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まわり始める運命の時計
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いくつかある見本の中から、真咲さんが一つずつ選び取っては、ミカドの首元に当てる。青、赤、黒、茶色と当てていくが、私は真咲さんの手にある首輪を指差す。
「最初の、青がいいです」
「そうですね。俺も青がいいと思います。アルファベットのパーツはストーンもいいですが、ミカドくんは紳士ですから、アンティーク調もいいですね」
「じゃあ、アンティークゴールドのパーツで、MIKADOって入れます」
「悠紀さんとは趣味も合うので、買い物が楽しいです」
真咲さんは嬉しそうにそう言って、パーツを選んでくれる。あまりに純粋な笑顔を見せるから戸惑う。彼を喜ばせることなど何一つしていないのに。
リードはシルバーにした。高貴な雰囲気のミカドにはよく似合う。
「早速つけてもらいますか? その間に昼食は買ってきますから、外で柳さんのショーを見ながら食べましょう」
真咲さんは要領よく先回りして段取りする。私は従うだけだが、そこに私の意思が無視されていることもなくて、居心地よく感じてもいる。それでも完全に乗り気にはなれず。
「お昼はあんまり食べれないから帰ります……」
そう言うと、真咲さんは少しだけ眉を下げて困り顔をする。
「少しだけでも食べましょう。飲み物だけでも」
「ショーは見てもいいけど……」
「ではスープか何か買ってきますから、ショーブース前のベンチで待っていて下さい」
少しばかり譲歩すると、真咲さんは半ば強引に決めて、ペットショップを出ていった。
ペットショップを出てミカドを地面に下ろす。
ミカドは少し首元を前足でかく。首輪が外れないことを知ると、不満げだけれどそれ以上気にしても仕方ないとばかりに歩き出す。
シルバーのリードは少し長い。ミカドは私の足元を離れないから、手にくるくると巻くとちょうどいい長さになる。
真咲さんの言っていたショーブースの前には先ほどよりも人が集まってきている。最後列のベンチがかろうじて空いているからそこへ腰を下ろす。
私は紙袋の封を開けた。ペットショップでミカド用のお菓子を購入したのだ。ハート形のクッキーを半分に割ってミカドの前に出すと、彼はくんくんと匂いをかいだ後、パクリと食べる。
「悠紀さん、お待たせしました」
ミカドがクッキーを食べ終えると同時に、後ろから声がかけられた。振り返ると、トレイを手に息をわずかに弾ませる真咲さんがいる。
彼は私の隣に腰を下ろし、私のひざに飛び乗ってくるミカドを眺める。
「なかなか似合いですね。これで外出も安心です。コーンスープを買ってきました。どうぞ」
差し出されるコーンスープを受け取る。彼の持つトレイには、おしゃれなボウルに入った親子丼とパニーニ、コーヒーがある。
「食べれそうなら食べてください」
「……大丈夫です」
「そうですか。いつでも食べられますしね。気が変わったら言ってください」
真咲さんは親子丼を美味しそうに食べる。私はコーンスープを両手で握って、ステージの方へ目を向ける。
しばらくすると、賑やかで陽気な音楽が流れ始める。催眠ショーが始まるようだ。ミカドも音楽に驚いて、ステージをジッと見ている。
程なくして、ステージにあがる女性司会者に紹介され、華美だけどシックな銀のスーツに身を包んだ中年の男性が現れる。
拍手が起こる。柳さんのオンステージは今日が初めてではないようだ。以前も来ていた客を、物好きだねー、などといじりながら、ちょっとしたマジックまで披露する。
「催眠術だけじゃないようですね。柳さんも、いろいろとやられる」
ふふっと笑う真咲さんは楽しそうだ。
私はぼんやりと柳さんを眺める。つまらないわけではないが、楽しいわけでもない。
デパートの片隅で行われるショーとしては、どちらかというとクオリティが高いかもしれない。ただ子供向けだ。テレビで観るマジックに比べたら子供だましで。
「じゃあみなさん、今日はどの子に催眠術をかけましょう」
女性司会者がマジックの台を片付けると、柳さんが辺りを見回す。こちらの方へ視線を向けた時、少しばかり驚いた表情をした気がする。
「気づきましたね」
真咲さんがそうつぶやく。
柳さんはすぐに笑顔に戻ると、最前列で猫を抱いていた小さな女の子をステージに呼ぶ。
「お名前は?」
「あゆみ」
おさげ髪の女の子は短く答える。緊張しているようだけれど、ステージに上がれたことが嬉しそうでもある。
「可愛い猫ちゃんだねー。女の子かな?」
「ううん、男の子。シュンっていうの」
「そうかー。じゃあ、今日はシュンくんをあゆみちゃんのお友だちにするよ。シュンくんはこれから人間になる。言葉も話せるようになる」
柳さんはそう説明して、あゆみと名乗る女の子を椅子に座らせる。
「催眠をかけたら、本当に猫がしゃべるようになるの?」
素直に驚いてしまう。
「まさか。柳さんと言えども、そんなことは出来ないと思いますよ」
「じゃあどうするんだろう」
私もミカドもステージに注視する。真咲さんはコーヒーを飲みながら、愉快げに眺めている。
柳さんはあゆみちゃんの抱くシュンくんの前にひざをつくと、ポケットからひもを取り出す。ひもの先にはクッキーがついている。さっきミカドが食べたものと同じハート形のクッキーのようだ。
シュンくんはクッキーに興味津々でジッと眺めている。
柳さんの人差し指がシュンくんの額にぴたりとつけられる。わずかに柳さんの唇が動く。何を言ったのかはわからなかった。催眠術をかけたのだろうか。いや、何かの呪文を唱えたのかもしれないと思う。催眠術師というより魔術師か。
「ではみなさん、シュンくんをご覧ください。321で、シュンくんは人間へと変わります。信じることが大事ですよー」
柳さんのステージを見たことがある人はどうなるかわかっているのだろう。最前列の客は楽しそうな笑みを浮かべているが、他の者はいちように真剣にシュンくんに見入っている。
「3!」
柳さんが声を上げる。ミカドの耳がぴんと立つ。
「2! ……1! ハイ!」
柳さんがそう叫んだ瞬間、大きな布がどこからか飛び出した。
あっ、と思った時にはシュンくんの姿はなくなり、あゆみちゃんの隣には、同年代の男の子が立っている。
「催眠というより、マジックですね」
真咲さんはくすくす笑う。
「シュンくんは?」
「見えませんでしたか? 布が出た瞬間に、あゆみちゃんのご家族が持つキャリーへ逃げ込みましたよ。同時に後ろから男の子が出てきました」
「え、そんなの全然」
「布ばかり見ていたからでしょう。まあ、あゆみちゃんを驚かせるにはじゅうぶんですね」
真咲さんの言う通り、あゆみちゃんはびっくりした表情できょろきょろしている。
拍手が起きる中、観客から「見えたぞー」とヤジが飛ぶ。
「見えた? そりゃ、幻か、古い知人に会った動揺がそうさせたんですねー」
柳さんは大声で笑いながら、ヤジを楽しんでいる。
「古い知人って、古谷さん?」
「きっとそうでしょう。柳さんは人のせいにするのがうまい」
そう笑って、私の方を見た真咲さんは表情をくもらせる。
「……ミカドくんは大丈夫ですか?」
彼の声音が不穏になる。見れば、私のひざの上でミカドがぐったりしている。
「ミカド……」
「大きな音がしたので驚いたのかもしれませんね」
真咲さんがミカドの頭をなでる。そうした時、ミカドの身体がぶるっと震え、ハッと目が開く。そして私のコートに爪を立てて抱きついてくる。
「ミカド……大丈夫?」
優しく抱きしめて背をなでると、小さく震えていたミカドの身体が次第に落ちついていく。
「帰りましょうか。……ミカドくんを怖がらせてしまった」
真咲さんは心底申し訳なさそうに頭を垂れると、ペットキャリーのふたを開ける。するとミカドは何かにおびえるようにキャリーの中へと飛び込んだ。
「最初の、青がいいです」
「そうですね。俺も青がいいと思います。アルファベットのパーツはストーンもいいですが、ミカドくんは紳士ですから、アンティーク調もいいですね」
「じゃあ、アンティークゴールドのパーツで、MIKADOって入れます」
「悠紀さんとは趣味も合うので、買い物が楽しいです」
真咲さんは嬉しそうにそう言って、パーツを選んでくれる。あまりに純粋な笑顔を見せるから戸惑う。彼を喜ばせることなど何一つしていないのに。
リードはシルバーにした。高貴な雰囲気のミカドにはよく似合う。
「早速つけてもらいますか? その間に昼食は買ってきますから、外で柳さんのショーを見ながら食べましょう」
真咲さんは要領よく先回りして段取りする。私は従うだけだが、そこに私の意思が無視されていることもなくて、居心地よく感じてもいる。それでも完全に乗り気にはなれず。
「お昼はあんまり食べれないから帰ります……」
そう言うと、真咲さんは少しだけ眉を下げて困り顔をする。
「少しだけでも食べましょう。飲み物だけでも」
「ショーは見てもいいけど……」
「ではスープか何か買ってきますから、ショーブース前のベンチで待っていて下さい」
少しばかり譲歩すると、真咲さんは半ば強引に決めて、ペットショップを出ていった。
ペットショップを出てミカドを地面に下ろす。
ミカドは少し首元を前足でかく。首輪が外れないことを知ると、不満げだけれどそれ以上気にしても仕方ないとばかりに歩き出す。
シルバーのリードは少し長い。ミカドは私の足元を離れないから、手にくるくると巻くとちょうどいい長さになる。
真咲さんの言っていたショーブースの前には先ほどよりも人が集まってきている。最後列のベンチがかろうじて空いているからそこへ腰を下ろす。
私は紙袋の封を開けた。ペットショップでミカド用のお菓子を購入したのだ。ハート形のクッキーを半分に割ってミカドの前に出すと、彼はくんくんと匂いをかいだ後、パクリと食べる。
「悠紀さん、お待たせしました」
ミカドがクッキーを食べ終えると同時に、後ろから声がかけられた。振り返ると、トレイを手に息をわずかに弾ませる真咲さんがいる。
彼は私の隣に腰を下ろし、私のひざに飛び乗ってくるミカドを眺める。
「なかなか似合いですね。これで外出も安心です。コーンスープを買ってきました。どうぞ」
差し出されるコーンスープを受け取る。彼の持つトレイには、おしゃれなボウルに入った親子丼とパニーニ、コーヒーがある。
「食べれそうなら食べてください」
「……大丈夫です」
「そうですか。いつでも食べられますしね。気が変わったら言ってください」
真咲さんは親子丼を美味しそうに食べる。私はコーンスープを両手で握って、ステージの方へ目を向ける。
しばらくすると、賑やかで陽気な音楽が流れ始める。催眠ショーが始まるようだ。ミカドも音楽に驚いて、ステージをジッと見ている。
程なくして、ステージにあがる女性司会者に紹介され、華美だけどシックな銀のスーツに身を包んだ中年の男性が現れる。
拍手が起こる。柳さんのオンステージは今日が初めてではないようだ。以前も来ていた客を、物好きだねー、などといじりながら、ちょっとしたマジックまで披露する。
「催眠術だけじゃないようですね。柳さんも、いろいろとやられる」
ふふっと笑う真咲さんは楽しそうだ。
私はぼんやりと柳さんを眺める。つまらないわけではないが、楽しいわけでもない。
デパートの片隅で行われるショーとしては、どちらかというとクオリティが高いかもしれない。ただ子供向けだ。テレビで観るマジックに比べたら子供だましで。
「じゃあみなさん、今日はどの子に催眠術をかけましょう」
女性司会者がマジックの台を片付けると、柳さんが辺りを見回す。こちらの方へ視線を向けた時、少しばかり驚いた表情をした気がする。
「気づきましたね」
真咲さんがそうつぶやく。
柳さんはすぐに笑顔に戻ると、最前列で猫を抱いていた小さな女の子をステージに呼ぶ。
「お名前は?」
「あゆみ」
おさげ髪の女の子は短く答える。緊張しているようだけれど、ステージに上がれたことが嬉しそうでもある。
「可愛い猫ちゃんだねー。女の子かな?」
「ううん、男の子。シュンっていうの」
「そうかー。じゃあ、今日はシュンくんをあゆみちゃんのお友だちにするよ。シュンくんはこれから人間になる。言葉も話せるようになる」
柳さんはそう説明して、あゆみと名乗る女の子を椅子に座らせる。
「催眠をかけたら、本当に猫がしゃべるようになるの?」
素直に驚いてしまう。
「まさか。柳さんと言えども、そんなことは出来ないと思いますよ」
「じゃあどうするんだろう」
私もミカドもステージに注視する。真咲さんはコーヒーを飲みながら、愉快げに眺めている。
柳さんはあゆみちゃんの抱くシュンくんの前にひざをつくと、ポケットからひもを取り出す。ひもの先にはクッキーがついている。さっきミカドが食べたものと同じハート形のクッキーのようだ。
シュンくんはクッキーに興味津々でジッと眺めている。
柳さんの人差し指がシュンくんの額にぴたりとつけられる。わずかに柳さんの唇が動く。何を言ったのかはわからなかった。催眠術をかけたのだろうか。いや、何かの呪文を唱えたのかもしれないと思う。催眠術師というより魔術師か。
「ではみなさん、シュンくんをご覧ください。321で、シュンくんは人間へと変わります。信じることが大事ですよー」
柳さんのステージを見たことがある人はどうなるかわかっているのだろう。最前列の客は楽しそうな笑みを浮かべているが、他の者はいちように真剣にシュンくんに見入っている。
「3!」
柳さんが声を上げる。ミカドの耳がぴんと立つ。
「2! ……1! ハイ!」
柳さんがそう叫んだ瞬間、大きな布がどこからか飛び出した。
あっ、と思った時にはシュンくんの姿はなくなり、あゆみちゃんの隣には、同年代の男の子が立っている。
「催眠というより、マジックですね」
真咲さんはくすくす笑う。
「シュンくんは?」
「見えませんでしたか? 布が出た瞬間に、あゆみちゃんのご家族が持つキャリーへ逃げ込みましたよ。同時に後ろから男の子が出てきました」
「え、そんなの全然」
「布ばかり見ていたからでしょう。まあ、あゆみちゃんを驚かせるにはじゅうぶんですね」
真咲さんの言う通り、あゆみちゃんはびっくりした表情できょろきょろしている。
拍手が起きる中、観客から「見えたぞー」とヤジが飛ぶ。
「見えた? そりゃ、幻か、古い知人に会った動揺がそうさせたんですねー」
柳さんは大声で笑いながら、ヤジを楽しんでいる。
「古い知人って、古谷さん?」
「きっとそうでしょう。柳さんは人のせいにするのがうまい」
そう笑って、私の方を見た真咲さんは表情をくもらせる。
「……ミカドくんは大丈夫ですか?」
彼の声音が不穏になる。見れば、私のひざの上でミカドがぐったりしている。
「ミカド……」
「大きな音がしたので驚いたのかもしれませんね」
真咲さんがミカドの頭をなでる。そうした時、ミカドの身体がぶるっと震え、ハッと目が開く。そして私のコートに爪を立てて抱きついてくる。
「ミカド……大丈夫?」
優しく抱きしめて背をなでると、小さく震えていたミカドの身体が次第に落ちついていく。
「帰りましょうか。……ミカドくんを怖がらせてしまった」
真咲さんは心底申し訳なさそうに頭を垂れると、ペットキャリーのふたを開ける。するとミカドは何かにおびえるようにキャリーの中へと飛び込んだ。
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