非才の催眠術師

水城ひさぎ

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まわり始める運命の時計

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 無理をさせすぎただろうか。デパートへ出かけた翌日から悠紀の姿を見ていない。由香は悠紀もミカドも元気にしているとは言うが、やはり心配だ。

 柳さんのショーを見たミカドはひどくおびえていた。そんなミカドを心配する悠紀も落ち込んでいた。

 彼女の部屋の前を通り、階段を降りる。賑やかなのは一階のカフェのみで、他の階には誰もいないのではないかと錯覚するほどに静かだ。

 外へは裏口か、店舗を通って出ることができる。商店街に出るにはカフェを通った方が早いが、裏口へ向かう。

 ドアを開けると冷たい風が吹き込む。

 マフラーを巻いて、さみしげな庭を通り、商店街へと出る。

 カフェの前にはナチュラルなもみの木が置かれ、控えめにクリスマスを演出している。クリスマスが近い。

 ここ数年、忙しさにかまけてクリスマスを楽しむ余裕もなかったが、今年は悠紀や由香と過ごすことができるのだろう。なんとなく楽しみだという思いが湧き上がる。

 親子、兄妹、どちらにも属さない俺たちが一つ屋根の下に暮らしている。妙な気分だ。俺がなぜこんな生活に身を置いても満足しているのか不思議だ。このさびれたビルの一室に俺の居場所があるだなんて誰が想像しただろう。

 商店街を抜けて駅に向かう。

 商店街へ来るもの、駅へ向かうものが入り乱れる交差点の中に、見知った顔を見つけて足早になる。

「柳さんっ」

 流れる人並みに紛れる丸みを帯びた背中に声をかけた。柳さんは不思議そうに振り返る。少し老けた。だが、ショーで見せる顔とは違う柔和な空気感は変わらず、何年かぶりの出会いだというのに長い年月を感じさせない。

「やあ、真咲くん。元気そうだなぁ」
「柳さんもお変わりなく。先日は挨拶もせず失礼しました」
「ああ、かまわないよ。可愛らしいお嬢さんと一緒だったから俺も遠慮したよ。君にしては珍しいとは思ったがね」
「珍しい、ですか」
「君のタイプじゃないだろう。いや、言い直そうか。君が今まで連れて歩いた女性とはタイプが違う。本命かなと思ってね」
「彼女は友人の妹で、放っておけないと言いますか」
「ほう。じゃあなおさら、本命だ。余計なお節介するほど君もひまじゃないだろう」

 柳さんのしたり顔には落ち着かなくなる。話をそらそうと口を開きかけるが、柳さんが先に言う。

「君の見たステージは失敗だったよ。シュンくんは催眠のかかりにくいタイプだった。だからとっさに少年を用意したが、本来ならあゆみちゃんの言葉に反応してシュンくんがおしゃべりする趣向だったんだがね」
「柳さんらしい面白い企画ですが、成功率は高くないですね。しかし可能ですか? 腹話術を使うというならまだしも」
「飼い猫は飼い主と話をしたい。そう思ってるものだろう。人間の言葉を話すわけではないが、意思表示は出来るようになる。インチキだと笑う者もいるが、飼い猫は幸せではないかな。飼い主と会話ができている、そう信じているんだから」

 つまり、あゆみちゃんが今日はいい天気だねと話しかけた時にシュンくんが鳴くことで会話が成立したとみなす。それを柳さんはステージの成功というのだろう。

「では普段と変わらないじゃないですか。お腹が空けば、にゃあと鳴いて催促する。それはある意味会話です」
「そう、その精度を上げるのが俺の技術だ。生理的な現象以外の会話でも、飼い猫は反応するようになる。人間と共存する動物たちに居心地よく生活してもらいたいと思ってるんだよ」
「聞き手の人間に優しさがなければ、ひとりごとですね」
「大丈夫だ。それを望む飼い猫たちは、大事にされているケースが非常に高い」
「先ほどから飼い猫と言いますが、他の動物は?」
「今のところ、猫でしか成功していない。ああ、君の彼女も猫を連れていたね。今頃、俺の催眠に感化されて、おしゃべりできるようになってるかもしれないね」
「まさか」

 にわかに信じがたい思いでいる俺を煙に巻くように柳さんはふふっと笑うと、腕時計をおもむろに確認する。

「そろそろ行くよ。またいつか会おう、真咲くん」

 止める間もなく片手を上げて身をひるがえす。すぐに彼の背中はデパートへ向かう人並みに紛れて見えなくなった。
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