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約束の場所で待ってる

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「花村さん、今から開発? 毎朝、おつかれさま。もうすぐtofit企画もひと段落ね」

 デスクから立ちあがったとき、御園さんが声をかけてきた。

 以前は気軽に話しかけてきたりしなかったのに、tofit企画を通じて、彼女とはずいぶん気心が知れる仲になったみたい。

「御園さんこそ、おつかれさま。黒瀬さんのレッスン、今日が最後よね?」
「ええ。おかげで、ずいぶん充実した内容になったわ。ほら、黒瀬さん、マッサージするといいって教えてくれたわよね。あれから、アドバイスもらいながら、全身をほぐすようにしたのよ。最初は全然変化がなかったんだけど、このところ、細くなってきたみたいよ」

 脇腹を伸ばしてみせる彼女は、相変わらずの無表情だけど、感動してるように見える。

「そうなの? すごいわ」
「見えないところが、少しよ」
「その少しが大きいの。励みになるわよね」
「そうね。もう少し続けてみようと思うわ。ストレッチで体が柔らかくなってきたから、次は筋トレをしましょうって、黒瀬さんが考えてくれた新しいトレーニングも始めたのよ」
「いい流れよね」

 トレーニングは、蓮が御園さんのために考えたようだったけれど、ハードすぎない内容だから、これを逃す手はないと、tofitアプリにも反映させようと企画が進んでいる。

「流れのアドバイスは大事ね。アプリの利用者の方にも、ステップアップの工程がわかりやすいものにしたいわね」
「本当に。ダイエットを始めたばかりだと、何から始めたらいいのかだけじゃなくて、加減もわからないもの」

 自分がそうだった。今でも、私がダイエットに成功できているのは、サク美ジムと環さんのアドバイスがあったからこそと思っている。

「そこね。どんなにいいアプリを作っても、知識のない方がとっつきにくいって感じたら使ってもらえないものね」

 一番の危惧を御園さんは口にした。

 私たちはずっとブレずに、運動初心者の方に使いやすいアプリの提案を続けている。そういった方に最適なアプリの完成はもう間近だと確信してもいる。

「機能の追加は即時に対応できるシステムになってるから、アイデアはどんどん出してもらってかまわないわ。最後まで妥協せずにやりましょう」
「ラストスパート、がんばりましょう」
「ええ。じゃあ、開発行ってくるわ」
「いってらっしゃい」

 御園さんに見送られ、タブレットを片手に企画部を出た。

 開発部のあるフロアに足を踏み込み、会議室へ向かう。最初は緊張したけれど、今はすっかり慣れた。

 いつものように会議室に入り、開発チームのメンバーにあいさつをして、一番後ろの席につく。すると、主任の三浦さんが次いで入ってきた。

「おはよう、花村さん」

 開発メンバーに声をかけて回ったあと、最後に私のところへ彼はやってきた。

 彼は毎朝そうやって、ひとりひとりを気にかけ、チームワークが乱れないよう、さりげないフォローをしている。

「三浦主任、おはようございます」
「今日もおつかれさま。年内は毎日来るんだっけ?」
「はい。企画書が完成するまでは。来年からは一部のメンバーでtofit企画を引き継いでいく予定みたいです」

 そのメンバーはまだ知らされていないけれど、御園さんを中心に任されることになるだろうと思う。

「そうか。来年から花村さんは新たな企画が始まるんだね。困ったことがあれば相談に乗るから、いつでも」
「いつもありがとうございます」

 頭をさげると、三浦さんが斜め前の席に着く。

 程なくして、朝会は始まった。
 チームリーダーのあいさつから始まり、開発メンバーひとりずつが、進捗状況や問題点、今日の目標を発言していく。中には、昨日あった出来事を話す人もいて、堅苦しいばかりじゃない会が進行していく。

 私は毎朝、手元にあるタブレットで議事録を確認しながら進捗状況を把握しつつ、開発チームのコミュニケーションの取り方を勉強させてもらっている。

 15分という短い時間だが、内容の濃い朝会を終えると、私は最後に会議室を出た。

 開発メンバーに会釈しながらオフィスを出て、エレベーターを待っていると、「花村さんっ」と、三浦さんが追いかけてきた。

 珍しい。何かあったのだろうか。

「どうされましたか?」
「いや、たまにはランチ、一緒にどうかな? と思ってね。今日はお弁当?」

 思いがけないお誘いに面食らってしまった。

「お弁当じゃないですけど……」
「そう、よかった。じゃあ、ここで待ってるよ」

 三浦さんは名刺に何やら書き込むと、私に渡してきた。見れば、カフェの名前が書いてある。オフィスからさほど遠くはないけれど、よほどでなければ行かない場所にあるカフェだった。

「そこのランチ、種類もあってうまいから。じゃあ、また」
「あ……、はい」

 すぐに立ち去る三浦さんを、あっけに取られながら見送る。

 急にランチだなんて、なんだろう。意図がわからなくて、戸惑いながらも、お昼になるとすぐに指定されたカフェへ向かった。

 三浦さんは先に来ていた。奥の席で合図を送る彼に頭を下げ、向かいに座る。

「前から、ゆっくり花村さんと話したいって思ってたんだよ」

 日替わりランチのクリームパスタが運ばれてくると、彼はそう口を開いた。

「お話って?」
「うん。お見合いの件なんだけどね」
「えっ、お見合い、ですか?」

 いきなりだ。予想外の話に驚いてしまう。
 三浦さんは何か、小野部長に頼まれたのだろうか。

「ちょっと気がかりがあってさ。小野部長に誰か紹介してほしいって、花村さんから頼んだのは本当?」

 なんの確認だろう。そう思いつつ、小さくうなずく。

「はい……、本当です」
「本当なんだ。部長から言い出したんじゃなくて?」

 意外そうに彼はそう言った。

「……はい。あの頃、友人が結婚したんです。それから、同僚の結婚式に参列して、結婚したくなって。でもそれが、何か?」

 そこまで詳細に話さなくてもよかったかもと後悔していると、三浦さんは思いもよらないことを口にした。

「部長が花村さんに紹介するつもりだった見合い相手って、俺なんだよね」
「えっ!」

 思わず大きな声をあげてしまい、辺りを見回す。気恥ずかしさのあまり肩をすくめる私を見て、彼は目を細める。

「うそじゃないよ」
「でも、お相手の方は総務の人だって聞いていて」
「総務? 部長がそう言ってた?」
「あっ、それはその……、うわさで」

 蓮から聞いたなんて言えない。

「うわさって」

 三浦さんはおかしそうに肩を揺らして笑う。

「まあ、もしかしたら、そんな話があるのかもしれないね。俺が見合い話を断ったから」
「断ったんですか?」

 次々と明かされる真実に驚きっぱなしの私を彼はより一層笑うが、ほんの少し前かがみになると、神妙な目つきをした。

「それとなく見合いを持ちかけられたのは、tofitプロジェクトの話をいただいたときでね。花村さんは企画だし、開発とも必ず関わるとわかっていたから、プロジェクトに集中したいと思ってお断りしたんだよ」
「そうだったんですか」
「お受けできなくて申し訳なかったね」
「あ、いえ。いいんです。縁談がなくなったんだったら、それでも」

 恐縮してしまう。私のお見合い話なんて、tofitプロジェクトの成功に比べたらちっぽけなもので、三浦さんを悩ませる材料にしてはいけなかった。

 それを今、彼が告白したのは、企画書の完成が近いからなのだろう。私の精神的な負担まで配慮してくれていたのだ。

 それにしても、お見合いの話まで頓挫してしまうなんて、本当に私は恋愛に縁がない。

「お見合いはもういいの?」
「私もどうしようか迷っていたので」
「そうなの?」

 それほど真剣に考えてたわけじゃなかったのかと、三浦さんはあきれたかもしれない。

「勢いで部長にはお願いしてしまったし、このままお見合いしていいのか悩んだりもしてて……」

 蓮との関係は終わらせないといけない。そう思っているけれど、彼に呼び出されたら、また会いに行ってしまうかもしれない不安もあった。

 自分自身に嘘をついてお見合いするのは、お相手の方にも失礼になる。八方塞がりとはこのことだ。

「迷うような何かって、やっぱり、彼氏がいるのかな?」

 妙な聞き方をしてくる彼に引っかかりを覚えて、おうむ返しに尋ねた。

「やっぱりって?」
「あー、いつだったかな。彼氏が迎えに来てたらしいね。どしゃぶりの日で、迎えが来るなんて羨ましいとかなんとかみんなが……」

 雨の日のお迎えといえば、伊達さんしかいない。三浦さんは濁すけれど、うわさが立ったのだろう。全然知らなかった。

「あの人は彼氏じゃないんです」
「じゃあ、好きな人でもいるの?」

 さぐるようにじっと見つめられて、ほおが赤らんでしまう。緊張したからだけど、三浦さんは勘違いしたみたいだった。

「好きな人がいるんだ。花村さんって正直だね」

 わかりやすいって、からかわれたみたい。

「あの、誤解しないでほしいんですけど、勢いだったとはいえ、部長にお願いしたときは、前向きにお見合いを考えてはいたんです」
「じゃあ今は、その好きな人といい雰囲気だから、お見合いを迷ってるの?」
「え……っと」
「ああ、ごめん。踏み込みすぎたね。……もうこんな時間だ。急いで食べて戻ろう」

 気まずい雰囲気になるのを回避するように、三浦さんは早口でそう言う。

 腕時計を確認する彼に急かされて、私は黙々とパスタを食べると、オフィスへと戻った。
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