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好きじゃなきゃしない
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「久しぶりー。佳澄、紀子、元気だったー?」
「うん。加奈江も久しぶりー」
米原紀子と野津加奈江は高校の同級生。
高校卒業後、紀子は看護師になる夢を叶えるため看護学校へ、加奈江と私は県内の同じ大学に進学した。
28歳になった今、私たちは高校時代には想像できなかったそれぞれの人生を歩んでいるけれど、一年に一度はそろって会うようにしていた。
「みんな、元気そうでよかった。ドリンク、何か頼んだ?」
「これから頼むところ。加奈江は何にする? 私と紀子は紅茶」
加奈江がいすに腰かけると同時に、紀子がメニュー表をテーブルの上に広げた。
紀子は結婚してからやたらと気をきかせるようになったと思う。
おっとりしている彼女は、学生時代、目立たないようにしていて、なかなか人より先に行動を移すことはなかったけれど、今では持ち前の洞察力でかゆいところに手が届く気配りをしてくれる。
「んー、私はコーヒーにしようかな。ブラックで」
「私たちは本日のランチにするけど、トマトソースのパスタだって」
「トマトかー。じゃあ、ジェノベーゼにしようかな。いっつも私だけ違うね」
明るく笑う加奈江は、ひかえめな紀子と対照的。
私と加奈江は普段からよく会うけど、加奈江と紀子はふたりで出かけたりしないんじゃないかと思う。
実際、加奈江の口から紀子とのエピソードを聞いたことはなかった。
「好きなの食べて。紀子と私は昔っから、好きな食べものかぶるよね」
「そうだね」
うなずいて、紀子はにっこりとほほえむ。
どちらかというと私は、紀子と仲良しだった。高校3年間同じクラスだったし、何かと気が合った。
加奈江との共通点は、3年生で同じクラスになったことと、同じ大学に進学したこと。紀子よりも一緒にいる時間が増えて、よくふたりで遊んだ。
ときどき、紀子も誘って一緒に遊んだ。いつの間にか、3人で仲良しグループになっていた。
加奈江はてきぱきと注文すると、クセだろうか、左手の薬指にはまるプラチナリングをいじりながら、「半年ぶりだね」と言う。
仕事一筋で、懸命に広告代理店で働いてきた加奈江は、一年前、同棲している彼と事実婚をした。
結婚式は新郎新婦ふたりだけで挙げて、友人には事実婚を選びましたと報告の手紙を出しただけだった。
私たちは3人だけでちょっとした食事会を開いた。それが半年前。生活は何も変わってないのだと報告してくれた。
ちょうどその頃だったかもしれない。同僚の結婚式に出席して、同席した小野部長に誰かいい人がいたり紹介してほしいとお願いしたのは。
事実婚とはいえ、加奈江は結婚しないと勝手に思っていたから、ほんの少しの羨ましさと焦りが生まれていたのかもしれなかった。
「紀子、今日は旦那さんに駿くん見てもらってるの?」
加奈江は気がかりそうに尋ねた。
紀子には、駿くんという、5歳になる男の子がいる。お姑さんと一緒に暮らしているから、気軽に子どもを家に残してランチに出て来られないと聞いていた。
半年前は、結婚した友人のお祝いだからと急なお誘いでも都合をつけてくれたけれど、今日は3か月も前からスケジュールを調整してもらっていた。
加奈江が事実婚を選んだのは、家族に縛られて自由に動けない紀子の生活をまのあたりにして、自身が満足できないと判断したのもあったようだった。
そういう私も、今のキャリアを捨てたくない。
優しい旦那さまがいて、子どももいて、お姑さんとの同居だけど、一歩身を引いてくれるお姑さんらしくて、絵に描いたような幸せな家族を持つ紀子を羨ましいと思うけど、加奈江のような生き方も悪くないと思っていた。
「うん。鉄道博物館に行くんだって言ってた」
「へえ、いろんなところに連れていってくれる旦那さまなんだ?」
「そうだね」
「紀子の旦那さまって、ほんと優しそうー」
紀子は穏やかにほほえむだけ。
いつもそう。紀子はあまり家庭の話をしない。結婚してない私を気づかってるのだと思う。
話が弾まないから、加奈江は会話に困って、ホットコーヒーをひとくち飲んで、手持ちぶさたにショートの横髪を耳にかけた。
「加奈江の旦那さまも優しいんでしょー?」
私が尋ねる。写真を見せてもらったときは、好青年そう、という印象があった。
「優しいっていうか、のんびりしてるだけ」
「加奈江がチャキチャキしてるから合ってそうだよね。なんでも許してくれそう」
理想だね、って言うと、加奈江はクルクルとパスタをからめとりながらフォークを回す手を止めた。そうして、ため息を吐き出す。
「どうしたの?」
紀子と顔を見合わせる。ため息をつくなんて、いつもの加奈江らしくない。
「全然だよ。なんでも許してなんてくれない」
明るい彼女に似つかわしくない低い声に、不安になる。
「加奈江?」
「……あ、ごめん。グチ」
「いいよ、聞くよ」
紀子が気づかうと、ほんとごめん、って加奈江は言いつつ、すぐに口を開いた。本当は話したかったのだと思う。
「私たち、事実婚契約書を作ったの。毎年、契約内容を見直して、折り合いがつかなくなったら、事実婚を解消しようって、ことこまかに決めたの」
「大事なことだよね。見直しをしたの?」
「そう。ちょうど一年になるから」
紀子は黙って加奈江を見つめている。何も言い出さない気がして、私が尋ねた。
「何があったか、聞いていい?」
「子どもよ……」
加奈江はひたいに手をあてて、ため息をつく。
「子どもって? ……子ども、できたのっ?」
子どもは産まないって言ってたのに。
「ちがう。反対」
「反対って?」
「子どもがほしいって言われたの。私は絶対産まないって言ったのに、それでもいいって言うから晃と契約を交わしたのに、やっぱり子どもがほしいって言い出して」
信じてる人に裏切られたみたいな、ショックを受けた顔をして、加奈江は下唇をかんだ。
晃さんというのは、加奈江の旦那さま。確か、稲本晃さんだったと思う。
「加奈江のこと、ちゃんと考えてくれてるからそう言うんじゃないの?」
「考えてくれてるなら、契約違反なんてしないでしょ」
「うーん」
加奈江の気持ちはわかる気がするけど、愛し合って結婚するのに、契約契約って言葉にする彼女に違和感を覚えて、口をつぐんだ。
彼が私との子どもがほしいって言ってくれて、籍を入れたいって言ってくれたら、私は素直に喜ぶだろう。
もしかしたら、積んできたキャリアを捨ててもいいって思ってしまうかもしれない。
でも、加奈江は違う。彼女は冷静で、仕事を続けるための、理想の生活のための結婚を選んだ。
今さら、契約を反故にしようとする彼に腹を立ててるのかもしれない。
「加奈江は子ども、ほしくないの?」
紀子がぽつりとつぶやくように言う。
「そりゃ、子どもはかわいいと思うけど、今の仕事続けられるかって考えたら、厳しいよ。紀子は看護師の資格持ってて、いつでも仕事復帰できるのにそうしないのは、やっぱり子育てと仕事の両立が難しいからでしょ?」
「……そうだね。難しいよね」
紀子は浮かない顔をする。
看護師になりたいと看護学校へ進み、ようやく夢を叶えた直後、紀子は結婚した。
同級生の中で誰よりもはやく結婚して、家庭に入った彼女を羨む声は私の耳にも届いた。
私だって、いいなって思ってたし、紀子に幸せになってもらいたいと願ったけれど、彼女が懸命に勉強して得た看護師の資格は宙ぶらりんになって、どうなんだろうという思いもあった。
「でしょ。仕事のことだけじゃないよ。紀子の旦那さまみたいに理解ある人でも、友だちと会うために家あけるだけで大騒動になるんだもん。大変だよー。私には無理。紀子はすごいって思う」
「すごいかわからないけど、ありがとう」
紀子はにこっとして、ミルクティーの入ったカップをしばらくじっと見つめたあと、ゆっくりと口に運んだ。
思慮深い紀子が、ミルクティーとともに何かの言葉を飲み込んだ。
誰かに縛られた生活は嫌だと主張する加奈江を見ていると、幸せな結婚生活を否定された気分になるんじゃないかと心配した。
でも、加奈江は常に自分は正しいと信じてるタイプだから、紀子の様子を気にする風はなかった。
「ねー、佳澄はどうなの? いい人できた?」
湿っぽい話は好きじゃないと、加奈江は私に話をふってきた。
晃さんが子どもをあきらめなかったら、事実婚は解消するの? って聞きたかったけれど、それを尋ねられる雰囲気はなかった。
「ううん、全然。出会いがないみたい」
出会いさえあれば彼氏ができるよ、って言ってくれた蓮の言葉を信じて、私はそう答えた。
「久しぶりー。佳澄、紀子、元気だったー?」
「うん。加奈江も久しぶりー」
米原紀子と野津加奈江は高校の同級生。
高校卒業後、紀子は看護師になる夢を叶えるため看護学校へ、加奈江と私は県内の同じ大学に進学した。
28歳になった今、私たちは高校時代には想像できなかったそれぞれの人生を歩んでいるけれど、一年に一度はそろって会うようにしていた。
「みんな、元気そうでよかった。ドリンク、何か頼んだ?」
「これから頼むところ。加奈江は何にする? 私と紀子は紅茶」
加奈江がいすに腰かけると同時に、紀子がメニュー表をテーブルの上に広げた。
紀子は結婚してからやたらと気をきかせるようになったと思う。
おっとりしている彼女は、学生時代、目立たないようにしていて、なかなか人より先に行動を移すことはなかったけれど、今では持ち前の洞察力でかゆいところに手が届く気配りをしてくれる。
「んー、私はコーヒーにしようかな。ブラックで」
「私たちは本日のランチにするけど、トマトソースのパスタだって」
「トマトかー。じゃあ、ジェノベーゼにしようかな。いっつも私だけ違うね」
明るく笑う加奈江は、ひかえめな紀子と対照的。
私と加奈江は普段からよく会うけど、加奈江と紀子はふたりで出かけたりしないんじゃないかと思う。
実際、加奈江の口から紀子とのエピソードを聞いたことはなかった。
「好きなの食べて。紀子と私は昔っから、好きな食べものかぶるよね」
「そうだね」
うなずいて、紀子はにっこりとほほえむ。
どちらかというと私は、紀子と仲良しだった。高校3年間同じクラスだったし、何かと気が合った。
加奈江との共通点は、3年生で同じクラスになったことと、同じ大学に進学したこと。紀子よりも一緒にいる時間が増えて、よくふたりで遊んだ。
ときどき、紀子も誘って一緒に遊んだ。いつの間にか、3人で仲良しグループになっていた。
加奈江はてきぱきと注文すると、クセだろうか、左手の薬指にはまるプラチナリングをいじりながら、「半年ぶりだね」と言う。
仕事一筋で、懸命に広告代理店で働いてきた加奈江は、一年前、同棲している彼と事実婚をした。
結婚式は新郎新婦ふたりだけで挙げて、友人には事実婚を選びましたと報告の手紙を出しただけだった。
私たちは3人だけでちょっとした食事会を開いた。それが半年前。生活は何も変わってないのだと報告してくれた。
ちょうどその頃だったかもしれない。同僚の結婚式に出席して、同席した小野部長に誰かいい人がいたり紹介してほしいとお願いしたのは。
事実婚とはいえ、加奈江は結婚しないと勝手に思っていたから、ほんの少しの羨ましさと焦りが生まれていたのかもしれなかった。
「紀子、今日は旦那さんに駿くん見てもらってるの?」
加奈江は気がかりそうに尋ねた。
紀子には、駿くんという、5歳になる男の子がいる。お姑さんと一緒に暮らしているから、気軽に子どもを家に残してランチに出て来られないと聞いていた。
半年前は、結婚した友人のお祝いだからと急なお誘いでも都合をつけてくれたけれど、今日は3か月も前からスケジュールを調整してもらっていた。
加奈江が事実婚を選んだのは、家族に縛られて自由に動けない紀子の生活をまのあたりにして、自身が満足できないと判断したのもあったようだった。
そういう私も、今のキャリアを捨てたくない。
優しい旦那さまがいて、子どももいて、お姑さんとの同居だけど、一歩身を引いてくれるお姑さんらしくて、絵に描いたような幸せな家族を持つ紀子を羨ましいと思うけど、加奈江のような生き方も悪くないと思っていた。
「うん。鉄道博物館に行くんだって言ってた」
「へえ、いろんなところに連れていってくれる旦那さまなんだ?」
「そうだね」
「紀子の旦那さまって、ほんと優しそうー」
紀子は穏やかにほほえむだけ。
いつもそう。紀子はあまり家庭の話をしない。結婚してない私を気づかってるのだと思う。
話が弾まないから、加奈江は会話に困って、ホットコーヒーをひとくち飲んで、手持ちぶさたにショートの横髪を耳にかけた。
「加奈江の旦那さまも優しいんでしょー?」
私が尋ねる。写真を見せてもらったときは、好青年そう、という印象があった。
「優しいっていうか、のんびりしてるだけ」
「加奈江がチャキチャキしてるから合ってそうだよね。なんでも許してくれそう」
理想だね、って言うと、加奈江はクルクルとパスタをからめとりながらフォークを回す手を止めた。そうして、ため息を吐き出す。
「どうしたの?」
紀子と顔を見合わせる。ため息をつくなんて、いつもの加奈江らしくない。
「全然だよ。なんでも許してなんてくれない」
明るい彼女に似つかわしくない低い声に、不安になる。
「加奈江?」
「……あ、ごめん。グチ」
「いいよ、聞くよ」
紀子が気づかうと、ほんとごめん、って加奈江は言いつつ、すぐに口を開いた。本当は話したかったのだと思う。
「私たち、事実婚契約書を作ったの。毎年、契約内容を見直して、折り合いがつかなくなったら、事実婚を解消しようって、ことこまかに決めたの」
「大事なことだよね。見直しをしたの?」
「そう。ちょうど一年になるから」
紀子は黙って加奈江を見つめている。何も言い出さない気がして、私が尋ねた。
「何があったか、聞いていい?」
「子どもよ……」
加奈江はひたいに手をあてて、ため息をつく。
「子どもって? ……子ども、できたのっ?」
子どもは産まないって言ってたのに。
「ちがう。反対」
「反対って?」
「子どもがほしいって言われたの。私は絶対産まないって言ったのに、それでもいいって言うから晃と契約を交わしたのに、やっぱり子どもがほしいって言い出して」
信じてる人に裏切られたみたいな、ショックを受けた顔をして、加奈江は下唇をかんだ。
晃さんというのは、加奈江の旦那さま。確か、稲本晃さんだったと思う。
「加奈江のこと、ちゃんと考えてくれてるからそう言うんじゃないの?」
「考えてくれてるなら、契約違反なんてしないでしょ」
「うーん」
加奈江の気持ちはわかる気がするけど、愛し合って結婚するのに、契約契約って言葉にする彼女に違和感を覚えて、口をつぐんだ。
彼が私との子どもがほしいって言ってくれて、籍を入れたいって言ってくれたら、私は素直に喜ぶだろう。
もしかしたら、積んできたキャリアを捨ててもいいって思ってしまうかもしれない。
でも、加奈江は違う。彼女は冷静で、仕事を続けるための、理想の生活のための結婚を選んだ。
今さら、契約を反故にしようとする彼に腹を立ててるのかもしれない。
「加奈江は子ども、ほしくないの?」
紀子がぽつりとつぶやくように言う。
「そりゃ、子どもはかわいいと思うけど、今の仕事続けられるかって考えたら、厳しいよ。紀子は看護師の資格持ってて、いつでも仕事復帰できるのにそうしないのは、やっぱり子育てと仕事の両立が難しいからでしょ?」
「……そうだね。難しいよね」
紀子は浮かない顔をする。
看護師になりたいと看護学校へ進み、ようやく夢を叶えた直後、紀子は結婚した。
同級生の中で誰よりもはやく結婚して、家庭に入った彼女を羨む声は私の耳にも届いた。
私だって、いいなって思ってたし、紀子に幸せになってもらいたいと願ったけれど、彼女が懸命に勉強して得た看護師の資格は宙ぶらりんになって、どうなんだろうという思いもあった。
「でしょ。仕事のことだけじゃないよ。紀子の旦那さまみたいに理解ある人でも、友だちと会うために家あけるだけで大騒動になるんだもん。大変だよー。私には無理。紀子はすごいって思う」
「すごいかわからないけど、ありがとう」
紀子はにこっとして、ミルクティーの入ったカップをしばらくじっと見つめたあと、ゆっくりと口に運んだ。
思慮深い紀子が、ミルクティーとともに何かの言葉を飲み込んだ。
誰かに縛られた生活は嫌だと主張する加奈江を見ていると、幸せな結婚生活を否定された気分になるんじゃないかと心配した。
でも、加奈江は常に自分は正しいと信じてるタイプだから、紀子の様子を気にする風はなかった。
「ねー、佳澄はどうなの? いい人できた?」
湿っぽい話は好きじゃないと、加奈江は私に話をふってきた。
晃さんが子どもをあきらめなかったら、事実婚は解消するの? って聞きたかったけれど、それを尋ねられる雰囲気はなかった。
「ううん、全然。出会いがないみたい」
出会いさえあれば彼氏ができるよ、って言ってくれた蓮の言葉を信じて、私はそう答えた。
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