お仕事女子のふつつかな恋愛事情

水城ひさぎ

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好きじゃなきゃしない

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 ラルゴに飛び込むと、驚いてコーヒーカップをおろす青年と目が合った。

 驚くのは当然だ。
 勢いよく駆け込んできた知り合いが、髪も服もぬらし、肩を大きく揺らしているのだから。

 水のしたたる傘を束ねて、中央にあるカウンター席に座る彼にまっすぐ向かっていく。

 彼の前には、食べ終えたパスタ皿がある。食後のコーヒーを楽しんでいたみたい。

「佳澄さん、血相変えてどうしたの?」

 愉快そうに、彼は聞いてくる。

 会社にいる時と違って、佳澄さんと呼んでくれるのだ。

 彼はまだ、私との関係を終わらせてないんだと思えて、あんどする。ほっとしてるなんて、すごく変だけれど。

「蓮くん、傘、忘れたんじゃないかと思って」

 そう言うと、蓮は意外そうな顔をする。そのまま、私にいすを勧めてくれつつ、全身を眺めてくる。

「俺に貸してくれる傘、持ってる感じしないけど?」
「あっ……、違うの。これ、貸そうと思って」

 ぬれた傘を見せると、彼はこらえ切れずに、ククッと笑った。

「うれしいけど、佳澄さんの使う傘がなくなるよ」
「私は、ほら、走ってすぐ帰れるから」
「ここからなら、俺のマンションの方が近いよ」

 考えなしに飛び出してきたのを見透かされたみたいで、恥ずかしくなる。赤くなるほおを自覚しながら、彼の隣にすとんと座る。

「これ、使って。ずいぶんぬれてるから」

 ポケットから取り出したハンカチをテーブルに置き、蓮は腰をあげる。

「私、ハンカチあるから大丈夫。ありがとう」

 バッグから取り出したハンカチで雨つぶをふき取る。

「じゃあ、何か買ってくるよ。コーヒーでいい?」
「うん。……あ、待って。カフェオレにする」

 そう言ってから、はっとする。

 ずうずうしかったかな。

 御園さんがラルゴのカフェオレが美味しいって言っていたのを思い出して、つい、お願いしてしまった。

「わかった。待ってて」
「ごめんね」
「傘持ってきてくれたお礼。傘忘れて、困ってたんだ」

 雨がやみそうにないから、帰るタイミングを逃して、ずるずると店内にいたみたい。

「私も、傘忘れちゃってたの」
「佳澄さんは傘いらなさそうだったのにね」

 何の毒も含んでなさそうにさらりと言って、蓮はレジカウンターに行ってしまった。

 やっぱり見てたのだ。
 私が、伊達さんと帰ったところ。

 違うの、って言い訳したくて、うずうずしながら彼が戻るのを待つ。

 レジの店員さんが、とびきりの笑顔を見せながら蓮と話してる。

 彼はどこにいてもひと目を引くから、私が傘を持ってこなくても、貸してくれる女性なんてすぐ見つかったんじゃないかと思えてくる。

 蓮が若い女の子と話してる姿はあんまり見たくない。

 私……、何しに来たんだろう。

 うつむいていると、ペーパーカップが目の前に置かれた。持ち帰れるようにオーダーしてくれたみたい。

「ありがとう」

 そう言って、彼が腰かける前にさらに続ける。

「今日はね……」
「彼氏いたんじゃん」

 言い訳しようと思ってたのに、さえぎられてしまった。

「……彼氏じゃないの」

 口ごもるように否定する。そんな私を、蓮はじっと見つめてくる。

 心の中を暴かれるんじゃないかと思って、落ち着かない。

 伊達さんとはなんでもないけど、来週また会う約束をした。
 流されたと言えば、そう。
 でも、また会ってもいいと思うぐらいの気持ちはあったのだ。
 その気持ちを、伊達さんは誤解した。

 蓮には、彼とのこと誤解されたくない。

 なんでそんな風に思うんだろう。
 私……、蓮が好きなんだろうか。

 頼りなく見つめ返したとき、彼が言う。

「口紅、はがれてるよ」
「うそっ」

 パッと口もとを手のひらで覆う。伊達さんの唇の感触がよみがえってきて、ほおが熱くなる。

「うそ」

 蓮は息を漏らして笑う。

「かまかけたのに、佳澄さんは正直だなぁ。キスするような彼氏がいるのに、どうして傘なんて持って来たの?」
「どうしてって……」

 自分でもわからない。
 蓮に傘を届けなきゃって、その一心で雨の中、走ってきた。

「俺に会いたかった?」

 ひょいっと私の顔をのぞき込む蓮が、無邪気な笑顔を見せる。

 蓮は私を好きじゃないから、ほかの男の人とキスしたって怒ったりしない。

「蓮くんが困ってる気がして……」
「そんな理由じゃ、彼氏が嫉妬するよ。困ってる同僚のためにわざわざするようなことじゃない。俺だったら、疑う」
「そうじゃないの。彼氏じゃない」
「じゃあ、なに?」

 私を見つめる彼の瞳の奥は笑ってなかった。

 うそを言ったら、全部見透かされるんだと思った。

「昔……好きだった人」
「へえー。ああいうのが、タイプなんだ?」
「今は好きじゃないの。昔、憧れてただけ。彼には彼女がいたから、私の片思い。今日は食事しただけ」

 今も昔も、両思いになったことなんてない。

 そう伝えるけど、蓮は「ふーん」と、素っ気ない。

「佳澄さんは昔あの人が好きだったけど、今はあの人が佳澄さんを好きなんだ?」
「彼は私を好きだなんて言ってない」
「言ってなくても態度でわかるよ」
「本当に誤解なの。今日のことは事故みたいなもので……」

 私だって驚いたのだ。
 伊達さんがキスしてくるなんて思ってなかった。

「ああー、じゃあ、俺とのことは、犬にかまれたようなものって、あの人には言うんだ?」

 蓮の言い方にはトゲがあった。

「怒ってるの? 私、そんな風に言ってない」
「俺は別に怒ってないよ。怒る筋合いもないし。なんで佳澄さんがそんなに誤解だって否定するんだろうって思っただけ」
「事実を知ってもらいたいだけ」

 私も何をムキになってるんだろう。

「事実って、なに? あの人は佳澄さんが好き。それが事実だよね」
「彼はそんなこと言ってない」
「好きじゃなきゃ、キスなんてしないよ」

 投げやりに言って、蓮はコーヒーの入ったカップを口もとに運んだ。

 どうでもいいのだろう。めんどくさい話を聞かされて、怒ってるのだ。

「好きじゃなくても、その場の雰囲気でしただけかもしれないじゃない」

 そういう気分だった。
 それだけだ。

 魔がさした経験があるのは、蓮だって同じ。

 私たちの関係が証拠じゃないか。

 出会ってすぐ、私たちはキス以上のことをした。

 愛し合ってなんかないのに、そういうことができる関係になったじゃないか。

「俺たちの話してるの?」
「そういうこともあるって話、してるの」
「じゃあ、今日は佳澄さんを抱きたい気分だよ。今から俺んちに来れる? あの人が好きでも俺はかまわないよ」

 蓮はいきなり私の手首をつかんで、腰をあげた。

「蓮くん……っ」

 とっさに手をふりほどくと、彼は唇の端を悔しそうにかんだ。

「俺はいつもそうなんだよ……」
「蓮くん?」

 蓮は黙ったまま上着とバッグをつかむと、ラルゴの出入り口へ向かった。

 どうしたんだろう。
 急にいらだちを見せた蓮が、ひどく傷ついてるように見える。

 彼の背中が、閉じる自動ドアで見えなくなる。私はあわてて、傘を持って彼を追いかけた。

 まだ小雨が降る中、急ぐわけでもなく歩く彼の頭上に、ピンクの傘を広げる。

「佳澄さん……」
「蓮くんの部屋には入れないけど、送っていく」
「佳澄さんをこんな暗い中、一人で帰せないよ」

 蓮は私から傘を取り上げると、アパートどこだっけ? と、つぶやいた。

「線路沿いの三叉路を左に行ったところ」

 すんなり答える。

 蓮になら、アパートの場所を教えてもいいと思った。

「連絡先、消してって言ったけど、また教えてくれる? 電話ができたら、こんな風にしなくても会えたから」

 ずいぶん虫のいい話だ。

 私はいつも、蓮に甘えてる。

 恋人でもないのに、勝手に押しかけて、誤解しないでほしいなんてわめいて、さぞかし迷惑だっただろう。

 蓮が怒るのは無理がない。

「佳澄さんがそうしたいなら、いいよ」

 素っ気なく言う彼と、線路沿いを無言で進む。

 雨から身を守るように彼へ体を寄せると、彼もまた、私がぬれないように傘を傾けてくれた。
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