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かからない魔法とめざめる奇跡
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マサキ催眠クリニックは週2日の開業だったが、木日を除く5日間は勤務することになった。
とはいえ、完全予約制で新規の受診もほとんどないクリニックで、休診日にやることといったらクリニックの掃除や整理整頓ぐらいしかない。
クリニックの開業日は火金で、真咲さんが大学講師として働いているのは月水土。木日は彼も休みのようだが、いない日もある。
今日は月曜日だ。受付カウンターに座り、予約表を眺める。明日は午前に一人、午後に二人予約が入っている。
そっと予約表の上に指を滑らせ、夢川千秋の名前の上にそのまま手を乗せる。明日の午後17時に、彼女の予約が入っている。
そのまま顔を上げ、正面にあるガラスドアの奥へと視線を向ける。人通りがさほど多くない商店街でも、夕方になると人の波が生まれる。
その中にママの姿がある。ガラスドアの前を横切り、ふと戻ってくるとガラス越しに笑顔で手を振る。私も戸惑いながら手を小さく振り返す。
買い物帰りだろう。ネギの突き出たビニール袋を持ち上げてみせ、そのまま笑顔で姿を消す。
私が働くようになってから、ママは少しばかり嬉しそうだ。週2日勤務で大丈夫だという真咲さんに、5日間にしてほしいとお願いしたのはママだろう。
真咲さんはなんでも快く引き受けてしまう。彼の重荷になるのは本意ではない。だけど彼のクリニックで過ごす時間は、流れる時を感じることのできる、私にとって貴重な時間だった。
午後7時になり、入り口のドアに鍵をかけると、ロールカーテンをおろし、帰りの準備を始める。
今日は電話もなかった。休診日には昼夕一回ずつ真咲さんから電話があるが、それもなかった。忙しいのだろう。今夜は帰って来ないかもしれない。
バックルームで着替えを済ませ、住居とクリニックをつなぐドアをあけた私は、目の前に突如現れた真咲さんに驚き、ハッと息を飲んだ。
「ああ、悠紀さん。すみません、連絡しようと思っていたんですが、帰ってきた方が早いと思ったので」
裏口から帰ってきたのだろう真咲さんが、多少息を乱しながら、私の顔を見るなりそう言う。
「今日はいつもより何もなくて」
「そうですか、安心しました。明日は忙しいですが、よろしくお願いします」
そう言って、真咲さんは手振りで私に先に階段をあがるよう促す。
彼が後ろにいるのは緊張するが、黙って二階へ上がると、リビングから香辛料のいい香りがしてくる。そしてリビングを覗く前に、ママがかけ出てくる。
「悠紀ちゃんっ、すぐにご飯食べ……、あっ、古谷さんもおかえりなさい。今日はキムチ鍋だけど、一緒にいかが?」
私に声をかけたママは、真咲さんに気づくと当たり前のように彼を夕食に誘う。彼との共同生活は家族ぐるみの付き合いのように気さくになっている。
「助かります。今日はひどく寒くて」
真咲さんもママの好意にすんなりと甘える。私たちと過ごす時間が苦痛ではないようだ。
「じゃあ、着替えたら降りてきてね。悠紀ちゃん、ミカドはもうここにいるの。悠紀ちゃんがいないとさみしいみたい」
三階へ上がっていく真咲さんの背中を見送り、私はリビングへと入る。テーブルの上に食事の準備は整っていて、ミカドは私が普段使う席の隣の椅子で丸くなっている。
「最近ミカドったら変ね。たまにカフェへ来ることもあるのよ。お客さんについて外に出たり、ドアの前で何時間も座り込んだり。恋でもしてるのかしらね?」
茶化すようにママは言って、ミカドの顔を覗く。彼は何も聞こえてない様子で目を閉じて顔を背けたままだ。
「ほら、聞こえないふりしてる」
「私が働きに出て、生活が変わったからかな」
テーブルについて、ミカドの頭をなでる。彼は片目をちらりと開けるだけで、すぐに寝たふりをする。
「ごめんね、ミカド。ミカドはクリニックに入れてあげれないの。明日もお仕事だから待っててね」
そう言うと、耳を塞ぐみたいに垂らして、ますます腕の中へ顔をうずめてしまう。
「やっぱりさみしいみたい」
「そうでしょう? 悠紀ちゃんが大好きなのね。ミカドが普通の男の子だったら、今頃悠紀ちゃんの可愛い彼氏ね」
「彼氏って……」
「だって最近の悠紀ちゃん、綺麗だもの。ミカドじゃなくたって放っておかないと思うわ」
「そんなこと全然ないの……」
胸元に手を当てる。セーター越しに触れるリングはまだここにある。真咲さんが側にいてくれる気がして、今はまだこのままでいいのだと思う。
「ママ、悠紀ちゃんには普通の人と幸せになってもらいたい」
ママは夢見るような目をして言う。
「普通……?」
「平凡でいいの。好きな人と普通に暮らして、普通に生きていけるのが一番」
「……やっぱり、お医者様はダメだった?」
頼りなくそう問うと、ママは優しく眉をさげる。
「悠紀ちゃんのためには良かったのよ。今度は普通の人と幸せにね」
ママは気づいてるのだろうか。私や真咲さんの想いに。だからこんな風に釘を指すようなことを言う。
「ああ、いい匂いがします」
リビングに真咲さんが現れる。途端にミカドが私のひざに乗ってきて、ママは真咲さんに私の斜め前の席を勧める。
真咲さんはミカドを抱く私に視線を注ぐ。しかし一瞬合った目をそのまま合わせ続けることはできず、さみしげに私を見つめるミカドを見つめ返すことしかできなかった。
マサキ催眠クリニックは週2日の開業だったが、木日を除く5日間は勤務することになった。
とはいえ、完全予約制で新規の受診もほとんどないクリニックで、休診日にやることといったらクリニックの掃除や整理整頓ぐらいしかない。
クリニックの開業日は火金で、真咲さんが大学講師として働いているのは月水土。木日は彼も休みのようだが、いない日もある。
今日は月曜日だ。受付カウンターに座り、予約表を眺める。明日は午前に一人、午後に二人予約が入っている。
そっと予約表の上に指を滑らせ、夢川千秋の名前の上にそのまま手を乗せる。明日の午後17時に、彼女の予約が入っている。
そのまま顔を上げ、正面にあるガラスドアの奥へと視線を向ける。人通りがさほど多くない商店街でも、夕方になると人の波が生まれる。
その中にママの姿がある。ガラスドアの前を横切り、ふと戻ってくるとガラス越しに笑顔で手を振る。私も戸惑いながら手を小さく振り返す。
買い物帰りだろう。ネギの突き出たビニール袋を持ち上げてみせ、そのまま笑顔で姿を消す。
私が働くようになってから、ママは少しばかり嬉しそうだ。週2日勤務で大丈夫だという真咲さんに、5日間にしてほしいとお願いしたのはママだろう。
真咲さんはなんでも快く引き受けてしまう。彼の重荷になるのは本意ではない。だけど彼のクリニックで過ごす時間は、流れる時を感じることのできる、私にとって貴重な時間だった。
午後7時になり、入り口のドアに鍵をかけると、ロールカーテンをおろし、帰りの準備を始める。
今日は電話もなかった。休診日には昼夕一回ずつ真咲さんから電話があるが、それもなかった。忙しいのだろう。今夜は帰って来ないかもしれない。
バックルームで着替えを済ませ、住居とクリニックをつなぐドアをあけた私は、目の前に突如現れた真咲さんに驚き、ハッと息を飲んだ。
「ああ、悠紀さん。すみません、連絡しようと思っていたんですが、帰ってきた方が早いと思ったので」
裏口から帰ってきたのだろう真咲さんが、多少息を乱しながら、私の顔を見るなりそう言う。
「今日はいつもより何もなくて」
「そうですか、安心しました。明日は忙しいですが、よろしくお願いします」
そう言って、真咲さんは手振りで私に先に階段をあがるよう促す。
彼が後ろにいるのは緊張するが、黙って二階へ上がると、リビングから香辛料のいい香りがしてくる。そしてリビングを覗く前に、ママがかけ出てくる。
「悠紀ちゃんっ、すぐにご飯食べ……、あっ、古谷さんもおかえりなさい。今日はキムチ鍋だけど、一緒にいかが?」
私に声をかけたママは、真咲さんに気づくと当たり前のように彼を夕食に誘う。彼との共同生活は家族ぐるみの付き合いのように気さくになっている。
「助かります。今日はひどく寒くて」
真咲さんもママの好意にすんなりと甘える。私たちと過ごす時間が苦痛ではないようだ。
「じゃあ、着替えたら降りてきてね。悠紀ちゃん、ミカドはもうここにいるの。悠紀ちゃんがいないとさみしいみたい」
三階へ上がっていく真咲さんの背中を見送り、私はリビングへと入る。テーブルの上に食事の準備は整っていて、ミカドは私が普段使う席の隣の椅子で丸くなっている。
「最近ミカドったら変ね。たまにカフェへ来ることもあるのよ。お客さんについて外に出たり、ドアの前で何時間も座り込んだり。恋でもしてるのかしらね?」
茶化すようにママは言って、ミカドの顔を覗く。彼は何も聞こえてない様子で目を閉じて顔を背けたままだ。
「ほら、聞こえないふりしてる」
「私が働きに出て、生活が変わったからかな」
テーブルについて、ミカドの頭をなでる。彼は片目をちらりと開けるだけで、すぐに寝たふりをする。
「ごめんね、ミカド。ミカドはクリニックに入れてあげれないの。明日もお仕事だから待っててね」
そう言うと、耳を塞ぐみたいに垂らして、ますます腕の中へ顔をうずめてしまう。
「やっぱりさみしいみたい」
「そうでしょう? 悠紀ちゃんが大好きなのね。ミカドが普通の男の子だったら、今頃悠紀ちゃんの可愛い彼氏ね」
「彼氏って……」
「だって最近の悠紀ちゃん、綺麗だもの。ミカドじゃなくたって放っておかないと思うわ」
「そんなこと全然ないの……」
胸元に手を当てる。セーター越しに触れるリングはまだここにある。真咲さんが側にいてくれる気がして、今はまだこのままでいいのだと思う。
「ママ、悠紀ちゃんには普通の人と幸せになってもらいたい」
ママは夢見るような目をして言う。
「普通……?」
「平凡でいいの。好きな人と普通に暮らして、普通に生きていけるのが一番」
「……やっぱり、お医者様はダメだった?」
頼りなくそう問うと、ママは優しく眉をさげる。
「悠紀ちゃんのためには良かったのよ。今度は普通の人と幸せにね」
ママは気づいてるのだろうか。私や真咲さんの想いに。だからこんな風に釘を指すようなことを言う。
「ああ、いい匂いがします」
リビングに真咲さんが現れる。途端にミカドが私のひざに乗ってきて、ママは真咲さんに私の斜め前の席を勧める。
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