非才の催眠術師

つづき綴

文字の大きさ
上 下
40 / 56
救えなかった少女、救えたはずの少年

6

しおりを挟む


「君もついてくる必要はないよ」

 真咲さんは少しばかり不機嫌そうにリン君に言う。いつも穏やかな彼にしては珍しい。

 もちろん出会って二日目の青年と親しくする私を理解できないのは至極当然かもしれないが、それにしても彼の態度も初対面の相手に対するものではないような気がする。

「リン君は前からの知り合いです。ただ私が覚えてないだけなんです」

 リン君に申し訳なく思いながら言うと、真咲さんは困ったように眉根を寄せる。

「仕方ありません。彼も少々強情のようです」
「強情で諦めが悪いのは真咲も同じだよね」

 リン君は楽しげに言い返すと、真咲さんの隣を歩く私の隣へやってくる。真咲さんは何も言わないが、ますます不機嫌になったのは肌で感じる。

 二人に挟まれて居心地悪く思いながら、私たちはドーナツ店へ向かう。

 昨日通った道を迷いなく進むと、RingRingへはすぐに到着する。

 真咲さんはドーナツ屋の看板を見上げ、「リングリングか、……なるほど」とつぶやくと、リン君をちらりと見て薄く笑う。

「今日は行列してないですね」

 不穏な空気を感じて口を挟むと、気まずげな表情をしていたリン君は私の後ろへ身を隠す。

「昨日は行列でしたか?」
「イートインの方も混んでて」
「じゃあドーナツは買って食べただけですか。では今日はカフェも楽しみましょう」

 真咲さんは数人並ぶ列の最後尾に並ぶ。待つ間に次第に列は長くなる。押し出されるように前へ進み、カウンターの前まで来ると、真咲さんがおすすめを尋ねてくる。

 昨日食べて美味しかったドーナツと、気になったけど食べていないドーナツを伝えると、彼はリン君の分まで注文してくれる。牽制しあっているようで、なんだかんだ真咲さんは優しい。

 三人分のドーナツとドリンクの乗るトレイを持つ真咲さんについて、私たちはイートインスペースへと移動する。

 円形テーブルに腰かけるとすぐに、リン君はクリームがサンドされたイーストドーナツを受け取る。目はドーナツに釘付けだ。彼は甘いものに目がないらしい。

「一つじゃ足りなさそうだ」

 真咲さんはくすりと笑い、微笑ましげにリン君を眺めた後、すっかりドーナツに夢中の彼から視線を私へ移す。

「外折さんの話、どのようなものだったか聞かせてもらえますか?」

 唐突に問われはしたが、動揺はなかった。聞かれるだろうと、わずかに覚悟していたのだ。彼は私の苦悩を知ろうとしてくれる人だ。

「ママ、お付き合いしたい人がいるって。それで彼を紹介されて……」
「それだけでしたか? 話は」
「そう、それだけです」
「それを聞いてどう思われましたか?」
「どうって……」

 真咲さんの前で泣いてしまったのだ。すでに隠しておけるものではない。

「ママがいなくなるような気がしたの。私にはミカドしかいなくて、ミカドとどうやって生きていけばいいのかって、不安になって……」

 リン君はふと顔を上げて、深刻そうに私を見つめる。真咲さんは彼に小さくうなずきかけると、私に向き合うように椅子をずらす。

「ミカドくんしかいないなんてことはないですよ。悠紀さんの毎日を支えている人は他にもたくさんいるんです。俺もその一人のつもりでいます」
「古谷先生には感謝してます。お仕事があるのも先生のおかげです。でも私、こんな風だから……」
「こんな風とは?」

 私はうつむいて、スカートをぎゅっと握りしめる。真咲さんと話すと弱い私をさらけ出すことになって苦しくもある。

「……ちょっと嫌なことがあると逃げ出したくなって。先生が声をかけてくれなかったら、またあの部屋に引きこもろうとして」
「悠紀さん、逃げることは悪いことではありませんよ」

 私はハッと顔を上げる。そんな言葉をかけられるなんて思ってなかった。

「でも、先生は出かけようって」
「それは俺が悠紀さんと過ごしたかったからです。逃げるなと言ったわけじゃありません。むしろ、俺が悠紀さんにとっての逃げ場所なら嬉しいと思う。つらい時はいつでも頼ってください。どんな些細なことでも、悠紀さんの負担になることがあるなら、俺はいつでも逃げ場所になりますから」

 そう言って優しく微笑むから、落ち着かない気持ちになる。

 まだ真咲さんは私を好きでいてくれるのだろうか。

 知らず胸元に手が行く。胸元に隠された指輪に手を当てれば、真咲さんはますます目を細め、そして私から目を離してドーナツの乗った皿を前に押し出す。

「リン君、俺のも食べるかい? 足りなければ、また買って帰ろうか」
しおりを挟む

処理中です...