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永遠の条件
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ガラス扉の奥から、「助けて!」という佐那子の叫び声が聞こえた瞬間、カッと頭に血がのぼった。
ドアを開けようとするが、鍵がかかっていて開かない。辺りを見回し、入り口に置かれていた金属製のスツールを見つけると、すぐさまつかんで振り下ろしていた。
「佐那子っ!」
開錠すると扉を蹴り、ガラスが散乱するギャラリーの中へと足を踏み込む。
室内の奥で、小さな女の子を抱きしめる佐那子を見つけた。何かが足に当たった気がして、足元を見る。白のスニーカーと、ベージュのカーディガンが落ちている。
ふたたび、佐那子に目をやる。彼女は肌寒い季節だというのに、肩を出したシャツを着ていた。一つに束ねていた髪も、今はぐちゃぐちゃに乱れている。
何が起きようとしていたのか、いや、起きたのか、すぐに察して怒りが湧いた。
「天野……っ」
佐那子に向かって立ちはだかる天野の肩をつかみ、そのまま床に叩きつける。
「佐那子に何をしたっ」
「何って、それを聞くのは無粋ってものですよ」
興奮する俺をあざ笑うようにそう言った天野は、肩を押さえながら立ち上がり、あきれて店内を眺める。
「神林さん、これは一体どういうつもりですか。店がめちゃくちゃだ」
天野は落ち着いていた。しらを切るつもりか。
「俺も聞かせてもらいたい。どうして、彼女たちがここにいるのか」
「保護したんですよ」
「保護?」
嘘をつけ。
叫び出したい気持ちをこらえながら、佐那子の前へ回り込む。
後ろに差し出した手をつかんで立ち上がる彼女は、あんどしたように背中に身を預けてきた。
「彼女がこんなに怖がってるのに、保護したなんてよく言えますね」
「本当のことをお話しているだけですよ。公園で泣いてる女の子を保護したら、そこへ和風先生がいらしたんです。女の子が泣き止むまでギャラリーで休ませようと話し合って、ここへ来たんですよ」
「そんな話、信じられるわけないだろう」
「事実を信じるか信じないかは、あなたの勝手だ。俺はただ、女の子が泣き疲れて寝てしまったので、起きるまでと、和風先生と話をしていただけですよ」
「そうじゃないことは佐那子が証言してくれる。警察に連絡する」
「かまいませんよ。そうなれば、和風先生はもう画家として活動できなくなりますけどね」
「どういう意味だ」
眉をひそめる俺に、勝ち誇った笑みを浮かべる天野は、床に落ちたスマートフォンを拾い上げる。
「和風先生が男の前で裸になる動画があります」
「なにっ」
「こんなものが世の中に出回ったらどうなるでしょうね。ギャラリーのオーナーに取り入って、有名になろうとした。悪い意味で有名になりますよ」
グッとこぶしを握ると、佐那子がこぶしを両手で包み込んでくる。
「脅されて動画を撮られたのか?」
「裸になんてなってないわ。でも、あの動画が出たら、誤解されるかもしれない……」
声を震わす佐那子が、なんらかの動画を撮られたのは間違いないのだろう。
泣き寝入りなんてさせたくない。だが、すべてを公にしたら、傷つくのは佐那子だ。今日のところは引き下がるしかないのか。
「なんてやつだ」
吐き捨てると、天野に詰め寄る。
「もう二度と佐那子に近づくな。施設の子どもたちにもだ。次に何かあったら、絶対におまえを許さない」
「ギャラリーの弁償はしてくださいよ、神林さん?」
「わかってますよ」
余裕ぶった天野をにらみつけてそう言うと、涙目の佐那子に手を伸ばす。いつも気丈な彼女の頼りない瞳に胸が痛む。
天野は許さない。絶対に。
「帰ろう、佐那子」
佐那子は唇を震わせるとうなずいて、実花ちゃんを抱き上げたまま俺の胸に飛び込んできた。
手には、バッグとクロシェットの紙袋を持っている。中にはオレンジジュースが入っているようだ。そんなものは捨てていけ。そう言おうと思ったが、実花ちゃんが飲みたがったのかもしれないと思い、黙っていた。
上着を脱いで、彼女の肩にかけると、床に落ちたカーディガンを拾い、ガラスの破片が入っていないことを確認したスニーカーを佐那子に履かせる。
「この件はなかったことになる。それでもいいか?」
悔しいが、佐那子を守るためにはそうするしかない。
しかし、彼女は意外にも首を横に振った。あまりにもその毅然とした姿に、俺は「そうか」とつぶやく。
彼女がほんの少し笑むから、俺は意を決して天野を振り返る。
「ああ、天野さん、言い忘れていました」
「なんです?」
「知り合いの弁護士に面白い話を聞きましてね」
「弁護士?」
「ええ。その弁護士ですがね、興味深い話をしてくれました。とあるギャラリーのオーナーが、画家志望の若い女性をだまして暴行を働いているというんです」
天野はぴくりと眉をあげる。
「泣き寝入りしていた女性たちは皆、こう証言しているそうですよ。有名になりたいなら相談に乗るからとホテルに呼び出された。ホテルに行ったあと、ドリンクを飲んだら眠ってしまい、良からぬ動画を撮られて要求を受け入れるしかなかったと。彼女たちは訴訟を起こすそうです。今ごろ、裁判所に到着してるんじゃないでしょうか」
「……そんなはずはない」
「動画があるからですか? それは過信ですよ。夢を奪われた女性たちの悔しさがあなたにわかるわけがない」
天野は佐那子の手にある紙袋に気づくと、ハッとして振り返る。カウンターに駆け寄り、何かを探すようにカウンターの奥をのぞき込む。
「オレンジジュースに何か入れましたか。俺たちはこのまま警察に行きます。こんなことのせいで、彼女の画家人生が終わるなんて見くびらないで欲しいっ」
天野に傷つけられてきた女性たちは立ち上がることを決めた。俺たちが泣き寝入りしていいわけがない。
佐那子の手を握りしめる。強く握り返してくれる彼女を見たら、眉がさがる。
佐那子は強い。俺が思うよりずっと強くて、聡明だ。そんな彼女の支えになりたいと俺は思うのだ。
「佐那子、何があっても俺が守ってやる」
白山和風も、施設の子どもたちも、佐那子自身も……、全部。
「ありがとう、夏凪さん」
こんな状況でも、柔らかく笑む佐那子の肩を抱き寄せると、迷わず警察署へと電話をかけた。
ガラス扉の奥から、「助けて!」という佐那子の叫び声が聞こえた瞬間、カッと頭に血がのぼった。
ドアを開けようとするが、鍵がかかっていて開かない。辺りを見回し、入り口に置かれていた金属製のスツールを見つけると、すぐさまつかんで振り下ろしていた。
「佐那子っ!」
開錠すると扉を蹴り、ガラスが散乱するギャラリーの中へと足を踏み込む。
室内の奥で、小さな女の子を抱きしめる佐那子を見つけた。何かが足に当たった気がして、足元を見る。白のスニーカーと、ベージュのカーディガンが落ちている。
ふたたび、佐那子に目をやる。彼女は肌寒い季節だというのに、肩を出したシャツを着ていた。一つに束ねていた髪も、今はぐちゃぐちゃに乱れている。
何が起きようとしていたのか、いや、起きたのか、すぐに察して怒りが湧いた。
「天野……っ」
佐那子に向かって立ちはだかる天野の肩をつかみ、そのまま床に叩きつける。
「佐那子に何をしたっ」
「何って、それを聞くのは無粋ってものですよ」
興奮する俺をあざ笑うようにそう言った天野は、肩を押さえながら立ち上がり、あきれて店内を眺める。
「神林さん、これは一体どういうつもりですか。店がめちゃくちゃだ」
天野は落ち着いていた。しらを切るつもりか。
「俺も聞かせてもらいたい。どうして、彼女たちがここにいるのか」
「保護したんですよ」
「保護?」
嘘をつけ。
叫び出したい気持ちをこらえながら、佐那子の前へ回り込む。
後ろに差し出した手をつかんで立ち上がる彼女は、あんどしたように背中に身を預けてきた。
「彼女がこんなに怖がってるのに、保護したなんてよく言えますね」
「本当のことをお話しているだけですよ。公園で泣いてる女の子を保護したら、そこへ和風先生がいらしたんです。女の子が泣き止むまでギャラリーで休ませようと話し合って、ここへ来たんですよ」
「そんな話、信じられるわけないだろう」
「事実を信じるか信じないかは、あなたの勝手だ。俺はただ、女の子が泣き疲れて寝てしまったので、起きるまでと、和風先生と話をしていただけですよ」
「そうじゃないことは佐那子が証言してくれる。警察に連絡する」
「かまいませんよ。そうなれば、和風先生はもう画家として活動できなくなりますけどね」
「どういう意味だ」
眉をひそめる俺に、勝ち誇った笑みを浮かべる天野は、床に落ちたスマートフォンを拾い上げる。
「和風先生が男の前で裸になる動画があります」
「なにっ」
「こんなものが世の中に出回ったらどうなるでしょうね。ギャラリーのオーナーに取り入って、有名になろうとした。悪い意味で有名になりますよ」
グッとこぶしを握ると、佐那子がこぶしを両手で包み込んでくる。
「脅されて動画を撮られたのか?」
「裸になんてなってないわ。でも、あの動画が出たら、誤解されるかもしれない……」
声を震わす佐那子が、なんらかの動画を撮られたのは間違いないのだろう。
泣き寝入りなんてさせたくない。だが、すべてを公にしたら、傷つくのは佐那子だ。今日のところは引き下がるしかないのか。
「なんてやつだ」
吐き捨てると、天野に詰め寄る。
「もう二度と佐那子に近づくな。施設の子どもたちにもだ。次に何かあったら、絶対におまえを許さない」
「ギャラリーの弁償はしてくださいよ、神林さん?」
「わかってますよ」
余裕ぶった天野をにらみつけてそう言うと、涙目の佐那子に手を伸ばす。いつも気丈な彼女の頼りない瞳に胸が痛む。
天野は許さない。絶対に。
「帰ろう、佐那子」
佐那子は唇を震わせるとうなずいて、実花ちゃんを抱き上げたまま俺の胸に飛び込んできた。
手には、バッグとクロシェットの紙袋を持っている。中にはオレンジジュースが入っているようだ。そんなものは捨てていけ。そう言おうと思ったが、実花ちゃんが飲みたがったのかもしれないと思い、黙っていた。
上着を脱いで、彼女の肩にかけると、床に落ちたカーディガンを拾い、ガラスの破片が入っていないことを確認したスニーカーを佐那子に履かせる。
「この件はなかったことになる。それでもいいか?」
悔しいが、佐那子を守るためにはそうするしかない。
しかし、彼女は意外にも首を横に振った。あまりにもその毅然とした姿に、俺は「そうか」とつぶやく。
彼女がほんの少し笑むから、俺は意を決して天野を振り返る。
「ああ、天野さん、言い忘れていました」
「なんです?」
「知り合いの弁護士に面白い話を聞きましてね」
「弁護士?」
「ええ。その弁護士ですがね、興味深い話をしてくれました。とあるギャラリーのオーナーが、画家志望の若い女性をだまして暴行を働いているというんです」
天野はぴくりと眉をあげる。
「泣き寝入りしていた女性たちは皆、こう証言しているそうですよ。有名になりたいなら相談に乗るからとホテルに呼び出された。ホテルに行ったあと、ドリンクを飲んだら眠ってしまい、良からぬ動画を撮られて要求を受け入れるしかなかったと。彼女たちは訴訟を起こすそうです。今ごろ、裁判所に到着してるんじゃないでしょうか」
「……そんなはずはない」
「動画があるからですか? それは過信ですよ。夢を奪われた女性たちの悔しさがあなたにわかるわけがない」
天野は佐那子の手にある紙袋に気づくと、ハッとして振り返る。カウンターに駆け寄り、何かを探すようにカウンターの奥をのぞき込む。
「オレンジジュースに何か入れましたか。俺たちはこのまま警察に行きます。こんなことのせいで、彼女の画家人生が終わるなんて見くびらないで欲しいっ」
天野に傷つけられてきた女性たちは立ち上がることを決めた。俺たちが泣き寝入りしていいわけがない。
佐那子の手を握りしめる。強く握り返してくれる彼女を見たら、眉がさがる。
佐那子は強い。俺が思うよりずっと強くて、聡明だ。そんな彼女の支えになりたいと俺は思うのだ。
「佐那子、何があっても俺が守ってやる」
白山和風も、施設の子どもたちも、佐那子自身も……、全部。
「ありがとう、夏凪さん」
こんな状況でも、柔らかく笑む佐那子の肩を抱き寄せると、迷わず警察署へと電話をかけた。
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