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優しい真実と苦しい選択
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「別れろだなんて……違うわ」
由香は力なく息をつく。
「じゃあ、なんと話したんです?」
「……悠紀ちゃんを苦しめないために、身を引くことになってもかまわないって話をしただけよ」
「だったら俺は別れませんよ。何があろうと別れる気はありません。そう言ったら、あなたは結婚を認めてくれますか?」
「結婚だなんて、まだ付き合い始めたばかりでしょう」
「そうやってはぐらかすんですね。そんなに知られるのが怖いですか?」
由香の瞳が震える。触れては欲しくないものを口にするなと、首を横に小刻みに振る。
「古屋遼の死を、なぜ隠すのです?」
結婚となれば、悠紀は戸籍を確認する。付き合いは認めても、結婚を認めない理由はそれしかない。
確信して俺がそう問うと、由香はめまいを覚えるようにひたいに手を当て、崩れ落ちそうになる。
俺はすぐさま立ち上がり、カウンターにようやく寄りかかって立っている由香を支え、椅子に座らせる。彼女は両手で顔を覆い、肩を震わせる。
泣いているようではない。ひどくおびえている。
俺は間違っているのかと臆病な気持ちが浮かんでくるのを振り払う。
これは悠紀の幸せのためだ。そして俺のため。俺のために、俺は二人の女性を傷つけるのかもしれない。そこに罪悪感はある。それでも踏み込む。
部屋で待つ悠紀が、もう二度と一人にならないように。
「悠紀さんはいずれ結婚しますよ。隠していてもいつか知る日が来る。結婚させないというなら、悠紀さんはこれから先ずっと一人で生きていかないといけなくなる」
「一人で生きていけるわ……悠紀ちゃんは」
「無理です。あなたと悠紀さんはよく似ている。外折さんは益田さんと結婚するのでしょう? 結婚しないと生きていけないからするんですよね?」
「私たちの……邪魔をしないで……」
由香は両手の平から顔を上げる。静かな怒りを秘めた瞳に俺は息を飲む。
「ようやくよ、ようやくここまで来たの! どうして知る必要のないことを暴こうとするのっ?」
「外折さん……」
椅子から勢い良く立ち上がった彼女は、俺の胸ぐらをつかみ、すぐに足元に崩れ落ちる。突然のことに驚いてよろけた俺のひじが、カウンター上の木製プレートにぶつかる。
はずみでプレートが落下する。床にぶつかり、カランッと高音を響かせたそれを、由香は拾い上げると胸に抱きしめる。
「悠紀ちゃんは私が守るって決めたの……」
ぽたりと、床に落ちるしずくは彼女の涙。
「外折さん……」
片ひざをついて、由香の肩に手を置く。するとますます彼女はひたいを床にすりつけるほどに身を丸める。
「私から……雫を奪わないで……」
「しずく?」
「……おねが、い……」
由香の体を抱き起こそうとした時、俺の背中を冷やす風が吹く。
振り返れば、喫茶店のドアにかかるカーテンが揺れている。そしてカーテンをつかむ手が現れ、奥から一人の男が現れる。
「雫は俺たちの娘です……」
男はそう言って、中折れ帽を外す。長めの髪がややうつむく男の頬を覆い隠すが、すぐに誰かはわかる。
「益田創士さん……」
俺がそう口にするのに合わせて由香が顔を上げる。涙でぐちゃぐちゃになる顔を見て、創士はゆっくりとうなずく。
「もう隠す必要はないだろう、由香。雫はもう大人になった」
「いやっ」
と、首を振る由香に歩み寄り、創士は彼女の肩に腕を回して抱き起こす。
「古谷さんと言いましたね。少し昔話を聞いてくれますか」
そう言って、創士は恥じ入るように唇を歪めて頭を下げた。
由香は力なく息をつく。
「じゃあ、なんと話したんです?」
「……悠紀ちゃんを苦しめないために、身を引くことになってもかまわないって話をしただけよ」
「だったら俺は別れませんよ。何があろうと別れる気はありません。そう言ったら、あなたは結婚を認めてくれますか?」
「結婚だなんて、まだ付き合い始めたばかりでしょう」
「そうやってはぐらかすんですね。そんなに知られるのが怖いですか?」
由香の瞳が震える。触れては欲しくないものを口にするなと、首を横に小刻みに振る。
「古屋遼の死を、なぜ隠すのです?」
結婚となれば、悠紀は戸籍を確認する。付き合いは認めても、結婚を認めない理由はそれしかない。
確信して俺がそう問うと、由香はめまいを覚えるようにひたいに手を当て、崩れ落ちそうになる。
俺はすぐさま立ち上がり、カウンターにようやく寄りかかって立っている由香を支え、椅子に座らせる。彼女は両手で顔を覆い、肩を震わせる。
泣いているようではない。ひどくおびえている。
俺は間違っているのかと臆病な気持ちが浮かんでくるのを振り払う。
これは悠紀の幸せのためだ。そして俺のため。俺のために、俺は二人の女性を傷つけるのかもしれない。そこに罪悪感はある。それでも踏み込む。
部屋で待つ悠紀が、もう二度と一人にならないように。
「悠紀さんはいずれ結婚しますよ。隠していてもいつか知る日が来る。結婚させないというなら、悠紀さんはこれから先ずっと一人で生きていかないといけなくなる」
「一人で生きていけるわ……悠紀ちゃんは」
「無理です。あなたと悠紀さんはよく似ている。外折さんは益田さんと結婚するのでしょう? 結婚しないと生きていけないからするんですよね?」
「私たちの……邪魔をしないで……」
由香は両手の平から顔を上げる。静かな怒りを秘めた瞳に俺は息を飲む。
「ようやくよ、ようやくここまで来たの! どうして知る必要のないことを暴こうとするのっ?」
「外折さん……」
椅子から勢い良く立ち上がった彼女は、俺の胸ぐらをつかみ、すぐに足元に崩れ落ちる。突然のことに驚いてよろけた俺のひじが、カウンター上の木製プレートにぶつかる。
はずみでプレートが落下する。床にぶつかり、カランッと高音を響かせたそれを、由香は拾い上げると胸に抱きしめる。
「悠紀ちゃんは私が守るって決めたの……」
ぽたりと、床に落ちるしずくは彼女の涙。
「外折さん……」
片ひざをついて、由香の肩に手を置く。するとますます彼女はひたいを床にすりつけるほどに身を丸める。
「私から……雫を奪わないで……」
「しずく?」
「……おねが、い……」
由香の体を抱き起こそうとした時、俺の背中を冷やす風が吹く。
振り返れば、喫茶店のドアにかかるカーテンが揺れている。そしてカーテンをつかむ手が現れ、奥から一人の男が現れる。
「雫は俺たちの娘です……」
男はそう言って、中折れ帽を外す。長めの髪がややうつむく男の頬を覆い隠すが、すぐに誰かはわかる。
「益田創士さん……」
俺がそう口にするのに合わせて由香が顔を上げる。涙でぐちゃぐちゃになる顔を見て、創士はゆっくりとうなずく。
「もう隠す必要はないだろう、由香。雫はもう大人になった」
「いやっ」
と、首を振る由香に歩み寄り、創士は彼女の肩に腕を回して抱き起こす。
「古谷さんと言いましたね。少し昔話を聞いてくれますか」
そう言って、創士は恥じ入るように唇を歪めて頭を下げた。
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