仮初めの甘い誘惑

水城ひさぎ

文字の大きさ
27 / 29
永遠の条件

9

しおりを挟む



 ガラス扉の奥から、「助けて!」という佐那子の叫び声が聞こえた瞬間、カッと頭に血がのぼった。

 ドアを開けようとするが、鍵がかかっていて開かない。辺りを見回し、入り口に置かれていた金属製のスツールを見つけると、すぐさまつかんで振り下ろしていた。

「佐那子っ!」

 開錠すると扉を蹴り、ガラスが散乱するギャラリーの中へと足を踏み込む。

 室内の奥で、小さな女の子を抱きしめる佐那子を見つけた。何かが足に当たった気がして、足元を見る。白のスニーカーと、ベージュのカーディガンが落ちている。

 ふたたび、佐那子に目をやる。彼女は肌寒い季節だというのに、肩を出したシャツを着ていた。一つに束ねていた髪も、今はぐちゃぐちゃに乱れている。

 何が起きようとしていたのか、いや、起きたのか、すぐに察して怒りが湧いた。

「天野……っ」

 佐那子に向かって立ちはだかる天野の肩をつかみ、そのまま床に叩きつける。

「佐那子に何をしたっ」
「何って、それを聞くのは無粋ってものですよ」

 興奮する俺をあざ笑うようにそう言った天野は、肩を押さえながら立ち上がり、あきれて店内を眺める。

「神林さん、これは一体どういうつもりですか。店がめちゃくちゃだ」

 天野は落ち着いていた。しらを切るつもりか。

「俺も聞かせてもらいたい。どうして、彼女たちがここにいるのか」
「保護したんですよ」
「保護?」

 嘘をつけ。

 叫び出したい気持ちをこらえながら、佐那子の前へ回り込む。

 後ろに差し出した手をつかんで立ち上がる彼女は、あんどしたように背中に身を預けてきた。

「彼女がこんなに怖がってるのに、保護したなんてよく言えますね」
「本当のことをお話しているだけですよ。公園で泣いてる女の子を保護したら、そこへ和風先生がいらしたんです。女の子が泣き止むまでギャラリーで休ませようと話し合って、ここへ来たんですよ」
「そんな話、信じられるわけないだろう」
「事実を信じるか信じないかは、あなたの勝手だ。俺はただ、女の子が泣き疲れて寝てしまったので、起きるまでと、和風先生と話をしていただけですよ」
「そうじゃないことは佐那子が証言してくれる。警察に連絡する」
「かまいませんよ。そうなれば、和風先生はもう画家として活動できなくなりますけどね」
「どういう意味だ」

 眉をひそめる俺に、勝ち誇った笑みを浮かべる天野は、床に落ちたスマートフォンを拾い上げる。

「和風先生が男の前で裸になる動画があります」
「なにっ」
「こんなものが世の中に出回ったらどうなるでしょうね。ギャラリーのオーナーに取り入って、有名になろうとした。悪い意味で有名になりますよ」

 グッとこぶしを握ると、佐那子がこぶしを両手で包み込んでくる。

「脅されて動画を撮られたのか?」
「裸になんてなってないわ。でも、あの動画が出たら、誤解されるかもしれない……」

 声を震わす佐那子が、なんらかの動画を撮られたのは間違いないのだろう。

 泣き寝入りなんてさせたくない。だが、すべてを公にしたら、傷つくのは佐那子だ。今日のところは引き下がるしかないのか。

「なんてやつだ」

 吐き捨てると、天野に詰め寄る。

「もう二度と佐那子に近づくな。施設の子どもたちにもだ。次に何かあったら、絶対におまえを許さない」
「ギャラリーの弁償はしてくださいよ、神林さん?」
「わかってますよ」

 余裕ぶった天野をにらみつけてそう言うと、涙目の佐那子に手を伸ばす。いつも気丈な彼女の頼りない瞳に胸が痛む。

 天野は許さない。絶対に。

「帰ろう、佐那子」

 佐那子は唇を震わせるとうなずいて、実花ちゃんを抱き上げたまま俺の胸に飛び込んできた。

 手には、バッグとクロシェットの紙袋を持っている。中にはオレンジジュースが入っているようだ。そんなものは捨てていけ。そう言おうと思ったが、実花ちゃんが飲みたがったのかもしれないと思い、黙っていた。

 上着を脱いで、彼女の肩にかけると、床に落ちたカーディガンを拾い、ガラスの破片が入っていないことを確認したスニーカーを佐那子に履かせる。

「この件はなかったことになる。それでもいいか?」

 悔しいが、佐那子を守るためにはそうするしかない。

 しかし、彼女は意外にも首を横に振った。あまりにもその毅然とした姿に、俺は「そうか」とつぶやく。

 彼女がほんの少し笑むから、俺は意を決して天野を振り返る。

「ああ、天野さん、言い忘れていました」
「なんです?」
「知り合いの弁護士に面白い話を聞きましてね」
「弁護士?」
「ええ。その弁護士ですがね、興味深い話をしてくれました。とあるギャラリーのオーナーが、画家志望の若い女性をだまして暴行を働いているというんです」

 天野はぴくりと眉をあげる。

「泣き寝入りしていた女性たちは皆、こう証言しているそうですよ。有名になりたいなら相談に乗るからとホテルに呼び出された。ホテルに行ったあと、ドリンクを飲んだら眠ってしまい、良からぬ動画を撮られて要求を受け入れるしかなかったと。彼女たちは訴訟を起こすそうです。今ごろ、裁判所に到着してるんじゃないでしょうか」
「……そんなはずはない」
「動画があるからですか? それは過信ですよ。夢を奪われた女性たちの悔しさがあなたにわかるわけがない」

 天野は佐那子の手にある紙袋に気づくと、ハッとして振り返る。カウンターに駆け寄り、何かを探すようにカウンターの奥をのぞき込む。

「オレンジジュースに何か入れましたか。俺たちはこのまま警察に行きます。こんなことのせいで、彼女の画家人生が終わるなんて見くびらないで欲しいっ」

 天野に傷つけられてきた女性たちは立ち上がることを決めた。俺たちが泣き寝入りしていいわけがない。

 佐那子の手を握りしめる。強く握り返してくれる彼女を見たら、眉がさがる。

 佐那子は強い。俺が思うよりずっと強くて、聡明だ。そんな彼女の支えになりたいと俺は思うのだ。

「佐那子、何があっても俺が守ってやる」

 白山和風も、施設の子どもたちも、佐那子自身も……、全部。

「ありがとう、夏凪さん」

 こんな状況でも、柔らかく笑む佐那子の肩を抱き寄せると、迷わず警察署へと電話をかけた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された大納言家の香子を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...