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救えなかった少女、救えたはずの少年
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悠紀さんの顔色は良かった。ピンクのコートよりも頬が赤らんでいる。
本来の色を取り戻した肌はきめ細やかに綺麗で、彼女の美しさが開花したことを知る。蕾でも可愛らしかったのに、大輪の華を咲かせたら周囲には彼女を放っておけない男で群れ溢れるだろう。
俺はそれを喜ぶべきなのに、気分が冴えない。彼女を開花させたのは俺ではない。だから余計に。
「おはようございます。早速出かけたいのですが、外折さんが話があると言ってましたよ」
出かける準備を整えて喫茶店の入り口へ現れた悠紀に声をかける。彼女は少々不思議そうに首を傾げる。
肩より伸びた髪が揺れる。勤務中は髪を一つに束ね華美な印象を消しているのに、今日はやたらと可愛らしく見える。
「ママの話ってなんだろう……」
悠紀は不安そうに表情を曇らせる。こんな時は俺の知るか弱い彼女のままで、守ってやりたいと思わせる。
「行ってきてください。俺はここで待ってますから」
悠紀が来る前、喫茶店に来客があったのは知っている。あごひげの紳士は今、店内だ。そろそろ由香が呼びに来るだろう。
悠紀は何か知っているのではないかと探るように、頼りなげに俺を見つめる。しかし俺は何も答えることができず、彼女の背中を押すしかできない。
さあ、と喫茶店のドアへ向かおうとした時、俺たちの前へ不意に青年が現れた。それはあの日、猫の姿から人へと変貌を遂げたミカドだった。
ミカドは人懐こい笑みを浮かべて、悠紀へと近づく。俺はとっさに、させまいと腕を伸ばしかけるが、彼女が先に動いた。
「リン君、どうしたの?」
柔らかな笑みを浮かべる悠紀の横顔に衝撃を受ける。彼女はよく知りもしない男に、こんな気を許した表情で笑うのだ。
「リン……」
俺は静かにこぶしを握りしめる。悠紀に必要とされていないのかと、悔しく思えた。
俺のつぶやきに反応して、悠紀が笑顔のまま俺に顔を向ける。俺は苦虫を噛み潰したような表情をしていただろうか。彼女はわずかに表情を曇らせる。
「古谷先生、あの……彼とは昨日会って……」
そう悠紀が言いかけた時、喫茶店のドアが勢い良く開く。そわそわした様子の由香が顔を出し、悠紀を見つけると手招きする。
「悠紀ちゃん、お出かけの前にちょっとだけ話があるの、いい?」
悠紀は不安げに俺を見上げるが、静かにうなずいてみせると、駆け足で喫茶店へと入っていった。
喫茶店のドアが閉じた途端、ミカドはうっすら笑みを浮かべて俺へ対峙する。その挑戦的な態度に俺は体を強張らせる。
「リンって?」
俺が先に口を開く。
「ミカドだって言ったら悠紀が驚くと思って。そのぐらいの知恵はあるよ」
「昨日、悠紀さんと出かけた? 友人と偽って」
「いやだな、ひどい誤解だよ。悠紀が気づいてくれたんだ。俺のこと知ってるって、心で気づいて受け入れてくれた」
「ミカドくんの雰囲気はあるよ。悠紀さんに忠実だろうしね、君は。だが正直俺は戸惑ってもいる」
「戸惑うのは俺も同じだよ。でも悩むのはやめたんだ。悠紀が俺を必要としてるから、俺はこの体を手に入れた。悠紀を幸せにできるのは俺だけなんだ」
まるで俺の出番はないのだというように、リンは力説する。
「しかしずっと今のままではいられない」
「それは真咲も同じだよね。俺はしたよ、悠紀と。悠紀の唇は柔らかいんだ」
俺は眉をひそめる。
「真咲がしたことを俺もした。悠紀は嫌がらなかったよ。俺を抱いて、寝てくれる」
「それはミカドくんだから……」
「キスはこの体でしたよ。悠紀は寝てたけどね。無意識に抱き付いてくる悠紀は可愛かったよ」
かあっと体が熱くなる。
俺にしがみついて、キスをねだった悠紀の記憶がよみがえる。たまらず抱きしめてそれに応えた俺がリンに重なる。
悠紀が誰を選ぼうが、俺は関与できないこともある。だが俺は黙っていられなかった。俺がプレゼントした指輪を今も大切にしている彼女を見たら、諦められるはずもない。
「……俺が悠紀さんにしてあげられることはそんなことだけじゃない。君にはわからないだろうが」
気色ばむ俺を楽しむように、リンは笑う。
「いやだなー、冗談だよ。冗談。真咲には冗談も通じないんだ。この体になれるのは外に出た時だけみたいだ」
「自己暗示か。そう思い込んでるからそうなる。しかし賢明な判断だろう」
「真咲は真面目だね。でもそれだけじゃ足りないんだ。悠紀が欲しいものを真咲は何も気づいてない」
「わかってるさ。何も知らないのは君の方だ」
「救えなかったんだろう?」
リンは不意にそう口にする。
「救えなかった? 誰を」
「もちろん、悠紀をさ。真咲は傷ついた悠紀を放っておいた。今更救おうなんてダメだよ。虫が良すぎる。悠紀が家族を失った時、真咲は何をしてた? 悠紀が恋人を失った時、真咲は誰と過ごしてた? 真咲は何もわかってない。悠紀が苦しんできた一年、俺はずっと側にいた。何もわかろうとしないで、救えたようなふりするなよ」
俺は下唇を食む。
「彼女の人生に関わるチャンスを得たなら、取り戻せるものもあるはずだ」
「取り戻せないものもあるよ。真咲はまだ何も知らない」
「これから知ることもできる。いや、そうする。君は良き理解者にはなれるかもしれないが、悠紀さんを守ることはできない」
「じゃあなんで悠紀に行かせた? 喫茶店に来た客が何者かなんて知らないで、簡単になんで行かせたんだ。真咲は後悔するよ。俺だったら行かせなかった」
「止める権利は俺にはない」
「そうやって救えなかった理由を作るんだ、真咲は。悠紀は戻りたいんだよ……、あの家族と暮らした日々に。新しい家族なんて望んでないよ」
新しい家族とはなんだろう。
外折由香と益田創士が築こうとしている家庭か。それとも、悠紀が結婚して育む家庭か。
「いつまでもこのままの生活は続けられない」
「そうやって捨てられたんだ、悠紀は。親の都合って……、残酷だよ」
リンは悲しげに眉を下げる。彼もまた、家族に捨てられたのか。いや、そもそも彼に家族はないのだろう。
「時間が戻ればいいな。そうしたら悠紀は無駄に傷つかないで済んだのに」
そっと息を吐き出すリンの姿は物悲しい。
共鳴しているのか、悠紀に。傷ついた者同士が馴れ合っていても、生み出すものは儚い。
俺は救えるだろうか、彼女も彼も。
悠紀さんの顔色は良かった。ピンクのコートよりも頬が赤らんでいる。
本来の色を取り戻した肌はきめ細やかに綺麗で、彼女の美しさが開花したことを知る。蕾でも可愛らしかったのに、大輪の華を咲かせたら周囲には彼女を放っておけない男で群れ溢れるだろう。
俺はそれを喜ぶべきなのに、気分が冴えない。彼女を開花させたのは俺ではない。だから余計に。
「おはようございます。早速出かけたいのですが、外折さんが話があると言ってましたよ」
出かける準備を整えて喫茶店の入り口へ現れた悠紀に声をかける。彼女は少々不思議そうに首を傾げる。
肩より伸びた髪が揺れる。勤務中は髪を一つに束ね華美な印象を消しているのに、今日はやたらと可愛らしく見える。
「ママの話ってなんだろう……」
悠紀は不安そうに表情を曇らせる。こんな時は俺の知るか弱い彼女のままで、守ってやりたいと思わせる。
「行ってきてください。俺はここで待ってますから」
悠紀が来る前、喫茶店に来客があったのは知っている。あごひげの紳士は今、店内だ。そろそろ由香が呼びに来るだろう。
悠紀は何か知っているのではないかと探るように、頼りなげに俺を見つめる。しかし俺は何も答えることができず、彼女の背中を押すしかできない。
さあ、と喫茶店のドアへ向かおうとした時、俺たちの前へ不意に青年が現れた。それはあの日、猫の姿から人へと変貌を遂げたミカドだった。
ミカドは人懐こい笑みを浮かべて、悠紀へと近づく。俺はとっさに、させまいと腕を伸ばしかけるが、彼女が先に動いた。
「リン君、どうしたの?」
柔らかな笑みを浮かべる悠紀の横顔に衝撃を受ける。彼女はよく知りもしない男に、こんな気を許した表情で笑うのだ。
「リン……」
俺は静かにこぶしを握りしめる。悠紀に必要とされていないのかと、悔しく思えた。
俺のつぶやきに反応して、悠紀が笑顔のまま俺に顔を向ける。俺は苦虫を噛み潰したような表情をしていただろうか。彼女はわずかに表情を曇らせる。
「古谷先生、あの……彼とは昨日会って……」
そう悠紀が言いかけた時、喫茶店のドアが勢い良く開く。そわそわした様子の由香が顔を出し、悠紀を見つけると手招きする。
「悠紀ちゃん、お出かけの前にちょっとだけ話があるの、いい?」
悠紀は不安げに俺を見上げるが、静かにうなずいてみせると、駆け足で喫茶店へと入っていった。
喫茶店のドアが閉じた途端、ミカドはうっすら笑みを浮かべて俺へ対峙する。その挑戦的な態度に俺は体を強張らせる。
「リンって?」
俺が先に口を開く。
「ミカドだって言ったら悠紀が驚くと思って。そのぐらいの知恵はあるよ」
「昨日、悠紀さんと出かけた? 友人と偽って」
「いやだな、ひどい誤解だよ。悠紀が気づいてくれたんだ。俺のこと知ってるって、心で気づいて受け入れてくれた」
「ミカドくんの雰囲気はあるよ。悠紀さんに忠実だろうしね、君は。だが正直俺は戸惑ってもいる」
「戸惑うのは俺も同じだよ。でも悩むのはやめたんだ。悠紀が俺を必要としてるから、俺はこの体を手に入れた。悠紀を幸せにできるのは俺だけなんだ」
まるで俺の出番はないのだというように、リンは力説する。
「しかしずっと今のままではいられない」
「それは真咲も同じだよね。俺はしたよ、悠紀と。悠紀の唇は柔らかいんだ」
俺は眉をひそめる。
「真咲がしたことを俺もした。悠紀は嫌がらなかったよ。俺を抱いて、寝てくれる」
「それはミカドくんだから……」
「キスはこの体でしたよ。悠紀は寝てたけどね。無意識に抱き付いてくる悠紀は可愛かったよ」
かあっと体が熱くなる。
俺にしがみついて、キスをねだった悠紀の記憶がよみがえる。たまらず抱きしめてそれに応えた俺がリンに重なる。
悠紀が誰を選ぼうが、俺は関与できないこともある。だが俺は黙っていられなかった。俺がプレゼントした指輪を今も大切にしている彼女を見たら、諦められるはずもない。
「……俺が悠紀さんにしてあげられることはそんなことだけじゃない。君にはわからないだろうが」
気色ばむ俺を楽しむように、リンは笑う。
「いやだなー、冗談だよ。冗談。真咲には冗談も通じないんだ。この体になれるのは外に出た時だけみたいだ」
「自己暗示か。そう思い込んでるからそうなる。しかし賢明な判断だろう」
「真咲は真面目だね。でもそれだけじゃ足りないんだ。悠紀が欲しいものを真咲は何も気づいてない」
「わかってるさ。何も知らないのは君の方だ」
「救えなかったんだろう?」
リンは不意にそう口にする。
「救えなかった? 誰を」
「もちろん、悠紀をさ。真咲は傷ついた悠紀を放っておいた。今更救おうなんてダメだよ。虫が良すぎる。悠紀が家族を失った時、真咲は何をしてた? 悠紀が恋人を失った時、真咲は誰と過ごしてた? 真咲は何もわかってない。悠紀が苦しんできた一年、俺はずっと側にいた。何もわかろうとしないで、救えたようなふりするなよ」
俺は下唇を食む。
「彼女の人生に関わるチャンスを得たなら、取り戻せるものもあるはずだ」
「取り戻せないものもあるよ。真咲はまだ何も知らない」
「これから知ることもできる。いや、そうする。君は良き理解者にはなれるかもしれないが、悠紀さんを守ることはできない」
「じゃあなんで悠紀に行かせた? 喫茶店に来た客が何者かなんて知らないで、簡単になんで行かせたんだ。真咲は後悔するよ。俺だったら行かせなかった」
「止める権利は俺にはない」
「そうやって救えなかった理由を作るんだ、真咲は。悠紀は戻りたいんだよ……、あの家族と暮らした日々に。新しい家族なんて望んでないよ」
新しい家族とはなんだろう。
外折由香と益田創士が築こうとしている家庭か。それとも、悠紀が結婚して育む家庭か。
「いつまでもこのままの生活は続けられない」
「そうやって捨てられたんだ、悠紀は。親の都合って……、残酷だよ」
リンは悲しげに眉を下げる。彼もまた、家族に捨てられたのか。いや、そもそも彼に家族はないのだろう。
「時間が戻ればいいな。そうしたら悠紀は無駄に傷つかないで済んだのに」
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