非才の催眠術師

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救えなかった少女、救えたはずの少年

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「今日はありがとうございました。リン君も途中からいなくなっちゃって、一緒に探してくれたりしてすみませんでした」

 部屋の前で私は真咲さんに謝罪する。彼と過ごす時間より、リン君を優先させたことには罪悪感がある。

 ドーナツを食べ終えると突然席を立ち、何も言わないままいなくなったリン君がやけに心配だった。いつまで待っても戻らないし、出会った交差点や近くの公園も探したけれど、結局見つけられないまま帰宅した。

 しょう然とする私を励ますように真咲さんは言う。

「リン君は大丈夫でしょう。またひょっこり現れますよ。それよりミカドくんは?」

 真咲さんがそう尋ねた時、ドアのくぐり戸からミカドが顔を出す。申し訳なさそうに眉を下げているミカドを見たら、なぜだかホッとして、私はすぐさま抱き上げる。

「ミカド、ごはんは食べた?」

 頭をなでて頬を寄せ合うと、ほのかに甘い香りがする。

「何か甘いもの食べた?」

 キャットフードしか食べないのだからそんなことあるわけないのに冗談めかして尋ねると、ミカドも私の口元に鼻を寄せてくる。甘い香りを探っているのかもしれない。

 彼の口がそっと私の唇の端に触れる。こんな風に触れてくるのは初めてだ。よほどさみしかったのかもしれない。

「ごめんね、ミカド。さみしかったよね」

 ぎゅっとミカドを抱きしめて、部屋へ入ろうと真咲さんを見上げると、彼は複雑そうに歪んだ表情で私を見下ろしていた。

「古谷先生……?」

 眉をひそめていた彼はハッとして、気まずげに目を伏せる。

「あの、じゃあ私はこれで……」

 頭を下げてドアを開いた時、スッと伸びた彼の手に行く手を阻まれる。

「悠紀さん、俺には忘れられない人がいます」
「……え」

 彼はいつも唐突だ。私に一歩詰め寄る彼に驚いて、ミカドが足元に飛び降りる。

「彼女を救えなかったと彼は言った……」

 真咲さんは足元に視線を落とし、ミカドと見つめ合う。彼が何を憂いているのかはわからないが、その救えなかったという少女のために胸を痛めていることだけはわかった。

「彼女って? それに、彼って……」

 真咲さんは頭をひと振りし私を見つめるが、その瞳に浮かぶ苦悩を私は受け止めることができない。

 胸が次第に激しく鳴る。彼の心占める女性は私ではない。私を好きだと言った彼でも、忘れられない人はいる。
 それは私も同じかもしれない。真咲さんに心惹かれながら、まだ敬太を忘れられないでいる。

 好きという感情からは切り離されている、別の感情が胸にある。あの時、敬太の心を理解しようとしたなら、別の未来があったかもしれないなんて思う私がいる。

「今でも間に合うと思っています。救えなかったんじゃない。まだ救ってる途中なんです」

 揺るがない瞳は鋭く、私の体は畏怖する。
 そんなことを言って、私に何を期待しているのだろう。別に好きな女性がいるから、クリスマスイブの告白は忘れて欲しい。そう遠回しに言ったのだろうか。

「その思い、届くといいですね……」

 私はそう静かに吐き出す。

 他に何が言えるだろう。真咲さんの恋を応援など出来るはずもないのに。

 彼は少しだけ表情をゆるめて、口元にぎこちない笑みを浮かべる。きっと私の答えは間違っていなかったのだ。

 真咲さんへ溢れそうになる思いを胸に閉じ込める。一度足りとも口に出してはいけないと思う。私の思いは彼には重荷だ。

「明日はまた仕事です。頼りにしています」

 真咲さんはうつむく私に優しくそう言って、廊下の奥にある部屋へと向かっていった。
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