを知るのは彼女だけです」
「心が筒抜けでは嫌な思いもする、お互いに」
俺が嫌な思いをしていると思っただろうか、華南は苦しげにうつむく。
「彼女は遊女でした。当主に身受けされ、妻となったのです。好きな人に身受けしてもらえたなら、幸せだったと思います。そして正室には子がおらず、彼女の生み落した女児が二代目当主となりました」
遊女か。灯華が卑しい血だと言っていたのはこのことか。
「正室はただならぬ思いだっただろう」
「佐鳥の繁栄を呪ったと言われています。だから佐鳥家はいつ絶えてもおかしくないのです」
「君の体に流れる血は、初代当主を愛した遊女に突き動かされ、子孫繁栄を望むというのか。そしてそれを望まない正室の呪いが男系を廃れさせた」
「そう、語り継がれています」
「実にくだらないおとぎ話に付き合わされている気分だ」
自分で言っておいて、ひどくばかばかしくなる。
「しかしそれが真実です」
「君はがんこだな。おとぎ話なんていうものは都合のいい作り話だ。佐鳥くんは優秀だ。愛を語る前に勉学に励むといい」
「大学を卒業したら先生に会えなくなるかもしれません」
華南は心細そうに言う。
「恋は何度もする。好きな男の子供を生みたいなら、これから先チャンスはいくらでもある」
「先生以外の人を好きになるなんて考えられません」
伏せた目を上げて、華南は俺を見つめる。なぜここまで意固地になるのか。彼女が育てられてきた環境は罪深い。
「いつか心変わりするさ。一途な思いも思い込みによるところが大きい」
「それでもまたここへ来ます」
「好きにしたらいい。無駄な時間を過ごすことは決して賢くはないが」
人はすぐには変われない。彼女を変えることも俺には無理だ。
いつか気づいてくれるといい。永遠に続く愛こそ幻想だと。
「何から話したらいいのか……」
佐鳥華南は少しばかり思案げに首を傾げ、そう切り出した。
さらりと長いストレートの黒髪が揺れると、甘い香りが周囲に漂うようで、彼女の美しさが際立つ。
しかし、女からのアプローチに心が揺れることはない。誰かを愛する感情はどこかに忘れてきてしまったようだ。
俺の心が華南に伝わるというのは奇妙な感覚だ。だからといって、何があるわけではない。華南は心を覗き見ても、それを他者に口外することはない。そんな安心感だけはある。それは彼女もまた、一族の秘密を抱える者だからか。
「十三代続く佐鳥家の初代当主は殿様なのです」
悩んだ末に華南が出した最初の言葉はそれだった。十三代というのだから、約四百年ほど続く一族だろうか。
「御簾路の?」
「そうです。争いを好まず、御簾路を平和に治めてきた大名だったと聞いています」
「分をわきまえた聡明な男だったんだろうな」
「一つだけ、そうとは言い切れない史実があります」
「一つだけなら優秀だろう?」
内心苦笑すると、華南も珍しく表情を和らげて俺を見つめる。
「どこか欠陥のある男性を魅力的に思うのは血脈のせいかもしれないです」
「それは人生にとってマイナスだ」
「そうかもしれません。佐鳥の殿様の招いたことは今生にまで影響を与えています」
「一つだけ犯した罪がある?」
「はい。殿は二人の妻を迎えたのです。それが全ての罪だと私は思います」
「時代を考えれば珍しいことではないね」
むしろ妻が二人というのは良心的ではないかと思ったが、それは口にしなかった。
「佐鳥家を絶やさないためにはそうするしかなかったのかもしれませんが、二人の妻の心はどれほどのものだったか……。二代目以降もお家断絶の危機は幾度かありましたが、佐鳥家は決して絶やしてはならないのです」
「君に受け継がれた使命は佐鳥家断絶の阻止か?」
華南は前方を見据えたまま、ゆっくりとうなずく。
「私は殿様が愛した女の子孫でしかありませんが、佐鳥の跡継ぎであるのは確かなことです」
「そうまでして守るべき土地には何がある?」
佐鳥家は土地や名を残すのは当たり前とされた時代から続く大名家ではある。
灯華の話を信じるならば、のどから手が出るほど伊江内学長が欲しがり、そして記憶を消す薬を開発しようと考えた俺も興味を持つという薬草が、御簾路の土地にはあるという。
返事を見守る俺の前で、華南はわずかに頭を振る。
「私も知りません……。当主となった者だけが知ることができるのです」
「その当主は佐鳥くんの父親?」
「いいえ、母です。母は第十三代当主。第二代佐鳥家当主以降、すべて女当主です。それを皆は佐鳥家の呪いというのです」
「女性ばかりが生まれるということか?」
そういう話は珍しくないだろう。中には呪いだと言う者もいるだろうが、そこに縛られる彼女の思いこそ呪いだ。
「そうです。そして二人と生まれることはないのです」
「過去そうであったというだけで、佐鳥くんがそうだとは限らない」
「でももし呪いが正しかったら?」
華南は長いまつげを伏せて、小さく震わせる。
「もしたった一人でも授かることができるなら、愛する人の子が欲しい。そう思うのは自然なことです」
「君は……、そうか、愛する男を見分ける能力があるから間違うことはないということか。そのための能力か」
子孫繁栄のために生まれた能力だというなら、それは本能であって、納得できる気もする。
「この能力は遺伝です」
「遺伝?」
「私の母にもかつてはありました」
「かつて? 今はないのか」
「娘を生み落とすと消える能力です」
都合のいい能力だとは思うが、勤めを果たしたら失う能力だというのも興味深くはある。
「その初代当主の妻とやらは、能力を使って当主にたどり着いたのか? そして幸せだったのだろうか。好きな男が己を好くとは限らないが」
君と俺の関係のように。そう伝えるように言うが、華南は俺の思いに気づく様子はない。
「初代当主が彼女を愛していたのか、それを知るのは彼女だけです」
「心が筒抜けでは嫌な思いもする、お互いに」
俺が嫌な思いをしていると思っただろうか、華南は苦しげにうつむく。
「彼女は遊女でした。当主に身受けされ、妻となったのです。好きな人に身受けしてもらえたなら、幸せだったと思います。そして正室には子がおらず、彼女の生み落した女児が二代目当主となりました」
遊女か。灯華が卑しい血だと言っていたのはこのことか。
「正室はただならぬ思いだっただろう」
「佐鳥の繁栄を呪ったと言われています。だから佐鳥家はいつ絶えてもおかしくないのです」
「君の体に流れる血は、初代当主を愛した遊女に突き動かされ、子孫繁栄を望むというのか。そしてそれを望まない正室の呪いが男系を廃れさせた」
「そう、語り継がれています」
「実にくだらないおとぎ話に付き合わされている気分だ」
自分で言っておいて、ひどくばかばかしくなる。
「しかしそれが真実です」
「君はがんこだな。おとぎ話なんていうものは都合のいい作り話だ。佐鳥くんは優秀だ。愛を語る前に勉学に励むといい」
「大学を卒業したら先生に会えなくなるかもしれません」
華南は心細そうに言う。
「恋は何度もする。好きな男の子供を生みたいなら、これから先チャンスはいくらでもある」
「先生以外の人を好きになるなんて考えられません」
伏せた目を上げて、華南は俺を見つめる。なぜここまで意固地になるのか。彼女が育てられてきた環境は罪深い。
「いつか心変わりするさ。一途な思いも思い込みによるところが大きい」
「それでもまたここへ来ます」
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