27 / 29
永遠の条件
9
しおりを挟む
*
ガラス扉の奥から、「助けて!」という佐那子の叫び声が聞こえた瞬間、カッと頭に血がのぼった。
ドアを開けようとするが、鍵がかかっていて開かない。辺りを見回し、入り口に置かれていた金属製のスツールを見つけると、すぐさまつかんで振り下ろしていた。
「佐那子っ!」
開錠すると扉を蹴り、ガラスが散乱するギャラリーの中へと足を踏み込む。
室内の奥で、小さな女の子を抱きしめる佐那子を見つけた。何かが足に当たった気がして、足元を見る。白のスニーカーと、ベージュのカーディガンが落ちている。
ふたたび、佐那子に目をやる。彼女は肌寒い季節だというのに、肩を出したシャツを着ていた。一つに束ねていた髪も、今はぐちゃぐちゃに乱れている。
何が起きようとしていたのか、いや、起きたのか、すぐに察して怒りが湧いた。
「天野……っ」
佐那子に向かって立ちはだかる天野の肩をつかみ、そのまま床に叩きつける。
「佐那子に何をしたっ」
「何って、それを聞くのは無粋ってものですよ」
興奮する俺をあざ笑うようにそう言った天野は、肩を押さえながら立ち上がり、あきれて店内を眺める。
「神林さん、これは一体どういうつもりですか。店がめちゃくちゃだ」
天野は落ち着いていた。しらを切るつもりか。
「俺も聞かせてもらいたい。どうして、彼女たちがここにいるのか」
「保護したんですよ」
「保護?」
嘘をつけ。
叫び出したい気持ちをこらえながら、佐那子の前へ回り込む。
後ろに差し出した手をつかんで立ち上がる彼女は、あんどしたように背中に身を預けてきた。
「彼女がこんなに怖がってるのに、保護したなんてよく言えますね」
「本当のことをお話しているだけですよ。公園で泣いてる女の子を保護したら、そこへ和風先生がいらしたんです。女の子が泣き止むまでギャラリーで休ませようと話し合って、ここへ来たんですよ」
「そんな話、信じられるわけないだろう」
「事実を信じるか信じないかは、あなたの勝手だ。俺はただ、女の子が泣き疲れて寝てしまったので、起きるまでと、和風先生と話をしていただけですよ」
「そうじゃないことは佐那子が証言してくれる。警察に連絡する」
「かまいませんよ。そうなれば、和風先生はもう画家として活動できなくなりますけどね」
「どういう意味だ」
眉をひそめる俺に、勝ち誇った笑みを浮かべる天野は、床に落ちたスマートフォンを拾い上げる。
「和風先生が男の前で裸になる動画があります」
「なにっ」
「こんなものが世の中に出回ったらどうなるでしょうね。ギャラリーのオーナーに取り入って、有名になろうとした。悪い意味で有名になりますよ」
グッとこぶしを握ると、佐那子がこぶしを両手で包み込んでくる。
「脅されて動画を撮られたのか?」
「裸になんてなってないわ。でも、あの動画が出たら、誤解されるかもしれない……」
声を震わす佐那子が、なんらかの動画を撮られたのは間違いないのだろう。
泣き寝入りなんてさせたくない。だが、すべてを公にしたら、傷つくのは佐那子だ。今日のところは引き下がるしかないのか。
「なんてやつだ」
吐き捨てると、天野に詰め寄る。
「もう二度と佐那子に近づくな。施設の子どもたちにもだ。次に何かあったら、絶対におまえを許さない」
「ギャラリーの弁償はしてくださいよ、神林さん?」
「わかってますよ」
余裕ぶった天野をにらみつけてそう言うと、涙目の佐那子に手を伸ばす。いつも気丈な彼女の頼りない瞳に胸が痛む。
天野は許さない。絶対に。
「帰ろう、佐那子」
佐那子は唇を震わせるとうなずいて、実花ちゃんを抱き上げたまま俺の胸に飛び込んできた。
手には、バッグとクロシェットの紙袋を持っている。中にはオレンジジュースが入っているようだ。そんなものは捨てていけ。そう言おうと思ったが、実花ちゃんが飲みたがったのかもしれないと思い、黙っていた。
上着を脱いで、彼女の肩にかけると、床に落ちたカーディガンを拾い、ガラスの破片が入っていないことを確認したスニーカーを佐那子に履かせる。
「この件はなかったことになる。それでもいいか?」
悔しいが、佐那子を守るためにはそうするしかない。
しかし、彼女は意外にも首を横に振った。あまりにもその毅然とした姿に、俺は「そうか」とつぶやく。
彼女がほんの少し笑むから、俺は意を決して天野を振り返る。
「ああ、天野さん、言い忘れていました」
「なんです?」
「知り合いの弁護士に面白い話を聞きましてね」
「弁護士?」
「ええ。その弁護士ですがね、興味深い話をしてくれました。とあるギャラリーのオーナーが、画家志望の若い女性をだまして暴行を働いているというんです」
天野はぴくりと眉をあげる。
「泣き寝入りしていた女性たちは皆、こう証言しているそうですよ。有名になりたいなら相談に乗るからとホテルに呼び出された。ホテルに行ったあと、ドリンクを飲んだら眠ってしまい、良からぬ動画を撮られて要求を受け入れるしかなかったと。彼女たちは訴訟を起こすそうです。今ごろ、裁判所に到着してるんじゃないでしょうか」
「……そんなはずはない」
「動画があるからですか? それは過信ですよ。夢を奪われた女性たちの悔しさがあなたにわかるわけがない」
天野は佐那子の手にある紙袋に気づくと、ハッとして振り返る。カウンターに駆け寄り、何かを探すようにカウンターの奥をのぞき込む。
「オレンジジュースに何か入れましたか。俺たちはこのまま警察に行きます。こんなことのせいで、彼女の画家人生が終わるなんて見くびらないで欲しいっ」
天野に傷つけられてきた女性たちは立ち上がることを決めた。俺たちが泣き寝入りしていいわけがない。
佐那子の手を握りしめる。強く握り返してくれる彼女を見たら、眉がさがる。
佐那子は強い。俺が思うよりずっと強くて、聡明だ。そんな彼女の支えになりたいと俺は思うのだ。
「佐那子、何があっても俺が守ってやる」
白山和風も、施設の子どもたちも、佐那子自身も……、全部。
「ありがとう、夏凪さん」
こんな状況でも、柔らかく笑む佐那子の肩を抱き寄せると、迷わず警察署へと電話をかけた。
ガラス扉の奥から、「助けて!」という佐那子の叫び声が聞こえた瞬間、カッと頭に血がのぼった。
ドアを開けようとするが、鍵がかかっていて開かない。辺りを見回し、入り口に置かれていた金属製のスツールを見つけると、すぐさまつかんで振り下ろしていた。
「佐那子っ!」
開錠すると扉を蹴り、ガラスが散乱するギャラリーの中へと足を踏み込む。
室内の奥で、小さな女の子を抱きしめる佐那子を見つけた。何かが足に当たった気がして、足元を見る。白のスニーカーと、ベージュのカーディガンが落ちている。
ふたたび、佐那子に目をやる。彼女は肌寒い季節だというのに、肩を出したシャツを着ていた。一つに束ねていた髪も、今はぐちゃぐちゃに乱れている。
何が起きようとしていたのか、いや、起きたのか、すぐに察して怒りが湧いた。
「天野……っ」
佐那子に向かって立ちはだかる天野の肩をつかみ、そのまま床に叩きつける。
「佐那子に何をしたっ」
「何って、それを聞くのは無粋ってものですよ」
興奮する俺をあざ笑うようにそう言った天野は、肩を押さえながら立ち上がり、あきれて店内を眺める。
「神林さん、これは一体どういうつもりですか。店がめちゃくちゃだ」
天野は落ち着いていた。しらを切るつもりか。
「俺も聞かせてもらいたい。どうして、彼女たちがここにいるのか」
「保護したんですよ」
「保護?」
嘘をつけ。
叫び出したい気持ちをこらえながら、佐那子の前へ回り込む。
後ろに差し出した手をつかんで立ち上がる彼女は、あんどしたように背中に身を預けてきた。
「彼女がこんなに怖がってるのに、保護したなんてよく言えますね」
「本当のことをお話しているだけですよ。公園で泣いてる女の子を保護したら、そこへ和風先生がいらしたんです。女の子が泣き止むまでギャラリーで休ませようと話し合って、ここへ来たんですよ」
「そんな話、信じられるわけないだろう」
「事実を信じるか信じないかは、あなたの勝手だ。俺はただ、女の子が泣き疲れて寝てしまったので、起きるまでと、和風先生と話をしていただけですよ」
「そうじゃないことは佐那子が証言してくれる。警察に連絡する」
「かまいませんよ。そうなれば、和風先生はもう画家として活動できなくなりますけどね」
「どういう意味だ」
眉をひそめる俺に、勝ち誇った笑みを浮かべる天野は、床に落ちたスマートフォンを拾い上げる。
「和風先生が男の前で裸になる動画があります」
「なにっ」
「こんなものが世の中に出回ったらどうなるでしょうね。ギャラリーのオーナーに取り入って、有名になろうとした。悪い意味で有名になりますよ」
グッとこぶしを握ると、佐那子がこぶしを両手で包み込んでくる。
「脅されて動画を撮られたのか?」
「裸になんてなってないわ。でも、あの動画が出たら、誤解されるかもしれない……」
声を震わす佐那子が、なんらかの動画を撮られたのは間違いないのだろう。
泣き寝入りなんてさせたくない。だが、すべてを公にしたら、傷つくのは佐那子だ。今日のところは引き下がるしかないのか。
「なんてやつだ」
吐き捨てると、天野に詰め寄る。
「もう二度と佐那子に近づくな。施設の子どもたちにもだ。次に何かあったら、絶対におまえを許さない」
「ギャラリーの弁償はしてくださいよ、神林さん?」
「わかってますよ」
余裕ぶった天野をにらみつけてそう言うと、涙目の佐那子に手を伸ばす。いつも気丈な彼女の頼りない瞳に胸が痛む。
天野は許さない。絶対に。
「帰ろう、佐那子」
佐那子は唇を震わせるとうなずいて、実花ちゃんを抱き上げたまま俺の胸に飛び込んできた。
手には、バッグとクロシェットの紙袋を持っている。中にはオレンジジュースが入っているようだ。そんなものは捨てていけ。そう言おうと思ったが、実花ちゃんが飲みたがったのかもしれないと思い、黙っていた。
上着を脱いで、彼女の肩にかけると、床に落ちたカーディガンを拾い、ガラスの破片が入っていないことを確認したスニーカーを佐那子に履かせる。
「この件はなかったことになる。それでもいいか?」
悔しいが、佐那子を守るためにはそうするしかない。
しかし、彼女は意外にも首を横に振った。あまりにもその毅然とした姿に、俺は「そうか」とつぶやく。
彼女がほんの少し笑むから、俺は意を決して天野を振り返る。
「ああ、天野さん、言い忘れていました」
「なんです?」
「知り合いの弁護士に面白い話を聞きましてね」
「弁護士?」
「ええ。その弁護士ですがね、興味深い話をしてくれました。とあるギャラリーのオーナーが、画家志望の若い女性をだまして暴行を働いているというんです」
天野はぴくりと眉をあげる。
「泣き寝入りしていた女性たちは皆、こう証言しているそうですよ。有名になりたいなら相談に乗るからとホテルに呼び出された。ホテルに行ったあと、ドリンクを飲んだら眠ってしまい、良からぬ動画を撮られて要求を受け入れるしかなかったと。彼女たちは訴訟を起こすそうです。今ごろ、裁判所に到着してるんじゃないでしょうか」
「……そんなはずはない」
「動画があるからですか? それは過信ですよ。夢を奪われた女性たちの悔しさがあなたにわかるわけがない」
天野は佐那子の手にある紙袋に気づくと、ハッとして振り返る。カウンターに駆け寄り、何かを探すようにカウンターの奥をのぞき込む。
「オレンジジュースに何か入れましたか。俺たちはこのまま警察に行きます。こんなことのせいで、彼女の画家人生が終わるなんて見くびらないで欲しいっ」
天野に傷つけられてきた女性たちは立ち上がることを決めた。俺たちが泣き寝入りしていいわけがない。
佐那子の手を握りしめる。強く握り返してくれる彼女を見たら、眉がさがる。
佐那子は強い。俺が思うよりずっと強くて、聡明だ。そんな彼女の支えになりたいと俺は思うのだ。
「佐那子、何があっても俺が守ってやる」
白山和風も、施設の子どもたちも、佐那子自身も……、全部。
「ありがとう、夏凪さん」
こんな状況でも、柔らかく笑む佐那子の肩を抱き寄せると、迷わず警察署へと電話をかけた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
兄様達の愛が止まりません!
桜
恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。
そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。
屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。
やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。
無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。
叔父の家には二人の兄がいた。
そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる