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好きじゃなきゃしない
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「改めまして、このたびはtofit開発の動画編集を担当します黒瀬です。ご要望に応じた運動メニューを考えますので、どんな小さなことでもご相談ください」
スーツ姿の蓮を見るのははじめてじゃないけど、仕事モードになると、私の知ってる黒瀬蓮なのかと疑うほど、凛々しかった。
同僚だったなんて、全然知らなかった。
今にして思えば、私たちはまた必ず会うことになる、と自信に満ちていた蓮は、同僚だと知っていたのだろう。
それにしても、いつから私がサク美の社員だと気づいてたのだろう。
「黒瀬くんは東崎大学医学部附属病院に勤務してたんだけど、tofit開発のために、ぜひにって我が社がオファーして来てもらったの。かなり優秀だから、どんどんアイデア出して盛り上げていきましょう」
仕事が趣味だと豪語する環さんは、やる気満々で蓮に期待の目を向ける。
東崎大病院といえば、この地域において、もっとも高度な先端医療が受けられる国立大学附属病院。優秀な知恵をお借りできるとなれば、環さんに熱が入るのも無理はない。
「東崎大学といえば、サク美アプリ開発の監修をしてくださった教授のいらっしゃる大学ですね」
御園さんが確認するように言う。
「そう。今回もぜひにとお願いしたら、黒瀬くんを紹介されたの」
大学教授から直々に紹介されるなんて、本当に優秀なんだ……。
ぽかんとしながら、蓮を見つめていると、彼は目を合わせてきて、ふわっと優しくほほえんだ。
まるで、甘ったるい天使のような笑み。
愛想がいい、と言ってしまえばそれまでだけど、天使のほほえみの見せどころを熟知してるだろうから、たちが悪い。
まずい。こんな笑顔を見せられたら、第三企画の女子たちはみんな悩殺されちゃうだろう。
あらぬ嫉妬を買わないようにと、目をそらすと、今度は御園さんと目が合う。
意味ありげに見られてる気がして、こほんと咳払いする。
大丈夫。私と蓮の関係を知ってるのは、御園さんだけ。彼女は口がかたいし、信頼できる。いざとなったら、うまくフォローもしてくれるだろう。
背筋を伸ばす。私は堂々としていればいい。
「第三企画はまだ新しい部署だけど、彼女たちがうまくまとめてくれてる。黒瀬くんも困ったことがあったら、彼女たちに聞いてください」
「頼りにしてます。よろしくお願いします」
謙虚な蓮には違和感しかないけど、私も「よろしくお願いします」と、ぺこりと頭を下げた。
「それじゃあ、花村、御園、あとはお願い」
顔合わせをすませると早々に、環さんは会議室を出ていった。
「いくつか要望があるとうかがってますが」
環さんを見送ると、早速、企画書に目を通しながら蓮が言う。
さすがに社内では真面目なんだと気抜けしつつ、すぐに気を取り直して、第三企画でまとめた意見を提案する。
「ご存知だと思うけど、サク美アプリには、引き締める部位別に、数ポーズの組み合わせで、約10分前後のストレッチ動画が収録されているの。ストレッチ内容はとてもいいものだから、それプラス、tofitでは、1ポーズずつを収録したらどうかって案が出てるの」
「1ポーズずつですね。サク美アプリの動画では、使い勝手が良くないということですか?」
「tofitはあくまでも、運動習慣のない女性をターゲットにしてるから、10分動画の中に苦手なポーズが1つでもあると、続けられないこともあるんじゃないかと思って」
実際私も、ダイエットを始めたときはストレッチの本通りにやらないといけないと思い込んでて、やりたくないポーズがあると苦慮したものだった。
「あー、なるほど。1ポーズずつの動画にすることで、苦手なポーズを省けるようにするんですね」
「好きな動画をカスタマイズして、自分だけの10分動画を作成できるようにしたいの」
蓮はうなずきながら真剣に聞いてくれる。
「問題点としては、楽なポーズばかり選んでしまうといけないってことかしら。似たような効果が得られるポーズをいくつか用意して、苦手なポーズの代替え動画を選択できるようにしないといけないとは思ってるんだけど」
「わかりました。嫌いなポーズが一つでも入ってるとやりたくなくなるっていうのは想像がつくので、部位別におすすめの10分動画を作成して、苦手なポーズを別の難易度の低いポーズに差し替えられるような動画を作成したらいいですね。できると思います」
できるかどうか不安だったものの、彼はちゅうちょなく提案を受け入れてくれる。
「それとね、難易度の低いストレッチを多めにしたいの。本当に体がかたくて簡単なポーズも難しいような初心者向けのもので。難易度をあげるのは、ストレッチが習慣づいてからでいいと思う」
「やれないポーズはやる気を奪われますからね」
「まずは、体を動かすことの楽しさを知ってもらいたいの。それに、40代以上の方は難易度をあげる必要も感じてない。体を整えるのが目的になります」
キツい運動は続かない。ダイエットの成功はやせることだけじゃなくて、継続だから。
「体に優しいアプリができそうですね。いくつか、部位別に簡単なストレッチを考えておきます。案ができたら、またお知らせします」
そう言ってくれるから、ほっとする。
「ありがとうございます。連絡は私か御園さんにお願いします」
「進捗状況は、おふたりのパソコンにメールしますよ」
「助かります。御園さん、ほかに何かある?」
今日は顔合わせだと思っていたから、細かな打ち合わせまでできてなくて、補足をお願いする。
「そうね。ストレッチの案ができたら、ご指南してもらいたいわね。サク美アプリの動画はとても良いものだけど、うまくできないポーズに解説がなくて、なんとなくやってるだけのものもあるから。tofitの動画はすべて体験しておきたいのよ」
「かまいませんよ。スタジオを借りられるように手配しておきます」
思わぬ申し出だったけど、蓮は快諾する。
「話が早くて助かるわね」
「ほかには何か?」
「部位別のストレッチのほかに、マンションでも下の階の方に迷惑をかけない有酸素運動も紹介してもらえるとうれしいわね。ランニングすればいいって簡単に言う人いるけど、暑い日、雨の日は出たくないし、ダイエット目的で走ってる姿って、案外ご近所さんには見られたくないものよ」
まるで実体験のように話す。
「了解しました。ほかにはありませんか?」
「今のところはないわね。花村さんは?」
「私も大丈夫よ」
「では、早速取りかかります」
「お願いします」
私たちが頭を下げると、蓮は走り書きでメモした企画書を持って、会議室をあとにした。
ドアが閉じると、ほっと息をつく。背中にいやな汗が浮かんでたみたい。ブラウスの前身をつかんで、パタパタとあおぎ、御園さんに目を移す。
「御園さんは知ってたの?」
蓮がサク美の社員だってこと。
「確信はなかったけれど」
「いつから気づいてたの?」
「パールムで見かけたときからよ」
「えっ! 最初から知ってたの?」
意外な返答に驚いてしまう。
「どこかで見た顔だと思ったのよね。あんなにきれいな男の人、珍しいじゃない。そうしたら、一緒に食事してるじゃない? 人事の次長と開発の課長と。花村さんも気づいたかと思ったんだけど、全然だったわね」
身近な社員の顔ぐらい覚えておきなさいよとばかりに苦笑されるから、穴があったら入りたくなってしまう。
「うそー。もう一人いた若い男の人、あの人は、じゃあ……」
「中途採用の作業療法士じゃないかしら? 黒瀬さんに覚えがあったのは、見かけたのよ、社内で」
それで、蓮がサク美の社員だと気づいた。彼もまた、御園さんを覚えていて、彼女と同僚だと話した私の勤務先を知った。
「だから、私に勧めたの?」
「ちょうどいいと思ったのは確かね。小野部長が見合い相手を社内で探すのと大差ないわ」
「それはそうかもしれないけど……」
御園さんの話はいちいち正しい。
「仕事のできる男って感じでよかったわね」
「……よかったのかしら」
何に対していいのだろう。
同僚として?
恋人候補として?
でも蓮は、私を遊び相手としか思ってなくて。
知らず、ため息が出る。
アプリが完成するまで、何度となく顔を合わせるだろう。そう思うと、ストレスで胃がキリキリと痛むようだった。
スーツ姿の蓮を見るのははじめてじゃないけど、仕事モードになると、私の知ってる黒瀬蓮なのかと疑うほど、凛々しかった。
同僚だったなんて、全然知らなかった。
今にして思えば、私たちはまた必ず会うことになる、と自信に満ちていた蓮は、同僚だと知っていたのだろう。
それにしても、いつから私がサク美の社員だと気づいてたのだろう。
「黒瀬くんは東崎大学医学部附属病院に勤務してたんだけど、tofit開発のために、ぜひにって我が社がオファーして来てもらったの。かなり優秀だから、どんどんアイデア出して盛り上げていきましょう」
仕事が趣味だと豪語する環さんは、やる気満々で蓮に期待の目を向ける。
東崎大病院といえば、この地域において、もっとも高度な先端医療が受けられる国立大学附属病院。優秀な知恵をお借りできるとなれば、環さんに熱が入るのも無理はない。
「東崎大学といえば、サク美アプリ開発の監修をしてくださった教授のいらっしゃる大学ですね」
御園さんが確認するように言う。
「そう。今回もぜひにとお願いしたら、黒瀬くんを紹介されたの」
大学教授から直々に紹介されるなんて、本当に優秀なんだ……。
ぽかんとしながら、蓮を見つめていると、彼は目を合わせてきて、ふわっと優しくほほえんだ。
まるで、甘ったるい天使のような笑み。
愛想がいい、と言ってしまえばそれまでだけど、天使のほほえみの見せどころを熟知してるだろうから、たちが悪い。
まずい。こんな笑顔を見せられたら、第三企画の女子たちはみんな悩殺されちゃうだろう。
あらぬ嫉妬を買わないようにと、目をそらすと、今度は御園さんと目が合う。
意味ありげに見られてる気がして、こほんと咳払いする。
大丈夫。私と蓮の関係を知ってるのは、御園さんだけ。彼女は口がかたいし、信頼できる。いざとなったら、うまくフォローもしてくれるだろう。
背筋を伸ばす。私は堂々としていればいい。
「第三企画はまだ新しい部署だけど、彼女たちがうまくまとめてくれてる。黒瀬くんも困ったことがあったら、彼女たちに聞いてください」
「頼りにしてます。よろしくお願いします」
謙虚な蓮には違和感しかないけど、私も「よろしくお願いします」と、ぺこりと頭を下げた。
「それじゃあ、花村、御園、あとはお願い」
顔合わせをすませると早々に、環さんは会議室を出ていった。
「いくつか要望があるとうかがってますが」
環さんを見送ると、早速、企画書に目を通しながら蓮が言う。
さすがに社内では真面目なんだと気抜けしつつ、すぐに気を取り直して、第三企画でまとめた意見を提案する。
「ご存知だと思うけど、サク美アプリには、引き締める部位別に、数ポーズの組み合わせで、約10分前後のストレッチ動画が収録されているの。ストレッチ内容はとてもいいものだから、それプラス、tofitでは、1ポーズずつを収録したらどうかって案が出てるの」
「1ポーズずつですね。サク美アプリの動画では、使い勝手が良くないということですか?」
「tofitはあくまでも、運動習慣のない女性をターゲットにしてるから、10分動画の中に苦手なポーズが1つでもあると、続けられないこともあるんじゃないかと思って」
実際私も、ダイエットを始めたときはストレッチの本通りにやらないといけないと思い込んでて、やりたくないポーズがあると苦慮したものだった。
「あー、なるほど。1ポーズずつの動画にすることで、苦手なポーズを省けるようにするんですね」
「好きな動画をカスタマイズして、自分だけの10分動画を作成できるようにしたいの」
蓮はうなずきながら真剣に聞いてくれる。
「問題点としては、楽なポーズばかり選んでしまうといけないってことかしら。似たような効果が得られるポーズをいくつか用意して、苦手なポーズの代替え動画を選択できるようにしないといけないとは思ってるんだけど」
「わかりました。嫌いなポーズが一つでも入ってるとやりたくなくなるっていうのは想像がつくので、部位別におすすめの10分動画を作成して、苦手なポーズを別の難易度の低いポーズに差し替えられるような動画を作成したらいいですね。できると思います」
できるかどうか不安だったものの、彼はちゅうちょなく提案を受け入れてくれる。
「それとね、難易度の低いストレッチを多めにしたいの。本当に体がかたくて簡単なポーズも難しいような初心者向けのもので。難易度をあげるのは、ストレッチが習慣づいてからでいいと思う」
「やれないポーズはやる気を奪われますからね」
「まずは、体を動かすことの楽しさを知ってもらいたいの。それに、40代以上の方は難易度をあげる必要も感じてない。体を整えるのが目的になります」
キツい運動は続かない。ダイエットの成功はやせることだけじゃなくて、継続だから。
「体に優しいアプリができそうですね。いくつか、部位別に簡単なストレッチを考えておきます。案ができたら、またお知らせします」
そう言ってくれるから、ほっとする。
「ありがとうございます。連絡は私か御園さんにお願いします」
「進捗状況は、おふたりのパソコンにメールしますよ」
「助かります。御園さん、ほかに何かある?」
今日は顔合わせだと思っていたから、細かな打ち合わせまでできてなくて、補足をお願いする。
「そうね。ストレッチの案ができたら、ご指南してもらいたいわね。サク美アプリの動画はとても良いものだけど、うまくできないポーズに解説がなくて、なんとなくやってるだけのものもあるから。tofitの動画はすべて体験しておきたいのよ」
「かまいませんよ。スタジオを借りられるように手配しておきます」
思わぬ申し出だったけど、蓮は快諾する。
「話が早くて助かるわね」
「ほかには何か?」
「部位別のストレッチのほかに、マンションでも下の階の方に迷惑をかけない有酸素運動も紹介してもらえるとうれしいわね。ランニングすればいいって簡単に言う人いるけど、暑い日、雨の日は出たくないし、ダイエット目的で走ってる姿って、案外ご近所さんには見られたくないものよ」
まるで実体験のように話す。
「了解しました。ほかにはありませんか?」
「今のところはないわね。花村さんは?」
「私も大丈夫よ」
「では、早速取りかかります」
「お願いします」
私たちが頭を下げると、蓮は走り書きでメモした企画書を持って、会議室をあとにした。
ドアが閉じると、ほっと息をつく。背中にいやな汗が浮かんでたみたい。ブラウスの前身をつかんで、パタパタとあおぎ、御園さんに目を移す。
「御園さんは知ってたの?」
蓮がサク美の社員だってこと。
「確信はなかったけれど」
「いつから気づいてたの?」
「パールムで見かけたときからよ」
「えっ! 最初から知ってたの?」
意外な返答に驚いてしまう。
「どこかで見た顔だと思ったのよね。あんなにきれいな男の人、珍しいじゃない。そうしたら、一緒に食事してるじゃない? 人事の次長と開発の課長と。花村さんも気づいたかと思ったんだけど、全然だったわね」
身近な社員の顔ぐらい覚えておきなさいよとばかりに苦笑されるから、穴があったら入りたくなってしまう。
「うそー。もう一人いた若い男の人、あの人は、じゃあ……」
「中途採用の作業療法士じゃないかしら? 黒瀬さんに覚えがあったのは、見かけたのよ、社内で」
それで、蓮がサク美の社員だと気づいた。彼もまた、御園さんを覚えていて、彼女と同僚だと話した私の勤務先を知った。
「だから、私に勧めたの?」
「ちょうどいいと思ったのは確かね。小野部長が見合い相手を社内で探すのと大差ないわ」
「それはそうかもしれないけど……」
御園さんの話はいちいち正しい。
「仕事のできる男って感じでよかったわね」
「……よかったのかしら」
何に対していいのだろう。
同僚として?
恋人候補として?
でも蓮は、私を遊び相手としか思ってなくて。
知らず、ため息が出る。
アプリが完成するまで、何度となく顔を合わせるだろう。そう思うと、ストレスで胃がキリキリと痛むようだった。
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