非才の催眠術師

つづき綴

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まわり始める運命の時計

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 駐車場に停車する車は誰もが知る高級車だった。その助手席のドアを開ける真咲さんの仕草はスマートで手馴れたものだ。

 彼の車に乗った女性は数知れないだろう。そんなことを複雑に思いながら、シートにキャリーを置き、コートを脱ぐ。

 冷たい風がワンピースを揺らす。ひどく寒い。セーターの真咲さんにコートを返す時、彼の指が私の手に触れる。その手も冷たくて、申し訳なさに身をすくめるが、彼は笑顔で私を促す。

「マフラーは外さなくて大丈夫ですよ。ではデパートへ行きましょうか」

 助手席に乗り込み、キャリーをひざの上に乗せる。フタを開けると、待ってましたとばかりにミカドが顔を出す。

 ミカドは車の中を物色するように鼻をクンクンとさせていたが、突如鳴るエンジン音に驚きキャリーの中へと逃げ込んだ。

「ミカドくんの外出は初めてですか」

 運転席の真咲さんは車を走らせながら、そう言う。

「ママと病院に行ったりはあります。でもいつも歩きだから」
「ああ、商店街を抜けたところにある動物病院ですか。デパートに連れていったらもっと驚きますね」
「デパートの中は入れるかな」
「ええ、キャリーから出さなければ大丈夫ですよ」

 良かったと安堵する私に真咲さんは優しく微笑む。包容力のある人だろう。だから私はこんなにも不安がない。

 彼の運転する車はすぐにデパートに到着した。

 一年ぶりに訪れるデパートは様変わりしている。日々のうつろいの変化についていけていない自分を実感したら、やはりため息が出る。

 お気に入りのワンピースも時代遅れに思えて、帰りたくなる。外に出るなんてやめたら良かった。

「可愛らしいワンピースですね。ワンピースに似合うコートを選びましょう」
「え……」

 エスカレーターに乗るのを躊躇する私に、真咲さんは勇気付ける言葉を投げかけてくれる。

「これからまだまだ寒くなりますから必要ですよ」
「……」

 つまり、また出かける機会が近いうちにあるよ、と言ってくれたのだろうか。

「二階に可愛いブランドの服がありますよ」

 彼はそう言って、エスカレーターに向かう。

「よくご存知なんですね」

 他意なくそう言ったのに、彼は少しばかり気まずげに笑って、「よく来ますから」と短く言ってエスカレーターに足を踏み込む。

 誰とよく来るの? と思ったけれど、言葉にはしなかった。真咲さんは同居住人だけど、私生活に踏み込んでいいほどの間柄ではないのだ。それに、そんなことが気になる私の方がおかしい。

「悠紀さんは黒がお好きですか?」

 エスカレーターを降り、可愛らしい華やかなショップの前を通る。

「好きな色とかは特になくて。気に入ればなんでも」
「何色にでも染まれるんですね。純粋なんでしょう。じゃあ、あんな感じはどうです? 流行ではないけど、とても可愛らしいです」

 さらりとそう言って真咲さんが歩んだ先には、淡いピンクのAラインコートが飾られていた。

 真咲さんの歩みは確かだ。まるでそのコートがそこに飾られているのを知っていたみたいに。

「似合うと思いますよ。悠紀さんのためにデザインされたコートみたいだ」
「大げさです……。でも可愛いですね」

 ガラス張りのディスプレイを見上げる。大きなえりが印象的な、ロングのトレンチコート。大人っぽさの中に、可愛らしさも兼ね備えている。

「試着してみましょう」

 真咲さんは即座に言うと、可愛らしい栗毛の店員を呼び止める。

 店員は大げさなぐらいにこやかな笑顔を見せて、コートをマネキンから外してくれる。

 私も以前はこんな笑顔をしていたのだろう。頑張っていた、ということはない。仕事に生きがいは感じていたし、大変な毎日であっても、ただただ幸せで楽しい日々を過ごしていた。

 真咲さんは店員からコートを受け取ると、私に着せようとしてくれる。マフラーを外し、キャリーを足元におけば、スッと彼は背後に回る。

 コートに袖を通す。少し大きいかもしれないと心配したが、鏡の前に立ってみれば、サイズもカラーも違和感は全くなかった。

「わあ、可愛いですね。よくお似合いです。まだ三日前に入荷したばっかりなんですよ」

 栗毛の店員は私をおだてる。他のは見なくてもいいと思うぐらい気に入ったけど、値段ぐらい確認しなきゃとコートを脱ごうとすると、それを留めて真咲さんが言う。

「コートに合うマフラーはありますか?」
「ございますよー。少々お待ちください」

 嬉々として店員は衣装選びに離れていく。

「ちょっと、値段を見てもいいですか?」

 おずおずと言って、値札を確認しようとすると、真咲さんが首を振る。

「プレゼントします。先月誕生日でしたよね。俺からも何かプレゼントさせてください」
「え……、でもそんな」
「俺がプレゼントしたいので」

 真咲さんは少し困り顔をする。強情な女は苦手かもしれない。

 どうするか考えあぐねていると、栗毛の店員がマフラーを何枚か持って現れる。彼女がケースの上へ並べていくのはマフラーだけでなく、ワンピースもある。

 真咲さんはワンピースも眺めていたが、しばらく考えた後、グレーのマフラーを手に取る。そしておもむろに私の首にマフラーをかける。

「よく似合う」

 そう言って、マフラーにうずまる髪をそっとはらう。まるで恋人みたいだ。妙に落ち着かなくなる。

「ワンピースも合わせてみます?」

 栗毛の店員が複雑な空気の中を割って入る。初々しい恋人同士に見えているかもしれない。彼が彼女に散財する姿に勝機を感じているように見える。

 ベージュのワンピースを持ち上げる店員が私に近づこうとすると、真咲さんが手をあげて彼女を止める。

「ワンピースは気に入りのものだから大丈夫です。コートとマフラーを購入します。このまま着て行きますから、そのように」
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