非才の催眠術師

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救えなかった少女、救えたはずの少年

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「なぜ……、それはわかりません。直感としか。……その女性は髪を振り乱して、男性にかかえられながら、ようやくという感じで歩いてました。その後ろを小さな少女がうつむきながらついてきてました」
「小さな少女とは?」
「小学生くらいの。黙って、両親について歩いてました」
「取り乱した女性とそれを支える男性が、その少女のご両親なんですね」
「はい……、そう見えました。私は無意識に、近くの部屋へ入っていく彼らの後を追いました。部屋へ入るのを躊躇する少女を男性は『ゆき』と呼びました。少女はためらいながらも部屋に入っていき、閉まりかける扉に駆け寄った私の前で、男性は医師に告げました。古屋遼の父親です、と」
「古屋遼。それは……」
「あの日の事故で多くの方が亡くなりました。そのうちの一人が古屋遼という、当時はたちの青年でした」
「嘘だ……」

 思わず動揺する。まさか、そんな。

「嘘じゃありません。私、調べたんです。当時の新聞を」

 そう言って、千秋はかばんから小さく折りたたまれた紙を取り出す。新聞をコピーしたもののようだ。

「被害者の名前が全員掲載されています。古屋遼、あるでしょう?」

 俺はそれを受け取り、事故について書かれた記事に目を通す。被害者の顔写真と氏名が掲載された中に、確かに遼の写真があった。

「しかし、遼は……」

 悠紀さんは最近、遼に会ったと言っていた。それはどう証明したらいい。

「……私、昨日行ってみたんです」
「え、どこへ?」
「古屋悠紀を知りたくて、古屋遼の住んでた家に。そこで聞きました。向かいに古谷先生が暮らしていたお宅があったという話も、古屋悠紀は商店街の喫茶店で生活してることも、何もかも全部。人って、不幸な噂話は喜んでするんですね」
「夢川さん……」
「古屋悠紀は捨てられたんです。古屋遼が亡くなり、母親である古屋悠美は精神科に通院するようになりました。自分と血を分けた子どもじゃないからこそ、遼を大事にしていた悠美には彼の死を受け入れられなかった。父親である古屋ただしはそんな妻を抱えながら小学生だった悠紀を育てる気力もなく、悠美の妹である外折由香に預けたそうです。二度と迎えにはこない。それが預けた時の約束だったそうです」
「それは預けたとは言えない」
「だから言いました。捨てられた、と。……あの子が今不幸なのは、私のせい」
「夢川さん、そんな風に考えたらいけない」
「先生は優しい。優しいけど、その優しさは全部あの子のためですね……」

 千秋の目から涙がぽたりと落ちる。

「あの日、私が学校を休んでたらって。雨が降ってきた時に学校に戻ってたらって。何度も何度も考えました。そうしたらあの事故は起きなかったんじゃないかって。そうしたらあの子は古谷先生に出会うこともなかったんじゃないかって。私が私を苦しめるの。あの日に戻りたい……。ねぇ先生、あの日に戻る方法を教えてください。でないと私、どう生きていけばいいの……」

 両手で顔を覆い、身を丸めて号泣する千秋にかける言葉がすぐには見つからなかった。

 過去に戻ることなんて誰にも出来はしない。しかし出来もしないとわかっていることを望む人間は多い。

 だからこそ進まなければならないのだ。過去の自分を受け入れ、幸せに向かって生きるしか、俺たちに許された道はない。

 悠紀も、わかっているだろうか。

 大切なものを、人を、失う前には戻れない。失ったからこそ得たものがあるなら、それに目を向ける勇気を持たなければならないということに。
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