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愛なんてなくてもいい

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 加奈江からの急な呼び出しは、週末であれば珍しくなかった。

 彼女が晃さんと同棲を始めた頃、ふたりでゆっくり過ごせるのは週末だけなのに、私と会ってていいの? と聞いたことがある。

 彼女の答えは、彼がいるって理由で生活スタイルを変えたくない、というシンプルなものだった。

 晃さんは晃さんで、週末は趣味のゴルフや釣りに仲間と出かけるようで、休日を一緒に過ごさないスタイルが合ってるんだと言っていた。

 恋人がいない私にとっては、彼氏ができたらずっと一緒にいたいと思うものではないの? とふしぎだったけど、過干渉や束縛を嫌う晃さんとだから成り立つ生活なんだと聞かされて、そんなものなんだなと思っていた。

 だから余計に、晃さんが約束を反故にしてまで子どもがほしいと言い出したことに、加奈江は強い反発を感じたのかもしれない。

 子どもがいたら、これまでのような生活は絶対に送れないだろう。紀子を見ていたら、それは容易に想像がついていた。

 約束の5分前にカフェへ到着し、店員に連れが先に来てるはずだと話していると、入り口に近い席に座っていた加奈江が私を見つけて手を振った。

「佳澄ー、こっちこっち」

 店員に会釈して離れ、加奈江の向かいに座る。

「先輩とデート、どうだったー?」

 注文したホットコーヒーが運ばれてきた後、加奈江は身を乗り出すようにして尋ねてきた。

 それを聞くために呼び出したわけじゃないだろうと思いつつ、ごまかしたところで伊達さんにさぐりを入れるだろうからと、素直に話す。

「レストランで食事して帰ってきただけだよ。雨もひどかったし、はやく帰ろうって話になって」
「えー、それだけ?」
「仕事帰りだったし、疲れてたのかも」

 私の言い分に、加奈江はあきれ顔をする。

「そんなわけないでしょ。じゃあ、まだ様子見? 間接的にでも、佳澄に気があるって態度見せなかったー?」

 加奈江は心底、ふしぎそうに首をかしげる。伊達さんが私に好意を持ってると信じて疑ってないみたい。

「全然ないって。また会う約束はしたけど……」

 キスされたことは伏せて、口ごもる。

「また会うんだ? それは全然ないとは言わないよね。ふたりきりで立て続けに会うんだったら、秒読みでしょ。次はキスぐらいされちゃうかも」

 ひとごとだと思って、加奈江は楽しそうに目を輝かせている。キスされた、なんて話したら、勝手に盛り上がってしまいそう。

 私はどうにも夢見がちになれないでいる。そういう慎重さが、男性を遠ざけてきたのかもしれない。

「付き合う前に、キスなんてする?」

 ずっと悩んでた疑問をぶつけてみる。

「時と場合によるんじゃない? たとえばよ、佳澄と全然いい雰囲気にならなかった場合の強硬策とか? 気持ち確かめるためにしたりもするんじゃない?」
「確かめるためかぁ。大丈夫かな……、ふたりきりで出かけても」

 加奈江の推測はあたってる気がする。

 今思えば、アパートに駐車場がないって知って、残念がってたようにも感じる。

 一気に不安になってきた。

 御園さん風に言えば、ゆっくりじっくり恋心を温めていく時間なんてないんだから、さっさとヤってしまえばいいって、伊達さんも思ってるのかもしれない。

 蓮は恋人をつくる気がないから、私とは体の関係止まりで恋に発展する気配もないけど、伊達さんとはどうなんだろう。

「どこに行くの?」
「まだ決めてないけど、伊達さんはドライブしたいって。ちょっと遠出してもいいよって」
「それって、そういうこと?」
「そういうことって?」
「遅くなるなら泊まりでもいいよって、誘ってるんじゃない?」

 鈍感な私を笑うように、加奈江は目を細めてにやにやした。

「泊まりって……」
「もちろん、ヤル気満々でしょ。佳澄が素っ気ないなら尚更、既成事実作っちゃおうって感じじゃない?」
「素っ気なくしてるつもりはないんだけど」
「ウェルカムな雰囲気出してるわけでもないんでしょー? 佳澄の軽そうに見えないところは、いいところだと思うよー。先輩も、はっきり告白しちゃえばいいのにね」

 伊達さんが私に好意を抱いてる前提で話す加奈江には違和感があるけれど、まったく好意がないならデートに誘ったりしないだろうとは思う。

 でも、伊達さんと蓮の違いなんてわからない。抱いてもいいと思える女性と適当に遊ぶ男の人だっているだろう。伊達さんはそうじゃないと信じたい私の願望が、彼を誠実そうに見せてるだけかもしれないのだし。

 本当に誠実な人なら、あんな風にキスしたりしないとも思うのだ。

「まだ決めかねてるのかな?」
「告白するにははやいって思ってるのかなぁ? 体の相性確認してからとか?」
「あ、相性って……」
「大事なことでしょー。この歳で付き合うなら、もしかしたら結婚するかもしれないわけでしょ? 一生だよ、一生。一生、この人しか抱かないって決めるのに、なんでもいいわけないじゃない? 佳澄だって、選ぶ権利はあるからね」

 選ぶ権利か……。

 蓮に抱かれたとき、彼をひどく愛おしいと思った。あれは、相性がよかったからだろうか。

 彼だって、あの関係を続けようと言ったのだから、まったく嫌だったわけじゃないとは思う。少なくとも、私は嫌じゃなかった。お互いに相性がいいと感じてたのならいい。

「相性がいいかどうかなんて、比較対象がないとわからないかも……」

 蓮に抱かれたとき、特別だった、そう感じられたならよかったのかもしれない。でも、私には経験がなくてわからなかった。

 好きな人に抱かれていたらもっと幸せだったかもと思ったけど、もしかしたら、蓮だから体も許せたし、愛おしい気持ちになったのかもしれない。

 それももう、今となっては、他の男性に抱かれることでしか、確かめようがないのだ。

「あっ、そっか。佳澄、彼氏いたことないもんねー。でもさ、その時になったらわかるって。先輩とだったら後悔ないと思うしさー、試してみたらいいんじゃない?」
「伊達さんもそんな気持ちなのかな?」
「んー、どうだろ。佳澄に興味あるのは間違いないと思うけどね」

 伊達さんは、体の相性を試してから告白するつもりなのだろうか。合わなければ、ただのあやまちとして終わらせられるから。

 私たちは傷付かずに済むのだろうけど、今は蓮以外の男性と体を重ねる勇気がない。

 蓮とだって、愛情がないなら嫌だと思ってるのだ。

 そうじゃなきゃ、蓮がもう一度私を抱きたいと言ってつかんだ手を、振り払ったりはしなかっただろう。

「加奈江は好きじゃない人と付き合ったことある?」
「なーに、急に。あるよ、あるある。っていうか、そんなのばっかり。いい男だなぁって思う人にはふられてばっかり。こんな私でもさ、好きって言ってくれる男の人がいたから、お付き合いしてきたけど」
「加奈江、モテそうだもんね」
「敷居は低いからね、私。晃とだって、同棲するとは思ってなかったし。ましてや、結婚なんて考えてもなかった」

 冗談めかして自虐的に笑った加奈江は、肩をすくめた。

 顔立ちも服装も華やかな彼女は、簡単にやらせてくれる女に見られるって憤慨してた時があった。男性の目に魅力的に映ってるのであろう彼女には、私とは違う苦労があるのだと思っていたけれど。

「そうなんだ?」
「晃が私を好きでいてくれるから続いてる関係なんだよね。それがなくなったら、やっぱり終わっちゃうのかなぁ」

 加奈江はそう言って、絶望そうに天井をあおぐ。

「子どものこと、どうするか相談してるの?」
「全然。私がさけちゃってるっていうか。……なんていうか、うまくいかないよね、いろいろ」
「じっくり相談できる時間が作れるといいよね。大事なことだもん」

 ありきたりなことしか言えないけれど、彼女は神妙にうなずいて、コーヒーカップをじっと見つめた。

「やっぱりさ、勢いも必要なのかなって思うよね」
「勢いって?」

 なんの話だろう、と首をかしげると、加奈江はパッと顔をあげる。

「紀子、働く前に結婚したじゃない? 私、ああいうのは無理だなぁって思ってた。子どもだってすぐにできて、旦那さんのお給料じゃ暮らせないから同居でしょ? ここだけの話、同居は絶対いやだなって思ってたから、私は自立してから結婚するんだって思ってたよ」
「紀子はたくさんの人に助けてもらってるよね。加奈江はなんでも一人でやろうとしすぎてるのかもしれないよ?」
「でも、同居だよ? 私は無理。佳澄に言ったっけ? うち、母親が後妻だからさ、血がつながってないんだよね」

 その話は大学生の時に聞いていた。

 加奈江の母親は、彼女が小学生の時に病気で亡くなった。しかし、年頃の彼女の扱いは難しく、彼女の父親は母親と仲の良かった女性に何かと助けてもらっていたらしい。

 その女性が、加奈江の今の母親だ。

 父親の再婚が決まったのは、彼女の高校入学と同時だった。加奈江がはたちになるまで待つつもりだったらしいが、父親が体調を崩したのを理由に再婚を早めたという話だった。

 加奈江はコーヒーをひと口飲んで、続けて言う。

「あの人、出産経験ないし。いい人だけど、子育てとか相談できないよね。そうなると、晃のお母さんを頼ることになるじゃない? 晃のお母さんもいい人だけど、いざ、嫁と姑って立場になると、ギクシャクしちゃうかも。紀子って、お姑さんとうまくやってるんだよねー? すごいよね」

 うなずいてはみるものの、紀子からお姑さんの話はほとんど聞いたことがなかった。

「籍入れないのは、しがらみがなくていいって思ってるんだけど、子どもができたらそういうわけにはいかないじゃない?」
「うん……、そうだよね。生活スタイルは変わると思う」

 加奈江が望んで得てきた日常は一変するだろう。

 結婚って、そういうことなのだ。相手次第で、私が築き上げてきたキャリアなんて、一晩で吹き飛んでしまうだろう。

 人生を変えてでも得たい男性に出会えたとき、私は結婚を決意するのだろうか。今はまだ、想像もつかない。

 だから、加奈江は勢いも必要だと言ったのだろう。

「あー、なんで晃、急に子どもがほしいなんて言い出したんだろ。お母さんに何か言われたのかなぁ……」
「それは、旦那さまに聞いてみなきゃ」
「だよねー。今、大きな案件抱えてて、晃とのことで悩みたくないんだよね」
「仕事も大事だけど、子どものことはもっと大事だと思うよ」

 知りもしないのに、わかった風なことを言う私の言葉でも、加奈江は耳を傾けてくれる。

「まあ、そういう話になるよね。結婚決めたときから、晃の人生、背負っちゃってるんだもんね。ふたりで納得いく答え、出さなきゃね」
「加奈江ならできると思う」
「言いたいこと、がまんしないからねー、私。別れることになったらなぐさめてよ」

 情けない顔で、彼女は笑う。

「縁起でもないこと言わないでよ」
「だって、こういう話ができるの、佳澄だけだもん。佳澄が結婚するときは、盛大にお祝いするからね」
「結婚も何も、相手がいないから」
「もういるようなものでしょー。ね、先輩と、一泊しちゃう? 雰囲気のいい旅館とか、教えてあげようかー」

 いつもの調子に戻った加奈江は、何も言わないうちからスマホを開いて、おすすめの旅館をピックアップし始めた。

「おすすめ、リンク送るねー」

 スマホに連続して何件かメールが届く。

「まだ泊まるなんて決めてないよ」

 と困りながら、加奈江から送られてきた旅館のリンクを眺める。

 旅行好きな彼女らしい、おしゃれな旅館ばかり。どの旅館にも、部屋付き露天風呂という文字が大きく載ってて、目がくらむ。

 そのとき、新着メールの通知が届いた。

 珍しい。紀子からだった。

 スマホ画面に夢中になってる加奈江をちらりと見た後、メールを確認する。

『こんにちは。突然なんだけど、来週の日曜日、うちに来ない? うちって、実家なんだけど。駿をおじいちゃんおばあちゃんに慣れさせようと思って、最近はずっと日曜日、実家に来てるんだ』

 日曜日か……。

 土曜日は伊達さんと出かける予定をしてる。

 紀子を利用するみたいで申し訳ないけど、日曜日に用事が入っちゃったと言えば、彼だって無理に一泊しようなんて言わないだろう。

 そもそも、一泊うんぬんは加奈江が勝手に盛り上がってるだけで、伊達さんからは何も言われてないのだ。

『日曜日の午後からなら行けるよ』

 返信すると、すぐに紀子から返事が来る。

『よかった。高校のとき、うちに遊びに来てくれたことあったでしょ? お母さんが佳澄を覚えてて、懐かしいねって。また遊びに来たらいいのにっていうから、遠慮なく来てね』
『うん。駿くんが好きなもの教えて。おやつになるようなもの、買っていくね』
『そんな気、つかわなくていいのに。でも、ありがとう。また連絡するね』

 紀子とのやりとりを終えて、ふたたび、旅館のリンクを開くと、加奈江が身を乗り出してくる。

「その旅館、めちゃくちゃ雰囲気いいよー。部屋付き露天風呂から満点の星空が見えて、盛り上がること間違いなしっ! 勢いだよ、佳澄。先輩だったら、絶対後悔しないから、飛び込んでみなよー」

 困惑する私に、彼女はウインクしてみせた。
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