非才の催眠術師

水城ひさぎ

文字の大きさ
33 / 56
かからない魔法とめざめる奇跡

14

しおりを挟む
 白衣の上にコートを羽織った真咲さんが、クリニックの鍵を持って目の前に立っていた。不安そうな彼は私を見つけるとともに、眉をひそめていく。

「どこに行ってたんですか。心配しましたよ」
「……すみません」

 頭を下げる。足元に千秋の靴はなかった。もう帰ったのだ。診察を終えた後、私がいないことに気づいた彼の気持ちを思うと情けなくなる。

「私……なんの役にも立たなくて……」

 涙がたまらず溢れてくる。

 私はずっといらない子だった。これからもずっといらない子だ。

 そう自分を責める。なんのために生きているのか。私なんていなくても誰も困りはしないのに。関わったために、私は彼を困らせている。

「悠紀さん……」

 涙をぬぐう私の後ろに回り込んだ彼は、クリニックのドアを閉めるとロールカーテンを下ろす。私の肩に手を乗せ、「座りましょう」と待合室のソファーへといざなう。

「寒かったですね……」

 真咲さんはコートを脱ぐと、私の肩にそっとかけてくれる。彼のぬくもりに体が震える。

 ソファーへ座る私の前にひざをつく彼は、ハンカチで私の頬をぬぐってくれる。

「古谷先生……」

 彼の腕にそっと触れる。抱きしめてほしい。そう思うけど、安心したくて彼を求めるのは間違っている。ひとりよがりな思いに苦しみながら、私はやはり一歩踏み出せなくて、すぐに彼の腕を押し返す。

「どうしましたか? 診察中でも、何かあれば声をかけてくれていいんですよ」

 優しい彼の眼差しで私は次第に落ち着いていく。

「お兄ちゃんと話をしていたんです」
「遼? 遼が来たんですか?」

 私はゆるりと首をふる。

「ドアからお兄ちゃんの姿が見えて。それで、追いかけて……」

 仕事中だったのだから追いかけるべきではなかった。社会人として未熟な私を見つめる彼の目には憂いが浮かぶ。

「でももう、二度としません……」
「悠紀さんには遼が必要ですね」

 私はめいいっぱい頭をふる。

「もう、お兄ちゃんには会いません。お兄ちゃんは私に会いたくないから……」
「悠紀さんは会いたいのに? どうして我慢を?」
「昔のことは忘れたいんです」
「忘れる? 覚えてもいない過去でしょう? 忘れている記憶の中に優しい記憶もあるでしょう。優しい記憶が悠紀さんを救うこともあります」
「催眠術で記憶を呼び覚ますの? お兄ちゃんが私に優しくしてくれた過去をどんなに思い出しても、壊れた家族は戻らないのに……」
「違いますよ、悠紀さん。優しい記憶が悠紀さんをたくましくするんです。すべて受け入れることが出来たら、前に進めます」
「お兄ちゃんは私を妹として見てなかったかもしれない……」
「俺の中の遼は妹として大切にしていました」
「キスをしようとしたの……」

 私は唇に指を触れさせる。

「悠紀さん……」

 彼は息を飲む。唐突な告白にうろたえた。

「お兄ちゃんが私にそんな気持ちを持ってたから、私はお母さんに捨てられたの……」
「それはわからないでしょう? 推測に傷つくなんていけません」
「でも捨てられたのは事実でしょう? お兄ちゃんはもう私に会いたくないって。妹として見れる日が来ないからそう言ったの」
「遼が、そんな。信じられない」
「古谷先生は出来ないんでしょう? 昔の記憶を思い出させることも、お兄ちゃんが私をどう思ってたか思い出させることも出来なくて……、私を救えないんでしょう?」

 真咲さんを責めるのは間違っているのに言葉が止まらない。

「優しい記憶なんてないの。ないから……、私はこうしてここにいるの」

 私を構築するすべては、私の過去が形成したものだ。兄の愛が欲しかったのかもわからない私の過去も、もう思い出すことはできない。

「悠紀さんは遼が好きですか?」

 真咲さんは頼りなく眉を下げて、いまだ流れる涙をぬぐってくれる。

「お兄ちゃんは私のたった一人の兄弟だから……」

 血がつながっていなかったのだとしても、私が兄と呼べる唯一の人だから。愛がないわけがない。私は兄として、古屋遼が好きだったはずだ。

「私に、お兄ちゃんの優しい記憶を返して……」

 ソファーから崩れ落ちる体を真咲さんが受け止める。そっと抱きしめられたら、安堵でますます力は抜ける。彼の腕の中は居心地がいい。私を甘やかす。失いたくないと思える大切な人に抱きしめられたら、つらい記憶も乗り越えられる気がした。

「俺にはできない……」

 真咲さんが私の耳元で苦しげに吐き出す。

「愛する人に催眠をかけることができない、俺は非才の催眠術師なんです」

 私の意識は遠くなる。彼の言葉は途切れ途切れに聞こえて、目の前は闇に満たされた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

【完結】逃がすわけがないよね?

春風由実
恋愛
寝室の窓から逃げようとして捕まったシャーロット。 それは二人の結婚式の夜のことだった。 何故新妻であるシャーロットは窓から逃げようとしたのか。 理由を聞いたルーカスは決断する。 「もうあの家、いらないよね?」 ※完結まで作成済み。短いです。 ※ちょこっとホラー?いいえ恋愛話です。 ※カクヨムにも掲載。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

イケメン副社長のターゲットは私!?~彼と秘密のルームシェア~

美和優希
恋愛
木下紗和は、務めていた会社を解雇されてから、再就職先が見つからずにいる。 貯蓄も底をつく中、兄の社宅に転がり込んでいたものの、頼りにしていた兄が突然転勤になり住む場所も失ってしまう。 そんな時、大手お菓子メーカーの副社長に救いの手を差しのべられた。 紗和は、副社長の秘書として働けることになったのだ。 そして不安一杯の中、提供された新しい住まいはなんと、副社長の自宅で……!? 突然始まった秘密のルームシェア。 日頃は優しくて紳士的なのに、時々意地悪にからかってくる副社長に気づいたときには惹かれていて──。 初回公開・完結*2017.12.21(他サイト) アルファポリスでの公開日*2020.02.16 *表紙画像は写真AC(かずなり777様)のフリー素材を使わせていただいてます。

女性が少ない世界でVTuberやります!

dekoma26+ブル
恋愛
ある日朝起きてキッチンに行くとそこには知らない男性たちが! …え、お父さん⁉ なぜか突然女性の少ない世界に来てしまった少女がVTuberをしたり、学校に通ったりするお話。 ※恋愛大賞の投票ありがとうございました(o´∀`o)参加したみなさんお疲れ様です! 毎週火曜・金曜日に投稿予定 作者ブル

処理中です...