嘘つきフェイク

水城ひさぎ

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きっかけの始まり

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***


 地下街は閉店の時間になっても賑やかだ。

 半分下がる店舗のシャッターをくぐり出る。シャッターに印字されているミゾタ靴店二号店の文字に背を向けて、人の波が止まない地下通路の流れに乗る。

 ミゾタ靴店に就職したのは、大学卒業後の五年前のことだった。
 靴にこだわりの強い母親の影響を受け、私も靴選びには余念がなかった。それならいっそのこと靴屋に就職しようと思ったのがきっかけで、今の職場にいる。

 靴は幸せを運んでくれる。
 そんなありふれた言葉を、幼少の頃から聞かされて育った。
 家族の形を変えることに躊躇のなかった母親は、今でも幸せを得ているように見える。父親もまた幸せであったらいいと思っている。

 一週間前、ミゾタ靴店二号店に転勤になった。アパートを借りたのも最近のことで、まだ部屋は片付いていない。
 だからというのは言い訳だが、このところ外食ばかり。昨日はオムライスを食べた。洋食店を横目に通り過ぎ、今日は何を食べようかと、飲食店の立ち並ぶ繁華街へと向かう。

 この辺りには土地勘がある。大学時代、よく友人と飲みに来たものだ。
 就職を機に県外で暮らすようになってからは足が遠のいていた。しかし、様子がわからなくなるほどの変化はない。

 ふと思い立って、お気に入りだったカウンターバーのある居酒屋へと足を向けた。たまには一人でお酒を飲むのも悪くはないと思ったのだ。



 目的のバーは、昔と変わらない場所にあった。WAONと書かれた金属プレートの看板は少しばかりすすけているが、外観に変わりはない。
 木製の扉を開けると、落ち着いた笑顔の店員に出迎えられる。カウンターで微笑する店長も以前と変わりはなく、ホッとする空間が広がる。

 カウンターの端に腰かけると、白髪に口ひげのダンディーな店長が、スーッと私の前に移動してきた。

「久しぶりだね、和美かずみちゃん」
「えっ」

 唐突に名を呼ばれ、驚いてしまう。まさか、店長が私を覚えているとは思ってなかったのだ。

「覚えてるんですか? 私のこと。もう……ごめんなさい、三年ぐらい来てないのに」
「もちろん覚えてるよ、小坂こさかくんがよく和美ちゃんの話するから」
「え、小坂って、小坂晃弘あきひろくん? 小坂くん、まだここでアルバイトしてるんですか?」

 小坂晃弘は大学の同期で、サークル仲間だ。大学一年の時からここ、和音わおんでアルバイトをしていたが、いまだに働いているらしい。

「二年ぐらい前だったかな、無職になったって、いきなり訪ねてきて。うちでは真面目に働いてくれてたし、私の方からまた働いてみるかと声をかけたんだよ」

 小坂くんがここで働くことになったいきさつを簡単に説明してくれた店長は、店内に懐かしい顔を探す私に言う。

「今日は小坂くん休みだよ。和美ちゃんが来たって知ったら喜ぶんじゃないかな。また来てやってくれよ」
「私も転勤で三年ぶりにこっちに帰ってきて。これからは時々来ますね」
「そうだったんだね。小坂くん以外にも、何人かあの時の仲間が来るよ。もしかしたら、知った顔に会えるかもしれないね」
「同窓会みたい」
「本当だ。ああ、噂をすればだね。小坂くんの友人が来たよ。和美ちゃんも知ってるかもしれないね」

 店長はそう言って私から離れると、「いらっしゃい」と、二人組の青年に声をかけた。

 大学時代、小坂くんがアルバイトをしていたということもあり、サークル仲間とよくここを訪れていた。懐かしい昔の記憶だ。

 大学卒業後は、親友の熊井紀子くまいのりこ以外の仲間と会うことはなかったが、またあの頃の楽しかった日々の断片を手に入れることが出来るかもしれないと、心は浮き立った。

 私は入り口の方へ視線を向けて、青年たちを見た。見知った顔かどうか確認するためだった。

 すると、私より先に、「あっ」と青年の一人が声をあげた。
 私は一瞬眉をひそめる。見たことがあるような気がする。私にとってはその程度だったが、細身の青年は私に覚えがあるようで、真っ直ぐこちらに向かってきた。

「懐かしいなぁ。前畑まえはた和美だろ?」
「あ……」

 とっさにどう答えたら良いものかと困惑して、奇妙に表情を歪めてしまった。

「あれ? 違った?」

 細身の青年は人間違いしたのかと、まいったなと後ろ頭に手を置く。そのまま気まずそうに首を傾げて立ち去ろうとするから、あわてて呼び止めた。

「あ、違うの、前畑和美よ。えっと……」
「あー、俺のことは覚えてないんだ?」

 勘違いでなかったことを知ると、彼は安堵の笑みを浮かべた。

「まあ、無理もないか。サークルは違ったけどさ、小坂のつながりで前畑さんのことはよく知ってるよ」
「そうなんですね。ごめんなさい、ちょっと驚いただけなの」
「俺も突然声かけたからさ、驚くよな、ごめん。前畑さんは昔から綺麗で有名だったから俺も覚えてただけだし」
「……そんな」

 綺麗なんてと、恐縮する私など興味なさげに、青年は辺りを見回す。

「小坂には会った?」
「まだ。今日は久しぶりにここに来て」
「あ、もしかして小坂、今日休み? あいつ、出勤だって言ってたくせに。いいかげんなやつだよな」
「昔から少しおっちょこちょいだったね、小坂くん」
「あいつのことは覚えてるんだ。ふーん……」

 意味ありげに青年はうなずく。真意はわからないが、なんだか落ち着かない。

 妙な沈黙ができると、彼の隣で静観していた連れの男性が、しびれを切らしたように言葉を挟んだ。

村橋むらはしくん、長くなるなら先に座ってるぜ」
「あ、悪い。これから商談なんだ、前畑さん。また今度会えたらゆっくり」

 どうやら青年は村橋というらしい。しかし、大学時代に村橋という名の青年がいたことは思い出せない。サークル仲間ではないようだし、本当に私を一方的に見知っていた、という程度のことだろう。

「商談なんですね。はい、また」

 仕事中なら長話は迷惑だっただろう。現に、村橋さんの隣に立つ青年は不機嫌そうな様子だ。

「商談って言ってもさ、結婚指輪のデザインの相談。石神いしがみさん、あ、石神さんは兄貴の知人で、宝石店勤務だから、いろいろ相談に乗ってもらってるんだ」
「聞かれてもないのに話しすぎだ。見ろ、彼女、きょとんとしてる」

 石神さんと呼ばれた青年は、眉をひそめてそう言う。

「宝石店……ですか」

 なるほど。妙に納得してしまう。石神さんは落ち着きがあるとてもスマートな青年だった。村橋さんとはあまりに雰囲気が違って、友人というには違和感があった。その正体をすんなり見つけることが出来た気がしたのだ。

「村橋さんはご結婚されるんですね。おめでとうございます」
「ありがとう、前畑さん。今日は小坂に結婚式の招待状も持ってきたんだけど、また来なきゃな。もし小坂に会ったら俺がぼやいてたって伝えておいて」
「え……」
「うそうそ、冗談。じゃあ前畑さん、また」

 立ち去ろうとする村橋さんに頭を下げようと、椅子から立ち上がった私は、「あっ」と短い悲鳴をあげた。

 椅子の背にかけていたカバンが滑って床に落ちる。扇状に中身が飛び出してしまう。あわててしゃがみ込んで拾い集める私を、村橋さんは少し驚きつつ手伝ってくれる。

「意外と前畑さんもおっちょこちょいなんだね」
「ごめんなさい。カバンのことすっかり忘れてて」
「だからそれがおっちょこちょい。これで全部?」
「あ、はい。……あ、社員証。社員証がまだ」

 カバンの中にファイルを詰め込みながら足元を見回す。

「社員証? どんな?」
「ひもがついてるパスケースに入ってるから、すぐに見つかると……」
「あ、これだ」

 石神さんがいきなり私の腰に手を伸ばす。

 驚いて身を引いた時、ベルトに引っかかっていたのだろうパスケースが床に落ちた。それを拾い上げる石神さんの左手に、なぜだか目が止まる。

 彼の左手の薬指にはプラチナのシンプルな指輪がはまっていた。
 既婚者だ。それをはっきりと自覚した私の胸の中に、妙な違和感が浮かぶ。しかしその違和感がなんなのかすぐにはわからず、彼の言葉に現実に引き戻された。

朝霧あさぎり和美? 朝霧さんっていうの?」
「え? 朝霧さん?」

 私より先に村橋さんは、石神さんから社員証を取り上げて、まじまじと眺める。そこには最近撮影したばかりの私の証明写真と氏名がばっちり載っている。

「あ、それはその……」
「前畑さん、結婚したの? なんだ、小坂のやつ、まだ前畑さんに入れ上げてるからチャンスだと思ったのにな。結婚してるのかー」
「えっ」

 思いがけない告白にわずかにほおが上気する。小坂くんに好意があるわけじゃないけど、気恥ずかしいものだ。

「気づいてなかった? ずっと前畑さん前畑さんって、学生の時からそればっかりだよ。高嶺の花だから憧れてるだけだーなんて言ってるけどさ、結構マジなんじゃないかと思ってさ。でもまあ、小坂のやつもこれで諦めがつくって話だよな」

 私の反応を楽しむように、村橋さんはそう言って笑う。

 私は苦笑いを浮かべながら、社員証を受け取った。
 どうもとんでもない誤解をされてしまったようだ。だけど、私の苗字事情なんて詳しく話すのもおかしい。

 村橋さんはかかとを返す。

「あ、じゃあ、ほんとにごめん。前畑さん、あ、朝霧さん、ゆっくり食事して。これからでしょ?」

 何も用意されていないカウンターの上に視線をずらした村橋さんは、店長に「いつものとこ、借りるよ」と言うと、石神さんとともに個室へと消えていった。
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