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救えなかった少女、救えたはずの少年
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デパートの屋上は子連れ客で賑わっていた。舞台の周りにあるベンチに、子どもたちが嬉々とした表情で腰掛けている。人気の子供向けヒーローショーが間もなく始まるのだ。
悠紀とここへ来たのはいつのことだっただろう。あの時は舞台の上で柳さんが催眠術を披露していた。ミカドはおびえてしまったが、それなりに楽しいデートだった。
今夜は悠紀に会える。
はやく帰らなくては……。
「古谷先生? ……古谷先生っ」
「え? あ、ああ、ごめん。もう行くかい?」
俺はハッとして首をひねる。不安そうに俺を見つめる千秋と目が合う。
千秋は長身で細身、さらさらの長髪をなびかせて歩く様はモデルのように美しい。彼女ならどんな男だって射留めることは容易いだろう。
悠紀だってそうだ。守りたくなる可愛らしさと危うい美しさを持つ彼女から俺は目が離せない。
二人は非なるものなのに、あまたの男を虜にする魅力を持つ点においては酷似している。
それでも俺は悠紀しか見えない。千秋ではだめだ。そればかり感じている。
「さっきからずっとぼーっとして。お疲れですか?」
「疲れ……、そうだね、疲れてるかもしれない」
「私では癒しになりませんか。先生を疲れさせてるのは彼女でしょう?」
千秋の言う彼女というのは悠紀でしかない。
「悠紀さんは関係ないですよ。仕事が多忙なだけです」
「先生はあの子のこと、悠紀さんって呼ぶんですね。私のことは夢川さんって……いいえ、名前で呼んでくれることもほとんどないわ」
「そうかな」
「あの子が大切なんですね。それはやっぱり、あの子が古屋遼の妹だからですか?」
俺はわずかに目を見開いた。
なぜその名を知っているのだろう。調べたのか。そこまでする執着心に驚く。
「初めて名前を聞いた時、どこかでって思ったんです」
千秋はそう言って、深い息を吐き出す。少しばかり様子が変だ。悠紀に対する嫉妬の気配はなく、むしろおびえているように見える。
「夢川さん、帰りましょう。少し無理をしたかもしれませんね」
千秋の肩にそっと腕を回して立ち上がらせようとした時、彼女はがっしりと俺の腕をつかんだ。そして憂いの浮かぶ目で俺を見上げる。
「調べたんです、私。あの子の名前が気になったから。それで新聞に古屋遼の名前を見つけて……。だからあの日、あの子が病院にいたことを思い出したの。だって私、……あの日のことは絶対忘れないから」
千秋は両手で顔を覆う。途端に震え出す体を引き寄せ、背中をさする。それでも一向に震えは止まらない。
「つらいことは思い出さなくていいんですよ。わざと思い出すようなこともしなくていいんです」
「だって先生があの子ばっかり見てるから……」
彼女は俺にしがみつき、胸に顔をうずめてくる。突き放すことはできなくて、背中をさすり続ける。
次第に落ち着いていく彼女が口にしたのは、やはりあの日のことだった。
「前に先生にお話したように、あの日はひどい雨でした。部活を終えて学校を出て、自転車を走らせていたんです。そうしたら背後から真っ黒な空が迫ってきて。雷も鳴り出して、気づいたら一気に降り出した雨に襲われていました……」
「夢川さん、黙って……」
いやいやするように首を振り、「ここからはまだ先生にお話してないことです」と前置きをして、冷静さを取り戻した彼女は語る。
「それからすぐに交差点の信号も見えなくなるぐらいの大雨になりました。学校に戻ることも考えましたが、家に帰った方がはやいと思って、私はそのまま交差点に入ろうとしたんです」
「それで……事故を?」
背中をさする手を止める。
千秋が交通事故を目撃したトラウマから抜け出せない理由がわかった気がしたのだ。
「わかりません……何が起きたのか。確かにはっきりとは見えなくても、前方には緑の光が見えていたんです。青信号を確認して交差点に入ったつもりでした……。でも自転車の先をかすめるように黒い何かが横切り、すぐにひどいスリップ音と激しく何かがぶつかるドーンッという音がして、黒煙が上がりました」
千秋は俺の手にそっと手を重ねる。指先は冷たく、力も入っていない。
信号を確認して交差点へ侵入したはずなのに、彼女をよけようとした車が事故を起こした。視界は悪く、千秋の行為は周囲からは見えなかったのだろう。
小さな田舎町では大きな車両事故として当時は報道されたらしい。俺はその時海外にいて、その事実は知らなかった。
彼女について報道されることは一度もなかっただろうが、それでも自分のせいで事故が起きたのではないかと、いまだに彼女は自責の念にかられている。
「夢川さんはその後、病院に行かれた。そこで古屋悠紀さんに会った?」
千秋はゆっくりとうなずく。
「何が起きたのかはわからなかったけど、かすり傷一つもない私は、念のためと病院に連れていかれました。様々な検査をして、廊下にあるベンチに座っていた時、泣き叫ぶ女性が目の前を通っていきました。それが事故の被害者家族というのはすぐにわかりました」
「なぜ?」
デパートの屋上は子連れ客で賑わっていた。舞台の周りにあるベンチに、子どもたちが嬉々とした表情で腰掛けている。人気の子供向けヒーローショーが間もなく始まるのだ。
悠紀とここへ来たのはいつのことだっただろう。あの時は舞台の上で柳さんが催眠術を披露していた。ミカドはおびえてしまったが、それなりに楽しいデートだった。
今夜は悠紀に会える。
はやく帰らなくては……。
「古谷先生? ……古谷先生っ」
「え? あ、ああ、ごめん。もう行くかい?」
俺はハッとして首をひねる。不安そうに俺を見つめる千秋と目が合う。
千秋は長身で細身、さらさらの長髪をなびかせて歩く様はモデルのように美しい。彼女ならどんな男だって射留めることは容易いだろう。
悠紀だってそうだ。守りたくなる可愛らしさと危うい美しさを持つ彼女から俺は目が離せない。
二人は非なるものなのに、あまたの男を虜にする魅力を持つ点においては酷似している。
それでも俺は悠紀しか見えない。千秋ではだめだ。そればかり感じている。
「さっきからずっとぼーっとして。お疲れですか?」
「疲れ……、そうだね、疲れてるかもしれない」
「私では癒しになりませんか。先生を疲れさせてるのは彼女でしょう?」
千秋の言う彼女というのは悠紀でしかない。
「悠紀さんは関係ないですよ。仕事が多忙なだけです」
「先生はあの子のこと、悠紀さんって呼ぶんですね。私のことは夢川さんって……いいえ、名前で呼んでくれることもほとんどないわ」
「そうかな」
「あの子が大切なんですね。それはやっぱり、あの子が古屋遼の妹だからですか?」
俺はわずかに目を見開いた。
なぜその名を知っているのだろう。調べたのか。そこまでする執着心に驚く。
「初めて名前を聞いた時、どこかでって思ったんです」
千秋はそう言って、深い息を吐き出す。少しばかり様子が変だ。悠紀に対する嫉妬の気配はなく、むしろおびえているように見える。
「夢川さん、帰りましょう。少し無理をしたかもしれませんね」
千秋の肩にそっと腕を回して立ち上がらせようとした時、彼女はがっしりと俺の腕をつかんだ。そして憂いの浮かぶ目で俺を見上げる。
「調べたんです、私。あの子の名前が気になったから。それで新聞に古屋遼の名前を見つけて……。だからあの日、あの子が病院にいたことを思い出したの。だって私、……あの日のことは絶対忘れないから」
千秋は両手で顔を覆う。途端に震え出す体を引き寄せ、背中をさする。それでも一向に震えは止まらない。
「つらいことは思い出さなくていいんですよ。わざと思い出すようなこともしなくていいんです」
「だって先生があの子ばっかり見てるから……」
彼女は俺にしがみつき、胸に顔をうずめてくる。突き放すことはできなくて、背中をさすり続ける。
次第に落ち着いていく彼女が口にしたのは、やはりあの日のことだった。
「前に先生にお話したように、あの日はひどい雨でした。部活を終えて学校を出て、自転車を走らせていたんです。そうしたら背後から真っ黒な空が迫ってきて。雷も鳴り出して、気づいたら一気に降り出した雨に襲われていました……」
「夢川さん、黙って……」
いやいやするように首を振り、「ここからはまだ先生にお話してないことです」と前置きをして、冷静さを取り戻した彼女は語る。
「それからすぐに交差点の信号も見えなくなるぐらいの大雨になりました。学校に戻ることも考えましたが、家に帰った方がはやいと思って、私はそのまま交差点に入ろうとしたんです」
「それで……事故を?」
背中をさする手を止める。
千秋が交通事故を目撃したトラウマから抜け出せない理由がわかった気がしたのだ。
「わかりません……何が起きたのか。確かにはっきりとは見えなくても、前方には緑の光が見えていたんです。青信号を確認して交差点に入ったつもりでした……。でも自転車の先をかすめるように黒い何かが横切り、すぐにひどいスリップ音と激しく何かがぶつかるドーンッという音がして、黒煙が上がりました」
千秋は俺の手にそっと手を重ねる。指先は冷たく、力も入っていない。
信号を確認して交差点へ侵入したはずなのに、彼女をよけようとした車が事故を起こした。視界は悪く、千秋の行為は周囲からは見えなかったのだろう。
小さな田舎町では大きな車両事故として当時は報道されたらしい。俺はその時海外にいて、その事実は知らなかった。
彼女について報道されることは一度もなかっただろうが、それでも自分のせいで事故が起きたのではないかと、いまだに彼女は自責の念にかられている。
「夢川さんはその後、病院に行かれた。そこで古屋悠紀さんに会った?」
千秋はゆっくりとうなずく。
「何が起きたのかはわからなかったけど、かすり傷一つもない私は、念のためと病院に連れていかれました。様々な検査をして、廊下にあるベンチに座っていた時、泣き叫ぶ女性が目の前を通っていきました。それが事故の被害者家族というのはすぐにわかりました」
「なぜ?」
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