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初めてをもらってもらえませんか?
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レストランを出ると、2台のタクシーにそれぞれ乗り込む中年男を、若い男の人ふたりが見送りをしているところだった。
ひとりは実直な好青年風で、もうひとりは入り口で出会った、遊び人風の青年。
御園さんが後者の青年を選択したのは、うまくいけば今夜にでも処女喪失のチャンスがあると見込んだからだろう。
「上司との飲み会かしらね」
御園さんが、彼らを眺めてそう言う。
「取引先の接待かと思ったわ」
「違うわよ。新入社員の激励よ」
やけに断言するものだ。
「新入社員っていうほど若そうには見えないけど」
「中途採用じゃないかしら」
毒にも薬にもならない会話を続けているうちにタクシーは走り去り、青年ふたりは、じゃあまた、と短いあいさつをして別れた。
どうやら、好青年風の男の人は、バスで帰るみたい。近くのバス停でスマホをいじり始める。
遊び人風の彼は、バス停に背を向けて歩き出す。地下鉄で帰るのだろうか。
「花村さん、地下鉄だったわよね。私はタクシー拾って帰るから、じゃあ」
「え、じゃあって……」
「月曜に朗報待ってるわよ」
ちょうどタイミングよくやってきたタクシーに乗り込み、あっけなく、御園さんは帰ってしまった。
仕方なく、私は地下鉄へと向かって歩き出した。
このまま帰ってしまえばそれでいい。
御園さんには、うまく行かなかったと報告するだけだ。彼女だって、残念だったわねと同情してくれて、仕方ないと言ってくれるだろう。
改札を通って、到着したばかりの地下鉄に乗り込む。すぐに降りるから、入り口近くに立つけれど、次々に乗り込んでくる人波に押されてよろけてしまった。
かかとに柔らかな感触があって、はっとする。誰かの足を踏んでしまった。
「ごめんなさいっ」
すぐさま謝って振り返り、ますます息を飲む。遊び人風の青年がやや迷惑そうにこちらを見ていた。同じ電車だったのだ。
「あ……、ごめんなさい。痛かったでしょう?」
今日はどんな靴を履いていただろう。混乱する頭ではすぐに思い出せなくて、もう一度あやまると、彼は少し後ろに下がって、スペースを開けてくれた。
「いや」
そう言って、青年は正面を向く。あんまり関わりたくないのだろう。
私も無言で頭を下げ、発車する車窓へと目を向ける。
無機質なコンクリートを背景に、私たちの姿が窓に映っている。
隣に立つ青年と、ガラス越しに目が合った気がして視線をずらした。
下車駅に到着し、流れに添いながら電車を降りると、青年も降りてきた。同じ駅を利用してるらしい。
足を踏んでおいて、知らぬふりで立ち去るのも気まずい。
気になりながら改札を抜け、目の前を通り過ぎていく青年に、「あのっ」と勇気を出して声をかけた。
「ああ、大丈夫ですよ。痛くなかったし」
青年はすぐにさっして、足もとを見やる。きれいに磨かれた革靴は汚れていなかった。私もフラットパンプスを履いている。
「さっき、パールムにいた人ですよね」
確かめるように、彼は言う。
「偶然ですね、降りる駅も一緒なんて」
「いろんな偶然って、たまに重なりますよね。不思議なぐらい」
「本当に。でも、毎日利用してたら、よく会うかも」
考えてみたら、不思議なことでもなんでもない。今までもすれ違っていたかもしれないのだ。
「俺、引っ越してきたばっかりなんですよ」
「そうなの?」
10月に? 珍しい時期に引っ越ししたものだ。
「ああ、そうだ。近くにおしゃれなバーがあるって聞いたんですけど、知りませんか?」
ふと、思い出したように彼は言う。
「近くに、バー? ……あ、もしかしたら、あそこかな。駅裏になるんだけど、住宅地の中に物静かな和風バーがあるの。名前はなんだったっけ……」
「ジウ、だったかな」
「あ、そうそう。ジウ。雨の慈雨から来てるって何かで見たわ」
「駅裏って、そこの路地入っていけばいいですか?」
駅前の大通りの脇道を指差して、彼は言う。
「今から行くの?」
「ちょっと飲み直したいと思って。仕事で酒飲んでも楽しくないし」
「そっか。通り道じゃないんだけど、ちょっと寄り道すればジウの前通るから、一緒に行きましょうか」
「いいんですか? ありがとうございます」
早速歩き出す青年と並ぶ。
改めて、背が高い男の子だなと思う。見た目はちゃらいけど、語り口は優しいし、穏やかな青年かもしれない。
脇道を入って、線路に沿って歩いていく。薄暗い路地だけど、住宅地への近道だから、意外と人通りは多い。
三叉路の右手を進んで、線路を渡った先に、和風の店舗が現れる。店先でほのかにともる電灯の下で、JIUのしゃれた文字が浮かんでいる。
「あれじゃないかしら」
「そうみたいですね。ありがとうございます」
「じゃあ、私はここで」
自宅マンションは、三叉路を左に折れたところにある。来た道を戻ろうとすると、声をかけられた。
「せっかくだから、一緒にどうですか?」
「え、一緒に?」
「俺と飲み直しませんか」
さわやかな笑顔で、彼は軽く誘う。
『誰かとヤってしまいなさいよ』
唐突に、御園さんの声が脳内にこだまする。
これは思いがけないチャンスなんだ。コンプレックスから解放されるための。もっと自信を持って仕事するための、チャンス。
彼をだますようで気が引けるけど、私が誘ったって、嫌なら拒むだろう。選択肢は彼にだってある。
「じゃあ、ちょっとだけ」
誘いに乗ることにした。
意外そうに目をほんの少し開いた彼の顔立ちが、私の好みでもあった。
どうなったっていい。
少しお酒が入っていて大胆になっていたのかもしれないし、投げやりな気持ちがあったかもしれないけれど、ちょっと冒険してみようと思った。
ひとりは実直な好青年風で、もうひとりは入り口で出会った、遊び人風の青年。
御園さんが後者の青年を選択したのは、うまくいけば今夜にでも処女喪失のチャンスがあると見込んだからだろう。
「上司との飲み会かしらね」
御園さんが、彼らを眺めてそう言う。
「取引先の接待かと思ったわ」
「違うわよ。新入社員の激励よ」
やけに断言するものだ。
「新入社員っていうほど若そうには見えないけど」
「中途採用じゃないかしら」
毒にも薬にもならない会話を続けているうちにタクシーは走り去り、青年ふたりは、じゃあまた、と短いあいさつをして別れた。
どうやら、好青年風の男の人は、バスで帰るみたい。近くのバス停でスマホをいじり始める。
遊び人風の彼は、バス停に背を向けて歩き出す。地下鉄で帰るのだろうか。
「花村さん、地下鉄だったわよね。私はタクシー拾って帰るから、じゃあ」
「え、じゃあって……」
「月曜に朗報待ってるわよ」
ちょうどタイミングよくやってきたタクシーに乗り込み、あっけなく、御園さんは帰ってしまった。
仕方なく、私は地下鉄へと向かって歩き出した。
このまま帰ってしまえばそれでいい。
御園さんには、うまく行かなかったと報告するだけだ。彼女だって、残念だったわねと同情してくれて、仕方ないと言ってくれるだろう。
改札を通って、到着したばかりの地下鉄に乗り込む。すぐに降りるから、入り口近くに立つけれど、次々に乗り込んでくる人波に押されてよろけてしまった。
かかとに柔らかな感触があって、はっとする。誰かの足を踏んでしまった。
「ごめんなさいっ」
すぐさま謝って振り返り、ますます息を飲む。遊び人風の青年がやや迷惑そうにこちらを見ていた。同じ電車だったのだ。
「あ……、ごめんなさい。痛かったでしょう?」
今日はどんな靴を履いていただろう。混乱する頭ではすぐに思い出せなくて、もう一度あやまると、彼は少し後ろに下がって、スペースを開けてくれた。
「いや」
そう言って、青年は正面を向く。あんまり関わりたくないのだろう。
私も無言で頭を下げ、発車する車窓へと目を向ける。
無機質なコンクリートを背景に、私たちの姿が窓に映っている。
隣に立つ青年と、ガラス越しに目が合った気がして視線をずらした。
下車駅に到着し、流れに添いながら電車を降りると、青年も降りてきた。同じ駅を利用してるらしい。
足を踏んでおいて、知らぬふりで立ち去るのも気まずい。
気になりながら改札を抜け、目の前を通り過ぎていく青年に、「あのっ」と勇気を出して声をかけた。
「ああ、大丈夫ですよ。痛くなかったし」
青年はすぐにさっして、足もとを見やる。きれいに磨かれた革靴は汚れていなかった。私もフラットパンプスを履いている。
「さっき、パールムにいた人ですよね」
確かめるように、彼は言う。
「偶然ですね、降りる駅も一緒なんて」
「いろんな偶然って、たまに重なりますよね。不思議なぐらい」
「本当に。でも、毎日利用してたら、よく会うかも」
考えてみたら、不思議なことでもなんでもない。今までもすれ違っていたかもしれないのだ。
「俺、引っ越してきたばっかりなんですよ」
「そうなの?」
10月に? 珍しい時期に引っ越ししたものだ。
「ああ、そうだ。近くにおしゃれなバーがあるって聞いたんですけど、知りませんか?」
ふと、思い出したように彼は言う。
「近くに、バー? ……あ、もしかしたら、あそこかな。駅裏になるんだけど、住宅地の中に物静かな和風バーがあるの。名前はなんだったっけ……」
「ジウ、だったかな」
「あ、そうそう。ジウ。雨の慈雨から来てるって何かで見たわ」
「駅裏って、そこの路地入っていけばいいですか?」
駅前の大通りの脇道を指差して、彼は言う。
「今から行くの?」
「ちょっと飲み直したいと思って。仕事で酒飲んでも楽しくないし」
「そっか。通り道じゃないんだけど、ちょっと寄り道すればジウの前通るから、一緒に行きましょうか」
「いいんですか? ありがとうございます」
早速歩き出す青年と並ぶ。
改めて、背が高い男の子だなと思う。見た目はちゃらいけど、語り口は優しいし、穏やかな青年かもしれない。
脇道を入って、線路に沿って歩いていく。薄暗い路地だけど、住宅地への近道だから、意外と人通りは多い。
三叉路の右手を進んで、線路を渡った先に、和風の店舗が現れる。店先でほのかにともる電灯の下で、JIUのしゃれた文字が浮かんでいる。
「あれじゃないかしら」
「そうみたいですね。ありがとうございます」
「じゃあ、私はここで」
自宅マンションは、三叉路を左に折れたところにある。来た道を戻ろうとすると、声をかけられた。
「せっかくだから、一緒にどうですか?」
「え、一緒に?」
「俺と飲み直しませんか」
さわやかな笑顔で、彼は軽く誘う。
『誰かとヤってしまいなさいよ』
唐突に、御園さんの声が脳内にこだまする。
これは思いがけないチャンスなんだ。コンプレックスから解放されるための。もっと自信を持って仕事するための、チャンス。
彼をだますようで気が引けるけど、私が誘ったって、嫌なら拒むだろう。選択肢は彼にだってある。
「じゃあ、ちょっとだけ」
誘いに乗ることにした。
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